習作小箱

ダリアと恋文

 郵便です、と笑顔とともに差し出された手紙の束を受け取った。

 配達人を見送って確認すると、屋敷の者に宛てた手紙の数々に混じって見慣れた菫色の封筒が顔を出す。規定料金の切手が貼られ、住所が端正な字で綴られているけれど、宛先は『you』とだけ。差出人の名前もない。

 けれど、誰がしたためたものなのか、私はもう知っていた。


 息を吸って、吐いて。手紙の束を作業台の上に置き、菫色の封筒だけを手に取った。キッチンの奥、戸棚の引き出しに入ったペーパーナイフを取りだし封を切る。中の便箋も淡く可憐な菫色。二つ折りのそれを開けば、真ん中に詩編のような短い言葉が並んでいた。


『あなたの手のひらはカモミールのように愛らしく、その手にダリアは似合わない』


 褒め言葉のような謎かけのようなそれは、今日も意味を掴めない。カモミールとダリア、と呟いて眉を寄せていると、名前を呼ばわる声がした。慌てて封筒に便箋を戻して引き出しに放り込み、作業台の上から手紙の束を手に取る。

 今日は来客があるので、ぼうっとしている余裕はない。長いスカートとエプロンの裾を翻して、自分を探す家令に応えるべくキッチンを後にした。




 春の午後の光が差し込む応接間の中、あなたは本当に本が好きねと女主人が笑う。古く重厚な装丁の表紙にくぎ付けになっていた私ははっとして、慌てて居住まいを正した。無礼を詫びる私に彼女は鷹揚に微笑み、向かいのソファに座る来客に尋ねた。


「この本を読ませてあげてもいいかしら。こういう可愛らしい内容の本は、私みたいなおばあちゃんよりも若いお嬢さんの方がずっと楽しめると思うの」


 奥様、と頬を赤くする私を、来客の紳士はちらりと見た。テーブルの上に積まれた数冊の本は、女主人のために彼が持参したとても高価な品々だ。彼は一瞬冷たい目をした後、それが嘘のように親しげな笑みを女主人に向けた。


「もちろんですよ、大叔母様。彼女が楽しんでくれると良いのですけれど」


 彼はその後、終始穏やかに女主人と話をして日が暮れる前に屋敷を辞していったけれど、私は一瞬見せた冷たい視線を忘れられずにいた。


 しかし、後片付けを終えて自室に戻ると、すぐに胸が浮き立つ心地がした。女主人から借り受けた本を持ってベッドに腰かけ、表紙に繊細に描かれた薔薇の花の絵を撫でる。どうやらそれは花言葉の本のようだった。すべてのページに花言葉の解説とともに花の挿絵が描かれていて、目にも楽しい。夢中で読むうち、『カモミールの花言葉』というページで手が止まる。


 『逆境に負けぬ強さ』。

 菫色の便箋の内容を思い出し、少なからず動揺した。


 ページの順番を無視して、ダリアの項目を探す。やがて、重なる花びらがあでやかな赤い花の挿絵を見つけた。

 『ダリアの花言葉は、裏切り』。

 その一文を読んで、目を見開く。氷の塊を背中に押し当てられたような気分だった。




 郵便です、という声に応えて裏口の扉を開いた。いつも通りの笑顔とともに手紙の束を差し出す手を掴み、『彼』に詰め寄った。


「どういう、つもりですか」


 配達人の男はびっくりしたように瞬きした後、「ああ」と頬を緩めた。


「僕の手紙の意味、解ってくれましたか」


 手紙?と私は苦く笑う。


「あれは、脅迫状でしょう」


 私の『裏切り』を彼が知っているというなら、彼の存在は脅威でしかない。けれど男は、陽だまりみたいな薄茶色の瞳を細めて何故か嬉しそうに語る。


「まあ、昨日の手紙だけだとそう取られても仕方ないですが……。しかし、僕があなたを脅迫? まさか。それをしているのはあなたの主人の親族である、あの紳士でしょうに」


 そこまで知られていたのかと、驚く。肩をすくめた男はため息混じりに続ける。


「仕事柄、人の噂話には詳しい方でして。それから先週、庭であなたとあの紳士が話しているのを見かけました。彼は声高にあなたの主人を罵り、何かを持ち出せと迫っていた。大方、多くの資産を持つこの屋敷や土地の権利書でしょうか」

「……仕事中に何をしているんですか」

「ふふ、残念。ちょうど僕が非番の日だったんですよ」


 休みの日に屋敷の周りをうろついていた理由もわからないが……。今更、どうでもいいことだ。彼の手を離した私は、俯いて現実をかみしめた。


「わかりました。私はここを出ていきますから、どうか大事にはしないでいただけますか」

「えっ?」


 本気で驚いた顔の彼が、焦ったように私の手を取った。その拍子に手紙の束が落ちるが、目もくれない。


「どうしてあなたが出ていく必要があるんですか」

「は……? だって、ここにはいられないもの。それとも、奥様に自ら申し出て裁かれろと? もちろん、私みたいな裏切者をあなたは許せないかもしれないけど、故郷の家族に迷惑をかけるわけには……」

「そうじゃなく! ああもう、あなたは本当に鈍いんだなあ……」


 彼は心底困ったように前髪をかき混ぜる。薄茶色の瞳が真っ直ぐに私を見つめた。


「僕が贈った手紙を、すべて読んでくれましたか」


 その真剣な様子に気圧されて、おそるおそる頷く。


「内容は、覚えていますか。一通目はひと月前の金曜日。『あなたの瞳はライラックの色。風に揺れて目を奪う』。ライラックの花言葉は『出会いの喜び』です」

「……え?」

「二通目は三週間前の水曜日。『あなたの髪はサギソウの香りを思わせ、清らかに陽に光る』。サギソウの花言葉は『夢でもあなたを想う』」

「……」

「三通目は先週の木曜日。『あなたの声はモモの花のように柔らかく、あたたかに歌う』。モモの花言葉は『あなたに心を奪われた』。そして四通目は昨日。『あなたの――』」

「も、もういいですやめて!」


 頬が熱い。恥ずかしすぎて涙が出そうだ。片手を離してくれない彼から顔を背けて腕で顔を隠すけれど、全部見られているのはわかっている。

 彼が微笑む気配がした。


「解ってくれました? 」


 こくこくと頷くと、安堵したため息とともに彼の呟きが聞こえてきた。


「最初からどこからどうみても恋文でしょうに、なんの反応もないからこのままスルーされてしまうのかと焦りましたよ……」

「どこからどうみてもって、充分まわりくどいんですけど……。大体どうして花言葉なんか……」

「実家が花屋なもので」

「は、花屋」

「まあ、結果オーライだからいいんです」


 にこっと微笑む彼にはどうにも敵う気がしなかった。


「そういうわけで、僕はあなたを屋敷の主人に突きだす気はないですし、むしろ力になりたいと思ってるんですよ。あなたが憂鬱な目的で、このままここに居続けるのはよくないとは思っていますが……」


 さて、と平和な朝の空に目をやった彼は、不遜に笑う。


「ではあの素敵な紳士に、反逆と参りましょうか? 」


 大丈夫です。噂話は得意分野なので。

 そう言って微笑む彼の穏やかな瞳が、昨日見たあの冷たい視線以上に恐ろしいものに見えたのは、おそらく気のせいではないだろう。


  fin.



◇お題:『光』『扉』『憂鬱な目的』/ジャンル:「ラブコメ」

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