こんばんは!☺️
毎日お疲れ様です🎀
今日は、創作やカクヨムとは全く関係のない、最近の職場での私の心の内をつらつらと書きたいと思います。
愚痴っぽくなってしまうかもしれません。
先に謝ります。不快にさせてしまったらすみません。
タイトルの通り、「時には『自分が間違い』でとてもいいのに」というお話です。
身体の事に関してですが、人には「体質」というものがあり、身体の強い方もいれば、弱い方もおられます。
その身体の弱さというものの事情というものは複雑で、体質的に強い方には、想像できない理由や世界をもっておられる場合があります。
それは、とても言葉や表情だけでは表現しきれないもので、説明のしようのないものだと思うのです。
しかし、そこを表面的に見て、誰かに安易な言葉をぶつける方がこの世にはいらっしゃって…
本当ならば、そこには「直接的に触れない」ということが大人としてのマナーだと思うのです。
どうして、「自分は正しい。あなたが間違っている」という姿勢を時には崩せないのでしょうか…?
ずっとそれを続けていて「疲れないのかな?」と思います。
むしろ、疲れ切っているからこその結果かもしれないのですが💦
見ていて心が痛みます。
時には重心が動くことって大事だと思います。
重心を置くとは、言い換えると、「尊重する」ということなんですが。
今日は自分。明日はあの人。明後日は、またどこかにいる誰か。
当たり前のことなのかもしれませんが。
特に、創作される方にお話すること自体おかしな話なんです。
皆さん、「誰か」の視点をとらえて表現されておられるのですから。
最近社会の中に生きていて思うのです。
時には、自分の全くの「外」に正解があるかもしれない…という感覚をもつことってとても必要だと思うのです。
生きる上で、自分のものさしばかり使わなくてもいいと思うんです。
でもそれだけ、「疲労」というものは怖いとも思います。
人の頭と心をがんじがらめにしてしまう。
なんだかんだと環境は徐々に良くなってきてはいるのに。
修正されてゆくものも沢山見てきたのに。
今でも、砂を噛むような悲しい気持ちがすることがあります🥲
でも、生活のためにも、誰かのためにもまだもう少しここで頑張りたい。
長文すみませんでした。
わたしなんて、そんなに毎日毎日一生懸命に生きているわけでもないですし、大して偉くもないのですが(笑)
どうか、ゆっくりお休みください🙏
今日も一日お疲れ様でした💝🙂↕️