284・貧血?
【貧血】
血液が薄くなった状態のこと。血中の赤血球数、ヘモグロビン濃度が基準値を下回った場合に貧血とされる。
学校で校長先生の長い話を聞いている最中に誰かが倒れたり、漫画やアニメで倒れたヒロインを主人公が介抱したことで関係がはじまったりと、他の病気と違い日常生活でも見かける機会が多く、なにかと軽視されがちな貧血だが、実はとても怖い病だ。
主な症状は、疲労感、倦怠感、動悸、息切れ、頭痛、目まい、立ち眩みなどで、ただの疲れと勘違いしやすい。そのため、自身が貧血と気づかずに放置してしまい、症状の悪化によって徐々に日常生活に支障をきたしていき、最終的には階段の上り下りはおろか、呼吸すら満足にできなくなることさえある。
また、貧血が徐々に進行した場合、体が低酸素状態に慣らされるため自覚症状が無く、重度の貧血では
指定難病に登録されている再生不良性貧血や、溶血性貧血ともなれば、最悪の場合死亡することもありえる。
たかが貧血。されど貧血。
大事なことなので、念を押してもう一度。
貧血はとても怖い病だ。
●
――とまあ、そんなわけで、貧血でも人が死ぬことはある。病弱な妹を持つ者として、一時ではあるが医者を目指した者として、貧血を軽視する気は全くない。
だが、しかし。しかしだ――
「アルカナ。私は君を当代最高の医師と思い信頼しているし、総司令として君たち軍医が総出で検死にあたり出した結論を尊重したいとも思う。だが、その死因は正直信じがたいな」
この場にいる者すべての胸中を代弁するかのように、ランティスが厳しい表情で言う。そして、狩夜としても同意見だ。
遠征軍に参加している者は、事前に闇の民の医師たちによる健康診断を受けている。死亡したトビーもその健康診断を受け、異常なしとされたからこそ、この場にいたはずだ。
実施された健康診断から半月足らず。その僅かな期間で重度の貧血を発症し、自覚症状無しに悪化。このタイミングで死亡というのは、さすがに腑に落ちない。
アルカナも、自身が出した検死結果に納得していないのだろう。ランティスの言葉に僅かだが視線を泳がせる。だが、それは一瞬のこと。軍医責任者として動揺した姿は見せられないとばかりに、毅然とした態度で口を開く。
「総司令のご懸念はもっともですわぁ。ですが、医学的に考えて――」
「医者! 医者はどこだ! 俺のパーティメンバーが倒れちまったんだ! すぐにきてくれ! 息ができない! 苦しいって! こんなのどうすればいいんだよぉ!?」
『――っ!!』
アルカナの言葉を遮るかのように野営地に響いた悲痛な声に、この場にいる者全員が一斉に息を飲む。
誰よりも早く駆け出すアルカナ。僅かに遅れて、傘下の闇の民たちが続く。レイラの力が必要になるかもしれないと、狩夜もまた駆け出した。正体不明のなにかに追い詰められていく感覚を、ひしひしと感じながら。
「きひ、きひひ」
再び聞こえる女の笑い声。本当に聞こえたのか、不安を感じる心が作り出した幻聴なのか、それすらわからないまま狩夜は走る。
そして、悪夢がはじまった。
●
――ああもう! 血中酸素濃度計が欲しい!
夜が明ける頃にはすっかり野戦病院となってしまった野営地を駆けずり回りながら、狩夜は胸中で叫んだ。
「ぜひ……ぜひ……」
「はぁ……はぁ……」
「目が……世界が回る……」
「頭が! 頭が割れるぅ! いてぇ! いてぇよぉ!」
狩夜の周囲には、地面の上に敷かれた布の上に寝かされた人、人、人。症状の多くは呼吸困難。次いで眩暈、頭痛といったぐあいだ。
倒れた理由は、なんと全員が重度の貧血であると診断された。
ここまでくれば誰でもわかる。この貧血はただの貧血じゃない。なにかしらの外的要因が必ず存在する。そのなにかを探るため、アルカナたち軍医は患者の治療と並行してその症状を観察、研究し、現状を打開せんと知恵を絞っていた。
患者の介抱をしているのは、なにもアルカナたち軍医だけじゃない。狩夜を筆頭に、多くの開拓者が自発的に手伝いを申し出ていた。身分も、種族も関係なく、遠征軍総出で問題解決にあたる。
手を抜く者はいない。誰もが真剣そのものだった。原因が不明な以上、明日は我が身かもしれないのだから。
「がぁ! がぁあぁぁあぁ!!」
「胸を搔きむしりながら暴れてる奴がいるぞ! 誰かきてくれ!」
「取り押さえろ! 急げ!」
呼びかけに応じ、狩夜も現場に急行する。すると、呼吸困難のあまり我を忘れて自分の胸を掻きむしる光の民の男を、複数人で抑え込もうとするも苦戦している様子が目に飛び込んできた。
「きゃあぁ!」
「――っ! 代わります!」
暴れ回る男に殴り飛ばされた光の民の女と入れ替わる形で、狩夜が抑え込みに加わる。男はなおも暴れようとするが、彼は『
「うぅ……リーダー……どうして、どうしてこんなことに……」
無事に拘束できて周囲の者たちが安堵の息を吐くなか、殴り飛ばされた女がおぼつかない足取りで戻ってきた。どうやら、拘束された男と、殴られた女は、パーティメンバーであるらしい。
腫れた顔を涙で濡らす彼女は、男の右手首を両手で押さえつけている狩夜を見下ろしながら、次のように懇願してくる。
「お願い、カリヤ君! 君のテイムモンスターの力で、リーダーを治してあげて! お礼ならこの遠征が終わった後に必ずする! お金ならいくらでも払うし、私にできることならなんでもするから!」
「――っ」
もう、これで何度目になるか。問題発生から幾度も投げかけられた、切実な願い。
レイラによる治療。瀕死の重傷だろうが、未知の病だろうが、問答無用で治療する、神秘の力による救済。
それを求める気持ちは痛いほどわかる。狩夜とてそれを考えなかったわけじゃない。現に最初の一人、手遅れではあったものの、トビーに関してはレイラに助力を求めている。
だが、事ここに至っては――
「それは――」
「ダメだ。許可できない」
「総司令!」
狩夜同様、騒ぎを聞きつけて駆け付けたと思しきランティスが、狩夜と彼女の間に体を割り込ませながら答えた。遠征軍総司令にして、自国の英傑が下した非情な判断に、彼女は目をむいて食って掛かる。
「なぜです!? なぜダメなのですか!?」
「この原因不明の貧血によって倒れた者はすでに五十人を超え、今なお増加中だ。そして、レイラの力によって助けられる数は、最大で三十人。すでにレイラの力だけでどうこうできる状況ではない。仮にだ、今倒れている者のなかから三十人を助けるとして、何を基準にその三十人を選ぶ? 暴動がおこるぞ。君は遠征軍を内部分裂させて全滅させたいのか?」
「それは――」
これ以上ない正論を叩きつけられ、彼女は二の句を継げずに歯を食いしばる。そして、ランティスの背後では、狩夜もまた歯を食いしばっていた。
ランティスに守られていることがわかるから。自分のために悪役になってくれていることがわかるから。
なにより、助けられるはずの人を、見捨てなければならないから。
レイラの力で誰か一人でも助けてしまえば、俺も、私もとなり、収拾がつかなくなる。一方で、誰も助けないのなら、誰もが納得する理由を用意するのは簡単だ。
遠征の成功のため。人類の版図拡大のため。精霊の復活のため。そうやって大義名分を掲げて犠牲を正当化すれば、指揮系統を維持できる。
だから助けない。助けちゃいけない。
「レイラの力は、きたるべき齧剋城での戦いまで温存する。治療には使わせない。これは遠征軍総司令である私からの命令であり決定事項だ。異論は認めない」
命令。そんな言葉を聞いて気持ちが軽くなる。一瞬後、その事実に気が付いて自己嫌悪で吐き気を覚えた。
――命令だから見捨てるのも仕方ない。僕のせいじゃないってか? ふざけろ! ランティスさんの優しさに甘えてんじゃねぇ!
口から飛び出しかけたそんな思いを、歯を食いしばる力をさらに強めることでどうにかこらえる。すると、言葉ではなく血が歯茎から噴き出した。血を吐くような思いとはまさにこのこと。
「恨むなら、カリヤ君や軍医たちではなく、私を――」
「そんな……」
「おい、君?」
ランティスの言葉がよほどショックだったのか、彼女の体が大きくよろめく。そして、そのまま気を失い、力なく地面へと崩れ落ちていった。
「くっ! おい君! しっかりしろ!」
そんな彼女を、ランティスが慌てて抱き留めた。彼女は、ランティスの腕のなかでとても苦しそうに呼吸している。
どうやら、彼女の足取りがおぼつかなかったのは、殴られたからではなく、彼女もまた重度の貧血であったからのようだ。今までそうとう無理をしていたに違いない。
「彼女が横になれる場所を! 早く!」
「ここ、空いてます!」
「わかった!」
ランティスは彼女を両手で抱きかかえると、示された場所まで丁重に運び、優しくその体を横たえる。その所作は、つい先ほどまで非情な言葉を紡いでいた遠征軍総司令と同一人物とは思えないほどに、慈愛に満ちたものであった。
引っこ抜いたら異世界で マンドラゴラを相棒に開拓者やってます 平平 祐 @heimennsekai3
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