かごめ

二ノ前はじめ@ninomaehajime

かごめ

 宿痾しゅくあわずらっていた。

 咳を何度も繰り返し、その中に血反吐ちへどが混じった。父母はすでになく、じきに自分も後を追うだろう。だから嫁は取らず、薬草を採りながら一人で暮らした。

 日が高い時刻にかごを背負って森の中へ入った。まだ若いもみの木が生え、懸命に枝葉を伸ばしていた。くさむら草鞋わらじうずめながら、薬効やっこうのある野草を探した。時折、咳をする。屈めた背中が上下し、驚いた野鳥が飛び立つ音がした。喉から口を血の味が突き抜けて、押さえた手を赤く染めた。

 まだ生に未練があるのか。皮肉げに笑い、口元を拭う。一縷いちるの望みにすがって薬草を探し求めるなどあさましい。

 咳の音を響かせながら、森の中を歩き回った。よもぎ紅花こうか梔子くちなし。薬効がある植物を採って籠に入れた。野狐が遠くからうかがっている。豊かな尻尾をひるがえして姿を消した。

 鳥獣ちょうじゅうの気配と虫の鳴き声。枝葉がそよぐ。木漏れ日が揺れて、病の苦しみをつか忘れた。少し手を止めて、草木の匂いで肺を満たした。死を間近に控えた体に、わずかながら活力が湧いてくる。この身は、まだ生きることを諦めてはいない。

 枝木のあいだをすり抜けて、歌声が耳に届いた。


 

 かごめ かごめ


 

 少女の歌声だった。美しく澄んでいる。深いほらの中から届いてくるかに思えた。そちらへと顔を向ける。耳をよく澄ました。



 かごのなかのとりは

 いついつでやる



 その不思議な歌に足が引き寄せられた。どうして森の中で若い娘が歌っているのだろう。迷い子でも入りこんだか。

 今まで立ち入ったことのない森の奥へと導かれる。鬱蒼うっそうとした茂みを抜けて、歌声のみなもとを探り当てた。樹齢はどれほどだろう。仰ぐほどに大きな松の木だった。数多あまたの枝葉を広げて、指の隙間から陽光がこぼれ落ちる。その下に小柄な人影があった。

 正しくは、太い幹に彫刻された女の木彫きぼりだった。おかっぱ頭で、腰まで伸びた長い髪を切り揃えている。ささくれ立った樹皮じゅひのためか、背中を丸めた老女にも見えた。晴れ着を着ており、両手の指を前で重ねて、足袋たびの下に履いた草履ぞうりのつま先を揃えている。

 どこの物好きが彫ったのだろう。男はその彫刻を観察した。顔を寄せると、横一文字に彫られた目がわずかに開いた。ごくごく単純な細工の向こうから、確かに視線を感じた。

 これは彫り物ではない。男は泡を食って尻餅をついた。採取した薬草を籠から飛び出し、地面に散乱する。こけつまろびつ逃げ出した。あの歌声が追いかけてくる。



 うしろのしょうめん だれ



 無我夢中で森の中を駆け抜けた。やがて妙な感覚に見舞われた。それほど広くはないはずなのに、一向いっこうに外へ辿り着かない。同じ景色ばかりで、堂々巡りしている感じがした。

 やがて疲れ果て、足を止めた。ほとんからになった籠を背負ったまま、両膝に手を当てて屈みこむ。荒い息遣いを繰り返しているあいだも、少女の歌声が響いていた。



 かごめ かごめ



 耳の中で繰り返される。何もかもが妙だった。おおよそ半日を彷徨さまよっても、日の高さが変わらない。森の中からは出られず、木漏れ日が揺蕩たゆたっている。空腹さえ覚えなかった。ただ徒労感だけが募り、徘徊した末に憔悴しょうすいした男の足は歌声へと向いた。



 いついつでやる



 あの松の大木の前まで戻ってきた。いつの間にか歌声は止んでいる。その幹には変わらず少女とも老女ともつかぬ晴れ着姿の女が佇んでいる。

「お前の仕業しわざか」

 意を決して話しかける。しばらく反応はなかった。

「俺をここから出せ、化け物め」

 やがて女の顔面にくらい空洞が穿うがたれる。その黒い口から飛び出したのは、一声ひとこえだけだった。

「は――」

 長い間があった。しびれを切らした男が叫ぶ。

「あの歌を歌っていたのはお前だろう。何とか言え」

 興奮して、肩で呼吸する。やがて幹の表面の女が次の言葉を発する。

「じ――」

 また沈黙があった。いや、よくよく見れば空洞の口が少しずつ形を変えている。男は一考した。まさか、この木の化け物は喋るのに時間がかかるのか。

 そう考えた彼は、辛抱強く待つことにした。何にせよ、この森から抜け出す糸口は他にない。耳に意識を集中させる。そうして拾い上げた言葉は、次の通りだった。

「は、じ、め、ま、し、て」

 聞き終えた後、男は怒りを通り越して呆れ返った。自分を得体の知れない場所に閉じこめておいて、初めましても何もあったものではない。

 近寄る勇気はなかったため、小石を拾い上げて投げつけた。女の輪郭りんかくの外に当たって、跳ね返る。そのまま下生えの中に落ちた。

「ふざけるな。その顔面を削られたくなかったら、俺をこの森から出せ」

 まがりなりにも意思疎通ができる相手とわかったからか、男は強気に出た。松の木の女は反応を見せず、静かに佇んでいる。本当に顔面を削ってやろうかと思って、止めた。木彫とはいえ、女の顔を傷つけるのは気が引けた。

 舌打ちをし、大股でその場から離れる。背後でまた歌声がした。



 かごのなかのとりは いついつでやる



 幾日いくにち彷徨っただろうか。やはり日は沈まず、空腹を覚えたりもよおしたりなどの欲求を感じなかった。木々ばかりで、鳥獣はおろか虫の一匹さえ見かけない。草鞋の裏で野草を踏んだ。足を上げると、オオバコが土のすぐ上で惜しげもなく葉を広げていた。

 はたと気づいて口を押さえる。あの奇妙な松の女に出会ってから、一度たりとも咳が出ていない。激しく体を動かした直後は発作に見舞われるのが常なのに、全力疾走した後でさえ息を切らすだけで済んだ。男は深く考える。

 まさか、この森では時が止まっているのか。仰ぐと、日の高さが変わらない陽光が揺らめいていた。

 らちが明かず、幾度もあの松の木の前まで舞い戻った。不思議なことに、この女の木彫は自分の目の前では歌わないらしい。ただ黙然もくねんと指先を揃えてたたずんでいる。

「お前は何がしたい。俺を閉じこめて、何の利がある」

 籠を下ろして、老樹の前で胡坐あぐらをかく。彼女は理解しているのかしないのか、多くの言葉は意味を成さなかった。名を尋ねても、自分のこともよく知らないらしい。仕方がないので、男は名前を与えた。よく口ずさむ歌からとって「かごめ」と。

「か、ご、め」

 幹の表面に刻まれた女は、少し嬉しそうに笑った気がした。

 男は頭を掻く。まるで目的がわからない。少しでも抜け道を探るために、長い時間をかけて対話をこころみた。

「なあ、かごめ。お前はいつからここにいるんだ」

「は、じ、め、か、ら」

「ここでは時は過ぎないのか」

「か、わ、ら、な、い」

「どうやったら出られる」

「わ、か、ら、な、い」

 ここまでの会話をて、どうやら強いて閉じこめているわけではないらしい。男は尋ねた。

「もしやお前が閉じこめたのではなく、俺がここに入りこんだのか」

 木の中の女は、わずかに軋みながら小さく頷く。

 男は頭を抱えた。この得体の知れない木の化け物が自分を閉じこめたのではないとすれば、いよいよ抜け出すすべがない。

 またながい時間をかけて、森の中を彷徨った。草木ばかりの代わり映えのしない景色は、男の体力ではなく気力を削った。思考が散漫になり、少女の歌声を聴きながら取り留めのない考えばかりが頭に浮かんだ。

 ここでは時が進まない。ならば、自分がやまいで死ぬこともないのだ。人の世に戻っても、どうせ余命幾ばくもない。

 別の自分が問いかける。ここで永遠の時を生きるのか。この延々と続く森の中で、あの尽きることのない歌声を耳にしながら。繰り返される歌を、久しぶりに意識した。



 かごのなかのとりは いついつでやる



 気づけば、男は駆け出していた。叢を揺らし、歌声のぬしの元へと戻る。零れ落ちる光の中央で、年経た松の木が座していた。その中に華奢きゃしゃな晴れ着の女が佇んでいる。歌は途切れ、荒い息遣いだけが響いていた。頭上で葉擦れの音がする。

 血走った目で、地面に落ちていた石を拾い上げた。松の木の幹に駆け寄り、雄叫おたけびとともに女の顔面に振り下ろそうとした。

 能面じみた顔の前で、その手が止まる。指の中から石が落ちた。

「なあ、頼むよ。かごめ」

 そのまま幹に彫られた女の晴れ着にすがりつく。両膝を折り、泣き崩れた。

「長く生きられなくてもいい。俺は人として死にたい。故郷に骨を埋めたいんだ」

 そのすそにしがみつく形で、女々めめしく泣いた。泣き声だけが、松の根元で響いていた。

 すぐ頭上で何かが軋む音がした。泣き腫らした目で見上げる。わずかに幹が震えていた。男は驚いて飛び退く。今まで同じ姿勢だった女の立ち姿が、少しずつ変わっていく。幹にひびが入り、片手がぎこちなく上がっていく。

 大きな亀裂が走った幹の中で、真横を指差した女が言った。

「む――」

「こ――」

「う――」

 その言葉を聞いて、呆然としていた男が目を見開く。傷ついた松の女に尋ねた。

「向こうに行けば、出られるのか」

 顔面まで罅割れた女はかすかに頷く。男は立ち上がった。彼女が指差した方向へ走り出す。背後からあの歌声が送られる。その声は以前よりもしわがれていた。



 かごめ かごめ



 木立のあいだを駆け抜けるうちに、森の様子が変わっていることに気づいた。日が傾いている。時が進んでいるのだ。男は確信し、足を緩めなかった。



 かごのなかのとりは いついつでやる



 草木のざわめきではない、穏やかな喧噪が聞こえてきた。この先は、人の世に繋がっている。男は涙を流しながら、そのまま森の外へと向かう。よく育った樅の木の傍らを通り抜けた。



 よあけのばんに

 つるとかめがすべった



 森を抜けて目にした光景に、まぶたを大きく開いた。

 外界の様子が大きく変貌へんぼうしていた。剥き出しの土だった地面が灰色の石に覆われて、道の両端に妙な白い線が引かれている。どうやら鉄でできた棒が路傍ろぼうに立ち、円の中には不可解な文様が描かれている。

 その場に立ち尽くしていると、道の向こうから何かが向かってきた。そちらへ緩慢かんまんに顔を向ける。とても生き物とは思えない、駕籠かごに似た形の物体がひとりでに走ってくる。光沢を帯びたその身が夕日を反射し、驚くほどの速さで通り過ぎる際、透明な仕切りから人の横顔が一瞬見えた。恐ろしい唸り声を上げながら、そのまま走り去っていく。

 今のは何だ。呆然としていると、今度はわらべたちが歩いてきた。道を尋ねようとして、二の句がげなくなる。着物ではなく、見慣れない異国の服を着ていた。一様に、籠に似た道具を背負っている。

 童の一人がこちらを指差した。

「あの人、変な格好」

「時代劇の撮影?」

 所々ところどころで言葉を理解できても、何を言っているのかよくわからない。不意にむせた。激しい咳を繰り返して、石の地面にひざまずく。口の中で血の味がした。発作が治まると、わななく手のひらを見下ろす。夕日より濃いしゅが広がっていた。

「ねえ、おじさん。大丈夫?」

 気づけば、童たちが目の前にいた。同じ人の皮を被っているのに、自分とは全く異なる生き物に見えた。ひさしく忘れていた死の恐怖に、男は悲鳴を上げて森の中へと引き返した。

 違う。ここは自分が知っている人の世ではない。

 木々のあいだを駆けるうちに、あの聞き慣れた歌声が耳に入ってきた。足がそちらへと引き寄せられる。あの立派な松の木の前まで戻ってきた。幹に入っていた亀裂は、痕跡だけを残して塞がっていた。

 以前と同じ佇まいで、かごめが言った。

「お――」

 まだ一文字なのに、何を言おうとしているのかわかった。

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