第26話:じゃあ、約束したからな
無事に退院し、大学に復帰した僕は、それなりに忙しい毎日を送っていた。夏休み明けに出遅れてしまった諸々を取り戻すべく奔走し、目の回るような毎日を駆け抜ける。気が付いた時には、十月が終わろうとしていた。
今月は何をしていましたか、と問われても、正直、よく思い出せない。半分は入院していて、後はなんだかわかりませんけどあっという間でした、と間の抜けた調子で答えるしかない。
変わった事と言えば、イマミヤとの距離が少し遠くなったのと、良い意味でミホノちゃんとの距離が縮まった事くらいか。二人はそう思っていないかもしれないけど、僕としては、である。
忙しぶってねえで飯でも行こうぜ、とシンジから誘われたのはそんな頃だ。別にほぼ毎日、大学で顔は合わせているのだし、そもそも忙しぶるとはどういう事なのか。思うところは多々あるものの、断る理由も無いので適当に約束を取り付けた。
「そういやサシってのも久しぶりかもね」
「だろ? ほっといたら、年が明けるっつうの」
「いや、そこまでは。しょうがないだろ。色々あるんだから」
「そんなのは、世界中どこのどなた様にだってあるんだよ。お前だけじゃねえ」
世界規模の壮大な例え話で僕を呆れさせると、シンジは手にしていたペットボトルの水を、ぐい、と飲み込む。今日も、根拠の無い自信は、順調に羽を伸ばしているようだ。
大学で待ち合わせなんかせず、現地集合にすれば良かった。
「毎回、お好み焼きってのもなんだよな」
「でもあそこが一番ゆっくり出来るよ。旨いし、安いし」
「お前は冒険心が足りねえ」
「シンジの冒険心がありすぎるんだって、だから前にもさ」
「ラーメンもどきとイタリアンまみれの反省会なら今度な。それより、諸々どうなったんだよ?」
「またそんな、ざっくりしすぎだって」
「嫌なモノは見えなくなったのか?」
「それは、うん」
「ソースは?」
ソース、とはこれから向かおうとしているお好み焼き屋の話ではない。話の裏づけであるとか、情報源を見せろ、というような意味だ。ゲーム全般とネットの巡回に余念の無いシンジは、度々こういう単語や言い回しをどこからか見つけてきて、僕に押し付ける。
厄介なのは、それがなかなか使いやすくて、僕自身も段々と染まってきている事だろうか。
「ソースは、ミホノちゃん」
「おお、って事は」
「退院前に二人で話をしたんだけど」
「へえ」
「何も見えなかったし、変な感じもしなかった」
「また休憩中って事はねえのか?」
「無いと思う。まあ、説明は難しいんだけど」
「とりあえず言ってみ」
「今回の揺り戻しの時にさ。前とは違う、凄い頭痛とか吐き気があったんだ」
「おい、いよいよ大丈夫かよ」
「それがすっきりしたっていうか」
「モウダイジョウブダヨって、言われたりしたわけ?」
「ちゃんと聞けよ。そんな事、言われるわけないだろ」
あっそ、まあ長いご休憩でもとりあえず、よろしかったんじゃねえの?
シンジは、妙な丁寧語もどきが最近のお気に入りらしい。頭の後ろで両手を組んで、興味を無くしたように呟く。自分から聞いておいて、無事に解決したと思ったらこれだ。
「んじゃ次な。メイちゃんどうなった」
「ああ、それならちゃんと」
「と言いたいとこだけど、実は知ってる」
「げ、うそ」
「本人から聞いたからな」
「本当に?」
「思いっきりフラれちゃいました、あの人はひどい人ですってさ」
「うわあ」
「どうやらきっちり話したみたいだな」
「待った、どこまで聞いたんだよ」
「はあ? 全部、俺の勘に決まってんだろ」
相変わらず、嘘も誤魔化すのも下手くそだな。シンジは軽快に白い歯を見せるが、今回ばかりは勘が良いにも程があるだろう。
俺さ、心が読めるんだ、なんて言い出したとしても、シチュエーションによっては信じてしまいそうだ。
「ま、良かったんじゃね? お互い、健康的に前に進めよ」
「なんだよその言い方。ほっといてくれ」
「あれから、アイちゃんには会ってるか?」
「まあ、それなりに」
「なんか話した?」
「うーん、別に。無事でよかったとか、無茶するなとか怒られただけ。普通だよ」
「そうか、そんだけか」
「うん」
「実は俺さ、アイちゃんが好きなんだよね」
「は?」
あまりに自然に、そして不自然なタイミングで流れてきた衝撃的な一言に、僕は目を見開いて固まってしまった。したり顔のシンジが、楽しそうに口を動かす。
「どうだ、知らなかったろ?」
「本当にびっくりした。っていうか、なにこのタイミング」
「テンポ感がいいだろ」
「ちょっと意味がわからない」
混乱する僕を無視して、大学に入ってまあまあすぐに好きになってたから、それなりに長い片思いだよな、等と言い出す。ついさっきまで、僕の事を根掘り葉掘り聞いていたくせに、一体どうなっているんだ。
「っていうか、だって、普通に合コンとか」
「気になる子がいたら、一切お食事会に行っちゃいけねえのかよ。付き合ってんならまだしも」
「場合と加減による気がするけど」
「で、まあそんな事よりだ」
「簡単に話をそらすなって」
「お前が入院してごろごろしてる間にさ、コクってきたわけ」
「え」
あっけらかんとした顔でにやりと笑うシンジ。という事は、既に二人は付き合っていたりするのだろうか? 仲が良いのは間違いないし、しっかり者のアイとお調子者のシンジで、案外上手くいきそうな気もする。
それなのに、どうにも気持ちが上がらない。ごくりと唾を飲み込んで、話の続きを待っている自分がいた。
「気になるだろ」
「……そりゃあまあ」
「安心しろよ」
「安心って」
上手くいったからよ、変にぎこちなくなったりしねえから。これから改めて、彼女ともどもよろしくな。そう言い出しそうなシンジの顔を見ていると、気持ちがざわつく。
当のシンジは飄々としたもので、スマートフォンをいじくって何かしている。
「ばっちり、フラれてきたからさ」
「なんでそれで安心なんだよ」
「本気でわからねえのか?」
本気でわからない、事は無い。僕は薄々、気が付いていた。遅ればせながら、ようやくといったところで、自分の気持ちさえままならない不甲斐なさに悲しくなってくる。
シンジの方が、僕の微妙な気持ちの変化に気付いていたという事か。
本当に勘だけで、ここまで来ているのだとしたら、とんでもないのはどっちだよ。苦笑いを浮かべようと思ったが、ここで口角を持ち上げるのは違う気がして、黙っていた。
「アイちゃん、好きなヤツがいるんだと」
「あ……そうなんだ」
先のものとは別のざわめきが、波を立てる。きっとわかりやすく、顔にも出ただろう。しかし、シンジは随分と、神妙な顔をしていた。
「あー、ちょっと本気で、あれだな」
「あれ?」
「一発でいいからさ、殴っていい? 退院したばっかのとこ、わりいんだけど」
「嫌だよ、どうしてそうなるんだ」
言い返した僕に、シンジは心底呆れた顔をして、あんぐりと口を開けた。「まあ、それでこそカナトって事か。本当にしょうがねえな」と呟いて、そんじゃ、と膝を叩いた。
種明かしといこうか、といたずらっぽく続ける。
「本当は、もっとまるく収まるはずだったんだ」
「まるく?」
「そ。俺もお前も、アイちゃんも。ピースフルにさ」
「なんか、怪しい勧誘みたいだな」
「うるせえ。いいから聞いてろ」
「わかったよ」
「お前が誰かとくっつくと、俺には特典がつく」
「それ、前に僕が言ったやつ」
それいいな、何かよこせよ、と返されて、どうにかやぶへびを追い払ったあのくだりだ。どうしてここで登場したのかと、僕は眉をひそめてシンジを覗き込む。
「あん時は本気でやべえと思ったけど、やっぱ天然だったか。焦って損した」
「だから、なんで僕が」
「アイちゃん、好きなヤツがいるんだと」
「うん」
「俺はアイちゃんから、そいつの相談を受けたりもしてるわけ」
「シンジは誰だか知ってるんだ?」
「ああくそ。コイツ本気でひっぱたきてえ」
「ちょっと」
「いいから聞け。で、だよ。俺は、そんなアイちゃんが好きだったわけ」
「だから、どういう」
「だからお前が、アイちゃん以外のダレカと、くっついてくれてたら、良かったのにな」
「……あ」
本当に気付いてなかったのかよ、流石だな。シンジの呆れ顔は、下手に笑い飛ばされるよりずっと刺さるものがあった。
「ミホノちゃんとか、いい感じだと思ったんだけどな」
「実際、最初は本当にひとめぼれだったと思う」
「んでもどうせ、良いオトモダチでいましょうね、みたいな感じになったんだろ?」
「言い方はすごくあれだけど、まあそう」
「あんだけ一途でかわいいメイちゃんも、入院のどさくさに紛れてフっちまったと」
「いや、言い方」
この話が本当だとしたら、これまでのシンジの話には確かに思うところがある。
無意識の内に誰かを傷付けているんじゃないのか、であるとか。みんな大変なんだぞ、であるとか。俺の純情を踏みにじりやがって、まで。
僕は馬鹿だ。わかったような顔をして、何もわかっていなかった。
「シンジ」
「なんだよ」
「僕もさ、今更だけど、アイが好きみたいなんだけど」
「本当に今更か。知ってんだよ、バカ」
「約束する」
「はあ?」
「次にアイに会ったら、僕の方からちゃんと話をする」
「へえ」
「もう呆れられてるかもしれないけど」
「ああ、確かにやまほど呆れてたな」
「……だろうね」
「ま、これでお前ががっつり意識してくれて」
「してくれて?」
「何かの拍子でフラれてくれりゃ、俺に特典がつく可能性が出てくるわけだ」
「あのなあ」
続けて口を開きかけた僕の目の前に、右手をずい、と出して、シンジが僕を睨む。
「次に会った時、必ず、だな」
「……必ず」
「今日の飯は中止だ」
「え」
シンジは、突き出した右手をふらりと上にあげて、ひらひらと振った。
「よお、アイちゃん。早かったね」
「は?」
振り向いた僕の目には、少し複雑な表情を浮かべて、アイが立っていた。へらへらと笑うシンジは、とてもつい最近、フラれたとは思えない。
「急に、暇してる? なんて言うから、どうしようかと思ったけど」
「なんで」
「呼んだんだよ、ついさっき」
「あ、スマホいじってたのって」
「じゃあ、約束したからな」
「え、ちょっと」
背を向けて、のんびりと歩いていってしまうシンジは、僕の声などもう聞こえていないかのようだった。
あいつ、最後の最後に、今までの仕返しをしていくなんて。手のひらの上で踊らされているようで、拳に力が入る。
その後ろから「ねえ、約束って?」とアイがきょとんとした顔で聞いてくる。
人生の転機は、澄ました顔して、突然やってくる、らしい。
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