アルバイト

真花

アルバイト

 アルバイトは現地で前のシフトの人と交代だから、駅のコインロッカーに荷物を預けて財布とロッカーの鍵だけをポケットに入れて徒歩で向かう。仕事中はスマホは使えない。八時間のシフトは足がパンパンになるけど、時給二千円という条件からしたらお釣りが来るくらいだ。それでも仕事の始まる億劫さは胸の中でわだかまっていて、こう言うときだけ自分の人生の貴重な時間を売っていることを想う。仕事のない日にごろごろするためにごろごろしていたり、スマホの面白くもない動画を流し見していたりするときには無駄について考えることはない。どちらも公平に俺の時間を消耗しているのに。でも、擦り減らすのではない「有意義な」時間なんてあるのだろうか。言わば、本物の時間だ。それはとても、おとぎ話のように聞こえる。そんなものはないのだ。だから仕事に向かうのは無為ではない。……考えを俯瞰する自分が、よく慰撫しましたね、と囁く。

 駅前のローソンの様子がおかしい。窓にはビニールが貼られているし、電気はついていないし、ドアには貼り紙がある。答えは分かり切っていたけど貼り紙を確かめると、やはり閉店のお知らせが書いてあった。特にそんなに利用するコンビニではなかったけど、何度か仕事終わりにからあげクンレッドを買ったことがある。でもそれだけで、コンビニとしての機能よりも俺にとっては風景としての機能の方が主だった。ローソンでなくなると言うことは俺の見慣れた、あるいは、馴染んだ風景が毀損すると言うことだ。別にいいや。俺はローソンを後にして、商店街を公園に向けて進む。

 空が秋らしく高く抜けているのに、商店街の真ん中では今日も変わらずぐまモンの着ぐるみを着た誰かが客寄せをしている。くまモンではない。ぐまモンだ。見た目はほっぺたが青いことと目付きが鋭いこと以外はくまモンとそっくりで、くまモンには版権はないのだからオリジナルでやればいいのに、版権がないのならパロディ? パクリ? もセーフと言う発想と、オリジナリティ神話の切ない融合と軋轢が邪悪な顔に出ている。ぐまモンはその固定された顔を補うようにチャカチャカと動いて、いや隠すように動いているのかも知れない。あまり相手にされない。俺のそばに寄って来たことはない。それでも、ここを通過する度にぐまモンを見かけ、がんばれ、と胸の中でいつも呟いてぐまモンに背を向け俺は仕事に向かう。

 公園が職場だ。俺は自分の持ち場に立っている前のシフトの人の前に行き、「お疲れ様です。交代です」とやる気のある顔を作って言う。前のシフトの人は体から力を抜くように息を吐いて「よろしくお願いします」と持ち場から一歩横にずれる。俺はその場所に入り、立つ。前のシフトの人は「では、失礼します」と言ってたった今俺が歩いて来たルートに乗る。

 同じことがそこかしこでなされる。総勢百名。百人が立っていたところに百人がやって来て交代し、百人が帰る。これから八時間、俺と残りの九十九名はここで立つ。立つだけの仕事だ。ただし、途中で座ることも場所を離れることも一切してはいけない。だからオムツを装備することを雇い主からは勧められた。

「あなた方には、公園の木の仕事をして頂きます」

 説明会場は一瞬どよめいて、シリカゲルに水が吸われるように静かになった。

「都としては本物の木を早く植樹したいのですが、諸般の事情で間に合いません。そこで、公園に不足している木をアルバイトの方にやって頂くことにしたのです。いずれ樹木の調達の目処が立つまでの短期間になると考えられます。実際には公園で所定の位置に立って頂き、八時間ごとの三交代で木であり続けて頂きます。何か質問はありますか?」

 会場の中央付近に座っていた運動部で慣らしたことがひと目で分かる隆々な女子が手を挙げた。

「休憩はありますか?」

「ありません。木は休みません」

「水とか飲んでもいいんですか?」

「ダメです。立っている以外のことは何一つしてはいけません」

「それでこの時給ですか」

「そうです。この条件では困難な方は辞退して下さい」

 その女子が今俺の隣に立っている。初日が終わったとき、「余裕でしたね」と俺に笑いかけて来た。「俺はギリギリです」「多分すぐに慣れると思いますよ。それじゃあ」それからずっと俺達は隣同士で立っている。でも木は喋らないから仕事中は話さない。仕事が終わっても挨拶程度しかしない。多分、ずっとその距離のままで、それ以上に踏み込むことはしないだろう。雇い主は短期間と言っていたけど、もう半年この仕事は続いている。どれだけの人間が入れ替わったのかは分からない。隣の女子が続いていることだけは分かる。

 子供がボールをこっちまで転がして来た。

「蹴って下さーい」

「ごめん、蹴れないです」

「どうして?」

「木だからです」

「ふーん。変なの」

 子供はボールを自分で拾いに来て、確かめるように俺の顔を覗く。

「人じゃん」

「木です」

 喋っていいかはギリギリの判断だ。禁止されてはいないが、木が話さないのは自明だ。かと言って話しかけて来た人間を無視するのが職業倫理として正しいとも思えない。報告はしないままに胸に秘めることに決めた。全部隣にも後ろにも聞かれているけど、構わない。

 黙ってただ立っている。

 秋とは言え太陽は容赦なく俺を焼く。汗がたらたらとペンキのように流れる。無言で立ち続ける百名の最も広場に近いところに俺はいるから、まるで代表だ。恐らくちゃんと立っているか監視をする人がときどき来ているだろうし、アルバイトとは言えしっかりと仕事を全うしたいから俺は一生懸命に立つ。と言ってもそれだけだ。何も生まない。

 朝の九時に交代して、一時頃に急激にお腹が空く。立っていることよりも空腹との戦いの方が主になる。でもそれも二時間くらいするとうやむやになって来る。そこからはカウントダウンで二時間を過ごす。時計が見える位置だからその針の進みを追うのだけど、睨めば睨むほどに分針は動きを鈍くする。公園には家族連れ、スーツ姿の男性、小学生、ランナー、バドミントンをするカップルなどが順々に現れては消えて行った。毎日のことだ。

 五時になり、交代の人が来た。いつも同じ人だ。「お疲れ様です」と笑顔をくれるそのおじさんは本当に八時間も立てるのか心配になるくらいによれよれで、でも俺は早く解放されたいから「よろしくお願いします」と場所を譲る。隣の女子が「お疲れ様」と言ってから先に歩いて行った。歩くスピードが速かった。俺も駅に向かって歩く。

 ぐまモンはまだ手を振っていた。中身は別の人に代わっているだろう。胸の中で、お疲れ様、と言って駅に向かい、コインロッカーから荷物を出して電車に乗って部屋に帰った。


 週に五日木になるアルバイトを続けて、それから三ヶ月が経った。

 駅のコインロッカーに荷物を預けて商店街の方に出ると、ローソンだったところがセブンイレブンに代わっていた。俺にとってはそこはローソンの場所なのに、セブンイレブンでは景色が歪む。でも、俺も同じようなものか。俺はセブンイレブンを許して、商店街の中に入って行く。ぐまモンは相変わらず元気だった。くまモンがもしこの街に降臨したらどうなるのだろう。俺達が本物の木が来たら不要になるのとはちょっと違って、共存することも可能なのかも知れない。

 後ろから「おはよう」と声をかけられた。あの女子の声だった。

「おはよう」

「なんか、もうすぐこのバイト終わりになるみたいよ」

「そうなんだ」

「実入りのいい楽な仕事だったんだけどね」

「また探さないといけないね」

 俺達は前のシフトの人と交代して木になった。隣同士、何も言わないで木であり続けた。寒かった。それでも、隣の女子もがんばっていると思って、木を続けた。これもあともう少しか。それならそれでいい。本物の木になればいい。時計を睨みつける。


(了)

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

アルバイト 真花 @kawapsyc

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ