第12話 天城山トンネル(1)
夜の闇に抱かれた天城山は、巨大な獣のように静まり返っていた。俺は、ザイルのテンションを確かめながら、切り立った崖の中腹で息を整える。
指先が岩肌に食い込み、鋭い痛みが走る。だが、この痛みこそが、俺がまだ生きているという唯一の証左だった。
眼下には、豆粒のような車のライトが流れていく美浜町の夜景。だが、今夜、俺の目的地はその光の中にはない。
『あと少しです、蓮さん。その岩場のすぐ上です』
先行して宙に浮かぶ月詠が、俺にだけ聞こえる声で囁く。彼女の霊体は、この漆黒の闇の中ですら、俺には確かな気配として感じられた。
「蓮さん、貴方の魂が……先ほどよりも、強く輝いています。まるで、この逆境を楽しんでいるかのようです」
「……そうかもしれん。死に近い場所ほど、俺の目的は鮮明になる」
俺は最後の力を振り絞り、目的の岩棚へと身体を引き上げる。
そこには、古びた鉄格子が嵌められた直径一メートルほどの円形の穴が、ぽっかりと口を開けていた。天城山トンネルの古い換気口だ。
『ロックは電子式だ。だが、古すぎてセキュリティはザル同然だな。今、開ける』
イヤホンから聞こえるギークの声と共に、鉄格子のロック部分がカチャリと小さな音を立てて外れた。俺は鉄格子を静かにずらし、トンネルの内部ダクトへと音もなく身体を滑り込ませた。
ひやりとしたコンクリートの匂いが、肺を満たす。狭く、埃っぽい闇の中を、俺は四肢を使って慎重に進んでいく。月詠が、壁をすり抜けながら俺の前を進み、道を示してくれていた。
『真下が目的の中央監視室だ。マイクロドローンの映像を送る。……クソ、ほとんどが死角になってやがる。だが、熱源探知によれば、フロア全体に……五人ぐらいしかいない。なんだこれは、なめてんのか?』
「……了解した」
『蓮さん妙です。魂の輝きが、とても……穏やかなのです。まるで、何も警戒していないかのように』
月詠の言葉に、俺の中の警鐘が鳴り響く。罠であると分かって乗り込んできた舞台だ。だが、この状況はあまりに不自然すぎる。
俺はダクトの格子から、眼下に広がる監視室を窺った。巨大なメインモニターを囲むように配置されたコンソール。そこに座る男たちは、談笑したり、欠伸をしたり。誰かが持ち込んだであろう、食べかけのピザの箱から、チーズの匂いまで漂ってきそうだ。
あまりにも日常的で、平和な光景。だからこそ、その裏にある罠を確信させる、底知れない不気味さがあった。
俺は天井のパネルを静かに外し、監視室の照明が落とす影の中へと、音もなく降り立った。床に降り立つ瞬間、膝を曲げて衝撃を完全に殺す。
一番近くにいた男の背後に忍び寄った、その時だった。
『蓮さん、右の男が、何か物音に気づきかけています!』
月詠の警告と同時に、俺は一瞬で彫像のように静止した。右手のコンソールにいた男が、訝しげにこちらを振り返る。俺は息を殺し、闇に溶け込む。数秒の沈黙。やがて男は「気のせいか」と呟き、再びモニターへと向き直った。
その首筋に、俺は背後からナイフを突き立てる。男は声もなく崩れ落ちた。異変に気づいた別の男がこちらを振り向く。だが、俺が投げつけたナイフが、その眉間に深々と突き刺さっていた。
残りの数人も、俺の存在に気づき、慌てて銃を抜こうとする。だが、遅い。サプレッサーを装着した拳銃が、乾いた発射音を連続で響かせ、全ての魂を刈り取っていく。
制圧に要した時間は、わずか十数秒。やはり、歯ごたえがなさすぎた。
「ギーク、監視室を制圧した。システムにアクセスしろ」
『了解だ。だが、気をつけろレン。何かがおかしい』
ギークが遠隔でシステムにアクセスしようとした、その時だった。
部屋の奥にある、壁一面を占める巨大なメインモニターが、何の操作もしていないのに、独りでに起動した。
砂嵐のノイズが走り、やがて一つの人影が映し出される。暗い部屋、革張りの椅子に深く腰掛け、その顔は影になっていてよく見えない。だが、その声には聞き覚えがあった。俺が、忘れるはずもない声。
スピーカーから、静かで、それでいて底なしの狂気を孕んだ声が響く。
「――初めまして、
死神少女と魂の天秤 Yozakura @xxx_01_xxx1
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