ある二人の会話

 ロウィーナ砦。

 大陸から流入した数万もの軍隊が前哨ぜんしょう基地として建設した野営地が元だが、人が集まるにつれて、石壁が造られ、小さくはあるが石造りの営舎や物見塔まで建てられはじめている。


 新月の夜、潮が引き、ほんの数刻だけ崖下に現れる砂の道だけが、ダンセイニへと渡る唯一の架け橋である。

 その道を常に監視・警戒するのが、この砦の役割であった。


 砦の建つ高台から、西の水平線上にうっすらと島影が見える。

 喧騒けんそうを背に、二人の男がその島影を見つめていた。


「フィリップ。──貴公にアンジェリクを頼む」


 一人は黒髪の男。

 右脚を痛めているのか、杖をついて立っていたが、つらそうに座り込む。


「本当に行くのか、ジョフレ」


 フィリップと呼ばれ、答えたのは、金髪の美丈夫。

 美が形をとって現れたなら、この男のようになるであろうと思わせるほど、整った相貌かおをしている。


 二人の男は互いに遠くを見つめながら会話を続ける。


「あぁ。私にはこの地の日差しは熱すぎる──。そうだな、ダンセイニなら、涼しくていいかもしれない」

「だが、あなたは、我がいとこ殿を……」

「言うな」


 黒髪の男──ジョフレは、フィリップの言葉をさえぎった。


「私では荷が重い。あの、じゃじゃ馬なお姫様のお相手は。──けがれた血の、私ではね。それに、この脚じゃ、いざという時、彼女を守ってやることも出来ぬ」


「だが、彼女はあなたを愛しているのだ、ジョフレ。確かに、私を慕っていた時期があったとは聞いている。しかし、それは幼い憧れにすぎぬ。彼女が今愛しているのはあなただ。彼女のためにも、留まってやってはもらえまいか」


「分かっているだろう? 彼女には、貴公のように家柄も力も申し分ない男こそふさわしい。彼女だけが、聖王ロワ・サンユーグの血を引く、唯一の生き残りなのだから──」


 聖王ロワ・サンユーグ・ソレイユ。

 9つの国が滅び、一説には90万もの死者を出したという大戦争を終結に導いた英雄である。

 彼の持つ〈太陽王の剣ロワ・ソレイユ〉は、ダンセイニの地に最悪の“覇王華印マーニュ・フルール”を縫いとめ、その力を封じた。だが、その代償として、人々の希望の光であったユーグもまた、その命を散らしてしまっている。


「だが、一時は夫婦であった二人だろう? 確かに、聖王ロワ・サンの勘気に触れはしたが、あなたもまだ彼女を憎からず思っているのではないか」


「私たちは若すぎたのだよ、フィリップ。陛下がお怒りになるのも無理はない。誘拐同然に、彼女をさらったのだからな」


「──陛下はあなたのことを認めていた。いずれはあなたを許し、娘を託そうと話して下さったことがある。それでも、行くというのか」


「お許しを得る前に、陛下は亡くなってしまわれたからな。私が彼女をめとっては、今後に差し支えるであろう」


「しかし」


「くどい。──よいか、フィリップ。貴公らは、もはや貴公らを捨てて去っていく私のことなど、気にかけている場合ではないのだ。あの最悪の華印フルールを見張るべく、ここに新たな国を建て、未来へとその役目をつなげていかねばならぬのだから」


「ならばなおさら、あなたにも手を貸してほしいのだ、ジョフレ」


「いいや、フィリップ。出来立ての国ほど、もろく崩れやすいものはない。私のような異分子など、いないほうがいいのだ。国が栄え、よそ者でも受け入れられるだけの余裕が出来たら、私も力を貸せたかもしれないが……、今は一枚岩でなければならぬ。その点、アンジェリクの夫があなたなら安心だ。彼女の母君と、貴公の母君は姉妹なのだろう?」


「あぁ。──その通りだ」


「良いか、フィリップ。私のようなものに同情などしてはいけない。貴公の役目はこれより先、千年にわたって大陸を守るいしずえとなること。そのためには、私一人の愛情や慕情など、無価値に等しい。──思い出せ。彼女こそが、聖王ロワ・サンの血を後の世へとつなぐ器、〈聖杯サングリアル〉なのだぞ」


 ジョフレの言葉は、アンジェリクへの激しい愛情を吐露とろしたのも同然だった。それを捨ててでも、ジョフレは自ら、身を引こうとしているのだ。


「私のことは心配しなくても大丈夫だよ、フィリップ。戦のさなか、一度だけ光ったこの華印フルールだが、一度でも光ったということは、私にも素質があるということだ。旅の道すがら、この華印フルールを使いこなせるようになって、いっぱしの魔風士ゼフィールにでもなってみせようぞ」


 そう言って笑うと、ジョフレは杖を手に、立ち上がろうとする。


 ──よろけたジョフレの手を、フィリップがつかんだ。


「ありがとう。──無敗の軍神、フィリップどの」

「どういたしまして。天来の軍師、ジョフレどの」


 ジョフレは片足をかばいながら、杖をついて、崖の下へと続く細い道をたった一人で降りていく。それが、フィリップがジョフレを見た最後であった。


   ◆   ◆   ◆


 砦に戻ったフィリップのもとに、若い女が駆け寄ってくる。

 豊かな光彩を放つ褐色の髪をしている。青く透き通った眼は、聖王ロワ・サンではなく、彼女の母──ひいては祖母から受け継いだものだ。フィリップと同じ血を持つ証。


「あぁ! あぁ、フィリップ! 私の愛しいいとこ殿。──ジョフレ様は、ジョフレ様は行ってしまわれたのね」


 大粒の涙をこぼすアンジェリクを見るたび、フィリップは胸の奥がきしみをあげる。その感情が恋と名のつくものだと知るには、フィリップは戦いに明け暮れすぎていた。


「アンジェリク。夫だった男を失って、あなたの悲しみはいかばかりであろう。どうやって慰めれば良いか、私には分からぬが──」


 すると、アンジェリクは大粒の涙を流しながら、目を見開き、前を向いた。


「──いいえ、フィリップ。慰めてなど、くれなくてもいいの。私も、あの方の後を追うわ。地の果てまでもついていって、添い遂げるのよ」


「だ、ダメだ!」


 先ほどまで、二人が結ばれることを心の底から望んでいたフィリップは、今、アンジェリクを行かせてはならぬと大声を出していた。


「あなたには聖王ロワ・サンの血を継ぐ者として、この地に残った我々を導いてもらわねばならぬのだ、アンジェリク。あなたのお父上は、それほどまでに偉大であった。先の大戦で、我々は皆傷つき、疲弊ひへいしている。今、お父上の正統な後継者であるあなたまで失うわけにはいかぬ」


 そう説得しながら、それが欺瞞ぎまんであることをフィリップは知っていた。──それでも、例えそれが欺瞞でも、アンジェリクを行かせてはならなかった。


「行かせて! 行かせて、フィリップ!」


 泣き叫ぶアンジェリクを後ろから抱きしめ、離さない。


「ダメだ。ダメなのだ、アンジェリク。──これは、あなたの夫も、ジョフレも望んだことなのだ!」


 その時、アンジェリクはフィリップの腕を振りほどいて駆けだした。しかし、すぐさまよろけ、その場に膝をつく。


「でも──! でも、このお腹には、あの人の子供が──!」


 瞬間、フィリップの心臓を電撃が貫いた。

 目の奥が弛緩しかんし、何も見えなくなる。


 次の言葉をつむぎだすのに、しばらくの時間を要した。


「アンジェリク。あなたは──、あなたがたは、お父上には内緒で、密会を……?」


「違うの、フィリップ。あの人は悪くないの。ただ、最後の戦いを控えた晩に、どうしてもと、あの方の胸に抱いてもらったの……」


 怒り──ではなかった。

 泣きじゃくるアンジェリクを前に、彼の胸に去来するのは、獣じみた欲望──、そして、愚かな娘と思いながらも、それでもなお湧きあがる愛しさだった。


「分かった、アンジェリク。その子は私との子として育てよう。なに、我がプレシー家は弟が継いでくれる。何も問題はない。──これはジョフレも望んだことだ」


 自分が自分ではないかのように感じながら、フィリップは言葉をつむいだ。空々しい言葉を並べ立てているのが自分だとはとうてい思えない。


 必死、だった。


 一方で、どこか安堵もしていた。これで、自分の心の内を、悟られずに済む……。


 そこまで考えて、フィリップは愕然がくぜんとした。

 自分がアンジェリクに対して抱いていた感情の正体を知ったから──。


「そう……。そうなのね。これが、あの人の選んだことなら、私はそれをまっとうします。それが、あの人の妻としての、私の役目。例え、地の果てにいようと、例え、他の殿方に抱かれていようと、私があの人の妻であるという事実は微塵も変わることはないのだから……」


 そう言って立ち上がったアンジェリクの目に、もはや涙はない。

 そこにいたのは、一人の女王であった。


 これより、ソレイユ朝サングリアルの歴史が、幕を開ける──。


〈了〉













――――――――――――――――――――

◇お疲れさまでした!


スリーピング・マジェスティはこれにて完結です。


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スリーピング・マジェスティ 斉藤希有介 @tamago_kkym

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