20時、東京
篠瀬川
第1話
大学生二年生の四月。その日は降り注ぐ柔らかな陽光が嘘のような、見事な花冷えであった。
はっきり言って勧誘状況はよろしくなかった。三島部長(サークル長だと長いのでそう呼ばれている)の必死の勧誘も意味をなさず、入学式以降、サークルの根城である六号館第二多目的室に訪れる物好きは一人も現れていなかった。本日も新入生は訪れず、意気消沈した部長は可哀想になるほど猫背になって帰ってしまった。
「まー何とかなるべ」
静まりかえった部屋の空気をぶち壊すように柿本副部長が巨大な声を出した。早々に勧誘を諦めグミを食べていた副部長は、かったるそうに一粒を保科の口に放り込んだ。別に食べたかったわけではなかったが、彼は人に餌付けをするのが趣味なのでありがたくもらっておく。いちご味だった。
「ほら、去年だって全然一年来なくてもうだめだーってなったけど律が来てくれたじゃん」
「いやあれもうほとんど詐欺だったじゃないですか、ねえ九条先輩」
禁煙の張り紙の目の前で煙草を吸っている九条先輩を振り返ると、彼女は薄く笑った。笑った拍子に白い煙が口からこぼれた。
「そりゃ引っかかったお前が悪いだろ、りっちゃん」
「あんた法学部ですよね」
「まあ最悪今年も同じことすればいいよ。りっちゃんくらいバカな子見繕ってこなきゃね」
「煙草チクりますよ」
「おお怖い怖い」
大学から徒歩十五分。保科の住むアパートの前には大きな桜が聳え立っている。大家の父の趣味らしい。そこからとって、アパートは桜荘と呼ばれていた。桜荘二〇二号室が保科の部屋である。
今日は風が強く、廊下は花吹雪の様相を呈していた。外階段を上がった保科は鞄から鍵を取り出そうとして、そこでようやく自室の扉の前に立つ男に気が付いた。
「……」
驚くほど美しい男だった。すらっとした長身がロングコートに隠されて、長めの前髪が散らばる俯いた横顔が桜の花のように透き通っていた。桜が連れてきた儚い存在だと言われても、保科は多分驚かなかった。それほどに浮世離れした美貌だった。 見つめていると、男は保科に気付いてひょっこりと頭を下げた。それから思ったよりぶっきらぼうな声で言った。
「この部屋の方ですか」
それがはじまりだった。
20時、東京 篠瀬川 @shinosegawa
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