エピローグ

 

 経費節減のため、スプリンクラーや火災警報装置などの電源を切っていたことと、寮一棟を全焼させたことの責任を理事会で問われ、歩桜高校の校長はじめ寮の責任ある立場に就いていた人間は全員辞任させられた。

 高校の経営に隠然たる影響力を持つ『やのべつサイエンスパーク』からの圧力、とくに大地主の穂村氏から何らかの要請があったという話もちらほら聞いたが、一介の高校一年生風情の知ったこっちゃない、と思う。


 居場所にあぶれた歩桜高校の生徒たちは、新たな寮の完成するまで、よほど遠くに住んでない限り自宅から学校へ通うことになった。関西などの遠隔地から来ていた生徒はかなり良い条件で周辺他校への編入を勧められ、大部分は転校していった。


 同室の吉岡もまたそのひとりだ。

 サイエンスパークからシャトルバスの運行も始まり、通学体制にさほど混乱はないという。

 東北の一高校の事件としては珍しく、寮全焼のニュースは翌朝、あらゆる全国紙の紙面を飾った。もちろん地元紙以外での扱いは比較的小さく、例の不審火や、放火犯はだれか、ということもほとんど話題にならなかった。むしろ、ネットニュースでは男子寮と女子寮との間にあった『仕切り板』がほぼ原形のまま燃え残ったことに対する興味から一時期、電子掲示板を含め、かなり話題になったという。


 あのブルーグレーの壁はなにか特別な材質、あるいはコーティングでもされていたのか、火災の炎熱による変形、変化もなく、いまも寮跡の中心部に屹立している。一部関係者の間では『モノリス』とか『モニュメント・ゼロ』などとも呼ばれるようになっているらしい。

 以上、かなり後になって京山から聞いた話だ。


 寮を抜け出した際あちこち軽くやけどをしていたため、おおげさにもぼくは火災後すぐ救急車で病院へ運ばれ、その他の検査も含め、強制的に入院させられた。両親は事件のあった晩、すぐに病室に駆けつけてくれた。少なくとも、これで自宅の外構を探したり、エンドウ豆のさやに怯えなくても良くなったわけだ。

 ひょっとするともうなにかとすり替わってるのかも知れないが。


 祖父の研究に関しては、変わらず秘匿され、おそらく今後もあの『ジェネレータ』の存在が表に出てくることはないと思う。政府レベルの機密でもあるらしく、本来ならぼくは身柄を拘束されて当然の立場なのだと、歩桜高校を退職する前日、見舞いに訪れた緑谷先生に明かされた。

 先生は穂村に助けられていた。

 結果、これまでのふたりの関係が勘ぐられることとなり、寮の焼失も含め、学校の不祥事をすべて秘匿したいと考えた前校長から有無を言わせず退職を迫られたという。火災からわずか二日後の失職だった。

 別に本業を持っているみたいだし、彼女自体は別に困ってもいない様子で、やはりなんらかの組織に属する国家公務員なんだろうか。


 祖父の研究していたことは一体なにかと質問すると、腕や肩に包帯を巻いた『フロギー』こと緑谷先生は、少しだけ考え――たぶん明かす情報の機密レベルを確認していたのだろう――、やがて自分を納得させるように一度うなずくと、口を開いた。

「いいわ……博士への恩義もあるから、血縁のあなたには少しだけ真相を話してあげる。ただし、あなたの口からそれが漏れたと分かったら……」

 だいたいそれはおきまりのセリフだと分かっているから、ぼくは神妙にはいと答えておいた。

 祖父のしていた研究は、無機物だけでなく、有機物を含む物質の電送だったらしい。

 発想としては随分古くからあるものの、当時の学問分野にはそれを実現するための理論体系はなく、そのため祖父は変異物理学という独自の理論を構築、実証実験と実験装置の開発を行っていたという。

 寮の――本来は物質電送のための研究所だった――あの壁は、物質電送機の試作で、人間の平面化……二次元化は、その副産物的な効果らしい。


「博士はトラヌタジアス波という未知の存在をご自身の仮説の中で見つけ出し、それこそが物質を無から有、有から無へ変異させると考えていたの。実際にそれがどんな存在か、一応測定器はあるものの、博士以外のだれもそれを実証できた人間はいないわ」

 祖父は莫大な研究資金を捻出するためにあちこちでプレゼンテーションを重ね、なんとか研究を続けていた。アメリカやEU諸国、ロシア、中東など世界各国で自分の研究の目的を率直に話し、賛同者から資金提供を受けていたのだ。

「本当に邪なところのないひとだった。物質電送だって、離れた家族とすぐに会える、というのが研究をはじめる一番大きな動機だっておっしゃってた。家族との時間を大切にし、家族と過ごす時間を守るために、時間を知るだけじゃダメだ。時間を支配できなきゃって」

 流通や交通、軍事まで、物質の電送技術が実用化されれば世界を大きく変革することも可能だろうに、祖父はそうではなく、研究の合間に息子や孫にすぐ会いに行ける、そのことのために、研究していた。

 まったく、じいちゃんらしいや。


「ミボケツ……三保先生……のことは?」

「シボルスキね。あの男は長年、博士に資金提供してきたある国の諜報員。博士の研究成果を報告し、できれば独占したかった。……そんなところじゃないかしら。五年も寮監として潜入してるなんてね。いつ本人とすり替わったのかしら。……私には無理」

 穂村とのタイマンに敗北し、その後の消息はぼくには分からない。きっと緑谷先生の所属する組織に捕まり、いろいろひどいことをされてるんだろうな。


「アクタレスたちには本当に世話になった。あの壁のことや、そのほかのことでもね。もともと教師ってガラじゃないけど、次の人生があればこういうお気楽で太平楽な職業にチャレンジするのも悪くないと思ってるわ」

 世の先生方には聞かせたくない言辞を言い放つ。

「寮の放火事件は、先生たちが彼らをおびき出すために?」

「ああ、あれ? ……ごめんね。あれは直接はトラヌタジアス波によるジェネレータの放電のせいだけど、まあ、アクタレスたちの隠れた遊びが原因でもあるわね」

「隠れた遊び……」

「あの子たち、訳知り顔でクールそうに振る舞ってても結構うぶよ。実は男の子に興味大あり。以前から自分がだれか分からないように変装し、壁を利用して、ときどきこっそり男子寮に忍び込んでた。男の子の生態を知りたかったんでしょうね。……ジェネレータは実験用だからひとりを平面化するだけで精一杯。短時間なら、まあなんとかふたり。三人になると暴走してしまう可能性が高い。私の言いつけは守ってても、そこへ今回シボルスキが別ジェネレーターで外部からいろいろ介入を始めたので、普段ならなんでもない平面化のとき、どこかの壁がひずんで発火、ボヤや放火騒ぎになってたってこと」

 けらけらと笑う。

「はあ……」

 これでミボケツを壁にめり込ませたときにあれの暴走した理由も判明した。

 あのとき壁にはぼくのほかに、もうひとり菜津さんも入ってたからだ。

「……でも、犯人を見た、とか犯人を捜そうとか」

「ああ、それ」彼女は嘆息した。

「きみもおじいちゃん似になるのかなあ。いまどきの高校生にしちゃ、まっすぐすぎるわね。ほら、こどもが探偵ゴッこするような感覚、わかんないかな? 壁の画と人間が協力して事件を解決する、恋に落ちる。真奈がそんなシナリオを描いたんじゃない?」

 ええええええ……人騒がせにも程がある。あの真奈さんまでが? そんなまさか。

「ま、でも、自分が囮になって、真犯人をいぶりだそうというきみの侠気のために、そんなシナリオは成立しなかったらしく、結果的に事件は早期解決したってこと。真奈はきみを見なおしたそうよ。草食系男子じゃないかもって。私からするとまだまだひとを見る目が未熟なのね、あの子らは」

 うーむ。真奈さんにそう評価されたなら、ちょっとうれしいかも。いやいや、そんなことより、なぜ先生……この謎の女性は、こともあろうに、未成年の、未熟でちょっと変わった女子高生を仲間にしようと思ったのか。むしろ、知りたいのはそっちだ。

「でもなぜ……そんな……ひととして未熟な彼女たちに、あの壁の秘密を?」

 ある意味、ぼくにとってこの顛末、最大の謎だった。

 緑谷先生は神妙そうに表情を作る。

「そうそうそれこそ本件最大の謎。私の赴任時、彼女らはもうあの壁の存在を知ってた。……想像するに、出所は穂村家ね。父親から聞いたとか、資料を見つけたとか、それを他のふたりに教えたんじゃないかしらね。だから三人を仲間にしておかなければならなかった。仕方ないないじゃないの。もっと重大な案件なら、情報の出どころを知るために拷問したり自白剤を使ってしゃべらせるし、プロジェクトの邪魔になるならこの世から消えてもらったりしてもいいけど、いまさら、それもちょっとね」

 身も凍るような恐ろしいことを、そんなにさらりと……

「でもね、御鳥くん。先生としての最後の忠告。あの三人には気をつけなさい。あの子たちのこれまでやって来たこと知ってる? 聞いたらあなたなんて目の玉飛び出すわよ」

 先生は散々ぼくを脅したあと、別れの挨拶を告げ、颯爽と病室から出て行った。

 もう、このひとにも会えなくなるのか。

 当然、彼女の所属する組織については一切明かされなかった。


「仕事、いいの?」

 個室に備え付けられたパイプ椅子に腰掛け、リンゴの皮むきをしている母は、手許を注視しながら軽く首を傾けた。

「大丈夫よ」

「毎日来なくたって」

「遠慮しないで。了くん、ひとり息子じゃない」

 母親から大仰にそう言われると照れくさくなる。

 病室の天井をぼうと眺めた。大した怪我もなく、火傷の程度も軽い。なのに、なぜかぼくは個室に留め置かれているのだった。

 病室の空きは他にはなく、だから料金は大部屋並みでもいいという好条件に、母は安堵していた。想定の範囲内ではあるものの、多少の事情を知っているぼくは、そんなウソ臭い理由でも、家計に少しは貢献できたということで、ま、ここにいるのを我慢している。

 先日の緑谷先生の言によれば治療を含む『検査入院』なのだそうだ。つまり、ケガややけどの治療などより優先させて、平面を経験したぼくを先生の組織が『検査』するための入院ってことさ。

 

 病室の入り口をコツコツとノックする音が響き、母親のどうぞという返答と同時に、控え目に引き戸は開いた。菜津さんが顔をのぞかせた。いつもなら勢い良くガラガラと開けるくせに、母の在室を知ったので急におしとやかになったらしい。

「あ、こんにちは。あの、お邪魔なら……」

「いらっしゃい。穂村さん、でしたよね。どうぞお入りください」

 彼女は上下ピンク色の病室着をまとっている。この上階、もっと広い贅沢な個室に入れられているそうだ。地方名士のお嬢さんだし、それは当然のことだろう。

 彼女も『検査』入院なんだろうか。

「あ、イス持ってきます」

「いいのよ、ちょうど外にいくところ」

 言うや母は、剥いたあと八つに切り分けたリンゴを手早く皿に移し、ベッド脇のスチールワゴンに載せた。プラスチックのまな板と、包丁、それに剥いた皮を捨てたゴミ箱を小脇に抱え、菜津さんにイスを譲る。

「あの、やっぱり……」

「気にしないで。ごゆっくりどうぞ」

 出て行く時、母はぼくを少しだけ振り返り、目を大きく見開いて笑みを浮かべた。


 ――だから、そんなんじゃないんだってば!


 母が出ていった直後、奈津さんはバツの悪そうな顔になった。

「タイミング悪かったかな」

「そんなことないですよ、昨日だってすれ違ったじゃないですか」

 ふたりはぼくの病室で二回ほど顔を合わせている。どちらも毎日ここへやって来るにしては、遭遇頻度はむしろ少ないほうだと思う。母には部活の先輩なんだと説明していても、彼女との関係を根掘り葉掘り聞きたがっているのは、雰囲気で分かっていた。今日もまたあとで色々聞かれるんだろう。

「リンゴもらうね」

 奈津さんは言うなり指でひょいとつまみ、ひと口で食べる。ぼくも皿の上のリンゴをとり、半分ほどかじった。ふたりでたてるシャリシャリという小さな音だけ、静かな病室に響く。

「さっき、真奈たちが来てね、瑠栄花先生、辞めさせられたって話、聞いた?」

 それはもう、二日前に知っていた話だ。……ということは、先生はぼくにそれを伝えたってことを彼女に話していないのか。

 見舞わなかったっていうこと?

「わたしたちにひとこともなく……水臭いと思わない?」

 そう言って、彼女はもうひとつリンゴをつまむ。

「なるべく関係してないように気を使ったってことは……」

「今さら? 関係なんか大ありでしょ。顧問だったし、アラは弟だし」


 表向きには穂村との『不適切な』関係も問題ありとみなされた理由のひとつだから、実姉の奈津さんにも何らかの関連を見出そうとしたって不思議じゃない。

 本人だって寮の火災現場で奇矯な格好をして、その結果入院までしているんだから、ますます怪しい家庭と思われても仕方ないだろう。

「……って、あれ? ほかのおふたりは?」

 奈津さんは急な話題の変更に、きょとんとした表情をする。

「沓子先輩と真奈先輩」

「どうして?」

「いや、だって、さっきお見舞いに来たって」

「なに? 後輩のくせに先輩にわざわざお見舞いに来いって?」

「別にそういうわけじゃ」

 彼女は口の端を意地悪そうに歪めた。

「ふうん、別にいいんだ。……本当は来て欲しいくせに。で、どっち?」

 きょとんとなるのは、今度はぼくの番のようだった。

「はあ?」

「どっちが気になる?」

「あの? なんのことですか?」

「沓子?」

「いや、だから」

「真奈はやめといたほうがいいわ」

「菜津さん!」なんなんだこの展開!

「うそよ。ふたりとも見舞いに行くっていってたけど、私が追い返したの」

 ……人の見舞いを勝手に追い返すって、アナタ。

「了くん、まだ具合悪そうで、ご家族もいるしって言ったら、また来てみるって」

 菜津さんは舌をぺろりと出した。

「具合なんか悪くないですから」

「ごめんね。……でも安心した」

「なんで?」

「だって、ふたりに気がないって分かったもの」

「どうして分かるんです?」

「もっと怒るでしょ。少しでも気があったら」

 言われてみれば……いや、いや、納得はすまい。

 彼女のペースに巻き込まれそうになるのを危ういところで踏みとどまった。それにしてもこの人の精神構造はいったいどうなってるのか。

 くやしいから言い返してやった。

「じゃ、ぼくは誰に気があったらいいんです? あ、ひょっとして菜津さんだったらいいんだ」

 菜津さんの顔はみるみる紅潮した。あ、あれ……?

「アイス買ってきたわよぉ」そのとき、丁度よいのか悪いのか、母は戻る。


 アクタレスの来襲はなんと翌日だった。

 母のいない時間を狙いすましたかのように、三人の先輩たちはごく自然に病室を占拠する。

「へえ、ここも結構いい部屋じゃん」

「菜津のところよりインテリアの格は落ちるけど、それなりね」

 沓子先輩と真奈先輩はそれぞれ勝手に人の病室を評価している。

「あんたたち、静かにね。昨日みたいなことになったら、了くんに悪いからね」

 ……という菜津さんの言辞からすると昨日の見舞いで何かやらかしたんだろうな。

「あらあら菜津。なんだかお世話焼きじゃないかしら?」

「ねー。ちょっと壁ン中で一緒になったからって、先走ってんじゃん?」

「そうそう。私たちだって応分の権利を主張します」

 口を尖らせた真奈先輩もキュートだ。

「権利って何よ。あんたたちが来たいっていうから連れてきたんじゃない」

「つーか入院を特権と思ってない? 自分のヘマのせいで煙に巻かれただけでしょ」

「なに!」

「こっちも大変だったのよ。物騒なおばさん相手に逃げたり避けたり。私も入院したいわ」

 その、真奈先輩のアンニュイな物言いに、奈津さんは目を吊り上げ怒鳴った。

「なによこっちはねぇ!」

 あー、昨日もこんな様子だったんだな……

「とっ、ところで今日、京山は一緒じゃないんですか?」

 あたりをはばかるような大声になった三人のやりとりを別な方向へ転換すべく、ぼくはなんとか違う話題を出そうと賢明になる京山の名前を出したとたん、アクタレスたちはピタリと口をつぐみ、そののち顔を見合わせた。

「ナスくんかぁ」

「ナスくん……」

「なに? 連れてきて欲しかったってか?」

 沓子先輩にそう言われ、ぼくも口をつぐんだ。

 良く考えてみると、いろいろ問題あったり、また真意不明の言動も多少あるとは言え、こんな美人三人に見舞いに来てもらっているのは、比較的幸運なことだろう。

 そこに熟れナスがいても、沓子先輩と一緒だから舞い上がってしまうばかりで、ぼくは少しもうれしくないに違いない。

「そういや見舞いに来たいってたけど、それどころじゃない感じかな、ナスくん」

「あら、他人事みたいにおっしゃるのね、久津輪さん」

「もちろん他人事じゃん」

「なになに?」

 奈津さんはふたりの会話に混ざろうとする。

「かわいそうに、沓子の作業のお手伝いをしてるのよ」

「うわ。マジ? カワイソー」

 ケタケタ笑い声を上げる菜津さん。なんだかそんなにひどい手伝いをさせられてるのか。

 それから三人はひとしきり京山の話で盛り上がった。自然、声も大きくなってくる。険悪さはなくなっても、これじゃさっきと変わらないどころかかえって事態は悪くなってる。高い嬌声はおそらく外の廊下にまで響きわたっているはずだった。病室周辺は、ある意味、病院にはおよそ似つかわしくない、朗らかで健やかな雰囲気を醸し出していることだろう。


 幸い、看護婦や医師に咎められることもなく三人の興奮も覚めたころ、例の夜の話を聞くことができた。

 かいつまんでいうと、あの晩、菜津さんの家に来たのはやはり緑谷先生だった。

 シボルスキの動きを検知し、捕まえるための協力要請をしに来たらしい。当然、この件に深く関わっている穂村氏も含めて、だ。

 他方、女子寮側にもシボルスキの仲間はいて、そちらは沓子先輩、真奈先輩の手引きで無事捕まえられたという。

 その仲間というのが男子寮の配膳のおばちゃんだったと聞いて、ぼくは仰天した。

 あのおばちゃんもミボケツみたいに強かったんだろうか。

 ちょっと見てみたかった気もする。

 余談でほかのことも聞けた。アクタレスたちがダブったのは、直接的には緑谷先生の組織に依頼され、あの壁の秘密を保守するためだったらしい。

 おそるおそる理由を尋ねてみると――

「あのね、一生体験できないかも知れないことを体験してるのに、みんなと同じレールに乗って、ただ高校生活を通り過ぎていくのはいやなのよ」

「せっかく面白いひとたちにあって面白いことをしてるんだし、もうちょっとねー、みたいな」

「あまりそういうのにこだわらない性格だからじゃないかしら。焦って社会に出るより、いろいろ経験した方が、人間に深みや落ち着きが出ると思うの。あなたはどう思う?」

 ……以上、菜津さん、沓子先輩、真奈先輩の考え方だ。今後はもう壁に入ることもないだろうから、まじめに残りの高校生活を過ごすつもりのようだ。


 ……どうだかね。


 入院は一週間ほど続き、はじめ菜津さん、次にぼく、の順で退院した。医者には来週もう一度ヤケドの薬をもらいに来るだけでいいと言われている。

 もちろん帰るのは自宅。新たな寮が建設されるまでは、シャトルバスでの通学となる。自宅からの通学はホッとする反面、寮にいる時より早起きも必要になった。

 もっともぼくは短期の入院生活で規則正しく健康的な起床に慣れさせられたから、朝起きは苦にならない。それよりもむしろ、たった一週間でもベッドでゴロゴロしていると、足の筋肉は弱りはて、ちょっと動くだけで全身疲れてくることにびっくりした。学校は火災から三日休校しただけで再開されていて、受験生たちを抱えている教育機関としてはそうそう休んでもいられないらしい。

 せっかく寮が燃えたんだからもう少しサービス休暇をくれても良さそうなもんなのに。

 

 布団から起きだして着替え、寝具をたたんで階下へ降りる。洗面を済ませてから食堂へ行くと、ダイニングテーブルに座って父が、台所では母が朝食の支度をしていた。

「おはよう」

 ぼくのあいさつに、ふたりとも口々に同様のあいさつで応える。先月までは何も感じなかったのに、朝から家族が共にいるってことは、なんだか新鮮で、とてもすごいことのように思う。

「早いのね、もっとゆっくりでも充分間に合うのに」

 母は炊飯ジャーの白飯を茶碗によそいながらそんなことを言う。

「えー。病院にいたからかな。それとも寮じゃ登校の一時間半前に起きるからかな。そんなクセがついちゃったのかも」

「布団もちゃんと自分でたたんでるし、えらいわ」

 母の賛辞もよくよく考えると高校生にしちゃ、恥ずかしいことを言われてるんじゃないかって思える。自分の布団くらい、自分でたたむのがあたりまえなのに、中学生のときはそんなこと考えたこともなかった。

「たったひと月ほどでか。たいしたもんじゃないか、寮生活も」

 食卓上に置いた携帯情報端末で、ふだん通り朝刊各紙を読み比べていた父は顔を上げ、僕を見てそう感想を述べた。

「うん……まあスケジュール決められて、強制的にやらされてるから、しょうがないよね」

 照れともつかない、言い訳めいた返事をする。

「そうか。了也もよく頑張ってるな」

 ことば少ないながら、わずか笑みを浮かべる父の表情に、ちょっとだけ平和な気持ちになった。そのまま三人で朝食を摂る。寮の朝食と献立はさほど変わっているわけでもないのに、家で食べるととても美味しく感じるのは、どういうわけだろう。二杯半目の白飯をおかわりしたとき、母はしげしげとぼくの顔を見た。

「母さん、良かったなって思い直したわ」

「なにが?」

「本当はすごく後悔してたの。了也をあんなところにやって、って」

 気のせいじゃない、目をうるませてる。

「君を寮に預けた日と、保護者説明会に行った日、母さん、おいおい泣いたんだよ」

「ちょっと、ばらさないで」

 暴露した父をぶとうと手を振り上げ、そのままその手で母は目元を拭った。

「あまり食欲なかったでしょ。なにか屈託している様子だし、私にもよそよそしい態度で」

 保護者説明会の日のことか。あれは徹夜明けその他モロモロで疲れてたからだったけど、そんなふうに見られてたとは。

「火事で入院したとき、母さんは絶対にあの学校をやめさせる、って息巻いてたんだよ」

「へえ、そうなんだ」

「でも、了くんの成長には必要なことなんだって思い始めたの」父のことばを引きとり、自分の思いを正直に吐露した母は、にっこり笑った。

「ガールフレンドもできたみたい」

「んな!」飲み込みかけた白飯が逆流しそうになった。

「ほほう。かわいいのか?」

「そんなんじゃない。誤解だよ母さんの」

 父に抗弁するその口調がおかしかったのか、父も母も朗らかに笑った。ちょっと布団をたたんだり、食事をたくさん食べるだけでふたりともこんなにも喜ぶなんて、意外に子供扱いされていたんだと思う反面、なんだか申し訳ないという気にもなった。


 ――結局まだ子ども、ってことかな


 入寮時に感じた否定的な気持ちの多くは家族から急に引き離されたことによって感じる疎外感や孤独感によるものだと自己分析していても、その正体はただ単に、親や環境に対してすねて見せていただけと気づく。

 そうわかって、なんとなく入寮時の心のつかえも取れたようだ。だから、いつか聞いてみようと思っていたことを素直に話してみる気になっていた。


「あのさ。話はぜんぜん変わるんだけど……」

 いざ決心しても、話し方はたどたどしかった。両親の顔に?マークの浮かぶ光景を見ながら、急いで先を続ける。

「冶三郎じいちゃんのことなんだけど」

「なんだ、突然」真っ先に反応したのはやはり父だ。

「ごめん。……あのさ」


 この地域とじいちゃんとの関係を菜津さんのことを抜きに話してみた。


 多少険しい表情をしていた父は、その話の途切れ目に声を発した。

「一昨日、サイエンスパーク関連の地元有力者で穂村さんという方から連絡があってね。娘さんのことを含め、色々とお話を伺った」

「あら、そんなことはじめて聞いたわよ」

「すまんね。話す暇がなかった」

「ふーん。でもたぶんその娘さんよ。了くんのガールフレンド」

「やっぱりそうか? 御迷惑をおかけしてって言ってた」

 一瞬だけお互いの視線で火花を散らしかけた両親は、降って湧いたような息子のガールフレンドの話題に和みはじめる。

「了也、ギャクタマに乗ってみるか?」

「穂村さんの連絡って?」

 古びたはやり言葉には付き合わず、ぼくはあえて突き放したような口調で話の先を促す。

「む、まあ、大部分いま君から聞いたような話だな。それから穂村さんも昔、おやじの弟子だったって」


 じいちゃんの話に、せっかく余裕のあった登校前の時間を使いつぶし、ぼくはもう少しでバスへ乗り遅れるところだった。

 学校までの直通シャトルバスといえば聞こえはいいものの、実際は急ごしらえに用意したと見え、近隣のバス会社から借り上げたおんぼろバスだ。

 車内は既に満員。ぼくは後部乗車口のステップに両かかとを引っ掛け、つり革と手すりにつかまりなんとか乗り込むことができた。体力の減少している身には少々ハードな復帰初日かも。

 でも、そのおかげで社外の風景には恵まれていた。

 十五分ほど走ると、後部乗車口の広い窓の外に見慣れた学校付近の建物も見えてくる。

 寮の跡地を見て驚いた。

 話に聞いていても、遠くに見えるあの光景はちょっと普通じゃない。


 黒々とした瓦礫の積み上がる中、例のブルーグレーの壁だけ、何事もなかったかのように、寮の中心部はここでしたと言わんばかりにそびえ立っていた。朝日を反映し、それはキラキラきらめいている。そのまぶしさに目を細めつつ、ぼくはついさっきまで両親としていた話を思い出していた。

 じいちゃんの死因は過労死、ということにされているようだった。

 幼い頃に見た父の怒りは、どうやら研究に放蕩したじいちゃんに対する怒りではなく、過労で死ぬほど働かなければならなかった不遇の研究者への世間の不理解に対して、だったらしい。

「ワケ分からん研究をしてたけど、家族にとってはいい父親だった。でなきゃその息子も研究者になんてなるはずもないだろ?」

 物理学との関連もありつつ、分野の全く違う工学の研究者になったわけだから、確かに父もじいちゃんのことは尊敬してたんだと思う。幼い頃の記憶を、こうやっていま再検証してみると、『人の死』という、子どもには理解しがたい、不確かで、不気味な現象に対する印象はずいぶん異なってきた。


 目を細めながら、遠くにきらめく例の壁を注視する。

 ――あそこに、いたんだな

 じいちゃんはもういないけど、その成果の一端を、ぼくは家族の誰よりも深く体験した。しかもそれは、世界を揺るがすような、世界の誰もが欲しがるような、そんな研究なんだ。

「まぶしいな、モニュメント・ゼロ」

「こええよ、あれ」

 不意に脇からぼそぼそ声の会話が始まる。横目にちらりと見ると上級生らしき男子学生たちだった。

「昔、なんかの研究してたってな、あの寮」

「じゃ、呪いとか?」

「研究所、ってんじゃん。なんでオカルトなんだよ」

 知らない人間から見ると不気味で恐ろしい事象のひとつであっても、ぼくにはそうじゃない。

 ――ああ、そうか

 ふとひらめいた。あそこに立っている壁は、事実無根の恐ろしげな物体ではない。もちろん、じいちゃんの研究の残滓でも、墓標でもない。あれは御鳥冶三郎という稀代の研究者が、家族のもとへ早く帰りたい一心で発案した、家族への強くて大きな気持ちの、具現化した姿なんだ。

 見てよ、あの堂々とした威容を。

 火災にも耐えぬき、廃墟に凛と立つ姿を!


 ――じいちゃん。わかったよ。


 学校へ近づくに連れ、バスは寮の跡地にも近づいていく。目の前いっぱいに広がる壁に、了くん、と声をかけられたように思えた。


 クラス内はすっかり様変わりしていて、それは、他校へ転出した人間が結構いるからだけではなかった。たぶんみな、自宅から通う、ということのありがたさに気づいたのだろう。だれかに対し虚勢を張る必要もない、弱みにつけこまれることもない。逃げも隠れもできる場所があるってことは、ひとの心になにかしら余裕をもたらすと見える。その証拠に、あちこちで談笑するその笑いの質は以前とは全く違うんだ。

「よー、御鳥、もういいのか?」

 何人かの顔見知りは、気さくに声をかけてきてくれて、ぼくもそれに笑顔で応えた。

 自分を受け入れてくれる場所があるだけで、こんなにもひとは他者に寛容になれる、なる、ってことかな。


 放課後、久しぶりに部室を訪ねた。部室内は間近に迫ったやのべつ敬老会用の演し物の準備に追われ、てんてこ舞いでもしているかと思ったけど、それは違った。

 いま部室にいるぼくの横で、沓子先輩はもう堂々とフォトジェニックマスクを作っている。別にGWの演し物に使うものではなさそうだ。真奈先輩はもちろんパソコンに向かい、敬老会向けの台本の修正に没頭している。菜津さんは……『魔女高生ルリムウ』のDVDボックスを鑑賞していた。退院後、コスプレをして男子寮に侵入したとして、学校から一週間の自宅謹慎を申しつけられるなど、もとの『魔女高生』にはおよそ似つかわしくない処分を受けたと聞いた。表面上本人はふくれ面をしているけど、敬老会の演し物のある、GWの課外活動後まで執行猶予をもらえると聞き、かえって連休が増えたと喜んでいる。

 京山だけ演し物の準備に使いっ走りとして、先輩三人の用事で外に駆り出されていた。

「オオバがさあ、ルリムウの後番組にレビュー書いてるのよねー」

 沓子さんは顔も上げず切り出す。例のアニメ評論家の話だ。聞くところによれば、サイエンスパークにいる彼女らの知り合いらしい。名前や状況からして、あのエセ催眠術師のことなんじゃないかと、ぼくは勝手にそう確信している。 

 ――あの夜。

 菜津さんの語ったじいちゃんとの話をもう一度じっくり聞いてみたい。本当は緑谷先生にも確認したいことがあるけど、それはもう無理か。

 でもいいさ。知る必要のあることはいずれ明らかになる。

 このひとたちとぼくの関係は始まったばかりだ。なにしろ、知り合ってからまだひと月も経っていない。最初から全部を望んで得られるはずもないし、これからひとつひとつ自分で確かめていけばいい。


 ――まずは、


「ねえ、さっきから聞いてるのに、いい加減、教えて下さいよ。主にだれがどのキャラクターを担当してたんですか」

「まーだ、その話してるの? もう、だれでもいいじゃない。わたし、ルリムウ」

 菜津さんはDVDプレイヤーから目を離さず、真っ先に手を挙げた。

「私もー、ルリムウでーっす」

「はい、ルリムウしたことあるわ」

 沓子先輩、真奈先輩もそれに続く。

「ん……じゃ、質問変えます。お願いします。これひとつだけでいいから教えて下さい。初めてぼくが男子寮の倉庫で見たルリムウは、一体どなたのコスプレだったんですか?」

 沓子先輩と真奈先輩が顔を見合わせた。

 菜津さんは画面から顔を上げ、ぼくを見る。


 ――あ、やっぱり…… 


「なぜ、そんなことを知りたがるの?」菜津さんの口は尖った。


 だって、あれが重要じゃないか。

 あそこでルリムウを見かけなければ、ぼくはここにいなかったんだ。

 そのきっかけの真相を知りたいのは当然だろう。


 やがておずおずと手は挙がった。


「あ、わりぃ。たぶん、それおれ」


 ソファでマンガを読んでいる穂村だった。


 ――お ま え か !


 もうイヤ、この部活。


<<了>>

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ディメンジョンハイスクール/歩桜高校二次元部 九北マキリ @Makiri

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