ヒカリ

「…………右ですっ!」



 突然背後でそんな声が聞こえた。

 考えるより、体がその声に応えていた。


 右方向に右手を突き出し、圧縮された空気の塊を打ち込む。

 それは着弾と同時に弾けとび、右側から飛びかかろうとしていた魔物の体を遠ざけた。


 そんな彼の背後で、そうとう鈍い音が響いた。

 振り返ると、自分と同じくらいの身長をもつぼろぼろの男が、太い木の枝を振り回していた。

 しかもただ振り回しているだけではなく、無駄な動きがない。


 ひときわ鈍い音がして、魔物が飛んでいくのが見えた。



「だ、大丈夫ですか?」

「…………お前が大丈夫か?」



 振り向いたのは、まだ少年の色を強く残した青年の顔。

 その顔はあちこちが泥で汚れていた。

 衣服は泥だけではなく、裂け目やほころびでいっぱいである。

 エンの元いた世界の言葉でのやり取りが成り立つ。ということは、彼は、あちらの世界の住人だということ。



「ぼ、僕は……だいじょ」



 そこまで言って、突然彼は倒れた。おい! と慌てて手を沿え、何とか顔面から地面に突っ込みそうになる相手の体を支えた。


 ぼろぼろではあるが外傷があるようには見えない。一体どうしたというのか。さっきまであんなに元気に棒を振り回していたのに。



「お、おい? あんた、どうし」

 遮られる科白せりふ。男の腹の虫がなったためだ。なるほど、とエンは苦笑した。



「イティス、エマ、ユノ、ランディ! そろそろ食事にしないか? でないとこいつ、死んでしまう」

 エンは仲間たちに向かって、珍客を指しながらこの世界の言葉で呼びかけた







†††◇†††







「…………あンの、ヤロー……!」



 エンは片手で引きつった口元を覆いながらやっとそれだけ言った。



「これは…………俺たちじゃないか……!」



 風貌、癖、口調、皆、身に覚えがある。

 役目のことや空間の歪みなどについては出てこないが、この、主人公の魔物と戦う戦士とそのパーティー、市哉がいないだけで、まるっきり当時の彼らである。

 さすがに皆本名ではないとは言え……。



「ギャラを、取るぞ……! まったく……!」



 口元にあった手はいつの間にか、目元に移動していた。



「……何故、お前が……!」



 圭太がにこにこして渡してきたので、少年と一緒にこの世界へやって来たこの本を、読んでみたのである。


 文章表現が本当に上手い。

 状況が自然眼前に広がっていくような気さえした。

 言葉というものの存在が、これほど強固にイメージを固めることを可能にさせるものなのだということを、改めて感じさせられる。


 読んでいると、市哉が現れた頃を、あまりにも鮮明に思い出してしまった……。


 でも、彼は、もうどこにもいない。


 その、知らされただけの事実の受け止め方が、青年には分からなかった。


 ほんの数ヶ月間行動を共にしただけの、八つ年下の小説家。

 ふわふわとしていて掴み所のない変な奴ではあったが、妙に気が合って色々なことを話した。



「いきなり出てきて、いつの間にか帰って……最後まで本当に、突然消えるんだな、お前は……」



 きっと彼は、エンが親友と呼べた最初の人間。旅の仲間とはまた違う友情を交わした。



「…………ばかやろうが」



 ぽつりとそう言い、彼は本をテーブルに置いて部屋を出た。

 茶色いハードカバーのそれは、窓からこぼれる昼の穏やかな陽光に照らされて、静かにそこに在った。

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僕らの異世界冒険記・ゼロ(整理推敲予定) 千里亭希遊 @syl8pb313

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