終.未来に帰ろう

先生からの言葉を受け取った後、先生のお葬式が始まった。勿論僕達三人は参列し、遺体を火葬するところまで見届けた。そこで一旦解散となり、納骨は後日ということになった。響子先生には、納骨にも参加してほしいと言われたが、僕もみそらも先輩も、仕事が入っていたので丁重にお断りした。そうして、お葬式に参列し終えた僕達は、駅までのバスの中で揺られていた。

「納骨、参加した方が良かったかな」

僕達の後ろに座っているすみれ先輩が、ふと声を上げる。確かに、それは僕も思っていた。だが、そういうわけにはいかないだろう。

「私達も先輩も、外せない仕事があるじゃないですか。どのみち無理でしたよ。それに――」

「それに?」

首を傾げるすみれ先輩に、みそらが頷く。

「納骨は、言うなれば『本当の最後の別れ』じゃないですか。先生の親族だけでやるべきだと思うんです。私達は、先生に会った。時羽は、先生からの言葉を受け継いだ。それで、私達の『お別れ』は終わりかなって」

僕の思っていたことを、みそらが全て言ってくれた。みそらとすみれ先輩は、先生のお葬式に立ち会うことができた。それに加えて、僕は先生の言葉を聞くことができた。ならば、僕達教え子の『お別れ』は、そこで終わらせた方がいい。納骨にまで顔を出すのは、流石に出過ぎた真似というものだろう。仮に先生が許したとしても、僕達の方が申し訳なかった。

「まぁ、それもそうか。お葬式の段階でしっかりお別れできたなら、そこで終わらせた方がいいのかな」

「えぇ。それに、各々の道をしっかり生きていくことが、先生への手向けになると思うんです」

みそらの言葉に、先輩が大きく息を吐いた。

「何というか、みそらちゃんらしいね。しっかり芯を持っていて強い。私とは大違いだよ」

すみれ先輩の言葉は、的を射ている気がした。恩師との別れの悲しみに囚われ続けるわけではなく、その悲しみを、明日を生きる力に変えて、前を向く。僕には、そんな強さはない。だが、なぜかみそらは首を振った。

「これは、私の強さではありませんよ。ついさっき教えてもらった、大切なことです」

そこでみそらは、なぜか僕を見た。僕は、お葬式では醜態を晒すばかりでロクなことをしていない。僕がどうしたというのだろうか。

「なるほど、そっか」

今度は、先輩が僕を見て微笑む。

「え、何、何ですか?」

戸惑いのあまり、二人を交互に見て上ずった声が出てしまう。僕は別に何もしていない。それなのに、二人して僕を見て、何か分かったような顔をして。本当に、どうしたのだろうか。

「時羽って、こういう時は鈍感だよね。ま、そこがいいところでもあるんだけど」

「本当に何? ハッキリ言ってよ」

「いいの、気にしなくて」

そう言って、みそらが悪戯っぽく笑う。気になるところではあったが、みそらの久しぶりの純粋な笑顔を見た瞬間、どうでもよくなってしまった。何であれ、みそらが笑っているならそれでいい。深く追及するだけ無粋というものだろう。そう思い、ため息をついた時、ふとすみれ先輩が身を乗り出した。

「そう言えば、私達が泊まった部屋にあった、時羽君の昔の荷物って何だったの?」

その言葉に、思わずハッとした。そういえば、みそらと先輩には、荷物の正体を言っていなかった。僕は、鞄の底から例の箱を取り出し、中身を出して二人に見せた。

「わぁ……」

「すごく綺麗……」

みそらも先輩も、ため息混じりに感嘆の声を漏らしていた。改めて見てみると、手作りとは思えないくらい美しい風鈴である。こう言うと先生に失礼だろうが、あの先生が作ったとは思えないくらい綺麗な風鈴であった。

「僕が中三の時に、惣助先生がくれた手作りの風鈴です。高校進学のゴタゴタで祖母に預かってもらってたのを、すっかり忘れてました」

「手作りって……え? あの先生が?」

すみれ先輩が素っ頓狂な声を出す。やはり、あの先生の姿からは想像もつかないだろう。

「そうです。この風鈴を渡して、先生は僕に大切なことを教えてくれました」

「大切なこと?」

みそらが首を傾げる。みそらが知らないのも当然だろう。あの時のやり取りは、誰にも話していないのだから。だが、あの時の言葉に関しては、もう話してもいい気がした。それに、僕自身が、二人に先生の言葉を聞いてほしかった。

……いいですよね、先生。

「僕と風鈴は似ている、ということです」

そう言うと、僕はバスの窓を少しだけ開けた。途端に、熱い風が車内に吹き込んでくる。それから風鈴を指でつまみ、吊るす。すると、風に揺られて、風鈴が涼しげな音色を奏でた。

「いい音……」

先輩が呟く。それに頷いてから、口を開く。

「風鈴は、周りの風に反応して鳴る。逆に言えば、風が無い限り鳴ることはない。その性質が、僕に似ていると言われたんです」

再び熱い風が吹き込み、風鈴を鳴らす。今度は、強い風に吹かれたせいで、やかましいくらいに鳴っていた。見れば見るほど、僕と似ている。

「周りに影響されて、感情が揺れる。揺れる感情のままに、話したり動いたりする。些細なことにすら、影響されちゃうんです。ほんの些細な周りの『イライラ』にすら影響されて、落ち込んだり、悲しくなったり。僕は、そういう人間なんだと言われました。……風が無いと鳴らないってところは外れてましたけど」

感じるかどうかの微風にすら反応し、音を鳴らしてしまう。しかし、その逆が成り立つのかというと、そうではない。直接風が吹いていなくとも、勝手に鳴ってしまうのが実情である。その場合、鳴らしているのは、この胸の内に常に吹き荒れている『負の風』である。自分が嫌い、消えてしまいたい、こんな醜い灰被りの人間を、滅茶苦茶に壊し尽くしてしまいたい、といった、絶えることのない大きな気流。たとえ周りが無風でも、胸の奥に吹いている気流が、ふいに溢れ出してしまうことがある。そうなると、勝手に一人で音を鳴らしてしまうことになる。普通に生きている人にはおよそ理解されない現象だが、確かに僕の胸の奥は、常に大雨である。

だが、こんなに脆く弱い人間にも、光はあった。

「でも、先生はそんな僕の『弱み』を『光』だと言ってくれました。些細な風にすら反応してしまうことは、言い換えれば、些細な風だって敏感に感じ取れることだって。その気質は、誰かを変えることが出来るはずだって教えてくれたんです。微風すら受け取って鳴る風鈴みたいにって。あの時はいまいち分からなかったけど、今なら、その意味も分かります」

普通なら見過ごしてしまうような風にすら反応してしまうということは、僕にしか感じ取れない風がある、ということ。もし、その『風』が、音もなく孤独に苦しむ人の『悲しみ』だったとしたら。普通の人は聞き過ごすような『悲鳴』だったとしたら。そんな『微風』を敏感に感じ取って、手を差し伸べて、悲しみや苦しみを分かち合う。そんなことが、出来るかもしれないのである。脆くて弱い僕だからこそ見える景色がある、聞こえる音がある、感じ取れる感情がある。そして、僕自身を照らしてくれたその『光』が、今度は同じように苦しむ人を照らす『光』となる。無論、生きづらいことには変わりない。だが、この気質を『弱み』と忌み嫌って、心の奥の牢獄に閉じ込めるのではなく、自分や周りをほんの少しだけ照らしてくれる『光』へと変える。先生が示してくれたのは、自分の指先すら見えないような暗い道を照らす『光の道標』であった。

「そっか……」

僕の話を一通り聞き終えたみそらは、ほっと息をつくと、僕の瞳を覗き込んだ。澄んだ紫色の瞳の中に、僕の姿が映る。

「時羽は、自分のこと、好きになれたの?」

「……ううん、今でも嫌い。先生には背中を押されたけど、やっぱりそう簡単には好きになれないし、愛することなんて出来ないよ。でも――」

でも。

「少しは、向き合うことができる、かな」

そう言って、窓の外を見る。ちょうどその時、外から風が吹き込んできた。方角からすると、南風だろうか。その南風は、夏にしては冷たいものだったが、風に吹かれて風鈴が奏でた音色は、聴く者を落ち着かせる心地よいものであった。

この胸に吹くのは、何も穏やかで幸せな風ばかりではない。風の中に聞こえるのは、心を温かく満たしてくれるような『笑い声』ばかりではない。寧ろ、冷たくて湿っていて、陰鬱とした風ばかりである。風の中に聞こえる声は、悲しくて、苦しくて、あるいは寂しくて上がる『泣き声』ばかり。そんな風の声に晒され続けて生きていくのは、容易ではない。ただ息をしているだけで、みるみる心が擦り減っていき、時には限界を迎えて疲れ、座り込んでしまう。しかし、その『泣き声』は、この自分だからこそ聞こえるもの。ならば、僕だからこそできることだって、あるはず。

摩耗しきった心に響く『南風の泣き声』は、間違いなく、僕に悲しみや苦しみの音を響かせるだろう。しかし、この脆い心を『灯り』に変えて、暗く長い道を歩けば、同じように苦しみ、悲しみの檻に閉じ込められた人を見つけて、助けることができるかもしれない。たとえ助けられなくとも、普通の人には聞こえない『音』を分かち合い、傷や苦痛を癒すことができるかもしれない。この胸の奥で風を受けて鳴る『音』が、誰かを変えられる。ならば、胸に響いて痛い『南風の泣き声』にだって、耳を傾けよう。それが、声もなく苦しむ誰かを助けることに繋がると、信じて。

そうしたら、いつか、自分のことだって。

「……うん、やっぱり時羽、変わったよ」

みそらがそう言って微笑む。その笑顔は、長年『家族』として僕と共に過ごしてきてくれて、失わずに大切に持っていてくれた温かな『何か』を宿した、僕の心の柔らかい部分をそっと抱きしめてくれるようなものであった。

「そうだね。でも、時羽君らしさもちゃんと残ってて、嬉しいな」

すみれ先輩が笑顔で頷く。今回の帰省の最中、泣いてばかりだった先輩のここまで晴れやかな笑顔は、久しぶりに見た気がした。僕らしさ。この脆い心を、そう言って胸の中に納めることができる日は、来るだろうか。ここまで言われてもなお、確証は持てない。何せ、叶うなら自分を壊したいと思っていた人間なのだから。ただ、ほんの僅かでも、変われるかもしれない。そんな予感なら、微かにしていた。

「ありがとう。こんな僕を受け入れてくれて」

心の底から、そう思えた。みそら、すみれ先輩、そして、惣助先生。何人もの人が、悲しみに暮れて腐り、塞ぎ込んでいた僕を抱きしめ、苦しみを分かち合い、エールを送ってくれた。普通なら見捨てられてもおかしくないのに、そうはせずに傍にいてくれた。申し訳ないが、今でも、そのエールに応えて走り出すことは出来そうにない。それならば、せめて、感謝を贈ろう。それが、今の僕に出来る、精一杯の恩返しである。

「時羽、やっと笑ったね。それでいいんだよ」

みそらが、うっすら涙を浮かべて笑い返してくれた、その時だった。

『やっぱり優しい時羽には、笑顔が似合うな』

ふと、懐かしい声が聞こえた気がした。思わず車内を見渡すが、僕達三人と運転手以外に、誰もいなかった。今の声は。

「ん、時羽、どうかした?」

首を傾げるみそらに、首を振ってみせる。

「ううん、何でもないよ」

そう言って目を向けた窓の外は、焼けるような茜色の夕陽に染め上げられていた。忌まわしい思い出ばかりのこの町で、僕のことを支えてくれた先生。その先生は、もう、どこにもいない。しかし、それでも時は流れていく。僕達の未来は、続いていく。それならば、生きていこう。一寸先も見えないくらい暗い明日を、この胸に確かにある『光』で照らして。気にも留めないような『風』に、心を響かせて。そして、他の誰でも替えの効かない『僕』として。

僕は、文姫時羽は、今、ここにいる。

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南風の泣き声 舛花 天 @Sora_Masuhana_1103

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