最終話:例えばそこに、僕の屍が転がっていたとしても

 いつもの、大学の掲示板の前。悠々と引き上げるシンジを見送る。ゆっくり歩を進める背中は堂々としていて、この道は俺のだ、と宣言しているようでもあった。

 何だかんだ言っても、やっぱり、凄いやつだ。だから僕も、約束は守りたい。振り向くと、怪訝そうな顔のアイと目が合った。


「あーあ、行っちゃった。急に呼び出しておいて、もう」

「ごめん」

「シンジくんでしょ、なんでカナトが謝るの」

「いや、ある意味、僕かも」

「ある意味って?」

「約束したというか」

「あ、さっき言ってたよね」

「一本とられたというか」

「なにそれ、また弱味でも握られちゃったとか?」


 またって。僕とシンジのやり取りは、そんな風に見えているのか。むっとしかけたところで、アイが期待に満ちた視線を向けてきているのに気が付く。僕は軽い溜め息をわきに逃がしてから、それに答えた。


「弱味を握られた事は、一回もないつもりなんだけど」

「あはは、冗談」

「まあ、とにかく」

「うん」

「ちょっと歩かない?」

「変なの」


 いいけどね、と口を尖らせて、アイが前に出る。僕もそれに続き、歩調を合わせて隣に並んだ。二人分の足音がバランスよく連なり、小気味良いリズムを刻む。


「……シンジくん、何か言ってた?」

「まあ、うん」

「そっか」

「全然、気が付かなかった」

「どっちに?」

「どっちって」

「あれ、聞いたわけじゃないんだ」

「ああ、えーと。実はの事で話がしたくて」

「どっちの?」

「いや、だから」

「わかった」

「え」

「どうぞ」


 アイは、すいっと手を差し出して、道を譲るような真似をしてみせた。口元は、薄い三日月を描いている。

 いつも、こんな風にして笑ってくれていたんだな。話をする前から妙に意識してしまい、鼓動が跳ねる。

 何かの拍子でフラれてくれりゃ、俺に特典のつく可能性が出てくるわけだ。へらりと割り込んでくるシンジを、すぐさま頭の隅に追いやった。

 そうなっても仕方ないけど、簡単に思い通りになってたまるか。


「どっちそっちって、言ってる間にカフェに着いちゃいそうだし。お先にどうぞ」

「あれ。カフェに行くんだっけ?」

「退院のお祝い、ちゃんと出来てなかったし。前祝いにケーキごちそうして」

「なんかそれ、色々おかしい」

「おかしくない、おかしくない」

「うーん」

「お祝い、すぐしたかったのに。忙しそうなふりして、全然、時間作ってくれないから」

「ああ、なるほど……忙しぶってた?」

「なにそれ。でもうん、そんな感じ」


 忙しぶっちゃってた、だから先にお詫びをもらってあげる。そう言って、アイはにやりと笑った。

 やっぱり、結構、アイとシンジの相性は良いのかもしれない。すっかり二人の術中にはまっている気がしてきて、うーんと唸って腕組みをする。凄い顔になってるよ、とアイが更に目を細めた。

 このままでは確かに、大した事も言えずにカフェに着いてしまう。カフェに着いたらケーキとコーヒーを注文して、他愛の無い話をして、じゃあまた、なんて言って別れるのだ。意味が無いとは言わないけど、今日はそれでは駄目だ。


「あのさ」

「うん」

「今まで色々ありがとう」

「なに、色々って」

「……色々だよ」

「やめてよその言い方。なんかこれでお別れみたい」


 やめてよね、ともう一度繰り返して、アイが歩調を緩める。そうじゃなくて、と声に出してみるが、何とも上手くまとまる気がしない。


「中学の時、さ」


 僕がふつふつと沸き上がる焦りと格闘を続けている間に、体勢を整えたらしいアイが口を開いた。


「私、カナトの話をぜんぜん信じてなくて」

「あれはしょうがない」

「せっかく相談してくれたのに」

「いいって」

「結局、カナトが危ない目にあって」


 中学の頃。僕が、自分の死に様にまだいなかったあの頃。僕は、この幼馴染みの目の前で、死にかけた事がある。

 本当にそんなものが見えるなら、どこにどうなってるのか教えてよ。そう挑発されて、近付き過ぎてしまったのだ。考えてみれば、仲の良い何人かは、何かしらの形で巻き込んできている。実に、とんでもない話だ。

 うつむき加減に話す彼女に、やっぱり、と思う。アイは、その事をずっと負い目に感じているのだ。

 この子が必要以上に優しいのも、大抵の事に協力的な姿勢を見せてくれるのも、きっとそのせいだ。僕の勘は、当たってほしくない時にだけ、的中する事になっているらしい。


「あの時は、色々ごめんね」

「色々ってなに。アイが謝る事なんてない」

「ほらね、嫌な感じでしょ」

「え」

「色々のお返し」

「あのなあ」

「こういうの、性格悪いね。ごめん」

「……そんな事ないって」


 どう考えても、悪いのは僕だ。結果的に、高校時代をまたぎはしたものの、僕は彼女を、ずっと縛り付けているようなものなのだ。

 もう一度、仕切り直しだ。焦るな、大丈夫。静かに息を吐き出して、ゆっくりと吸い込む。


「だってさ、そのままの感じが好きだから」

「ふうん」

「ふうんって」

「なんか告白されてるみたい」

「一応、そのつもりなんだけど」

「そっか」


 困ったなあ。アイはそう言うと立ち止まり、目を瞑った。穏やかな表情にも見えるし、本当に困っているようにも見える。

 思い出したように、僕の鼓動は大きくなっていく。


「困った」

「……だよね。いきなりごめん」


 でも、と言おうとしたところで、僕は言葉を引っ込める。目を開けたアイは、何とも、難しい表情をしていた。今、中途半端な言葉をかけてはいけない。そんな顔だ。


「どうして?」

「えっ?」

「シンジくんに聞いたから?」

「聞いたけど、そういう訳じゃない」

「だって、こないだまでミホノちゃんの事」

「……そうなんだよね」

「私、本当に応援するつもりだった」

「知ってる」

「でもね、整理しきれない事もあって」

「うん」

「シンジくんに相談したりして」

「聞いたよ」

「そしたら、シンジくんに告白された」


 なんだか、ちょっと、わからなくなってきちゃって。困ったなあ。

 消え入りそうな声で、笑顔を作ったアイは、泣いているようにしか見えなかった。

 頭の奥と、胸の隅が、ちりちりと焼ける。


「虫の良い話に聞こえるかもしれないけど」

「うん」

「そのままの、アイが好き」

「……それ、本当にさっきのそのまま」

「だね」

「だねって」

「でもさ」

「うん」

「どうせ下手くそなら、そのままぶつけた方が伝わるかなって」

「ふうん」


 アイはまたしばらく考え込んで、それから、今度は少しだけ笑った。困ったなあ、ともう一度呟く。


「だから、これからを見てほしいんだけど」

「そっか」

「中学の時の話も、本当に気にしないでほしい。あれは誰のせいでもないし、もしその事で、何か」

「わかった」

「え」

「降参」

「降参?」

「だから、それはやめよ」


 それとか、降参とか。どれが何を指しているのかわからなくて、僕は黙って彼女に視線を合わせた。


「中学の時の」

「ああ」

「それのせいで、私がずっと気を遣ってる、みたいに思ってるんでしょ?」

「……全部じゃないけど、それもあるのかなって」

「そんな風に片付けられちゃうのはやだ」

「そっか、そうだね」

「私、いっつも見えないカナトと戦ってた」

「戦ってたって」

「でも、降参」

「どういう事?」

「いなくなっちゃった相手には、勝てないし」


 アイは僕から視線を外して、その向こう、どこか遠くを見つめていた。僕には見えない僕が、もしかしたら見えているのかもしれない。それは、今度は僕が困るな。


「だって、今はもう、何も見えなくなったんだよね?」

「うん」

「絶対?」

「多分」

「たぶん、絶対?」

「たぶん……ぜったい」

「うん。それならいいよ」


 さてと、行こっか。あんまりケーキを待たせても悪いし。

 重かった空気を軽口一つでするりと抜けて、アイが歩き出す。状況を飲み込めない僕は、足を動かすのも忘れてそれを見送っていた。

 十歩。二十歩。遠くなってしまったアイがこちらを振り向く。


「カナト、早く」

「いや、え?」

「しょうがないなあ」


 結局、どうなったの?

 この台詞を口から落っことさなかったのは、間違いなく、今日一番のファインプレーだろう。

 すたすたと戻ってきたアイは、僕の右手に、そっと左手を重ねて、前に向き直った。


「行こ」

「あ、うん」

「あれ」

「なに?」

「もうちょっと喜んでくれてもいいのに」

「あのなあ」


 ひんやりした秋の風が吹いて、右手に力が入る。繋いだ手は小さくて、でもとても温かく、頼もしさを感じた。

 きっとこうして僕達は、少しずつ風向きを変えながら毎日を歩いていくのだろう。一つの大きなナニカを乗り越えたって、直に次のナントカが現れる。

 僕は、まあいいか、と思う。泣いたり笑ったり、たまに怒ったり。あのなあ、なんて溜め息混じりに呟いたりして。結局、あまり変わり映えのしない僕のまま、どうにかこうにか、それに立ち向かっていくしかない。


 例えばそこに、僕の屍が転がっていたとしても。

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例えばそこに、僕の屍が転がっていたとして 青山陣也 @Ryokucha55

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