【ショート】二秒の奇跡 ── 夏のおわりに※短編小説

✟わーたん2039 ✟

【ショート】季節が止まったあの瞬間——確かにそこに、君がいた。

季節が止まったあの瞬間——確かにそこに、君がいた。

空は夏の終わりの色をしていた。蝉の声は薄く、駅へ下りる坂に昨日の雨がまだ残っている。


いつもどおり電車で通勤するつもりだったが、今日は家に戻った。忘れ物だ。今日どうしても必要な書類で、朝の業務を片付けて引き返す。打ち合わせは昼から。まだ間に合う。


再び、いつもの下りホームで列車を待つ。時計は十一時を回ったところ。電光掲示板は無表情で、冷房の風が通る。暦の上では夏は終わろうとしているが、今年はまだ暑い。


しばらく考え事をして、時間に目を落とす。

11:05

時間は前に進む——そんな顔をしている、とふと思う。


やがて発車時刻が気になり掲示板を見上げる。前駅にもまだ着いていない。スマホを見る。

11:09


昼前だからか、人は少ない。音の中にいるのに、どこか遠い。——ふいに、理由もなく振り返った。

言葉は喉の手前でほどける。「元気だった?」も「久しぶり」も形を失い、代わりに心臓の拍だけが数を増す。

二秒だけ、時間はここに置かれた。


11:10

まもなく電車がやってくる。


11:11

アナウンス。車輪の軋み。ドアの開閉音と金属の匂い。足は黄色い線の内側で止まったまま、視線は行き場を失う。次の瞬間、はっとして電車に飛び乗る。視界に入るのは近くの席に座る人々の群れ。


発車の揺れ。風が抜け、光が滲む。呼吸が深くなる。

やがて、走馬灯のように昔の記憶が蘇る。選び続けた日々と、選ばなかった日々が、地図の上で一瞬だけ重なる。


——「話せない?」

あの冬のことを思いながら、窓の外に夏の終わりを見ていた。

いま言えるのはこれだけだ。季節が止まったあの瞬間、確かにそこに、君がいた。


Take care. And thank you.

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