感想
手記は、ここまで書かれて終わっていた。私がこれを見つけたのは、祖母の兄弟であった大叔父の蔵書を整理していた時であった。なにせ、どれも古いものだから、私は帰省ついでに、また母に厄介事を頼まれたと思っていたのだ。
大叔父が、新聞記者をやっていたということさえ、私は知らなかった。そもそも、生まれてこのかた、今日になるまで、大叔父の存在は私の人生に存在しなかった。問題の書棚だって、子供じみた古い小説ばかりが目立って並んでいて、私は一目見たきり、触らなかったのだ。しかし、私はその埃っぽい図書の間から、丁寧な字でつづられた薄い冊子を発見した。
この手記は、書棚には他に残っていない、大叔父の仕事ぶりを証拠立てる、わりあい適切な資料だと思われた。そこで私はわざわざ図書館や過去の新聞記事をコレクションしているその手の「専門家」を訪ねた。そうすると、私の大叔父はごく一部の人間にとっては、それなりに著名な男であったようだ。
そのせいで、私は見知らぬ大叔父に対して、急に魅力を感じるようになった。なにせ私の専門はメディア史であったし、大学まではいかないまでもパブリックスクールで教鞭をとっていたからだ。頭があがらない。
私なりに調べた結果、かの有名な女王と大叔父には、それなりに「懇意な」関係があったものと言っていい。もちろんそれは、女王と新聞記者の表面的な関係を逸脱したものでは無い。記者として透徹していた大叔父には、ある種の才能があった。それは、対象について「事実」を語りながら、まるでそれが「大嘘」であるかのような筆致で、読者を楽しませたことである。コレクターから見せてもらった記事からは、そのようなことが読み取れた。
その才能のせいで、それほど大きな記事を書かせてもらうことはなかったようだが、大叔父の書いたことが本当か否か、そんなことを議論して時間をつぶす人もいたのだと言う。
かくいう私だって、現代ならば「ふざけすぎ」の烙印を押されてほされるであろう大叔父の書くことなんて、身内でなければ、擁護しない。でも、ここはとりあえず信じるのがいい。なにせ、大叔父の見ていた時代は、私が研究上知り得たその時代の風潮とは、一線を画しているようだった。大叔父は、一言で言ってしまえば、「変わり者」だったのだろうと思われる。大叔父とは、近いものを感じる。
私は、この手記の内容について、とりあえず困ったことになったと思った。論文でも書けるかと思ったのだが、大叔父が手記にしか残さなかったことである。どの図書館にも、大叔父の書いた一番大きな記事、それは女王のアメリカ訪問についての、めずらしく平凡な記事はあるものの、それを書いた記者が、女王について、何か重要なことを知っていたなんて、誰が思うだろうか。
それに、ゴシップ専門のコレクターのところにあった、手記にあった女王「暗殺」に関する記事は、発行される前に、のぞましくない修正をかけられた上に、「お騒がせな内容」として、女性用の下着を売る広告欄の隅にあったのだ。そしてその広告には、女王死亡にひっかけて、『完璧な女王が下着にまで完璧であったのか それは永遠の謎になってしまった しかし女王には見せるような相手がいなかったのは確かである そこのあなたも完璧ですか?』と、長ったらしい嫌味な文句が並んでいた。
私は、少なくとも、その有名すぎる完璧な女王の信奉者であるし、当時の人びとが書いたことの「辛辣さ」には、実は胸焼けがするほど嫌なのだ。だから、私の関心は、長く他国の現代史に向けられており、慣れない言語で書かれた資料を読み漁るのが専らの日課になっている。だから、あまりにも慣れた自国の言葉で書かれた当時の記事や、広告、それこそ直接にあたれる資料全般について、それほど細かく当たることは、避けていた。
概略については、それこそ、あまたの研究家がいて、読みやすい専門書もごまんとある。女王専門の研究者もたくさんいる。それこそ大半は女王の信奉者なのだが、たまに彼女を揶揄するのもいて、それは有能な女性一般に対する僻みに取りつかれた男の「鬱憤」が詰まったようなもので、読むのも堪えない内容だった。
そういうことを思い返しながら、私は、とりあえず何か自分の立場から大叔父のことを含め、女王に対する自分の思いを吐露するに至ったのだが、私には、大叔父が書く予定だったはずの手記の続きが無いことが、やはり悔やまれて仕方がない。大叔父は、女王の知られざる一面について、書く予定だった。それが、無い。
ページが破れた形跡はない。続きがよそに書かれた可能性もあったから、大叔父の書いたものを他に探したが、残っていない。やきもきした私は、大叔父の書いたものが誰かの手によって盗まれた可能性も考慮したが、母によると、母が幼いころ、大叔父は大往生の末、家族に看取られた幸せな人であったらしいし、そんな物騒な話があったなんて聞いたこともないし、想像だにしないと言う。
そうすると、大叔父は書こうとして、たんに忘れたか、熟慮の末ためらったかである。
手記を何度も読み返したし、空いたページに何か痕跡が残っていないか、それまで丹念に調べたが、出てこなかった。手記には察しの通り肝心なことが何も書かれていないのだ。女王を殺した男の名前だって、イニシャル一つ書いてない。女王がまだ王位に就く前に、貧しい子どもたちを集めて学校のようなものを開き、教育を施していたという話は知られているが、特別面倒を見た子供の話なんて、誰も知らない。
女王の寵愛を受けた一般人の子どもなんて、それこそ記者から見れば面白い話にもなりそうだが、大叔父にとっては、「言うまでもないあの子」ぐらいの親近感だ。それに、彼の代わりに暗殺の金を、彼の家族に渡したような経緯もある。
本当に渡したのか、それならいつ、どこで渡したのか、それだって、何にも書いてない。大叔父の生活圏をあたって調べてみたいが、どうだろう。この町もこの4,5十年で様変わりして、すっかり奇抜な風合いの街並みになってしまった。大叔父のことを知っている人間をあたるのは、至難の技だろう。
この情報の無い中で、勝手な想像力をふくらませてしまうと、こんな小説が書けそうな気がする。タイトルを付けるなら「Queen’s fairness」(女王の公正)。内容は女王の秘密の恋人と、暗殺の真実について。私なら、女王が自らその暗殺者をたきつけたのだと書くだろう。望まない死なんて、女王には似合わない。それに、女王が完璧であったと言うのは何も手腕に限らず、その美貌も「完璧」の域に達していた。だから、女王さえ望むのなら、どんな相手も選べたはずなのだ。
そう考えるのは男の視点だからなのかもしれないが、私には、女王が望んだ相手が彼女の「完璧」にそぐわない相手であったからだと、思う。それも、彼女の「女王」としての紀律にふれるような、そんな秘密の相手であったら、彼女はどうしただろう?
私は、大叔父の言葉を借りて、女王が「自分の息子のように愛した少年」を、唯一本当に愛した相手であったのではないかと察する。これはあくまで想像だし、それ以上でもないが、もし、大叔父の書かなかった女王の完璧さの「理由」を求めるならば、私は、彼女に生じた何らかの良心的呵責と、女王としての体面の間で、彼女自身が自分に科した罰のようにも思えるのだ。
しかし、もしその自虐的な「完璧さ」を想定した上で、彼女の好んだ「皮肉」を付け加えると、私には、やや複雑な思いが残る。
彼女は完璧であり、倫理的にも申し分が無く、仕事ぶりも何もかも、期待される以上のことができた女性である。しかし、彼女が自分の最期に望んだのは、もっとも卑怯な方法で、国民を裏切る死に方であったと言えるのかもしれない。彼女は自身を罰する様に生きたくせに、最後の最期で彼女は一個の女性であり、その「公正さ」に、自分で傷をつけることを選んだのだ。
私は大叔父のせいで、ひとりで裏切られた気分だ。自分の想像上の「女王」に対して、私は致し方のない憤懣を抱いた。こんな小説は書いてもいいことなどない。それに誰が読みたがるだろうか。私だって話の筋は考えたものの、細部まで書くのはできないことだ。発見した手記も、嘘かもしれない。この嘘に嘘を重ねたら、私はつまらないゴシップ記者になってしまう。書く前にやめておくのがいいだろう。
一言だけ、歴史に疎い方に説明しておくと、女王の「暗殺」以後、我が国には彼女以上の君主は現れていない。それに彼女が死んでから、民主主義と議会が存在感を増して、頻繁に実力者が交代した上に、大きな戦争もあった。だから彼女の死は、新しい時代の節目となって、我が国の歴史の重要な転換点となった。それだけは、感謝してあまりあることである。大叔父だって言っていた。女王の死が「惜しい」わけではないと。何事も、あるようにしかあらないのだからと、自分を納得させてみる。
トーマス・F・ゴードン記す
QUEEN's FAIRNESS-残された手記より ミーシャ @rus
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