番外編
挿話集
プレシー暦214年 ペギラン
そんな中、早朝こっそりと居館を出たペギランのあとをつけてみれば、向かった先は
「おい、こんな早朝にどこへ行くんだ?」
声をかけると、馬を引いたペギランの背中がびくんと震える。
「へ、陛下……」
しばらく返答を待ったが、ペギランに答える様子がないので代わりに話し始める。
「ジュールの軍はすぐそこまで迫っているんだがな」
「し、知っております……」
くせっ毛の青年は、沈痛な面持ちで息をついた。
「──
ジュールの宣戦布告があって以来、大会は中止となっていたが──、確かにこのところ、騎士たちを率いて戦うはずの
気迫が足りない、と、ヴラマンクならば分かる。
いや、おそらくは、ペギランの試合を見れば誰でもがそう思うだろう。相手をいたわり、傷つけぬよう、細心の注意を払った試合運びをしている。だが、そんな試合は勝負どころか訓練にすらならないのだ。
「パッ、パルダヤン様のことです……」
胸の奥から痛みを吐き出すように、ペギランは声を上げた。
先日の大会で、ペギランの馬が暴走し、アテネイの父・パルダヤンを落馬させたことを言っているのだろう。パルダヤンは現在、脚を痛め療養中である。ジュールとの戦いには、おそらく参加は出来まい。
パルダヤンはペギランと違い、勇猛果敢な試合ぶりで、いつも場内を沸かす立役者の一人である。それが──、もしかしたら、騎士として再び戦うことは適わないかも知れない。これは、正直、痛手であった。
「だがまぁ、まだ怪我をしてから四日目だ。パルダヤンがどうなるかなんて、治療を続けてみなければ分からないんだから。あまり悲観しすぎないこったな」
「いえ、私が悪いんです」
ペギランがしっかとヴラマンクの目を見下ろして言った。
その
「……97年前じゃ、こんなことは毎日のように起きていたからなぁ。俺も少し考えが足りていないところがあった。……お前にはきちんと罰を与えようと思う」
「覚悟しております」
その言葉に、ペギランはむしろほっとしたような表情を浮かべて、姿勢を正した。
ペギランが望んでいたのは罰だ。
自分の力不足がまねいた事故で、大事な騎士の一人が、二度と戦えなくなるかも知れない怪我を負ってしまった。それだけでも気の優しいペギランにはつらかったろうが、それを適切に罰せられなかったことが、なお彼の心を苦しめていたに違いない。
「だが、こんなことで我が
「いえ……、はい。少しでも力をつけて、陛下のお役に立ちたくて」
その答えにヴラマンクは満足そうにうなずく。
「それで? どこへ行くつもりだったか言ってみな?」
サングリアルの大献酌は少し口ごもっていたが、やがて口を開いた。
「実は、その、馬上槍の訓練をと思いまして……」
「ひっひっひ。試合用の槍まで持っていれば、それぐらいは分かる」
ペギランは手にした長大な槍を隠そうと背中に回した。
──もちろん、隠せるわけもなく、後頭部から槍の穂先がのぞいている。
「……どうだ? もし、お前が望むなら、俺が稽古をつけてやろうか?」
「い、いえっ、そんな、ご迷惑をおかけするわけには……」
ペギランがばっと顔をあげ、両手を振って断ろうとする。
「この愚かヤロウっ! 訓練をするには師が必要だろうが?」
「それは……」
ヴラマンクが指摘すると、ペギランは泣きそうな顔になっていた。
「……正直なところを言うと、お前が逃げ出すんじゃないかって思っていた。城内騎士の営舎から槍を出してくるまではな。お前はどうも弱気なところがあるから」
おどおどと見返す大献酌の目はヴラマンクの目からは1ピエほど高い位置にある。
「俺一人じゃ、この国の騎士すべてを指揮することは出来ない。……お前にも、手伝ってほしいんだけどなぁ」
おどおどとしていたペギランの目に、一瞬強い光が宿ったように、ヴラマンクには見えた。
「……ご指導、お願いできますでしょうか」
その答えにヴラマンクはにかっと笑い、背伸びをして長身のペギランの頭を叩く。
「お前の場合、まず馬を
「私の馬は戦闘に向いてない性格なんです。優しい馬ですので」
「だからと言って、他の馬に乗ると少し怯むところがあるだろ。相手は動物だぞ。言って聞かせて分かってくれる相手じゃない。お前の馬は優しいから乗せてくれているだけだ。他の馬なんか、自分より上だと認めた人間しか乗せてくれんぞ」
真剣に聞き入るペギランを置いて厩舎に入り、ヴラマンクも自分の馬を連れてくる。
「お前はこっちの馬に乗れ。それから、槍は置いていい。まずは遠乗りに行く」
「遠乗り、ですか?」
「普段は自分の馬に乗せてもらっているのと、ほとんど王都から出ないせいで、馬に乗る体になってないんだよ。そんなんじゃ、他の馬になめられるからな」
そう言って、ヴラマンクはさっさと自分の馬にまたがった。
「とにかく、長い距離を駆けてもっと馬に慣れろ。馬はどういうときにどう動くか、体のどこに力を入れ、どう御せばいいか。そういったことに慣れておかないと、事故のときのように、とっさに理解できない指示を出して馬を混乱させることになる」
パルダヤンを落馬させた事故のときは、おそらく、ペギランが突進する馬の勢いに驚き、変に手綱を引いておかしな指示を出してしまったのが原因だろう。そうならないためにも、馬の動きに一通り慣れておく必要がある。
「行きはあぶみを外せ。まずは揺れを体に覚えさせる」
「は、はいっ」
「腹に力を入れろ。頭から尻まで一本の棒になったように。上体を振られると余計な力を食うからな」
ヴラマンクはそう言うと、馬の腹を蹴って駆け出した。
その日、二人が王城に戻ったのは夕陽が暮れかけたころで、城門で待ち構えていたルイに、二人ともこってりとしぼられることになる。
──なお、パルダヤンの怪我は幸いにして軽く、その後すぐ、乗馬できるまでに回復した。
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