第3話 巫女と巫女

 玄関先に倒れ伏す陽一に、少女は駆け出そうとしたが、その前に神が腕で遮った。咄嗟に見上げた神の無表情の中にある咎める視線に、少女は冷静さを取り戻した。


 神は男を見つめる。

 トクン、ドクン、ドクッ。

 感ずる波動は二つではない。

 弱々しい拍動と、荒ぶる波動。その中にもうひとつ、よく知った力がある。

(あいつは一体何をしたのか……)

 己の眷属を名乗る宮司の顔が浮かぶ。もちろん、神の側が不利益になるようなもので無いことはわかるが。

「……うっ……」

 意識を戻したらしい男が呻きながら身を起こした。

「……く……そがっ! 力が! 力が!」

 頭を片手で抑え、ふらりと立ち上がる。

「力が!!!」

 ぐあっと見開いた瞳が、戦く少女を捉える。

 その視界には少女の姿しか入っていないようだった。

「力をっ! ヨコセー!」

 声と共に、男の足元から、ぶわりと炎が立ち上る。意思を持つ触手のように少女へと炎が伸びる。

「ひっ!!!」

 怯えた少女がすがるように横にたつ神の袖口を掴んだ。

「こんなものを恐れることはない。お前に届かせはしない。ただ、我を信じろ」

 淡々と神は言う。

 水希は答えた。

「はいっ!」

 ぎゅっと掴んでいた布から手を離す。

 その行動に神が小さく頷き、パンと柏手を打った。ざあっと天幕カーテンのように水が現れ、迫る炎を隔てさせる。水に触れた炎は消え、あたりに白い煙が生じた。

「なんだ! なんだ! キサマはナンだ!」

 男は邪魔をされて漸く少女の横にたつ神に意識を向けたようだ。

「火の仮生か」

 想像よりも小物な相手だったが、その依り代にされている人間を救うとなると事は簡単でなくなる。

 禍々しい黒いオーラを発する男は、怒り狂ったように神に炎の攻撃を繰り返す。炎は神の生じさせた水の天幕を越えることが出来ない。

(どうしたものか)


 神の横で少女は佇み、神と男の攻防を見つめる。

 男がこちらに気付いたとき、その眼光で、殺されるかと思った。炎が迫ってきたときはあまりの恐怖に倒れるかと思った。でも今はもう怖くはない。神が側に居てくれる。それだけで恐怖は消えてしまった。

 今は自分に出来ることをしたい。

 神は信じろと言った。もちろん、信じている。

 願っていればいい。

 祈っていればいい。

 それでも、水希は思う。

(私にも何か出来ることはないのかな?)

 願うだけで、祈るだけで、本当にそれだけで、神の力になれるのだろうか?

 たった一人の力で?

 疑うのではなく、ただただ純粋に、神の力になりたい。

 願いは沢山ある。兄と慕った叔父を返してほしい。出来れば無事な姿で。でもそれと同じくらいに、神にも無事でいてほしい。消えないでほしい。側にいてほしい。

(側に置いてほしい)

 両の手を胸の前でくむ。


ーおねがい、すくってあげて。


「えっ」

 ざあっと熱気の籠る風が吹く。

 水希の目の前の光景が、一変した。

「……なに、ここ……」

 岩場だった。

 ごろごろとあたり一面に転がる岩。黒い岩石。そのうちのひとつ、水希は大きな岩の上に立っていた。

「おねがい、たすけてあげて」

「ええっ!」

 声が聞こえた。若い女の声だ。

「このこはわるくないの」

 水希の立つ岩場のしたの方に目線をやれば、獣の皮で作られたような服を着た人間がいた。

「ごめんなさい。ごめんなさい」

 水希に気づいている様子はない。映画のワンシーンのように女が一人、何かをしている。

「助けられなくて、ごめんなさい。頼ってばかりだったのに。私たちがあなたを縛り付けたのに」

 女は何かを持っているようだった。それに向かって語りかけているようだ。

「私には出来なかった」

 女がこちらを向く。

「だからどうか」

 唐突に水希の目の前に女がいた。

「あなたが助けてあげて」

 女の手のひらには蒼白い、炎。

「っ!」

 声が出なかった。体が勝手に動いて差し出された炎を受け取る。熱いはずのそれは、氷のように冷たかった。

 手のひらから伝わるのは、熱だけではなかった。

 声が、聞こえた。

 女の声ではない。

 幼い子供のような、頼りない声音。

 泣いているようにも聞こえた。

「巫女よ、お願いいたします。私には出来なかった。むしろ裏切ってしまった」

 女の姿が霞む。

「ちょっと! 待って! わたし巫女じゃ……」

 女の姿が消えると、水希の意識は元の場所へと戻っていた。


 神が横に立ち、正面に叔父がいる。炎と水のカーテンのやりとりも変わらず、時が止まっていたかのようだ。

 白昼夢、と呼ぶべき現象か。

「うそ……これ……」

 組んでいたはずの手のひらは開かれ、先程の女に渡された蒼白い炎がそこにあった。

 水希の異変に先に気づいたのは男だった。

「アア!! ソレヲヨコセ!!!」

 ぐあっと炎が力を増す。

 男の体を気にかけ、攻撃をするわけにもいかず、どうしたものかと攻めあぐねていた神は、水の壁を力付くで打ち破ろうとされたことで、つい力を増してしまい男の体を弾き飛ばしてしまった。

「あ、すまん」

 そんなつもりはなかった、といったところで言い訳にしかならないが。

 廊下に伏した男に向けて一応の謝罪。このあたりも少女の影響と見て良さそうだ。

「か、神様、これ…」

 背に庇う少女の異変にはもちろん神も気づいていた。瞬きするほどの間、気配が希薄になり、訝しく思う間もなく、自分とは違う神気を伴って現れた。

「こちらが本体のようだ」

 蒼白い炎がゆれる。これをぷちっと潰してしまえば、アレも消える。物騒なことを思い付きながらも、神はそれを行動に移しはしなかった。もし、それをしてしまえば、彼女の望みとはかけ離れてしまうからだ。


「……ヨ…コセ……。…ソレハ…我ノ」

 横たわる陽一の姿が陽炎のようにゆらぐ。

「我ノ、チカラダ!!!」

 一際大きな炎が上がる。

 陽一が伏した廊下を焼き、水希たちが立つ玄関先にまで引火した。

「家が燃えちゃう!」

 戸惑いつつも手のひらの青い炎を庇うように身を引き、すがるように己が助けとする神を見る。

「!!」

 多少の炎に怯む水神ではない。

 彼は衝撃を受けたことが衝撃だった。

 無表情で整った能面のようだった水神が、目を見開き、戸惑うような表情で少女を見る。

 少女の腕の中で庇われている幽かな神気を放つ炎。

 それに対し、微かな苛立ちをもった事に。

「神様!?」

 呼び掛けに、我に返った神が煩いものを払うような仕草をすると、迫る炎も、叔父の身体も巻き込んで、顕現した濁流に飲まれた。


 気がつくと、火災による焼失より、水による浸水の方が被害が大きかった。


 


 

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湖の神の守り人 直記 @y-ikuno

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