手紙
蒼衣
第1話 起立
わたし菜花は、感情ない、表情ない、体力ない、記憶力ない、意欲ない、美人じゃない、性格悪いという、誰にも相手にされそうもない灰のような短大二年生の女の子。
これからどうやって生きていくというその不安の渦の中で、初めての医学の授業の日、教室に勢いよく入ってきた教授に一目ぼれをした。
自分が恋ができるなんて思わなかった。人というものは、自分が思うよりも案外たくましいものなのかもしれない。
しかし彼は、結婚して妻がいる。だから、これは決して報われない恋心。
でも話がしたい。顔が見たい。控えめにでも一生懸命想いたい。やがて卒業を迎えるその日まで。
先生の授業で百点満点がとりたい。考えてみれば、中学生の頃から百点という点数はとったことがない。今のなんでも物事を忘れるわたしが、それでも百点をとって先生に認めてもらいたい。それが精一杯のわたしの恋心。
今後の人生を生き抜くために今立ち上がりたい。こんなに存在として小さなわたしでも。誰もわたしに気を止めていなくとも。この瞬間を称賛されなくとも。わたしだけが知っていること。わたしは、この人生のために立ち上がる。いつまでも、過去の事にとらわれずに。ハサミでその糸を切って。
ああ。太陽がまぶしいな。こんなに孤独で焼けつくような光を感じたことはない。滞った血が、それに応えてたどたどしく体内で流れようとしている。
明日は、立花先生の授業の日。一週間に一度この日だけ。わたしは朝から一生懸命身支度をする。
「がんばりはりましたね」
最後のテストでやっと念願の百点をとりました。嬉しいです。とても。そして大変疲れました。もう、これが先生と会える最後の時間です。
卒業の日。最後に先生の顔が見たい。
あなたのおかげで頑張れました。一生懸命勉強ができました。今日わたしは遠い地元に帰ります。いつか、また大人に成長した姿を見せに来たい。
これから見る社会が本当に怖いです。ちゃんとこなせる自信なんてない。希望の見えない未来に希望を描いています。先生に背を向けて、黒のヒールで力強く歩いていきます。
先生。さようなら。会えて本当に嬉しかった。たった少しの会話だけでも、わたしにとってとても大切な時間でした。
ありがとうございました。
どうか、いつまでもお元気で。
手紙 蒼衣 @ion7259
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