第11話 傷跡と招待状
アジトに戻り、血と硝煙に汚れた戦闘服を脱ぎ捨てると、左腕に刻まれた裂傷がじわりと熱を持っていた。リーダー格の男との格闘で、ナイフに抉られた傷だ。大した深さではないが、放置すれば動きに支障が出る。
俺は救急キットから消毒液と医療用のスキンステープラーを取り出し、黙々と治療を始めた。染みるような痛みが走るが、顔には出さない。この程度の痛みは、もはや日常の一部と化していた。
その俺の背後で、月詠が静かに問いかけた。
「……貴方は、怖くはないのですか? いつ死ぬか分からない、こんな戦いを続けて」
ステープラーを打つ俺の手が、一瞬だけ止まる。
「最初は当然怖かったさ。だが、もう考えないようにした」
血に濡れたガーゼをゴミ箱に捨てながら、俺は吐き出すように続けた。
「どんな大義名分を並べたところで……俺も奴らと変わらない。ただの人殺しだ」
自嘲的な言葉が、静かなアジトに響く。だが月詠は静かに、しかし強い意志を込めて答えた。
「いいえ。貴方の魂は、彼らとは全く違います。彼らの魂は、憎悪で赤黒く濁っている。でも貴方の魂は、悲しくても……青く、澄んでいます。貴方のやっていることは、きっと間違いなんかじゃないと思いますよ」
俺は何も答えず、黙ってシャツに袖を通した。「間違いではない」。その言葉は、今まで生きてきて決して得られるはずのないものだった。
PMC時代、任務の名の下に多くの命を奪った。正義も悪もない戦場で、ただ生きるために引き金を引いた。復讐を誓った今も、やっていることは変わらない。俺の手は、もうとっくに血で汚れている。
だが月詠の言葉は、そんな俺の魂を裁くでもなく、ただ静かに肯定していた。それが、復讐という名の乾いた大地に染み込む、一滴の水のように感じられた。
「お前こそ、最後の敵の自爆の時、何か様子が変だったな」
話題を変えるように、俺は問いかける。
月詠は、少し戸惑ったように視線を彷徨わせた。
「あの人の魂が燃え尽きる瞬間、とても……懐かしいような、そして悲しいような感覚がしたのです」
「懐かしい?」
「まるで、ずっと昔に見たことのある魂の輝きに……いえ……あまり良く思い出せませんね」
彼女はそう言って、何かを誤魔化すように、ふわりと穏やかな笑顔を作った。その笑顔の裏に何か隠された真実があるのを俺は感じたが、それ以上は追及しなかった。
その時、アジトの重い鉄扉が開く音がした。外で待機していたギークが、ノートPCを片手に戻ってきたのだ。
「よう、レン。無事だったか。敵さんの情報は洗い出せたぜ」
ギークの帰還と共に、アジトの空気は再び戦場へと戻る。彼はメインモニターにケーブルを繋ぎ、凄まじい速度でキーを打ち込み始めた。
「……レン、今回の襲撃、やっぱり妙だ」
「どういうことだ?」
「あの幹部、お前が『天城山トンネル』と当てた時、別に答えなくてもよかったはずだ。そのまま黙秘して自爆すれば、お前は確証を得られなかった。なのに、奴はお前を煽るように思想を叫び、ご丁寧に自爆までして見せた。まるで……」
俺は、ギークの言葉を引き継いだ。
「……俺を試していた、か」
「ああ。神代は、お前が次の舞台に上がってくる資格があるかどうか、試していたんじゃないか? そして、お前は見事にそのテストに合格した」
ギークはそう言うと、ニヤリと笑い、天城山トンネルの巨大な立体図をモニターに映し出した。
「さて、神代からのご丁寧な『招待状』だ。分かってて乗るからには、こっちも最高の挨拶を用意してやらねえとな」
モニターには、トンネルの正面ゲートに集中配備された、無数の警備アイコンが赤く点滅している。
「奴らの警戒は、トンネルの『入口と出口』に集中しているはずだ。だが、この古い設計図によれば、トンネルのほぼ中央、山の中腹に、建設当時に使われた古い『換気口』がある。今はもう使われていないはずだが……」
俺は、その一点を指差した。
「そこから入る。奴らの警戒網のど真ん中、一番手薄な場所だ」
俺の言葉に、ギークは満足そうに頷いた。
「だろうな。ハイリスク・ハイリターン。お前らしいぜ。だが、問題はその換気口までどうやって辿り着くかだ」
ギークはモニターの地図を拡大し、険しい山肌を映し出す。
「トンネルの真上は、ほぼ崖だ。まともな道はない。夜の闇に紛れて、ロッククライミングで崖を登り、中腹にある換気口まで到達するしかない。装備はこちらで最高の物を用意するが……やれるか?」
「問題ない」
俺は即答した。敵の警戒網を突破するためなら、どんなルートでも進む。
「よしきた。なら、侵入後のルートを詰めるぞ。換気口から内部のダクトに侵入できれば、奴らの心臓部、中央監視室の真上に出られるはずだ。そこを叩けば、一時的にでもトンネルの全システムを掌握できる」
次の戦いは、明日の夜。
神代が用意した舞台で、俺たちがどう踊るか。すべては、俺たちの準備にかかっていた。
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