援助交際の末路に
始めての実験台。
「高校生」とサイトに書き込むだけでろくでもない大人はいくらでも寄ってきたからここに来るまでは簡単だった。
舞香は男の要望で制服を着たまま下着だけ脱ぎ、ベットの上で行為が終わるのを待っていた。
ラブホテルで落ち合った名も知らない40代らしき男は、一心不乱に腰を振っている。普段身なりを気にしないのか、よれたスーツは適当に床に投げ捨て、口臭もひどい。
写真じゃこんな気持ちの悪い人だと分からなかったなぁ、本当にしまった。
そう悔やみながらも今更止めたくなかった。
汗ばんだその男の皮膚の感触を嫌がりながら、彼女は早く終わらせる為によがる演技をしている。
そこは大通りから外れた細道の先にある、田舎の寂れたホテルだった。無人状態で誰にも会わずに部屋へ来れる。
まわりには田んぼや小さな雑木林ばかりで、ベット脇の窓から見えるのはどこまでも続く夜の闇。
ここから見える人工的な明かりは点在する街灯と数百メートル先のコンビニだけだ。
ここまで来るのには2時間以上かかる。
舞香は慎重に、人にばれないようにわざと遠いホテルを指定していた。
「本に書いてあった事は本当にあってるか」
彼女は優しく笑いながら内心実験の開始に胸が高鳴っていた。
一方男は、艶やかな若い肌と美しい容姿の少女にこの上なく欲情していた。
舞香は出会い系サイトで実験台にこの男を選んだ。ホテルで1泊、ゴムは付けるという条件だった。
家庭がありながら欲のままにここへ来た最低な男。口を開けば嫁や職場、周囲の人間の悪口ばかり。この人なら殺しても大丈夫と舞香は判断した。
「おじさん、私お酒持ってきたんですけどのみます?」
行為終、舞香は缶ビールや菓子が入ったコンビニ袋をベットの上に取り出した。
「え、ナナちゃんお酒飲むんだ?」
シャワーを浴びて男は戻ってきた。
ナナ とは舞香の使っている偽名だった。
制服姿で来ていた舞香がどこで酒類を調達したのか、男はいささか驚いている。
「お兄ちゃんが買って、冷蔵庫に入ってたのを勝手に持ってきたんです」
にっこりと微笑みながら少女は返した。
そういう事か…と男は納得した様子。
「大人しそうな子でも飲むんだねぇ…。こんな美人ははじめてだけど、お酒持ってくる子もはじめてだよ」
そうなんですねぇー、と舞香は軽く受け答えてドアの近くのウォーターサーバー用のコップの元へ行った。
缶ビールを空けて2つのコップに注ぐ。
「妹キャラって甘え上手でいいよねぇ、お兄ちゃんいいなぁこんな可愛い妹いるなんて。僕の姉なんて不細工でデブで最悪なんだ…不公平な事ばかりだ」
舞香の後ろ姿を眺めながら男はボソボソと話す。
「うーん、甘え上手とかって違う人間なんだから人それぞれじゃないですか?くくりで性格決める大人嫌いだな」
ビールを注いだコップを男に手渡す。
心のなかで「あと僕って言うおじさんも嫌い」と呟きながら。
「ナナちゃんには嫌われたくないな、ごめんね!」
「いいですよー」
と言いながら舞香の興味はお菓子に移った。テレビをつけて自分用に注いだお酒を飲む。本当は飲んだことなんてなかったからほんの少しだけ。
それにつられて男もコップに手をかける。
喉が渇いていたのか一度で飲み干した。
舞香は床に置かれた空のコップを横目で確認した。
「ナナちゃんおじさんのセフレにならない?お金また出すからさぁ。 好きになっちゃったよ」
「お金ないって言ってたのに?」
「大丈夫どうにかする!」
男はまた舞香に触ろうと手をのばした。
すかさず手を払いのけて立ち上がる。
「…」
「ナナちゃん?」
「…奥さんいるのに?本当キモいな」
舞香は男を見下す形で吐き捨てた。
隠していた嫌悪感から口に出してしまった。密室で自分より力の強い大人への攻撃的な態度は危険だったが、気持ち悪さに耐えられず。
さっきまで朗らかに笑っていた少女の急変に男は面食らって「え?え?」と動揺している。
「ナナちゃん本当は女王様キャラ!?そんなキモいとか言うのやめてよー!」
戸惑いながらも男はへらへらと笑った。
「もしかしてセフレなんて言ったから怒ったのかなぁ?」
「違います、あなたが気持ち悪いってだけなんで」
「え…」
男の作り笑いしていた口角が下がる。
「自分を棚に上げて回りの悪口ばっかだし、引きますよ。しかも口が臭くて…」
男は自分を否定される事に敏感なのか、怒りで涙ぐんでしまった。
急に泣き出すおじさんに舞香は驚く。
「僕がどんな想いでここへ来たか…」
泣くなんて中身が幼稚な人なんだなきっと、と舞香は立ち上がったまま男の様子をじっと見つめる。
「その目をやめろ!お前みたいな援交してる女に…!」
舞香の胸ぐらを掴もうと立ち上がった男は突然、よろけて思いきり床に倒れた。
隣の女へ向けられていた目線は、数秒して一ヶ所に定まらなくなった。
「!? なんだ…」
男にはぐらぐらと世界が揺れて見えた。
少女のこちらをじっと見つめる顔、テレビ、ベット、白いフローリング、花柄の壁紙…目まぐるしくごちゃごちゃと混ざりあい、そして暗闇が訪れた。
ビールに入れられた睡眠薬が効いたようだ。
まさか自分がこの少女に殺されるなんて夢にも思わず、男はぐっすりと眠ってしまった。
数分、舞香はベッドに座って様子をみていた。
うつ伏せで横たわる男を手で押して、まっすぐ仰向けにさせる。腕のあたりをつついてみたがなんの反応もなく、グゥグゥ寝息をたてている。つねっても顔を叩いてみても反応なし。
「睡眠薬ってこんな早く効くんだ」
ポツリと呟く。
まず一つ目の成功に、舞香は悦び無邪気に笑顔になった。
「さて、次は」
ピンクのペンケースの中からビニール袋を取り出した。男の様子を見ながら、袋から中身の注射器を出す。注射器にはあらかじめ溶かしておいた液体が入れてある。
いざ構えてみると、鼓動が早まるのが分かる。本当にこんな量の液体で人は死んでしまうのか、不安と期待が入り交じる不思議な感覚だった。
スマートフォンで脈拍を測れるアプリを起動する。どれくらいかかるのか分からなかったので、数分ごと測ってみようと考えていた。
死んだかどうか見て判断できるのか心配で、聴診器も持ってきていた。
書き残す為にノートとペンも用意する。
どこに射せばいいかは本屋の医療系の参考書でだいたい勉強して覚えていた。
注射器を片手に寝転ぶ男に近づく。
皮膚の上から見える一番太い血管を見つけて、そこに針先を当てる。他人に注射をする行為が初めてで、皮膚に針が食い込む感覚に身震いした。そして漏れてないか見ながら、少しずつ液体を流し込む。
注射器の液体をすべて出しきった。
男の脈を測る。あとは0になるのを待つだけ。
5分感覚で測りしばらくして…
息が聞こえなくなった。
男の顔に耳を近づけてみても何も聞こえない。聴診器を男の胸に当ててみても無音だった。寝ている時と何も様子が変わらなかったので、本当に死んだのか不思議に思えた。
聴診器の使い方を間違えていないか、舞香は自分の胸にも当てたがしっかり心音が響く。
男の心臓が止まったんだと確認できた。
本当に死んだ。あっさりと簡単に。
まったく苦しく無さそうだった。男は、最期まで寝ていて何も気付かなかったのだろうか。それとも息が止まる前は意識は残っていて、恐怖があったのだろうか。
舞香にはそれは分からなかったが、自分の手で安楽死が成功したという達成感を感じた。
忘れないようにノートにまとめて、スマートフォンから電話で迎えを呼ぶ。
フロントにも人が来るから通してほしいと連絡を入れた。
このラブホテルの監視カメラは入ってすぐのフロントに1台しか無かった。しかも写す範囲が狭くほとんど意味がない。もちろん部屋には何もなかった。
舞香はこの日、1つだけ後悔した事があった。不潔な男に触られる事がどれだけ気持ち悪いかを想像してなかった事だ。
臭いと肌の感覚を思い出すだけで吐き気を感じた。
行為する前にどうにか飲ませてしまえば良かったのだ。怪しまれないようにとタイミングを伺っていて結局してしまった。
次からは飲ますだけで済むようにしようと舞香は私物を片付けながら考えた。
帰る支度が出来た頃スマートフォンの着信音が鳴った。画面には『上原』と表示されていた。
「前ついたよ、入っていい?」
「うん、ありがと」
舞香はそう答えると電話を切り、ドアに向かう。入口の明かりは最初からつけたままだった。
すぐにドアが開き、上原という長身の男が現れた。20代後半で無造作な黒髪で体型は痩せ型。Tシャツにスウェット生地のズボンに草履という服装だった。
「上原さんお待たせ」
「どういたしまして、舞香ちゃんの為なら何時間でも平気よ」
そう言いながら草履を脱ぎ部屋へ入る。
上原はふざける時などたまに、面白がってかおねぇ言葉を使う男だった。
上原は新米の精神科医をしている。
趣味で運営しているアダルトサイトの管理人とも言っていた。素人の主婦や学生との行為を自撮りして載せているらしい。以前頼んでもないのに見せてくれた画像フォルダは、裸の女性との合体写真で埋まっていた。
舞香とは3年程前に知り合っていたが、素性はよく分からない。
「うわ、死んでるのこの人?」
「うん」
「へーすごい寝てるみたい」
上原は部屋に入ってすぐ、ベッドの横で仰向けになっている男を見つけた。
顔を見ようと近づいたかと思うと、急に足を止めて鼻をつまんだ。
「おっさんくさ!加齢臭ってやつ?舞香ちゃん平気だったのこれ」
眉間にシワを寄せながら、ソファの上で体育座りになっている少女を振り替える。
「気持ち悪かったけど、なんとか」
俺は苦手だ、とぼやきながらも上原は男の死体を眺めていた。
しばらくして、男の私物もすべて回収して2人は部屋を出た。死んだ男を上原が担ぎ運ぶ。
男は端から観ると泥酔して運ばれているようだった。荷物を持った舞香が後に続く。
監視カメラに映らないようにフロントでは壁沿いに歩いた。
県外のラブホテルにも異様に詳しく、ここを勧めてくれたのも上原だった。
上原が、クサいと涙目になりながらも駐車場までたどり着いた。
上原のワゴンタイプの白い車の他に、駐車場に停まっているのは2台だけだった。どちらかが今日会った男の車。鍵は男のズボンのポケットの中にあるのを上原は確認していた。
「あのさ、この人とさ…」
死体を後の席に座らせながら、上原は小声で問いかける。
「何?」
「…最後までしたの?」
「セックス?しちゃった」
「やっぱり!こんっな不衛生なのとしてたら性病になるよ舞香ちゃん!なんか変だと思ったら検査しなよ」
彼はまるで親のように世話焼きだった。
上原さんに言われてもなと感じながら、舞香はくすっと笑う。
「うん、そうする」
「長いからまさかなーと思ったけどさ、はぁ…」
溜め息まじりに上原は運転席に向かう。舞香も助手席に座った。
エンジンのかかる音がして、車が動き出す。
タイヤと砂利のこすれる音が静かな暗闇に響いた。小さな街灯以外の光源のない中で、コンビニの蛍光色が異様に目立つ。
そして1時間程して県境に差し掛かった。
「舞香ちゃんどうだった?知りたいって言ってた事分かった?」
「うん、けっこう分かったよ」
「なら良かったわ。じゃ、このまま家まで送るから」
舞香の自宅まで15分圏内に着いたあたりで、ボリュームを落とした深夜のラジオ番組のコーナーで邦楽が流れ出した。上原は曲に合わせて鼻歌を歌ってる。舞香は知らなかったが、1980年代のヒット曲らしかった。
曲が終わり舞香の見覚えのある道が見えた頃、上原は舞香に話しかけた。
「舞香ちゃん何が知りたかったの?墓場に持ってくからさ…俺だけに教えてよ」
舞香は隣に座る男の横顔を見た。
平坦で暗い田舎道、表情は分からなかった。
どんな状況でも、味方として手伝ってくれる上原を舞香は信頼していた。
「私はね、痛くない死に方を知りたい」
―あの人達のようにはなりたくない。
心の中で呟く。
「自分の最後がどんなだろうと想像すると毎日怖くて仕方ないの。頭がおかしくなりそうなくらい、怖くなる時がある。死ぬほどの痛みや苦しみが今から怖い。けど日本だと安楽死ができないんだよね」
隣の男は軽く相づちをしながら、ゆっくりと聞いてくれている。
「だから自分で、大人になる前に苦しまずにきれいに死ねる方法を調べておきたい」
―悲痛に歪む最後の顔がフラッシュバックする。私はあの人達のような死に方は絶対にしたくない。
「それが知りたいだけ」
舞香は最後にそう小さく呟く。
自宅近くの道路に下ろしてもらい、助手席のドアを閉めた。上原は「後は任せて、おやすみお嬢ちゃん」とだけ言って行ってしまった。
少女の死に方 @Kana_
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