第三十話「逆転へ」
「やぁやぁ、これはこれは、みなさんお揃いで」
牛守神社の境内の真ん中を胸元に銀色の
「宗像先生、ご足労頂きありがとうございます」
僕は心にもない言葉を述べる。
「本当に遠いところだ。高速を使ってしまったよ」
大物弁護士である宗像は、都内の一等地に事務所を構えているが、車で来たらしい。今日は背後について回る黒服の男が見当たらない。自分で車を運転するとも思えないし、タクシーを使ってきたのだろう。僕は宗像の事務所よりも遠い場所から電車でさらに時間をかけて来たのにと思うと嫌味の一つでも言ってやりたいが、これから交渉をしなければならない身として、ここはグッとこらえた。
「貴重な時間を割いてまで来たんだ。良い話なんだろうね」
「和解には
「別に互譲のない和解は無効となるわけじゃない。
「存じております」
宗像は自分の言葉を遮られ少しムッとした表情を見せる。
「私たちも争いたいワケじゃない。それはお互いに一緒でしょう。ぜひ解決に向けて前向きなお話をさせて頂きたいですね」
僕は最大限の笑みを作るが、頬が引きつっているのが自分にも分かった。
「それは君たち次第だよ」
宗像との交渉前の舌戦、前哨戦を切り上げると京姫たちの自宅を兼ねた社務所へと向かう。
以前にも来たことのあるモダン和室の応接室。
宗像は迷わずに上座に座る。相変わらず遠慮のない奴だ。
「早速ですが、宗像先生、先日頂いた内容証明ですが……」
先日、宗像が牛守神社に乗り込んできた翌日、宗像の名前で
「それが我々の要求だ。それ以上でも以下でもない」
「えっとですね。色々とお話したいことはあるのですが、まず、今回の事件は私が正式に受任しましたので今後一切の連絡は私を通してお願いします」
「ちっ、こんな若僧が出しゃばりやがって……」
宗像がこちらに聞こえるか聞こえないかの声で呟く。
「え、何か言いました?」
「なんでもない」
「そうですか。それでは、あの、内容証明に書かれたことにお間違えはないですか?」
「どういう意味だ? 私が内容証明如きを間違えるとでも思ってるのか?」
宗像は怒りを露わにする。
しかし、僕の事務所のようにスタッフもろくにいない事務所と異なり、宗像が所属しているA&Lほどの事務所ともなれば何百人という法律専門のスタッフがいる。弁護士本人が内容証明郵便を作成する必要もないだろう。
もしかしたらこれも宗像の戦術の一つなのかも知れない。
「とんでもない。先生ほどの方が初歩的なミスをされるとは思いませんが、状況というのは常に変わるものでしょう」
宗像の表情が僅かに変化したのを僕は見逃さなかった。
「そういう意味だ?」
「内容証明を出された時にあった状況が、今も存続しているとは限らないということですよ」
「法律家の悪い癖だ。端的に言ったらどうだ」
「先日は一緒にいらした黒服の方々は本日はいらっしゃらないのですね」
「それがどうした?」
「いえ、本日はどちらにいらっしゃるのかと思いまして」
「そんなことを知ってどうする。奴らも暇ではないんでな。どっかの高校生とは違ってな」
「そうですね。普通の高校生ならば、警察ならともかく検察に話を聞かれる機会なんて普通はないですからね」
「!!」
宗像の表情が明らかに険しくなる。
「あれ、ご存じないという顔ですね。最近何やらこの辺は物騒らしくてね。黒服の怪しい男たちが土地を売ってくれと言って回っていたらしいんですよ」
「そ、それがどうしたというんだ。何の関係がある?」
「何やら、この牛守神社の付近で大規模な開発が行われるらしくてですね、それに関連した地上げ行為が行われているらしいんですよ」
「き、貴様は、この私が地上げに加担しているとでも言うのか!」
「まさか! 私は、弱者の人々の味方である宗像先生には関係のない話だとは信じていますよ。ですが、信じていない人もいるんですよ」
宗像が何かを言い返そうとしたその時、タイミングよく携帯が鳴る。
「出てもよろしいですか?」
「…………」
宗像の無言の返答を肯定と受け止め電話に出る。
『宗像先生はいらっしゃいますか?』
「はい、いますよ」
『代わって頂けますか?』
「はい」
僕は自分の耳から携帯を離すと宗像に渡す。
「宗像先生と是非お話をしたいという方からです」
「誰だ?」
「…………」
宗像は僕の携帯電話を受け取ると耳に当てる。
「宗像ですが……。はい、はい…………分かりました」
宗像は、見せたこともないような苦々しい顔をして携帯電話を僕に返却する。
「貴様……何をした?」
「僕が何かをしたわけじゃないです。僕の依頼人や知り合いは優秀な人が多くてね。僕は彼らが自分のすべき事をできるように後押ししただけですよ」
「……くそっ。急用ができた。今日はこれで失礼する!」
「そうですか、残念です。次の日程については早々にご連絡させて頂きます」
「覚えとけよ」
「幸い記憶力には自信がありましてね」
宗像は振り返り何かを言おうとしたが、言葉を飲み込むと足早に去って行った。
先日の訪問後、玲於奈の父親來音は、検察に対して証言をした。
レオーネは、その事業拡大にあたってアスブライトから出資を受けたこともあり、色々な要求を突きつけられていたらしい。來音とレオーネは、予想通り、工場用用地という名目の下、多くの土地の購入を
検察は、他にも情報提供者を集めていたようでそれらの証言を得て、アスブライトが地上げを行なっていた確証を得た。
そして、その後の捜査でアスブライトが藍孔建設土地開発という不動産会社に資金を提供し立ち退き交渉を行なっていたということが明らかになった。
藍孔建設土地開発の社長は非弁行為をしたとして弁護士法違反で起訴され、アスブライトは起訴こそされなかったが、事実が明るみに出たために新電波塔建設プロジェクトからは辞退という形で降ろされることとなった。
また事実が明るみになったことで世間の目を気にした大型出資者が次々とアスブライトから出資を引き上げたため資金不足となったアスブライトは結局日本から撤退することになった。
新電波塔建設プロジェクトは、武蔵商事を中心に武蔵鉄道、武蔵建設という地元を基盤とする有力企業グループである武蔵グループが引き受けることとなった。
そして、牛島神社の土地問題については、服部の助言を受けた僕の、不法占拠容認や無償貸与は政教分離原則に抵触し違法だが、無償譲渡は違法状態を解消するためにやむを得ない措置であり、政教分離原則には違反しないという主張を都が受け入れ、無償譲渡するという合意を得た。
今日はその報告をするため、牛守神社へとやってきた。
あらかじめ、無償譲渡するという合意を得たと千姫には電話で伝えてあったので千姫や京姫が驚かなかったのは不思議ではなかったが、なぜだか二人が申し訳なさそうな顔をしていたのが気がかりだった。
その理由はすぐに判明した。
モダン和室へと案内され、出されたお茶を飲みながらしばらく待っていると、ふすまがスッと開いて京姫、千姫に続いて年を召した男性が入ってきた。
見た目の年齢や千姫と京姫の態度からきっとこの男性がこの神社の宮司であり、京姫の祖父だろうと推測する。
「お待たせしました。私は、この神社の宮司をしております
どうやら京姫の祖父は無事に退院したようだ。元気になって何よりである。
「いえ、こちらこそ色々と勉強させてもらいました」
お互いに深々と頭を下げておじぎをする。しかし、この挨拶の仕方は何度やっても慣れない。
「それでですね。お電話でもお話したかと思いますが、都の方とこの土地について合意ができましたので書類をお持ちしました」
「これは、これは、ありがとうございます」
そういうと博光は書類を受け取り中身の確認をする。
「そのことについてなんですが……」
千姫が申し訳なさそうに口を開く。
「何でしょうか?」
「無償での譲渡まで漕ぎ着けていただいて、大変申し訳無いのですが、実は……この神社は明け渡すことになりました」
「……………はい?」
「それが、先日、武蔵商事の方がいらして立ち退きについて祖父と話し合いの場をもったのです。それで……、その……、大変申し上げにくいのですが、父が相手の方の提案を非常に気に入ってしまい、あっさりと……受け入れてしまいまして」
あまりに突拍子もない話に言葉を失う。
「…………それで、提案というのは?」
「それは、私から説明しよう――」
博光が割って入る。
「――非常に面白い提案でしてな。江戸公園の土地を使って新しい電波塔や観光施設を建てるらしいんだが、その観光施設の一つとして新たに新牛守神社を建ててくれるというんだ。しかも、神社の建設費用は相手が全額負担してくれて、完成するまでの生活費まで損失補償として出してくれる。さらに、牛守神社の特徴である撫で牛のグッズまで作ってくれるというんだから、イェスと言わない訳にはいかないだろ?」
ノリノリで語るおじいさんを尻目に千姫と京姫はすっかり呆れ返っていた。
「え、えっと……。ま、まあ、私の受けた依頼は、本間元議員による立ち退き要求を何とかして欲しいということですし……。それ以降、神社をどうしようと氏子さんが納得していれば問題ないんじゃないかと思います……」
少し納得がいかないところはあるが、自分の所有物をどのように処分しようとそれは所有者の自由だ。たかが代理人の僕が出しゃばるような真似はできない。
その後しばらく、博光の話を聞かされたあとにやっと解放され帰路へと着く。
「ごめんね。うちのおじいちゃん変わってて、新しいもの好きだから……新しい神社にしたら、可愛い女の子を神社のイメージキャラクターにしてグッズとかCDとか出して儲けるんだって張り切っちゃってて……」
帰り際に京姫が申し訳無さそうに言った言葉で、そういえば博光が入院していたのもフットサルで骨折をしたためだと言っていたのを思い出した。
§ § §
「なにそれひっどい」
牛守神社から帰宅すると、すみれがワクワクした表情で待ち構えていた。
僕が帰るなり「どうだった?」「どうだった?」とうるさいので簡単に
「仕方ないんだよ。牛守神社の土地は京姫のお爺さんのモノになったんだ。それをどう使おうと僕らの問題じゃない」
「でも、せっかくクリスが頑張ったのに。頑張って守った神社を手放しちゃうなんて……」
「いいんだよ。僕は僕の仕事をしたんだから問題はないさ」
「でも……」
「それに今の神社は無くなるけど、牛守神社が無くなるわけじゃない。時代が変わるのに合わせて神社も生まれ変わるんだ。そう考えればいいことだと思わないか?」
「そうだけど」
「僕は弁護士だから争いごとに首を突っ込むのが仕事だけど、争わなくていいことは極力争わない方がいいと思ってる。神社の移転なんて特に争いが多いんだから争わなくて済むなんて大変結構なことじゃないか」
「そっか……そっか、そうだよね。争わないのが一番だよね」
「そうさ」
「争いごとがなければクリスがこうべんする必要なんてないんだもんね」
「抗弁なんて法律用語どこで知ったんだ?」
「ここっ」
そういうとすみれは新聞の切り抜きを貼り付けたノートを持ってきた。
貼り付けられた記事を見ると、
『こうべんのヒミツ――あなたは抗弁という言葉を知っているだろうか。抗弁とは民事訴訟法上の防御方法の一つであるが、法曹界には今、高弁という新しい言葉が生まれるかもしれない。高弁は、決して相談料が高い弁護士のことではない。憶えている人もいるかもしれないが、中学生で史上最年少の司法試験合格者として一時期世間の話題をさらった少年は、今、高校生でありながら同時に弁護士として活動をしている。高校生の弁護士というだけでも驚きだが、そんな彼の手腕にも驚くべきものがある。有罪率九十九.九%の刑事裁判において無罪を勝ち取っただけでなく、現在、検察が捜査を行っている新電波塔建設に関わる不正事件においても、捜査関係者の証言によると重要な役割を担ったという。(略)これからもこうべんの活躍に目が離せない』
新聞紙面半分近くにも渡るコラム。執筆者は甘糟知嗣となっていた。僕が玲於奈の事件で無罪を勝ち取った時に唯一インタビューをしてくれた記者だ。
「これで仕事ガッポガッポだね!」
「そうなればいいけどな」
もしこれで弁護士の仕事が忙しくなったら高校生活はどうしようか。今までの事件を通じて弁護士としてやっていける自信も多少ついた。
しかし、事件を通じて友達もできた。僕はこれからも資格を失わないかぎり弁護士であることは変わらないが、高校生である期間は限られている。できることなら高校生活を楽しんでみたい気持ちも芽生え始めている。
「クリスは、高校、やめないよね?」
僕の考えを悟ったようにすみれが質問してくる。
僕は、少し悩んだが覚悟を決めて答える。
「やめないよ。だって高校生をやめたら僕はただの弁護士だろ。僕はこうべんなんだからさ」
(一部完)
こうべん! 半名はんな @hannarito
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