極北からの手紙
枝を離れたイチョウの葉が、手元の紙束の上に舞い落ちてきた。それを拾い上げてくるくると回しながら頬杖を突く。ふう、とため息が漏れた。
学生食堂のテラス席は昼のラッシュも過ぎ、次の講義までの空き時間を気ままに過ごす者たちののんびりとした空気が流れている。秋は深まり十一月も末だというのに、今日は小春日和と呼ぶにふさわしいぽかぽか陽気で、日差しは温くて風も穏やかだ。
点在する丸テーブルのそこかしこで突っ伏している学生たちに混じって、自分もこのまま昼寝してしまいたい。半ば本気でそう思い目を閉じてみたけれど、すぐにそれは遮られた。呼びかけてきたのは、ぼんやりとしている間も同じテーブルであれこれと話していた友人たちだ。
「
「……えっと、なんの話だっけ?」
問われても全く話の内容がわからず、へらりと笑う。彼らはやや呆れたようにこちらを眺めた。
「聞いてなかったのかよ。あいかわらずぼーっとしてるのな」
なにそれ、と示されたのは封筒の束だ。エアメール用の赤青の縁取りが入り、宛名は流れるような筆記体で書かれている。鞄にしまいながら答えた。
「家族から今朝届いたんだよ」
「あー、碓氷のじいちゃんって海外にいるんだっけか」
友人の一人が気を取り直したように話を元に戻した。
「クリスマスだよ、クリスマス。他学部との合同交流会、という名の合コン大会」
「あるいは、希望を捨てた男たちの夢の国弾丸ツアー企画」
「どっちも大怪我必至のやけくそコースだけどどっちにする?って話」
さっきまで『たい焼きは頭から食べるか尻尾から食べるか』という実に平和な議論をしていたというのに、いつの間にかスリリングな話に移行していたようだ。品定めの視線に晒され身も凍る思いをするか、カップルの巣窟に乗り込んで羨望と虚しさに打ちのめされるかの二択では、確かにどっちを選んでも無傷では済まないだろう。友情は深く重くなりそうではあるけれど。
しかし、この友人たちにはそういうところがある。面白くもないことを面白おかしく笑い飛ばしてやろうぜと挑みかかっては弾かれて、それさえ楽しんでいるような。そんな彼らの企画に乗るのは楽しそうだったけれど、どうにもならない先約がある。眉を下げ、申し訳なく思いながら拝むように手を合わせた。
「ごめん。クリスマスの時期は忙しくて、参加できそうにないや」
「は? お前まさか、彼女ができたとかいうんじゃないだろうな?」
隣に座っていた
眼鏡の
「そういえば、去年もそう言ってクリスマス前後は連絡つかなかったな。バイトか何か?」
「うん、そうだね。期間限定のバイトみたいなものかな」
ようやく穐田のヘッドロックから逃れて首をさすりながら頷く。穐田と
「クリスマスだけ多忙とか、お前トナカイでもやってんの?」
「え、トナカイ? そっち?」
「わかる。碓氷はトナカイだな」
「しっくりくるだろ」
うんうんと頷き合っている。複雑だ。
「いつもみんなの笑い者、って言いたいわけ?」
拗ねて見せると、樋浦が笑いながらフォローする。
「そうじゃなくて、雰囲気かな。のんびりしててお人好しで、誰かが困ってたら深く考えないで手を貸すだろ? そういうところが、サンタにつき合って一晩中プレゼントを届けて回るトナカイのイメージに合ってる気がする」
「……褒められてるんだよね?」
疑うように見つめると、樋浦はもちろん、と頷いた。
「俺は好きだよ、碓氷のそういうところ」
途端に穐田と眞宮が色めき立つ。
「碓氷のことそんな風に思ってたのかよ樋浦……。気づかなかった……!」
「ごめんな。俺ら、気づいてやれなくて……。友達失格だな」
わざとらしく肩を震わせる二人は完全にふざけている。からかわれても樋浦は涼しい顔だ。
「そういう二人だって、同じように思ってるくせに」
「な、なんだと?」
「四角関係か、燃えるな」
すっかり元の話題はそっちのけで盛り上がり始めてしまった。樋浦も積極的にツッコミ役になろうとしないので、こうなると彼らの気が済むまで放っておくしかない。
目が合った樋浦にわざとだろう、と視線で問えば、「なんのこと?」とでもいうように首を傾げられた。喰えない男だ。
講義も終わって帰路につく。
玄関をくぐって扉を閉めると、軽い足音とともに灰色の毛玉が寄ってくる。まん丸の金色の双眸で見上げてくるのは優雅な灰色の毛並みの猫だ。
「ただいま、ヒカリ」
破顔して肩掛け鞄を下ろし、手を伸ばす。「おかえり」の挨拶のつもりかぞんざいな調子で鳴いた猫は、抱き上げようとする手をすり抜けて廊下の奥に行ってしまった。
靴をそろえてから猫の後を追うようにリビングに入ると、ソファに腰かけた人物と目が合った。
「今日も手紙が届いていたよ。まあ、催促の内容だろうけど」
テーブルを示して足を組んでいるのは、華奢な少年だった。気の強そうな金色の目は暗にこっちを責めている。
「さっさと準備をしに行けばいいのに。もう本番までひと月を切っているんだから」
「お前までじいちゃんと同じこと言うんだなあ……」
手紙の内容を思い返して眉を下げる。テーブルから取り上げた封筒も祖父の筆跡で、ますます重い気分になってため息をついた。
「こっちもいろいろあるんだよ。年明けには試験もあるし、目先のイベントにばかり気をとられてはいられない」
少年に近づいて濃い灰色の髪の毛を掻きまわすと、うっとうしそうに首を振って跳ねのけられてしまった。
「うーん。ふわふわだけど、やっぱりいつもの毛並みの方がいいなあ」
「君の好みなんか知らないよ。小さい体躯でいるのは窮屈なんだから」
「え……。そっか、ごめん。もしかして今も窮屈?」
「もし窮屈だといったところで、もとの大きさに戻っても良いの?」
「……ええと、うん。難しいかな」
少年はやれやれという風に肩をすくめた。
「気にしないで。せいぜいサイズの合わない服を着ているような感覚だから、特に害はない」
それでも、無理を強いていることに変わりはないので肩を落とす。
「やっぱり、お前だって早くじいちゃんに会いに行きたいよな……」
申し訳ない気分で呟くと、少年は何でもないことのように言った。
「別にそうでもない。君がもたもたしているのは今に始まったことではないし、僕のパートナーは君のじいさんではなく君だ。どちらかというと、そろそろその自覚をしてほしいんだけど」
不満げな視線を向けられて、眉を下げる。
「そうは言うけどさ……。毎年毎年この時期になると準備をさせられてるけど、いつもうまくいった試しなんかない。土地勘がまるでない森で迷子になったのは両手でもきかないし、真冬の湖におっこちて風邪を引いたのも一度や二度じゃない」
祖父が暮らす極北の森に囲まれた湖水地方は、冬ともなれば一日中氷点下の気温の日も珍しくなく、湖に転げ落ちてずぶぬれになった子ども時代の記憶は割とトラウマになっている。息も凍り付くような冷たさというものがあるのを、
「それでも、ここ数年はそこまでひどくなくなったよ」
「そりゃあね! あの場所では迷子も転落事故も命にかかわるんだから、嫌でも警戒して気を付けるようになるよ!」
つい声を荒げてしまう。少年はやれやれと言わんばかりの呆れた顔だ。
「それでも大事に至らないように、僕らがパートナーとして付いているんじゃないか」
「最初に湖に落っこちたのと森で迷子になった数回は、お前がおれを振り落としたからだけどね」
「あれは、君が僕の角に断りもなく触ったからだ」
「生き物の背中に乗ったことなんかなくてびっくりしたんだよ、仕方ないじゃないか」
なぜか言い争いのようになってしまい、二人で同時にため息をつく。
「結局、君には自信がないってことだね」
確認するように告げられて、言葉に詰まる。でも結局は頷いた。
「そうだよ。じいちゃんみたいに立派に役目を果たせるとは思えない。……そういえば今日、おれはトナカイに似ているって言われた」
「トナカイに?」
少年が金色の瞳をぱちくりさせるので、説明してやる。それでも彼は怪訝そうだった。
「のんびり、お人よし、他人をすぐ信じる。それは優秀なトナカイの素養ではないな」
わかってるよそんなの、と口をとがらせる。それでもそこまではっきり優秀じゃないと言われると落ち込む。
「どちらかというと、それは僕らの主にあるべき条件だ」
「……え?」
ぽかんとする。少年は真面目な顔でずばずばと言った。
「トナカイは確実に安全なルートを選び、主と荷を運び、危険を避ける。それには警戒も思考も判断力も必要で、君には荷が重い」
「わ、わるかったね……」
ぐさぐさと言葉の矢を受けて力なく呟くと、彼は首を振る。
「悪くなんてない。君はトナカイではなくて、僕のパートナーだから。余計なことはしないで僕の判断と忠告を信頼してくれればいい。その上で、承服できないことがあれば意志を通して、なにより荷の受取人を最優先する。それが君に求めることだ」
呆然と、少年の顔を見つめた。彼の本音を聞いたのは初めてだった。何を応えればいいのか思いあぐね、ようやく口を開いたときには間抜けなことを呟いてしまった。
「お前って、いろいろ考えてたんだな……」
「そりゃあ、君より長生きで、ものも知っているからね」
小憎たらしい少年の顔で、にやりと笑う。怒るよりも先に、なんだか力が抜けてしまった。彼は自分を認めてくれていたのだ。それは伝わってきたから。それがわかると、気が重かったイベントもなんとかやり過ごせそうな気がしてきた。
テーブルの上の手紙を拾い上げて、よし、と息を吐いた。
「とりあえず、じいちゃんに手紙を書くよ。そろそろ機嫌が悪くなってるだろうし」
「それは、かわいい孫からの返信が無しの
「じゃあ、向こうの文法は自信がないから教えて。物知りなんだろ、相棒?」
手紙をひらひら振ってにっこり笑えば、少年は額に手を当ててみた目に似つかわしくないため息をついた。
「どこまで世話を焼かせるんだろうね、僕のパートナーは……」
それでも彼の声音が笑っているのはわかっていたから、軽い足取りでリビングを出て、自分の部屋に向かうべく階段を昇り始めた。まずは、どこかに仕舞った便箋と封筒、それに父から誕生祝いにもらった万年筆を引っ張り出そう。
ふと思いついて、後ろをついてくる少年を振り返った。
「ねえ、じいちゃんは友達を招待したら嫌がるかな?」
「友達ぃ?」
金色の目を見開いて、彼は信じがたいという顔をする。
「お前にもあいつらを紹介したいんだ。絶対、喜ぶと思うんだよなあ」
「待ってよ、まさか家業のことを話す気? ばかっ、国家どころか世界規模の機密だよ!?」
「でも、向こうのじいちゃんの友達にも知ってる人はいるし、結婚する前にばあちゃんにも話してたんだろ?」
「だからって君の判断に任せるのは不安だ!」
相棒は必死で食い下がってくるけれど、頭の中ではもう決定事項だった。
あの凍り付いた鏡面のような湖と灰色の森が広がる場所に立ったら、友人たちはどんな顔をするだろうか。この相棒の元の大きな体躯と立派な角を見たら目を輝かせるだろうし、祖父の正体を知ったら驚くだろう。
そしてなによりも、自分にとって憂鬱で重荷でしかなかった年末限定の大仕事を、面白おかしく楽しんでくれるはずだった。
「おれ、はじめて年末が楽しみになってきたよ」
「僕は今、猛烈に頭が痛いし最高に不安で吐きそうだ……」
げっそりしている相棒をよそに、浮かれた足取りで部屋に直行する。そして電気もつけずに中に入って床に積んでいた本の山を崩し、盛大に怒られた。
がみがみ言われながら部屋を片付けて、ついでに机の引き出しに適当に仕舞われていた便箋と万年筆も見つけ出すことができた。リビングに戻り、猫の姿でふてくされたようにストーブの前で丸くなっている相棒の助力は諦めて、辞書を片手に手紙にとりかかる。
文法に自信はないから、祖父がこちらの意を汲んでくれることを祈ることにした。
『じいちゃん、手紙をありがとう。まだフィンランドへは行けないけれど、今年は張り切っているから安心してほしい。じいちゃんたちみたいになるには長い時間がかかるだろうけれど、おれには優秀な相棒がついているから、修行もきっとうまくやれる。
それから、じいちゃんにおれの友人たちを紹介したい。にぎやかでどんなことも面白がって楽しんでしまう連中で、たまにやりすぎることもあるけどおれは信用してる。じいちゃんもきっと気に入るはずだ。
今年のクリスマスはきっと、楽しくなるよ。
親愛なるサンタクロースへ
見習いサンタクロースより、愛を込めて』
書きあげて、はっとする。
「ヒカリ、三人分の旅費どうしよう。じいちゃん立て替えてくれると思う?」
知るか、というように背中を向けたまま、灰色の長い尻尾がぱたりと動く。
今までになく厄介で騒々しいこれからの期間を想像して、彼は金色の瞳を瞼の裏に隠したまま、猫らしくない深々としたため息をついた。
fin.
◇お題:『秋』『クリスマス』『ぬれた子ども時代』/ジャンル:『大衆小説』
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