《モダン・ミステリー・ライク》雪の日に。

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こちらは診断メーカーの『モダン・ミステリー・ライク』という企画をもとに書かせていただいた創作短編小説です。少し非現実的な現代日本で、探偵とその助手も警察とともに捜査に関わり、規模も目的も底知れぬとある犯罪組織と対立している、という魅力的な世界観。私なりに作りあげた探偵たちも、その世界の隅っこにいると思ってもらえたら嬉しいです。

以下は、日常と非日常の間のとある雪の日のお話。

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 暖冬だと言われていたこの冬最初の雪が降った日、それは明け方から断続的に降り積もり、首都圏でも鉄道網が大混乱する事態になった。

 それはこの北国の小さな町でも同じことで、降りだした雪の勢いは昼近くになっても変わらず、街を容赦なく白一色に染め上げていた。本数は少なく雪には慣れているといっても、鉄道の運行にも乱れは出ている。油断した隙を狙いすましたような大雪だった。


 『日葵苑ひまりその郵便館・探偵局』と篆刻で彫られた古風な木製の看板を掲げた煉瓦造りの建物も、今日は雪の白に沈んでいる。しんしんと降り続く雪の中、音を吸い取られたように室内はしんとして、壁掛け時計のコチコチという音が穏やかに時を刻む音が支配していた。

 圧迫感を与えない低い本棚には隙間なく古い本が並び、使い込まれた木製のテーブルと椅子が並ぶ様子は洒落たカフェのよう。分厚いガラスが嵌め込まれた窓の向こう側の桟には雪が積もり厳しい寒さを感じさせるが、室内は真ん中に設えられた石油ストーブのおかげでとても温かだった。


 ストーブの上の薬缶やかんがしゅんしゅんと湯気を吐き、窓ガラスを曇らせる。隅の壁際のテーブルにはご近所のおばあさん方が腰かけて、穏やかにひそやかに談笑している。凄い雪ねえ。本当にねえ。今年は楽でいいわあと思っていたのにねえ。彼女たちの前でお茶が湯気を立て、とてものどかでのんびりした光景だった。

 部屋の奥、こちらも年経てつやを帯びた木製のカウンターがあり、その中で一人の女性がコーヒー片手に新聞を広げていた。封筒や切手が収められた引き出しやきっちりと仕分けられた郵便類からは離れた小さなテーブルで、細かい文字を追っている。


 顎下で切りそろえられた髪はつややかな黒。彼女のトレードマークの深緋色こきあけいろの頭巾羽織、その下には今日の天気に合わせたものか、雪輪と麻の葉の柄が染められた白鼠しろねずの小紋に、目を惹く鮮やかな紅梅色に白の梅柄の帯を締めている。

 彼女もまたゆったりと、けれど紙面に落とした視線は本当に読んでいるのか疑問に思うほどに速く、あっという間に一部を読み終えてしまう。それを丁寧にたたみ、次いで経済紙に手を伸ばしたところで、入り口のドアベルを賑やかに奏でながら、穏やかな静寂の中に闖入者がやってきた。


「ああもう、なんなのこの雪! どけてもどけても降ってくるんだもの! 振り返ったらもう同じ量が積もっているなんて、こんな不条理ってある!?」


 般若のごとき烈火の形相で腹立たしげにドアを閉めたのは、背の高い少女だ。厚手のダッフルコートを着込み、降り積もった雪と一緒に背後に落としたフードの下からは赤みのかった茶色の長い髪が現れる。今はくしゃくしゃだが、丁寧に整えればそれは華やかな巻き毛になる。


 雪を払いつつ手にしていた雪かき用のスコップを壁に立てかけた少女は、奥のご婦人方に気づくところっと表情を変えてにこやかに挨拶した。


「あら、いらしてたんですね。小山のおばあさま、髪をお切りになった? 坂下のおばあさまは花模様の紬が良くお似合い。緑川のおばあさま、その象牙の帆船型の帯留は旦那様からの贈り物でしたっけ? とても粋な方だったのねえ」


 すらすらと礼儀正しく、けれど人懐こい彼女の様子にご婦人方もにこにことして、口々に「ありがとう」と応える。


千早ちはやちゃんは偉いわねえ。雪かきの手伝い?」

咲都子さとこさんにはお世話になっているのだもの、このくらいは当然ですよ。館主なんですから、こちらにいてもらわないといけないですしね」


 慎み深い物言いに、偉いわねえ、こんな孫娘が欲しいわあ、と声が重なる。その咲都子は苦笑して、コーヒーカップを置いて椅子を立つと、カウンターの中から声をかけた。


「こんな天気だもの、仕事なんてほとんどないから私がやるって言っても聞いてくれないのよ」

「咲都子さんの運動神経じゃ、滑って転んで救急搬送がオチだから私が適任よ」

「まったく、頼りになる助手で困るわ」


 ため息をつけば、ご婦人方がくすくすと笑う。


「千早ちゃん、寒かったでしょう。ストーブの傍で温まりなさい。何か飲む?」

「紅茶。生姜とはちみつ入り」

「はい、了解。ティーバッグにするわね」


 カウンターからさらに奥のキッチンスペースに立ち、紅茶の準備をしていると、再びドアベルの音がした。こんな天気なのに珍しい、とカウンターの方に目を向ければ、千早の淑女らしからぬ踏み潰されたカエルのような声が聞こえた。訪問者の姿が見えなくても、それで大体目星が付く。


 トレーにカップを三つとすりおろした生姜、はちみつの瓶を乗せてカウンターに戻ると、予想通り長身の男性が二人、ドアの近くに立っていた。


「いらっしゃいませ。椿木つばきさんに、海棠かいどうさん。雪の中大変でしたでしょう」


 千早と余裕の笑みで睨み合っていた青年が、こちらを振り向いて微笑む。自分がどう見えるかを計算し尽した、非の打ちどころのない笑みだ。実際、彼は女性なら十人中十人が見惚れるような端正な容貌の持ち主なので、その威力は絶大である。彼を見つめるご婦人方の視線も熱い。


「こうして貴女にまみえることが叶うなら、道中の苦労などないも同然ですよ」


 黒いコートの胸に手を当て、それは優雅に一礼する。それを不機嫌に一蹴するのは千早だ。


「咲都子さんにちょっかい出すなら外に蹴り出すわよ」

「相変わらず、乱暴なお嬢さんだ。とても藤倉のご令嬢とは思えない」

「家のことは関係ないわ。あなたのその鼻につく物言いは何なの、首都のお役所ではそんな不真面目な振る舞いが通るわけ?」

「ああ、すこぶる優秀だと評判を得ているよ、安心してくれ。君こそそれでは嫁の貰い手がなくなるぞ?」

「あら、私も女学校では十年に一人の逸材と先生方の覚えもめでたくてよ。おかげさまで付け文も後を絶たないの、ご安心いただけたかしら?」


 ばちばちと火花を散らす二人は放っておいて、壁際にぼんやりと立つもう一人に声をかける。


「海棠さん、何かお飲みになる?」

「あっ、すみません、突然押しかけて。どうぞ、お構いなく。ええと、申し訳ないです、椿木が騒がしくして……」

「こちらこそ、千早ちゃんが元気ですみません。ふふ、二人とも仲良しですよねえ」

「仲良し、なんですかねえ……?」


 海棠は曇った眼鏡を拭きながら、疑わしそうに言い合いを続ける二人を見やる。しかし、ここまで飽きずにぽんぽんと言葉を交わせるということは、息が合っている証拠だ。仲良しなのに違いはないだろう、と咲都子は思っている。

 何より、いつも以上に千早が生き生きとして、普段作ったような笑顔を張り付けている椿木の表情は心底楽しげなのだから。


 ついでに言えば、千早が成績優秀で付け文をたくさんもらっているのは確かだが、その相手は実は同年代の少女ばかりだったりする。彼女の家は由緒正しい武家の家柄で、幼い頃から剣道・弓道・合気道を仕込まれて育っている。それもあって物怖じせず竹を割ったような性格が、女学校育ちで男慣れしていない少女たちの敬愛を集めているようだった。


 何にしろ、可愛い妹分が人気者なのは良いことだ。微笑ましく眺めていると、海棠がぽつりと言った。


「大事になさってるんですね、彼女を」


 改めて見ると、幼さを残した面差しの彼は眼鏡を外すと怜悧なまなざしの印象が強くなり、はっとするほど精悍な青年なのだということに気づく。そして聡明で、思いやり深い。咲都子は微笑んで、千早に視線を戻した。


「ええ。彼が残してくれた縁ですもの」


 まだ癒えない胸の痛みを自覚する。でもそれは、今感じる温かさと比べれば霞んで消えてしまうようなものだ。

 彼のことは決して忘れない。でも、痛みとともに思い出すことはしたくない。それは彼の、そして咲都子自身の望むところではないのだ。


「それに千早ちゃんは、可愛い可愛い私の助手だわ」


 実感を込めて言って、カウンターの外に出る。


「さあ、今日は冷えるのだから遠慮せずに温まっていって。お二方も千早ちゃんと同じ紅茶で良い?」

「咲都子殿の手ずからの紅茶は是非ともいただきたいですが……何を入れるおつもりで?」

「なによ、咲都子さんが毒を入れるとでも思ってるの?」

「いや、君と同じと言われると、またどんなゲテモノが出てくるのかと」

「失礼な男ね、本当に! ただのジンジャ―ティーよ!」

「ああ、なら安心だ。ありがたく頂戴しますよ、咲都子殿」

「むかつくー!」


 いつも通りの息の合った二人の押収に、咲都子はにこにこと、海棠は苦笑いで口を挟む。


「まあまあ、落ち着いて、千早ちゃん」

「生姜は身体を温めると言いますからね。ありがたいです」

「ほら、海棠さんは紳士的だわ。それに比べてこっちは……」

「なんだ、その目は。大体君は、自分の味覚が特殊だという自覚を持ちたまえよ」

「好きなものを好きに食べて悪いわけがないでしょう」

「その自信はどこから来るんだ……。白飯に麩菓子と黒糖だの、納豆にはちみつだの、絶対に俺は認めないからな……」

「うるさいわね、本当に蹴り出されたいの?」


 賑やかというよりも騒がしくストーブを囲む。結局はそれぞれがカップを持ち、薬缶からお湯を注いだ紅茶に、各々が好きな量の生姜とはちみつを入れていく形になった。それでようやく三人が、ほっと息をつく。

 自分のコーヒーカップを持ってきた咲都子は、静かになったのを頃合いに男たちに問いかけた。


「それで、お二方。あなたたちがわざわざいらしたということは、探偵局の方への御用かしら?」


 ジンジャ―ティーの温かさに頬を緩めていた二人が、表情を引き締めて頷く。海棠が眼鏡の奥のまなざしを鋭くして、口を開いた。


「実は、例の組織が関わっていると見られる事件が近隣の都市で起きていまして。日葵苑さんのお力添えをいただきたいのです」

「私は探偵ですから。もちろん、捜査への助力は惜しみませんよ。警察とともに捜査に当たりこの日の本の国の闇を祓うべし。そう誓願しています」


 コーヒーカップをカウンターに置き、意志を込めて微笑む。


「さて、この出不精の探偵がお役に立てるといいのですけれど。お話はお茶の後で、別室でゆっくり聞きましょうか。今日は、外は雪。人目をはばかるお話にはもってこいの日和だもの」


 緊張感の生まれた部屋の中、変わらずコチコチと時を刻んでいた柱時計が十二時を告げる音が響く。すると、咲都子は手を合わせて目を輝かせた。


「そうだ、せっかくだからお昼ごはんも済ませてしまいましょう。人が多いと作り甲斐があるわ」

「ええー。咲都子さんってばご飯までご馳走してあげる気なの、図に乗るわよ? 特にこいつとか」

「君ねえ……。そろそろ、目上の人間への口の利き方を教えてあげようか?」

「やる気なら負けないわよ。海棠さんならともかく、優男のあなたには負ける気がしないわ」

「言ったな?」

「ちょうどいいわ、咲都子さんのご飯ができるまで勝負しましょう。あなたは緑川さん家、私は小山さん家。雪かきを先に終えた方が勝ちよ」

「ほう。合理的かつ建設的な勝負方法だ、気に入った。手加減なしだぞ」

「望むところだわ」


 そのままカップを置いた二人は闘志を燃やして上着をきっちり着込み、手袋をはめて外に出ていく。壁際のご婦人方の、助かるわねえ、頑張ってね~、無理はしないでね~という声援を背に受けながら。

 それを呆然と見送って名乗りを上げ損ねた海棠は、慌ててカップを置いてコートを手に取る。


「お、おれ、藤倉嬢と代わってきますね!」

「あら、いいのよ。ああなったら千早ちゃんは聞かないから、好きにさせてあげて。そうね、私がキッチンに行くとここが無人になってしまうから、申し訳ないけれど店番していてくれると助かるわ」

「ええ……? いや、日葵苑さん」

「温かいおそばとおうどん、どっちが良い?」

「え? ええと、おそばですかね」

「わかったわ、少し待っててね」


 穏やかで優しげだけれど有無を言わせない笑顔で言って、咲都子は奥の住居部分の方へ行ってしまう。残された海棠はぽかんとそれを見送って、すごすごとコートを椅子の背に戻した。四人分の空のカップを集めてトレーに載せ、キッチンスペースに運んで水に付けておく。ついでに、水位の減った薬缶に水を足してかけ直しておいた。

 そしてカウンターに戻り椅子に腰かけた海棠は、まめな子ねえ、あなたも良い男ねえ、うちの孫の婿にどうかしら、と楽しそうに話しかけてくるご婦人方にあいまいな笑顔で返して、こっそりと深い深い、ため息をついた。


 曇った窓ガラスの向こうの雪の勢いは止まない。今日はなんだか、とても長い一日になりそうだった。


  fin.

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習作小箱 @ito_m

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