第11話(後段) サロメの自由
付かず離れず歩きながら、しばらく続いた沈黙には、理由がありました。私は手元の利器で、いい感じのお店を探して、のぞみんに情報を送ります。喉が渇いてきたのは同じようで、のぞみんからはすぐに返事が返ってきました。
『OK』
そうして、少し先を歩いていたのぞみんは、ずっと、海のある方角に目を向けていましたが、何かを見つけて、急に立ち止まりました。
『何だろう?』と、私が追いつくと、その視線の先には、お年を召した男性が一人、ベンチに座って、海の彼方を見ていました。そのすぐ目前を、子どもたちがワーッと、はしゃぎながら走り過ぎていきますが、男性はピクリとも動きません。
のぞみんは言います。
「ねぇ、すずちゃん。『ペリクリーズ』では、ひとつに、理想の王、理想の統治者というのがテーマになってる。そしてそれは全てを与える王、富ます王だ。与えるのは、自分の娘から、食料、金銭、名誉と、本当に何でもありなんだけど。それってさ、本当は何が、偉いんだろう?
王は民の為、民は王の為に、とはいうけれど、王権は神聖不可侵なんだ。王の賜物は、彼の統べる国家の財産であり、それ以外のものではあり得ない。しかし、それを自らの裁量で他国に、そして望む相手に、贈与できる権威と、権限があるというだけ」
のぞみんはまた歩き出します。私も後を追って歩き出しながら、うーんと唸って、言葉を挟みました。
「王の選択を、民が監視、監督できるシステムが無ければ、王の好き勝手を許すことにもなる。でも、王の視点や立場は、民とは別物なのだから、口出し無用、”神聖不可侵”というわけか」
のぞみんは、くるりと私の方へ振り返り、『そうだ』と視線で、私の言葉を肯定します。
「理想化された、“すべてを与える王”ほど、嘘っぱち、つまり中身が空っぽなものは無いよ。だから裏返せば、あらゆるものが満ちてくる。今回の劇の主人公、
"すべての人の妻でありたい"、と望む彼女の言葉はナンセンスだけど、舞台は何しろ、国民主権の国家だ。彼女が持てるのは真実、己の身体一つと支持者だけ。そこに、虚構ではない生身の、現実の ”与える王” の姿があるとは思わない? 彼女には実際、それだけの覚悟と、力があるんだ」
そう言ったのぞみんにこそ、その覚悟と強さがあるのでしょう。
「ねぇすずちゃん、”私は誰のものでもない”という彼女の主張は、ただ一者に所有されることへの恐怖や拒絶、そしてそこから転じた、”みんなという全体” への回帰欲求だ。処女性がそういう代物である限り、人間の自由は本来、支配と服従、すなわち『与える、奪う』の、与奪の関係から解放されることだと、言えるような気もするんだ」
「あぁ、のぞみん…」
私は、なんだか分からないうちに、彼女の言葉に呑まれ、感動してしまうことばかりです。
そしてタイミングを計ったように、というのは誇張が過ぎますが、話に夢中なあまり、道なりにかなり、進んでいましたので、とりあえずの目的地であったカフェが、すぐそこに見えました。ですが話の余韻にひたる私は、立ち止まったまま、今回の作品の見せ方を、脳内で再検討し始めていました。そんな私を見て、のぞみんは言います。
「ちょっと美味しそうなの、調達して来るからさ、ちょっとそこのベンチ、場所取りお願いね」
言われたこと半分の、夢見心地の状態と言いましょうか。私は財布を取り出し、千円札を一枚取り出すと、彼女に渡します。
「ありがたい、ではこれで」
「了解した」
私はふらふらと歩いて、一番近くにあった、奇抜な真緑のベンチに腰を下ろしました。
どうしたものか、シナリオに細かい修正をかなり入れる必要がありそうです。
***
「監督のお好きなフワフワラテと、ご飯系のクレープがあったから、二種類。私も今日は、監督と同じラテで」
戻って来たのぞみんが、あれこれと渡してくれます。
「ありがとー。え、これ凄いね。クリームチーズとサーモンに、魚卵まで乗ってる。そっちのベーコンとアスパラもいいね。記録記録」
クレープにかぶりついてようやく、自分の空腹を思い出した私は、夢中で食べて、ラテを堪能しました。確かに美味しかったのです。私は満ち足りた気分で、曇り空と遥か彼方の地平線、それから暗い海原を眺めました。
独特な生臭さはありますが、細かなさざ波が、『まるでレースのように、その黒い平原を飾っている』とでも形容すれば、きれいにも見えます。
私は、のぞみんがゆっくりとクレープを咀嚼し、ゆったりと食べ終わるのを待ちながら、のぞみんがくれたメールを、読み返しました。今回の劇に関する、アドバイスメールです。
今思えば、明るく、我々女性に活力を与えてくれる物語でありながら、とても哀しい背景があるのです。それは、『男性優位社会に対する抗議』だなんて、"ありふれたもの" に留まらない、何かもっと、深い感情を呼び起こすものです。
のぞみんが、さいごに付け加えてほしいと望んだ、主人公の秘密について、私はどうやら、浅薄な認識しか抱いていなかった気がします。
世間の目に触れてはならない、都合の悪い部分、主人公の光の部分に対する闇の部分というか、そういうものを提示することで、人間味が増す。人並外れた能力の持ち主である彼女に、観客が感情移入しやすくなる。そういう意図でもって、そえられたのだと思っていました。
当然、その効果もありましょう。でも、今日の話を聞いて、私にはどうしても、のぞみんに尋ねておかねばならないことが、出来てしまったのです。踏み込んだ話になります。けれど、避けては通れないのだと、私は自分に言い聞かせました。
「ねぇ、のぞみんがいつか話してくれた、お兄さんのことだけど」
「うん」
私はのぞみんの表情を伺うのが怖くて、遠くを見ながら話をします。
「のぞみんが知りたかった真実ってさ、見つかったの?」
のぞみんのカップを握る手が、宙で止まったのに、私は気付きました。やはり、ダメな質問だったのでしょうか。私が、おそるおそる彼女を見ると、彼女も、私をじっと見返していました。
ごくっと、自分の喉が鳴る音がしました。それくらいに何か、強い拒絶の意思が、垣間見えた気がしたのです。
折しも雲間から、太陽の光が差し込み、私たちの上に、一筋の光を投げかけました。それはたしかに熱を持って、半身を焼くように、存在を主張する陽光でありました。
そのときの、のぞみんの表情を、私は生涯、忘れることは無いでしょう。はじめは、笑っているようにも見えました。ですが、あまりに痛々しく、私の知る彼女の強さを、まるで忘れたような誰か、別人のように弱く、儚い女性に見えたのです。
それを目撃した自分の瞳孔が、みるみる驚きで広がってゆくのを感じました。そしてのぞみんも、そんな私の反応を見たせいでしょうか。次の瞬間にはまた、いつもの凛とした、隙の無い "女王の顔" に戻りました。
のぞみんはベンチから立ち上がり、ぐうっと背伸びをして、言いました。
「真実は小説より何とやら、というじゃないか。兄はね、とことん可哀想な人なんだ、本当に。私が妹じゃなかったら、きっと、死ぬことなんてなかったんだから」
「それはどういう…」
私が疑問符を投げかけると、のぞみんは、トコトコと走って、私から離れていきます。そしてすこし遠いとこから、おどけた様子で、『おいで』と言わんばかりに両手を広げ、私を砂浜に誘います。
女王の次は、どんな顔かと思えば、のぞみんが笑っています。かつて見たことが無いほどに、無邪気な笑みを浮かべて、私を手招きしているのです。その魅力と言ったら、一言では言い尽くせないものがありました。
ついぞ私は重たい腰を上げ、空のコップを置くと、惹きよせられる様に、彼女の元へ歩いて行きます。
そんな私を吃驚させるつもりなのか、彼女はふいにぐらりと、背後に倒れ込むように身を反らせたかと思うと、伸ばした長い腕をふり、くるりとその場で、一回転してみせます。
まるで踊るように角度を変えては、腕を振り上げ、身を翻し、そのたびに黒のブーツが砂を蹴りあげ、空と同じ白い煙を、雲のように沸き立たせます。
黙って佇んでいれば、王侯貴族のような、近寄り難さを持っている彼女です。ですがひとたび、笑顔に染まれば反転、少女のようないとけなさが、はちきれんばかりの輝きを増して、どれが本当の彼女だろうかと、私は戸惑うのです。
「すずちゃん、自由って素敵じゃない? なのにどうして、自由じゃないんだろう!」
弾む吐息の合間に、のぞみんが放った言葉。私はそれを、しかと記憶に刻みました。彼女が真に望むものは、もしかしたらずっと、彼女にしか見えないのかもしれません。それでも私は、その彼女の想いを、どうにか舞台の上に表して、世の人に伝えたいのです。
さぁ、私たちのお芝居は果たして、大学当局の承認を得て、日の目を見ることが叶うでしょうか。のぞみんの卒論と、私の未だ推敲中のホンの行方はいかに?
どうかお客様、『乞うご期待』といきましょう。お話はまだまだ、これからなのです。
Shakespeare's Interest ミーシャ @rus
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