チャンスはシアトル系コーヒーと共に

浅川 六区(ロク)

1,200文字の物語

「隠しいーきれないぃ〜、移りがぁ〜…」

「菜々美ちゃんおはようー。週の真ん中、水曜日。朝からポケットティッシュを頭に乗せて気持ち良く“天城越え”を唄っているところ、ごめんね」


「あ、夏ちゃんおっはー」菜々美は唄うのを辞めて、私に笑顔で挨拶をしてくれた。

「菜々美ちゃん、大丈夫?悦に入っていた“天城越え”を急に止めちゃって」


「ううん。大丈夫大丈夫」と言いながら、頭に乗せたポケットティッシュが落ちないようにそっとランドセルから何かを取り出した。


 それは一本の缶コーヒーだった。


「これあげる」菜々美はそう言うと、その缶コーヒーを私に差し出した。

 渡されたコーヒーを見ると、側面にはあの有名なギリシャ神話の「セイレーン」が描かれていた。

 つまり、大人達が良く飲むシアトル系の缶コーヒーと言うことだ。

 

 私は、急いで辺りを見回した。まだ登校していないクラスメイトも大勢いる。

 当然、担任の先生もまだ教室内にいない。

 で、ロク君は…と言うと、確認するまでもない。

 早々に登校して、ランドセルも後方のロッカーに格納して、凛として席に座っているのは知っている。


「チャンスだ。願ってもないチャンスだ」私はそうつぶやいた。


「え?何か言った?夏ちゃん」

「ううん。何も言ってないよ」私は冷静を取り戻す。いつかこんな時が来るだろうと、何度も練習を重ねて来たアレを実行する時が来たのだ。


「あー、あー、本日は晴天なり本日は晴天なり…あー、あー、んんっ」声の調整を確かめてから、向こう三つ隣の席に座るロク君に聞こえるように音量を上げて言う。


『ああああ、これって、缶コーヒーじゃんかああ!うちの小学校では飲用が禁止されている、“かふぇいん”が入っている悪い飲み物じゃんかああ!こんな禁止飲料を学校に持って来てはイケナイんだよおおー菜々美ちゃん!』


私のその言葉を聞いて驚く菜々美。

「な、夏ちゃんどうしたの?その猿芝居みたいな棒読みのセリフ回し…」


菜々美ちゃんごめん、今はこの芝居をもう少しだけ続けさせて。

そう心で謝罪をして、セリフを続けた。


『でも私は、いつも家では缶コーヒーを飲んでいるからあ、全然平気だけどねええ』


今のセリフ聞こえたかロク君!そう、私は、家ではかふぇいん入りのコーヒーを浴びる程ガブガブ飲んでいるんだよ。

学校の約束事なんか全然守らない悪女なんだよ。

どうだい、私を気になって来たかい?私に興味を持って来たいかい?ふふふ…


そしてこれからトドメの一言をぶっぱなそうとした、

まさしくその瞬間だった。


私の肩を後ろからポンポンと叩く人がいたので、

「うるさいなー、ここからクライマックスなのに」と小声で言い振り向くと、そこには担任の青野先生が立っていた。


「あ、あれ?センセ…いつからそこにいらしたのですか?」

「最初からずっといましたよ」先生の目は笑っていない。


先生はいつもの優しい表情ではなく、何らかの指導をする目になっている。

そして彼はこう言った。


「夏子さんと菜々美さん、後で職員室に来て下さいね」



                               Fin

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チャンスはシアトル系コーヒーと共に 浅川 六区(ロク) @tettow

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