エピローグ
刈葉さんと弐平さんが咽び泣いて強く抱き締め合う。低音火傷みたいに残っていた傷が中垣さんの思いで治癒された。
すれ違いというのは一度始まるとなかなか止まらない。最悪の結末を迎える前に誤解が解けて本当に良かった。たぶん、こうでもする以外に良い方法がなかったのだろう。
すると、土能さんがデスクに載っている原稿を見て呟いた。
「あれ、これもう少し続きがあるみたいだけど」
僕はもしや、と予想を立てる。佐伯さんの事件の時、事件解決の後に蛇足があった。今回も既に事件が解決しているが、残りのページには何が書いてあるのだろうか。
他の人も興味をひかれたらしく、なんだなんだと顔を寄せてくる。
続きを読んでみた。
〈夕香はとても厳しい女性だった。仕事はきっちり、そして話せば容赦をしない。向上心が強く、頼れる存在。
だが仕事にそれだけ真摯である代わりに、プライドも高かった。それゆえ、耕平とは対立することになった。耕平は仕事ができる奴だが、夕香は自分の方が上だと思って譲らない。いつか手酷く懲らしめてやろうと思っていた。
来る日も来る日も衝突。耕平は口数が少ないためたいていは夕香がやりこめる。それでも夕香の気は晴れない。私の方が仕事ができるのに、こいつは目障りだ。
しかし、やりこめられているはずの耕平はいつも涼しい顔をしたままだった。それがまた小憎らしい。それでもっと夕香が攻撃的になる。もう行くところまで行って痛めつけてやろうという気持ちになる。そして夕香は容赦しなかった。
だが、気持ちがピークに来てから変化が起こった。
なぜ私はこんなにも耕平に攻撃的になるのか。
そんな疑問にぶち当たったのだ。
なぜだ、なぜだ。そんな疑問を解消するために夕香は耕平を観察し始めた。ほとんど仕事をしている間中、ずっと見詰めていた。よく見てみると、耕平は時折子供っぽい微笑を浮かべていた。それは作業がうまくいった時だろう。作業に躓いた時は、「ほほぅそう来るか」などと呟いて将棋の対局でもしているのかという感じになる。長考する時は人差し指でぐるぐると円を描く癖もあった。
もっと観察していると、徹夜の準備で持ってきているのがおにぎりだけとか、栄養はちゃんと取れているのかという気分になった。ちゃんとバランスよく食べないと駄目じゃない、もうなどと胸中で毒づく。耕平のことなんか嫌いだけど、しょうがないから弁当でも作ってきてやろうかしらと思い始めた。本当は作りたくなんかないけど、栄養バランスのためには仕方ないだろう。
帰りの買物の時、ついでに耕平の弁当の分も買って行く事にした。これも良いけど、あれも良いかもしれない。でも好みに合うかしら……いつの間にか食材選びに熱中してしまい、そんな自分を意識した時、急に顔が熱くなってきた。何をしているんだ私は。これは仕方なくしていることなんだから、あいつの好みなど知ったことか。
翌日、夕香は早起きして弁当を作った。いつの間にか鼻歌を唄っていたが、それを自覚すると黙々と作業に没頭した。別に浮かれてなんていない。でもしばらくすると、また自然に鼻歌を唄っていた。弁当箱に詰める作業も、レイアウトを気にして時間がかかった。見栄えが完璧でないと気が済まない。
出来上がった弁当をバッグに詰める時、急に不安になった。
いきなり弁当を渡して、何で作ってきたの、と言われたらどうしよう。
別に、あんたのために作ってきたわけじゃ……目の前でおにぎりだけとか栄養バランス悪いのを見せられちゃったら、しょうがないじゃない。
そんなことを考えて、何だこの言い訳は、と耳が熱くなった。恥ずかしくていっそこの弁当を無かったことにして家に置いていってしまおうかと思った。
でもそんなことができるはずもなく。
あいつは喜んでくれるだろうか、と耕平の笑顔を思い浮かべ夕香は心を躍らせた。〉
これはいったい……と思っていると、土能さんがヒステリックな声を上げた。
「何ですかこれは! 私が何であんな男と!」
ああ、『夕香』って土能さんだったな。どうしよう、怖い。
六波羅さんは意外そうに首をかしげている。
「おかしいな……違うのか……」
まあ、違うのだろう。これは佐伯さんの事件の時と同じく蛇足だ。土能さんがつかつか歩いて六波羅さんに詰め寄り、クレームをつけている。それはもう容赦がなく、僕なら心が折れそうな勢いだ。
でも、ここで説明するのも僕の仕事だと思うので土能さんに声をかける。
「土能さん、すいませんが『何があっても怒らない』という約束です」
ぐるんとこちらを向いた土能さんは、夜叉の顔をしていた。
「それはそうですけど、これが怒らずにいられますか!」
僕は反射的にイエス、サーと返しそうになったが、堪える。
「六波羅さんの小説は、一つだけ欠点があるんです。彼女の小説は事件の真相を暴いてくれますが、無駄な恋愛要素を入れてしまう癖があるのです。ですから、気にしないで下さい」
それでもしばらく土能さんの鼻息は荒かったが、六波羅さんがFBI元捜査官に認められた話などで気を逸らしていると、次第に落ち着いていった。怒った人を宥める作業も、この先助手としてやるべき『いつもの作業』になりそうだな。
これで事件解決。
まだ首をかしげている六波羅さんを見て僕は微笑む。
六波羅さんが恋愛小説を書く理由が分かってしまった後だけど。
それでも、僕はこう言わずにはいられない。
「恋愛小説家だけど、恋愛書くのは苦手なんですね」
すると彼女は自信に満ちた普段の姿から一変。顔を真っ赤にして、年齢相応な感じで、可愛らしいと表現したくなる調子で、怒鳴った。
「うっさい!」
PΦS68 滝神淡 @takigami
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