犯人、そして収束
佳代子の肩に置いていた廉蔵の手が止まる。
周りの視線が廉蔵に注がれる中、廉蔵は美しい顔を歪めることはせず、ただ悲しげに微笑んだ。弁解をしようとするでもなく、怒り狂うわけでもなく、どこまでも穏やかな表情を浮かべていた。表情を崩さず、彼は口を開いた。
「書生さん、今の君の話は概ね真実ですが……しかし、君の話で行けば、犯人は佳代ちゃんの可能性もあるじゃあないか。それに、凶器の瓶と縄は佳代ちゃんの家で発見された、そうでしょう?」
空は首を振った。
「……お潔ちゃんが、元畑さんの手紙を拾ったのは、あなたの家でなんですよ。また、佳代子さんには、アリバイがある。元畑さんが殺されたであろう時間、つまりこの紙で言うところの十時五分に、佳代子さんは僕らと共にいたのですから。僕らはその時、佳代子さんの営む貸本屋を手伝っていたんです。僕らは佳代子さんのお宅を間借りして暮らしているのでね。……その後で、僕ら二人はちょっと出かけたのですが、まあそれは良いとしましょう。……そしてもう一つ。あなたは今、大きな、そして初歩的で愚かな失敗をしました。あなた、凶器の話をしたでしょう? 僕はまだ、凶器の在処については触れていなかったのに……」
廉蔵の笑みはなお、崩れなかった。彼が犯人であることは明確になったのに、焦る様子もない。美しい微笑の裏にあるものが掴めず、空の頬に冷たい汗が流れる。しかし、その美しい微笑は突然崩れた。廉蔵は突然大声で笑いだし、言った。
「ああ、ああ! あっはっは! 間違いないです、たっちゃんは俺が殺した! たっちゃんに頼まれて、殺したんです。美江の首を絞めながら、あの醜い面でねえ、『廉蔵、俺を殺せ、俺を殺せ』って言うんですよ。俺は、すぐに瓶でたっちゃんをぶん殴った。俺だってねえ、ずっと惨めな思いをしてたんですよ。佳代ちゃんを、たっちゃんに奪われてから!」
狂ったような笑い声をあげ、全身を引き攣らせながら――其処にさっきの微笑の面影はなかった――、廉蔵は続ける。
「たっちゃんは、強引に佳代ちゃんと結婚した。そん時ゃ、佳代ちゃん、まだ俺のことが好きだったんだろうが、いつからかねえ、佳代ちゃんはたっちゃんを愛していたんです! ずっと恋人だった俺じゃあなくて、あの醜男を愛していたのです。……佳代子め、この阿魔! どうしてあの野郎を選んだ。どうして俺じゃあないんだ! おまえがあいつを選んだから、俺は男娼に成り下がったんだぞ……」
廉蔵は、佳代子の肩に乗せていた手に、力と憎しみを込める。警部が立ち上がり、慌てて廉蔵を止めようとしたが、それを止めたのは佳代子だった。
「廉蔵、お聞き。確かに最初は、あんたが好きだったわよ。あんたみたいな好い男が私の恋人で、誇らしかったわよ。でも、あんた、陰で辰ちゃんのことを悪く言っていたじゃない。あれが気に食わなかったのよ。だから私、辰ちゃんと結婚したのよ。それだのにあんた、其処にも邪魔しに来やあがって、私の幸福をぶち壊して行ったじゃない。あることないこと言って、辰ちゃんが私から離れていくようにして……馬鹿、馬鹿。廉蔵の馬鹿。あんたが、辰ちゃんを見下さなければ良かったのよ。馬鹿、廉蔵の馬鹿。……」
佳代子は、再び激しく泣き出した。廉蔵は、佳代子の涙にもう言葉が出ず、黙って、彼女の肩に乗せていた手を退けた。浅倉刑事が、その手にすかさず手錠をかける。
潔子が席を立ち、空の元へと駆け寄った。空は優しく潔子の頭を撫でる。今、「黒百合」にいる者たちの中で、一番純粋な存在に触れ、彼は安堵した。
「この事件は終わりだ。――帰ろう、お潔ちゃん」
愛憎渦巻く喫茶「黒百合」には、普段から染み着いた珈琲の香りが漂っていた。
愛憎珈琲殺人事件 波多野琴子 @patakoptpt125
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます