朽ちるゴンドラ
戸右歩
朽ちるゴンドラ
いま、わたしは目を開けているらしかった。網膜に映るのは黒、黒、黒。目玉で瞼を押し上げて、ぎょろぎょろ転がしてみる。時折眼球に乾きを覚えて自然に上瞼と下瞼がぶつかる。これはまばたき。わたしは真っ暗な場所に、仰向けで横たわっている。
体をくねらせる。肩の骨が冷たい床にごつりと当たり、なぜ痛いのか考える。服を着ていないのだ。
なぜ、わたしは裸で横たわっているのだろう。鼻で息を吸う。喉の奥を空気が通る少しの振動、と同時に痛みが走る。鋭い爪を喉に引っ掛け目の奥まで指を挿入されたような刺激。血に塗れた指先、ジャングルジム、スマホのカメラ。なにか思い出せそうだが、空虚な残像が通り過ぎていくばかりで記憶に掴む場所がない。枝の無い木を登ろうとする感じ。しばらくつるつるした記憶の木の表面を眺めていたが、何も思い出せないので、別の木を探す。
慎重に頭部をまわし、ちょうどいい場所を探る。顎を上げ首を反らした時、見つけた。ごつごつした記憶の感触。枝の生えた立派な木。樹皮にびっしりと刻まれた皺に触れると、脳裏にぼんやりと風景が浮かんでくる。
鼓膜を焦がす蝉の鳴き声。アスファルトの陽炎が助けを求めるように波打っている。照りつける日光。真夏の公園には熱せられた遊具から染み出す焼けた鉄の匂いが充満していた。
木陰の水場で一人の女性が何かを洗っている。彼女に見覚えがあったから、わたしは公園に立ち寄ったのだ。
「もしかして、乙川さん?」
声をかけると、乙川さんは動きを止めた。流れる水はそのままに、恐る恐るこちらを見る。彼女は黒いジャージの左袖を捲り、自分の腕を洗っていた。ひまわりが描かれた大判のハンカチで頭を覆い、顎の下で結ぶほっかむりスタイル。ぎらぎら光るミラーレンズのサングラスには、驚く男——わたしの顔が映っていた。
「加藤くん……久しぶり」
「やっぱりそうだ。久しぶり、中学以来だから十年ぶりかな。これは……どうしたの?」
「気にしないで。ちょっと暑かっただけだから」
流水に揺れる左腕は大きく皮膚が裂け、出血していた。右手の指先は血に塗れ、傷口を擦りながら洗っていたことがわかる。
「病院行こう」
「駄目!」乙川さんは裏声混じりに叫んだ。
水を止め袖を元に戻す。ぐっしょり濡れた長袖に血と体液が染みてゆく。
「いいの、大丈夫」
「えっと、せめてガーゼとかで覆った方が良い気がするんだけど」わたしは慎重に言った。
「その辺のコンビニで買ってくるよ。待ってて」
乙川さんは俯きながら頷いた。
不思議な感覚だ。わたしはこの風景を別の角度から見たことがある。彼女——乙川さんの腕の傷もよく知っている。
腕の裂傷はジャングルジムから落ちた時に木の枝で深く切ったものだ。実は左手の指も地面に激突した拍子に骨折しているが、わたし——加藤は気付いていない。
引き続き、記憶の枝を掴みながら、登っていく。
ベンチに並んで座り、コンビニの袋からガーゼとテープを取り出す。
「公園で怪我したの?」
「そうなの、木の枝で切ってしまって」
「大変だったね。ところで、あれって乙川さんのスマホ?」わたしはジャングルジム全体を撮影するように置かれた三脚とスマートフォンを指した。
「……そうよ」
「また危ないことしてたんだ」
「また、って。加藤くん、私の動画見てくれてたの?」
「噂になってたからね。乙川さんがこういうことするの、意外だったから驚いた」
乙川さんは一年前、動画投稿サイトに『蝶子の体操チャンネル』を開設した。動画内容は、学生時代に体操をしていた乙川さんが公園で華麗な技を披露するというもの。投稿頻度は低く、珍しくもない内容だったので再生回数は三桁くらいが普通だった。
『蝶子の体操チャンネル』が注目されたのは今年一月のことだった。『あけおめでございます』というタイトルでライブ放送を行った乙川さんは二桁にも満たない視聴者の前で、落下事故を起こした。雲梯の上で側転を三回連続成功させるという企画で、一回転目で足を滑らせたのだ。その切り抜きが事故動画集やびっくり動画集に使われ、視聴者が一気に増えた。
そこから過激な動画が増える。回転遊具で逆立ち、ブランコから宙返りで着地、危険な失敗も投稿するようになった。しかし、再生回数は再び三桁に戻った。彼女の動画にはとにかく工夫が無い。編集はほぼ無しで、ただ黙って技を披露したり失敗したりしている。他の視聴者は離れていったが、わたしは乙川さんの動画を全て視聴していた。
傷口にきつくテープを巻きつけて圧迫したが、この応急処置では不十分な気がする。
「やっぱり病院に」わたしの言葉を遮るように、乙川さんは右手で顔を覆って泣き出した。
「わたし、全然うまく生きられない。何をやってもセンスが無いの。だから、せめて一番得意なことで結果を出せたら、って」
「立派だよ。一年も投稿を続けるなんて。結果が出るまでの時間は、それぞれのペースで違うんだから」
「加藤くんは、なにか挑戦してること、あるの?」乙川さんは顔を上げた。ミラーレンズに映る自分を見ていると、鏡に向かって話しているような気分になる。
「いや、特に……健康だけが取り柄だよ」わたしは自嘲気味に笑った。「でも、この前、起業した先輩から声をかけられたんだ。人工衛星開発の子会社に来ないかって」
「やるべきよ」乙川さんは身を乗り出してそう言った。「加藤くんが小学生の頃、宇宙飛行士の本を読んでいたこと、今思い出したわ」
「そんな昔のことよく思い出せたね」
「ねえ、良かったら今度、二人で遊びに行かない?」
「えっ、いいの?」
「知り合いから遊園地のチケットをもらったの」乙川さんは三脚からスマホを取って、わたしに画面を見せた。
「星降るゴンドラナイト?」
「そう、閉園後にチケットを持った人限定で流星群を眺めながら観覧車に乗れるの」
「へえ、いいね」思ってもみなかった誘いに、わたしは舞い上がった。
「じゃあ、今度の土曜日待ち合わせしましょう。連絡先教えてくれる?」
わたしは昔から密かに思いを寄せていた乙川さんと遊園地へ出かけることになった。この日は付き添いを激しく拒否する乙川さんを車に乗せ、病院の前まで送った。右手でこちらに手を振る乙川さん。最後までサングラスも頭のハンカチも外さなかった。
彼女が座っていた助手席に何か落ちていた。よく見るとそれは、踏まれて潰れた蝉の抜け殻だった。
ふと、目を開けると暗闇の中を何かが動いている気配があった。ぎこちなく歩くような振動が、寝そべるわたしの背中に響く。また一人、また一人と不定期に同じ方向へ進んでいく。たまに手の指を踏まれるが、向こうも裸足なのであまり痛くない。
わたしも歩くべきなのだろうか。いや、まだだ。結果が出るまでの時間は、それぞれのペースで違うのだ。再び目を閉じて、記憶の枝を掴み、足をかけ、登る。
乙川さんは、麦わら帽子を被って現れた。紺色のワンピースに白いカーディガン、両手にはUVカットの手袋、そして以前と同じミラーレンズのサングラス。
「二人とも早めに集合しちゃったわね」ふふ、と乙川さんが照れ笑いを浮かべる。
「楽しみだったからね。無事に晴れて良かった」
「そうね。でも最近暑すぎるわ。色々と腐りやすくて、嫌よね」乙川さんは左腕をさすりながら言った。
土曜日の遊園地は混んでいて、わたしたちははぐれないようにゆっくり歩いた。この日のために買った新しいスニーカーで地面を踏みしめる。青空を背に悠々とそびえる大観覧車を見上げた。今夜あのゴンドラの中で、乙川さんと二人きりになるのだ。
入口前の広場には音楽隊がいた。弦楽器と笛が奏でる軽快なケルト音楽に胸を躍らせていれば、風船を持った子どもたちが楽しそうに花壇の間を駆け抜けていく。どこへ行くのだろうと目で追っていると、わたしの青いチェックシャツを乙川さんが掴んだ。
「ねえ、加藤くん。私あれが見たい」乙川さんが指したのは等身大人形劇のコーナーだった。
親子連れやカップルと共に客席に座る。オルゴール調の曲が流れ、幕が開く。着ぐるみを着たキャストが身振り手振りで演技をし、裏手のキャストが台詞を読み上げる。
オリジナル演目『きらめく流星の旅人』は、流れ星に乗って地球にやってきた主人公が旅をする物語だった。出会った仲間たちと国を救い、王様から王冠をもらって大団円という幕引きだった。
「あの主人公の中にも、入っているキャストがいるのよね」乙川さんは人形劇を食い入るように見つめていた。
怪我人の乙川さんはジェットコースターに乗れないが、乗車口まで一緒に来てくれた。安全ベルトで体を固定されるわたしを微笑みながら眺めていた。
二人で楽しめる乗り物を探し、コーヒーカップに並ぶ。入り口に飾られた大きなスプーンとフォーク、中央でゆったり回転するポット、カップとソーサーを模した座席。
「巨人に食べられるみたいだね」子どもっぽいかな、と笑いながら乙川さんを見る。
「食べられるの、怖い?」
逆光の中、彼女の顔は麦わら帽子に隠れ、口元しか見えない。鮮やかな口紅の赤を中心に周囲のコントラストが絵の具を混ぜるように変わっていく。
乙川さんの唇が大きく開き、白い歯と赤い舌で転がされ、奥歯で噛み潰される白昼夢を見た。
「加藤くん」
気付くとコーヒーカップの座席に座っていた。いつのまにかアトラクションは終わっていたらしい。乙川さんは手袋越しのひんやりした右手の甲でわたしの額に滲む汗を拭いた。
「涼しいところに連れて行ってあげる」
乙川さんはわたしの手を取って歩き出した。
——加藤くんが、こんな白昼夢を見ていたなんて、知らなかったな。
誰かの残響が脳髄をぼんやり揺らす。わたしはごつごつした記憶の木の枝に腰を下ろし、遠くにある枝の無い木に視線を向けた。
幽霊のように立つその木は、いくら目を凝らしてもピントが合わない。あれはわたしの内側に残った記憶の残滓。かつて演じた着ぐるみの記憶。蝉の抜け殻の記憶。
観覧車の隣には外国の幽霊屋敷をモチーフにしたお化け屋敷があった。夕暮れに差し掛かる空を背に中へ入る。
「お化け屋敷、怖くないの?」
「世の中にはもっと怖いものがあるから、平気よ」
キャンドル型のライトを持って狭く暗い廊下を進む。壁には血飛沫で汚れた家族写真。突き当たりに飾られた少女の写真にライトを向けると、雷鳴と絶叫が響き、鋭利な牙を生やした吸血鬼の姿に変わった。
ちらりと乙川さんを見る。乙川さんもどうやらわたしを見ていたようで顔を見合わせて笑った。
娘に化けた吸血鬼が家族を皆殺しにするという設定のようだ。食堂から続く小さな血の足跡を追って屋敷の中を歩く。足跡は子供部屋のクローゼットの中へ続いていた。中から赤ちゃんの泣き声が聞こえる。
「これ……結構怖いね」
「ふふ、近くにいるから大丈夫」
クローゼットを模した扉を開け洋服を掻き分けながら入る。暗い。ライトで照らすと、教室ほどの広さだとわかる。中央に揺籠が置かれただけの空間。泣き声が四方八方をぐるぐるまわるように響いている。
血の足跡は部屋の中心で揺れる揺籠へ続いていた。近づくにつれて揺れが激しくなる。突然、ぴたりと泣き声が止んだ。ライトも消える。濃い暗闇が毛穴から体内へ侵食し、自分の体がじわじわ消失していくような、どうしようもない恐怖にわたしは息を呑んだ。
次の瞬間、ガラスが叩き割れる音が鳴り、真っ赤な照明が揺籠を照らした。口元を血だらけにした少女の人形が横たわり、けたたましい笑い声を上げる。次の扉を示すように赤いランプが光った。二人で部屋から飛び出す。
狭い廊下で、乙川さんは大笑いしていた。
「ふふ、加藤くん、わああ!って、ふふ。あんなに大きい声出すんだ、ふふふ」
「ライトが消えるのは反則だよ……あー、びっくりした……」
くすくす笑いながら、赤黒い廊下を歩く。肉が波打つようにぼこぼこした壁や床、誰かの断末魔。巨人の内臓で溶かされる悪夢のような景色に、笑い合うわたしたちの姿は不釣り合いだった。天井から吊り下がる家族の死体を模したマネキンは目から血を流しながら、不思議そうにわたしたちを見つめていた。
外へ出ると日は暮れていて、向かいのコインロッカーで帰り支度をする家族連れが見えた。人の流れに逆らいながらしばらく過ごしたわたしたちは、いよいよ閉園の時間を迎えた。
ここから先の記憶の枝に手を伸ばすと、拒否反応を示すように木肌がぶるぶる震える。樹皮から、加藤が味わった恐怖が染み出してくる。わたしが何をして、加藤がどんな目に遭ったのか、知らなければならない。
わたしは、赤黒い雲に焼かれ萎びた木の頂点を掴んだ。
静かな夜の遊園地に放送が鳴り響く。
〈閉園後イベント、星降るゴンドラナイトのチケットをお持ちのお客様は観覧車乗り場へお越しください〉
観覧車には約二十組が連れ添って並んでおり、わたしたちは列の最後尾についた。
〈ただいまより、星降るゴンドラナイトを開始します。イベント中は園内の照明を全て消灯します。星空に包まれるひとときをどうぞお楽しみください〉
放送が終わると同時に園内の明かりが全て消える。広大な遊園地の敷地が闇に包まれ、普段見る夜空より数倍多く星が輝いていた。おお、と静かな歓声が上がる。
観覧車乗り場には黒い幕で覆われたフォトスポットがあり、順番に人が吸い込まれていく。
わたしは緊張で口数が少なくなっていた。観覧車の窓ガラスには夜空に時折煌めく流星が映っている。また乙川さんとここに来たいと願った。
前に並んでいたカップルが幕の中に入る。入り口は閉じられ、中の様子はわからない。
「加藤くん、一緒にここに来てくれてありがとう」
「俺のほうこそ、誘ってくれてありがとう。あの日公園に行って良かったよ」
乙川さんは微笑んで、わたしの手を取った。
音もなく黒い幕が開く。
幕の内側には星空とイベントのロゴがプロジェクターで投影されていた。幕の間からカメラのレンズが覗き、従業員の声がする。
「お待たせしました。写真を撮りますのでお好きなポーズをどうぞ」
乙川さんはわたしの右腕にぴったり身を寄せる。わたしはうまく笑えているかさえわからず、左手でぎこちないピースをするしかなかった。
「それでは撮りますね。さん、にい、いち」
シャッター音が鳴る寸前、乙川さんが動いた。右手でわたしの襟を掴み、自身の顔の前まで引き寄せる。口を薄く開き、少し顔を傾ける。二人の唇が近づいていく。自分の心臓の音でシャッター音は聞こえなかった。
唇は、僅かに届かなかった。重なる直前、わたしの口腔内に細くてぬるぬるした紐が差し込まれ、喉に突き刺さったからだった。痛みを感じる間もなく、ずん、と体の動きが止まり、次いでがくがくがくと全身が三回痙攣した。喉を中心に波紋のように痺れが広がり、体が支えきれないほど重たくなった。目を開けたままその場に頽れる。わたしの口からずるりと紐が引き抜かれ、乙川さんの口の中に戻っていく。
舌にしてはあまりにも長いその器官はわたしの体には無いものだった。あれは触手、だろう、か。視界にノイズが走る。
幕の向こうから従業員が、数人出てくる。わたしの、体を取り囲、み、視界が、しろで、うめつくされた。
次の瞬間にはわたしは観覧車に乗っていた。ぎい、と軋む鉄骨の音。窓ガラスの向こうで流星群が夜空を駆ける。二人きりのゴンドラ。
向かいの席には乙川さんが座っていた。乙川さんは裸で、サングラスも帽子も無い。手と足がだらりと力なく放り出されていて、背後の窓ガラスに頭と肩をもたれさせている。顔は正面にいるわたしではなくどこか遠くを向いている。右目には生気がなく、左目には眼球がなかった。眼球の代わりに、赤黒い触手がイソギンチャクのように揺蕩っている。左腕の傷の中にも細かい触手が蠢いていた。頭部には大きく裂けた傷があり、幾筋もの脈が皮膚を膨らませて傷口を塞いでいた。
叫ぼうとした。だが、指一本動かない。絶叫は体内に反響するばかりで、顔を覆うことも目を背けることもできなかった。
「わたし、あまり器用じゃないから」
乙川さんの口が動いている。表情は一切変わらず、上唇と下唇と舌が、音を発するためだけに内側にいる何かに動かされている。
「だから、乗り換えるの。加藤くんに」
眼球だけは動かせるようになった。恐怖なのか乾きなのかわからない涙がぼろぼろと零れる。
鉄骨が影を作り、窓ガラスに自分の姿が映る。わたしも裸だった。顔と全身に拘束具が装着されていて、ゴンドラの手すりにベルトで固定されている。開口器が奥歯まで差し込まれ、唇の端から血が出るほど口を大きく開けていた。
びた、びた、と粘性を伴った物体がガラスに当たる音がした。乙川さんの頭の傷が開き、そこから数本の触手が伸びて窓に張り付いている。
出てこようとしている。
頭の中から。
左目の眼窩はぽっかり空き、左腕の傷を埋めていた触手も体内に引っ込んだ。乙川さんの体が揺れる。皮膚を波打たせながら、触手は乙川さんの体内を移動していた。着ぐるみを脱ぐように、頭の傷をめりめりと広げる。
頭の重みで乙川さんの体が前に倒れた。ゴンドラが少し揺れる。頭の傷口はこちらを向いており、中が見えた。握り拳くらいの脳のようなものが、その身を収縮させながら這い出してきている。
ゴンドラが激しく揺れた、わけではない。加藤の体が恐怖で震えている。
そうか。〝あれ〟は、わたしだ。相変わらず触手を伸ばすのが下手で目も当てられない。わたしは暗闇で横たわりながら、昨晩の加藤の記憶を読み取っている最中なのだ。
乙川の頭から這い出たわたしは、加藤に向かって触手を伸ばす。不器用な触手は拘束具のベルトに絡みつき、遠回りをしながら、加藤の口へ辿り着いた。加藤が低く唸り声を上げ身じろぎ始めた。たっぷり時間をかけて、体内へ潜り込む。加藤は頭を左右に振るが、拘束具で動きが制限されている。肉を掻き分け、喉奥に開けた穴に小型の脳を差し込み、触手を加藤の脳へ伸ばす。加藤は動かなくなった。
加藤が最後に見たのは、穴の空いた乙川の頭と観覧車の頂点からの景色。煌めく流星群だった。
ゴンドラはゆっくりと下降を始める。終着点へ向かって。
暗闇の中で再び目を開くと、部屋に響く放送が聞こえる。耳の神経細胞が機能し始めたのだ。
〈——こちらの放送が聞こえたら、ゆっくりと立ち上がり、足元に気をつけながら、赤いランプが光っている方へ歩いてください。こちらの放送が……〉
上半身を起こす。周囲には自分と同じように仰向けで人間が寝ている。部屋の中央には揺籠。ここは、加藤の記憶で見たお化け屋敷だ。
赤いランプの方へ進むと扉があった。開けると、やはり記憶で見た赤黒い廊下が続いていた。今度は一人でここを歩く。
裸のままお化け屋敷から出て、明け方の遊園地を見渡す。自分以外には誰もいなかった。わたしの左手にはコインロッカーのカギが括り付けられていた。ロッカーの中には加藤の服、靴、荷物が入っていた。姿見で全身を確認する。
わたしは鏡に向かって微笑んだ。加藤の裂けた口の端から血が滲む。
今度こそ、うまくやってみせる。今度こそ、この朽ちるゴンドラをうまく乗りこなすんだ。
冷えた夏の朝の空気を、肺にたっぷり入れる。唇の血を舐めながら青いシャツを着て、買ったばかりのスニーカーを履き、わたしは歩き出した。
朽ちるゴンドラ 戸右歩 @tohuhuhu
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