第3話 花の絵

「身近なところにあった」

 はづみが煙草をふかせて、いった。

 静かに興奮している。

「やっと話をもってきたか。前ふたつは、僕の話だったからな」

「うん。社長夫婦の話なんだ、うちの」

 はづみが求めている「奇譚」。それがいつも通ってる会社にあったとは。

 彼はデザイン会社につとめている。ちいさくて、社員は6人。

 それはきいていたが、夫婦でやっているとは知らなかった。

「若いのか?」

「50なかば。旦那が社長で、デザイナーで、画家なんだ。奥さんは事務」

 ちいさいが、得意先とのつながりが太く、業績はまあまあらしい。

「ものしずかな夫婦でさ。特に社長は口べたで。交渉とかつきあいは副社長の弟さんがまかされてるくらい」

「口べたな社長ってめずらしいな」

「芸術系だからな。でもデザインの腕はすごいんだ。入るまえに作品をみせてもらったんだけど、衝撃だった。柔軟だし、シンプルで、色もすげー気持ちいいとこにうまくはまるし。余白があって、人に想像させる、でもバッと一瞬で伝わる。かゆいところに手がとどくっつーか、潜在的に求めてたものをパッとあらわしてみせるんだ」

 彼がこんなに熱弁するのははじめてだ。

「お前が人を尊敬してるとこ、初めてみたよ」

「うん。いや、うんじゃねぇ。どういう意味だよ?」

「や、なんでもない。ごめん」

 笑いをこらえて、僕は続きをうながした。

「まぁ……、俺はそうやって、社長ってすげーなと思ってたんだ。でも、話をきいたらすごいのは奥さんのほうだった。またべつの能力で」





 その話は、30年前にさかのぼる。





     *





 奥さんの話





 彼女の名前は碧(みどり)。

 20歳だった。

 はためにはやや内気な、ふつうの女性だ。

 だが彼女の意思とは関係なくある、ある性質に悩まされている。

 彼女は感応した「絵」に、入りこんでしまうのだった。




 「引きずりこまれる」のほうが正確かもしれない。

 絵というもの、とくに絵画には、画家の「念」がこめられている。つよい情念が結実したものが絵だ、といえるかもしれない。

 彼女はそれをみると、作者のそのときの気もちや、つよい情念、混乱にひきずりこまれてしまう。

 追体験してしまうのだ。

 たとえば失恋をあらわした絵ならば、失恋の気もちを一気に体験し、息ができなくなる。戦争の絵ならば、魂がひきちぎられるようなつらさを感じる。

 あらゆる感情に同期する。



 それが出てきたのは、思春期だった。

 子どもの頃はふつうに絵をみるのが好きだった。

 父は美術商をしており、母は美術の教師だった。ふたりは親戚だ。身うちには骨董品の鑑定家などもいて、つまり芸術・美術系の家系だったのだ。

 そんな血すじもあるのかもしれない。碧も絵が好きだった。幼いころはテレビやネットより、画集をみるのが好きな、変わったこどもだった。美術館にいくのはふつうのことだった。



 異変を感じたのは、中学のときだ。美術館でゴッホの「糸杉」をみて、はげしい頭痛におそわれた。一瞬のことだった。

 数秒後には失神し、休憩室にはこばれた。

 目をさましたあと、一人で帰ったが、美術館をでてもまっすぐ歩けなかった。はげしい混乱のただなかにいて、目にうつる景色は、ぐるぐる渦まいていた。動悸がつよすぎて、心臓が胸をやぶってでないように、手でおさえた。

 私になにが起こったんだろう?

 彼女は怖くなった。



 体調がもどると、あのときのことを考えてみた。「糸杉」をみたあと、全身がしびれ、意識がすべてもっていかれ、景色は渦まいてみえた。まるで「糸杉」に入りこんだように。

 父の書斎から、画集をいくつかとってきた。ピカソ、ダリ、ゴーギャン。

 ピカソの画集をひらく。おそろしかったので、うす目でみた。

 たぶんまた、「ああなる」だろう、という予感がした。

 「泣く女」が目に入ったとき、「あ」、と思ったのもつかのま、ベッドに倒れこんでいた。

 目をさますと、ほほがぬれていた。


 


 おそらく、つよい情念のこもった絵に、「あてられて」しまうのだ。

 そう説明をつけた。

 困ったことになった。

 だって、絵は、彼女の好きな唯一のものなのに。

 自分で絵を描くのも好きだった。でもあまり才能はなかった。自分が描いた絵をみても、なんともならなかったからだ。それにはがっかりした。

 素人の描いたものや、有名なものでも「念」の感じられないもの、自分に感応しにくいものなどは見ることができた。そういうものをよく見るようになった。



 自分に強い影響をおよぼすもの。彼女はそれを避けるようになっていった。それでも不意に、広告やテレビ、道ばたなどで目に入ってしまうことがある。そんなときは倒れるまえにうずくまって、なんとか感受性を閉じようとした。ひきずられてはだめ。ひきずられては……。

 絵は怖いものだ。人をおかしくする。だから名画は何億もするし、人生を狂わせる。それを「教養」として、みんなが見にくる。だれもが。そのことが、彼女にはおそろしく感じられた。




 内気であったが、好奇心はある。

 碧はそんな性格だ。

 心がこわれない程度に、この「性質」をみきわめよう。

 ただおそろしいと逃げまわっていた時期をすぎると、そう思うようになった。

 高校生になってからだ。

 観察の結果、やはり感応しやすい絵としにくい絵があることがわかる。

 「相性」というのか。

 まず、絵画が一番感応しやすい。写真や彫刻、イラスト、デザインされたものなど他の美術品は感応しにくい。(写真でもときどきすごく感応するものはある)

 それから自分の興味があるもののほうが感応しやすい。碧はゴッホ、ピカソ、ダリ、レンブラントなどが好きだった。好きな画家のほうが感応する。現代アート、日本画は感応しにくい。

 しかしやはりすごいと思うのは、力をもった絵はそういう基本ルールをとびこえてくる。例外というのか。強いものは一筋縄ではいかない。

 感応のしかたは、つらい、苦しいなどの、負の感情のほうがつよく訴えかけてくる。そういうものに「あたって」しまうと、尾をひく。このことをとおして、碧は、絵というものがどういう理由でかかれるのか、人を「描かずにいられない」状態にするのか、思い知った。

 観察してみて、いちばんよかったこと。それは、倒れるほど「強い情念」をもった絵は、この世にそれほどないということだ。

 考えてみればそうだ。だから、画家として名をのこすことはむずかしい。最初に天才の絵にふれてしまったから、恐ろしかったのだ。彼らほどの天才はほとんどいない。一部の天才の作品をのぞけば、だいたいの絵は大丈夫なのだ。

 観察してみて、いちばん悪かったこと。それは「よかったこと」とまったくおなじ。「強い情念」をもった絵はすくない。しかし、それに出会うこと、心をひらいてのめりこむことこそ、絵をみる喜びだった。それだけだといってもいい。

 それなのに、希少なそれらをこそ、避けなければならない。




 なんのために絵を好きになったんだろう。

 なんのために観るんだろう。

 なんのために感受性があるんだろう。感受性を閉じるために、感受性はあるのか?

 そうおもったとき、彼女の胸にぽっかり穴があいた。涙がぽろとこぼれた。




 年をかさねてくると、どういうものに「感応」するか、事前にわかるようになってきた。

 予感がある。防衛本能みたいに。

 感受性の閉じ方、ひきずられないようにする技術にもたけてきた。そうやって、彼女はこの力と折りあいをつけるようになった。





 その日はまったく、油断していた。

 運命の絵をみたのは、美術館ではなかった。個展ですらない。休日の大型スーパーだった。

 碧は文学部の大学生。

 母と買いものにきていた。

 母が服を選んでいるあいだ、たいくつだった。

「ちょっと休んでもいい? 奥のソファにいるから」

 母からはなれた。母とは、仲がいいわけでも悪いわけでもない。両親は美術的才能がない娘を、予定外の成長をとげたペットみたいに見ていて、それが彼女には心地悪かった。大切にしてくれてはいたけど。「あれ、こんなはずじゃなかったのにな」。そんな感じだ。

 両親が自分をみるとき、彼らの頭上には「あれ?」という文字がつねにうかんでいる気がした。彼女はもちろん、自分の奇妙な感応能力について、両親に言っていない。

 売り場のはしのソファに座った。

 休日で人が多い。でもこのソファは、はしっこの方にぽつんとあって、エアポケットみたいだった。碧はひと息ついた。



 横をみると、トイレのとなりに、安そうなパーテーションで区切られた空間があった。

 子どもの迷路みたい。

 でもそれにしては狭いし、安あがりだ。トイレのとなりにあるし。

 なんとなく近づくと、A4のコピー用紙に「市民の絵画・水彩画・イラスト展」と書いてあった。セロテープで貼ってある。

 パーテーションのむこうをのぞくと、誰も鑑賞していない。

 長机に、20代くらいの男性がいる。受付だろうか? 短髪で、がっしりした人だ。

 喧噪から離れたかったので、碧は入った。

 受付の人はちらっと彼女をみたが、何もいわなかった。

 市民の絵。きっと絵画教室の生徒だろう。風景画、静物画、人物画、動物の絵……。

 せまい空間だったので、みてまわるのに時間はかからなかった。

 最後の絵。

 それは花の絵だった。油絵。ぼやっとしたタッチで、画面いっぱいに花が描かれている。

 その前に立ったとき、碧は遅れてきた「大きな予感」にとらえられた。その絵に入りこんだとき、すべてがわかった。





       ○ ○ ○




 数年ぶりだ。

 ひきずりこまれて、意識を失うのは。

 タイムスリップみたい。

 休憩室で目をさまして、碧はそう思った。急に倒れて、目をさますと時間がたっている。つまりタイムスリップよね……。

 彼女は泣いていた。どっと疲れを感じた。

 簡易ベッドのわきには、母親がいる。心配していたようで、碧がおきると、何か言って泣きだした。

 碧にはその声はきこえていない。頭がはっきりしてくると、「あの絵」を反芻しはじめていた。初めてだったのだ、まったく無名の、というか素人の、しかも(たぶん)現代に生きている人の絵をみて、強く感応したのは。

 この「感情」も、初めてのものだった。

 それは悲しみで、胸がちぎれるほど悲しいけれど、ほのかに温かいものがあった。温かい紅茶のあと味のように、胸に灯りがともる。温度がのこって消えない。灯りとしかいいようがない。

 花の絵。

 彼女はたちあがると、母の声も店員の声も聞かず、あのパーテーションへむかった。

 受付には、さっきの男性がいる。

 彼は彼女をみると、あ、という顔をした。彼女がたおれて、店員をよんでくれたのはきっと彼だ。ほかに誰もいなかったのだから。

 彼の前へいった。

「さっきは、びっくりさせてごめんなさい。店員さんを呼んでくれたんですよね。ありがとうございました」

 彼女は礼をした。

 ドサッと音がして、左腕に痛みがきた。

「だ、大丈夫ですか?」

 彼が彼女をささえて、困惑していた。

 自分がまた倒れたことに、おくれて気づく。礼をしたひょうしに、左によろけたらしい。机にぶつかったようだ。

 自分のことなのに他人ごとみたいだった。

 だめだ。久しぶりに「あてられた」から、身体がまだついていってない……。

「まだ、休んでたほうがいいんじゃないですか」

「はい……。あの、そのまえに、聞きたいことがあって」

 花の絵。

 あの作者だ。どんな人なんだろう。どういう画家なのか―

 それについて、つっかえながらも尋ねた。「最後の絵の、作者は―」

 ふいに彼女は黙った。

 彼がいた長机。その後ろに、鞄とスケッチブックが見えたからだ。

「作者は……、僕ですが」

 彼は困ったようにつぶやいた。





 夕方になり、展示がおわった。碧はソファで待っていた。母には帰ってもらった。かたづけのあと、彼はスケッチブックを見せてくれる。

 はしっこの、エアポケットのソファでよかった。彼女は思うぞんぶん泣くことができた。

 それらはすべて花だった。

「花の絵ですね。しきつめてある」

「え……」

 彼は目を見開いた。





 彼の名前は青爾(せいじ)。

 彼はわけがわからなかった。

 気味が悪いとさえおもった。

 たしかにずっと花の絵を描いてきた。言われることといえば、「きれいですね」「お花ですね」「花畑?」「花束ですか」。それだけだった。

 「しきつめてある」。

 初めていわれた。

 どうして、そう思ったんだろう?

 暗くなってきたので、彼は彼女をおくることにした。

 歩きながら、不思議な能力のことをきいた。彼女にしても、この話をだれかにするのは初めてだった。




 彼が描いていたのは花畑ではない。

 実際にみた光景だった。

 7歳のころ、母が亡くなり、棺にはたくさんの花がしきつめられた。

 交通事故で、顔は傷ついていた。どんなにがんばってもきれいに修復できなかったらしい。白い布がかけられたままだった。最後のあいさつは、みんな写真にむかってしていた。

 父は激怒した。「なぜ治せない?」。でも、できないものは仕方ない。父はやつあたりをするように、花をしきつめろと言った。もっと、もっと。もっと入れろ!

 彼は、泣きじゃくる弟の手をにぎっていた。

 そうしてぼうっとしていた。

 彼はまったく泣けなかった。棺からあふれる花だけが焼きついた。

 



 11歳のとき、父は再婚した。

 若くて、そこぬけに明るい女性だった。

 母とは正反対だ。母は心配性で、すぐ泣くひとだったから。

 義母のいう冗談で、父も弟もよく笑った。とくに父は癒されているようだった。むりもない、この4年間つらかったんだろう。弟も最初はぎこちなかったが、すぐに慣れた。笑顔がふえた。それは彼も、単純にうれしかった。弟のお守りからも解放された。


 だけど彼は、ひとつ思った。

 このままいったら、誰が母のことをおぼえているんだろう。心配性で、暗くて、おろおろしていた母を。泣きながら僕を抱きしめてくれた母を。みんなとお別れするとき、布を顔にかけたままだった母を。

 あとからおもうと、それは杞憂だった。父も弟も、母のことを忘れるはずがない。でもそのときはそう思ったのだ。父が、母とは正反対の女性をえらんだことにも、彼はきずついた。

 昔から絵を描くのが好きだった。そこから、花の絵をたくさん描くようになった。意識的にではなく、気づいたら描いていた。なにかの使命か、自分にいちばんちかい本能のように。




 じぶんの絵をはじめて看破した女性を、彼はしげしげとながめた。


 彼は、母のことを思って泣いたことはない。一度も。

 でも彼女は絵をみて、「とても悲しいことがわかった」という。「ごめんなさい。悲しいというのはちがうかもしれない。悲しい、でかたづけるのはあなたに失礼ね。言葉ではいえない何かだわ。でもそれがそのままわかったの。泣いてしまってごめんなさい。私は、関係ないのに」

 彼女はちぢこまった。

「でも、あなたの絵、すきよ。なんだろう、不思議なの。私にとってもはじめてで、混乱してる。「あてられた」のに、こんなに好きっておもえる絵は初めてだわ。泣いてしまうだけじゃないのよ、胸になにか灯るの。そっと燃えるランプみたいに……」

 彼はアマチュアだけれど、絵かきだ。絵を理解され、「好きだ」といわれるのはうれしかった。

「たぶんあなたの姿勢があらわれてるのね。そのまま生きようとする姿勢が」

「そんな、いいものじゃないですよ」

 彼は吹きだした。かいかぶりすぎだ。

「私、あなたの絵をもっとみたい。またできたら、みせてくれる?」

「わかりました」

 彼はしがない美大生で、じぶんのために描いていただけだった。そんな彼にファンがついた。なんと奇妙なことだろう?

 奇妙なのは、彼もまた彼女に興味をもったことだった。

「ゴッホやピカソの絵にも、「入った」んですよね。それって、すごいです。あなたしか経験したことがないと思います」

「うん。そうかもしれない。けっこうつらかったんだけど……。やっぱり、その話ききたい?」

「いや、つらかったらいいんですけど。でも、うん、興味はありますよ。ないっていったら嘘だから」

「そうよね。わかるわ。うん……。あなたのつらいことをのぞいてしまったんだから、私も話せるように、がんばってみる」

 彼女ががんばれたのは、申し訳なさからだけではなかった。彼女は彼のことが好きになっていた。




 彼の絵に「入った」とき、じぶんに足らないものをひとつ埋められたような気がした。

 親の死を、ほんとうに悲しむということ。それについて考えるということだ。

 碧の両親は死んでいないが、死んでも、自分は悲しまないかもしれない。彼女はそれを恐れていた。

 自分には感情がないんだわ。それか、親からの愛がなくて、それを許せないでいるほど幼稚なんだ。

 でもほんとうの喪失感を、追体験することができた。

 涙をながす予行演習。その奇妙な儀式を、意図せずしたのだった。

 彼女はそのことを、彼に話した。感謝していると。

 彼は不思議に思った。僕は泣いたことはないのにな。そんなに自分は悲しんでるのか。自分ではよくわからない。うまく受けとめられていない。自分こそ、彼女から自分のことをあらためて教わった気分だった。

 ふたりはまったく偶然に、たがいになにかを教えあった。

 彼も彼女にひかれていった。

 美術の話をするのが楽しかっただけではない。彼女がそばにいて、才能をみとめてくれれば、画家として売れるのではないかと思えたからだ。天才として名を残せるかもしれない。そう思わずにはいられなかった。




 結局、彼は画家としては売れなかった。デザインのほうが才能があり、そちらで独立した。

 あらぬ期待をもたせてしまったと、彼女はすこし後悔した。

 あとになって思う。自分があんなに感応したのは、彼の才能のためというより、自分にとって相性がよすぎたためではないかと。

 つまり、恋におちたことのあらわれ。

 そうだとしたら、ほんとうに申し訳ない。自分の恋に、彼をまきこんでしまったのだから。

 結婚してからそう思った。夫は無口だし、おせじはいわない。よく浮気もする。自分を愛してるのかどうかわからない。この恋愛と結婚は、自分だけのエゴだったのかも……。それにくわえ、事業も最初はうまくいかなかった。

 まちがいだったかな。そう思いはじめた。

 しかし、結婚して数年後、彼女はひとつの絵をもらった。

 彼が誕生日にくれた、彼女の絵だった。

 碧は美しくはない。そして彼は正直だ。だからそのまま描かれている。でも、それを見たとき、彼女はへたりこんだ。

 あのとき胸にともった灯りの、何倍ものぬくもりが、彼女をみたした。これまで生きてきて、体験したことのないものだ。想像をこえた光が、身体のなかに入りこんできた。

 それはつまり、彼は彼女を愛しているということだった。

 絵をとおして知る。彼のことはいつもそうだ。



 この恋は、私のエゴから始まったものかもしれない。でも、この交流のしかたは、私たちにしかできないだろう。彼とこのパイプでつながれているのは私だけなんだ。だったら、世界一変わった夫婦だし、面白いじゃない。こんな形で愛を知るなんて。こうやって幸せを享受するなんて。こんな夫婦がいても、いいんじゃない。


 そう彼女は思った。





   *





「この本には、のろけしか収録されないのか」

 僕は笑いをこらえた。

「……たしかに。透馬の先輩の話も、いとこの話も、のろけだもんな。いや、でもさ、俺が言いたいのは、奥さんの能力が奇怪だって話なんだよ!そこが言いたいんだ。最後がのろけだから、本にするときは最後はカットするか……」

 はづみは真剣にいった。

「ダメだよ、そのまま載せないと。それにたぶん、奥さんがいちばん言いたかったのはそこだろ」

 奥さんがはづみに話すとき、さぞうっとりしていただろうと僕は想像した。うれしかったんだろうなぁ。かわいい奥さんだ。

 実際きいたのが僕だったら、うっとうしかっただろうけど。

「まあな……。あ、それでさ、この話を書くとき、これも最後につけくわえてくれよ」

「何?」

 はづみは得意そうにいった。

「俺の入社試験、奥さんも試験官だったんだ。つまり、俺も才能を認められたってこと」

「……そうかな?ていうか、それ、いる?」

 そうか。はづみがこののろけを我慢してきいたのは、奥さんにそういわれたからか。「あなたもすごいのよ」って……。

「いるよ!俺はきっと大物になるんだ。じゃないと、雇われるはずないだろ。……おい、なに笑ってるんだよ?」

 





 ということで、これは特記しておきたい。はづみは単純で、可愛いやつだということを。


 



 

 

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

ぼくらの奇譚集 @juri-t

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る