「瘤黒さん」5/5

 雛形さんは、友也に気づいた途端、パッとその顔に笑みを浮かべて挨拶した。十字の磔台に、両手両足と胴と首をがっちり拘束された、物々しい磔姿に不似合いな、相変わらずの、ほがらかな笑顔。


 友也は思わず、雛形さんの顔から目をそらして、その目を伏せた。

「……雛形さん」

 友也は、両手で隠すように石ころを握って、雛形さんに近づく。

「……? どうしたの? 友屋さ――」

「ごめん、雛形さん――。何も言わずに、一発だけ、殴らせてくれ!」

 叫ぶと同時に、友也は、右手に持った石を振り上げた。


 狙いをあやまたぬよう、このときばかりはしっかと目を見開いて、雛形さんに視線を向ける。

 それによって、否応なく、雛形さんと目が合った。

 瞬間。

 雛形さんは、頑丈な手枷に捕らわれた腕を、びくりと震わせた。

 そして、そのこわばった表情に、明らかな怯えと混乱を滲ませて、

「……なんで?」

 と、小さくかすれた声をこぼした。


 その反応に、友也は、腕を振り上げたままの姿勢で、固まった。


 ――なんという、まともな反応だ。


 この人らしからぬ、というか、もういっそ、この町らしからぬと言っていい、尋常極まりないリアクション。それは友也にとって、ある種の衝撃だった。加えようとした暴力そのものよりも、この町で、この人に、こんな普通のリアクションを取らせてしまったことに対して、なんだかものすごい罪悪感を抱いてしまう。

 一瞬後。ハッと我に返った友也は、あらためて、雛形さんの顔をじっと見つめた。

 雛形さんは、依然として表情をこわばらせながらも、すでにどこかあきらめた様子で、泣き出しそうなのか、呆けているのか、どちらともつかない目をしている。


(う……)

 心の痛みが限界に達し、友也は、雛形さんから一歩退いた。

 石を握った右手が、落とすともなく、すとんと落ちる。


「ひ……雛形さん。……あの、違うんだ。えっと、その……」

 友也はとっさに口を開いて、うろたえつつ、声を絞り出した。せめて、言い訳させてくれ。事情を話させてくれ。話してどうなるものでもないとはいえ。やっぱり、それくらいは、説明しといたほうが。当人も、「なんで?」って尋ねているわけだし。

「あの、だから……別に、雛形さんが、何かしたってわけじゃなくて。雛形さんは、ほんとは、ぜんぜん関係ないんだけど。でも、俺、どうしても、誰か殴らなきゃならなくて。でないと、瘤黒さんが……。日が沈むまでに、誰か殴って、その相手に、痣とか瘤とか怪我負わせないと。そうしないと、瘤黒さんが……一生、死ぬまで、俺にくっ付いたままになるっていうから……だから、あの……」

「……瘤黒さん?」

 雛形さんは、首輪で拘束された不自由な首を、かすかにかしげ、問い返した。

「瘤黒さん……今、そこにいるの?」

「いるよ、いるから困ってるんだよ! 今朝起きたときから、ほら、この腕のとこ――」

 と、友也は、左の袖を、二の腕までまくり上げた。

 ところが。

「――あ?」

 二の腕に落とした友也の目が、点になる。

 そこに、瘤黒さんの姿はなかった。それだけでなく、もとからあった打ち身の跡さえも、きれいさっぱり消え失せていた。


「え……? あれ……? な……なんで――?」

 わけがわからず、呆然とする友也に向かって。

 雛形さんは、一つ小さく溜め息をついて、こう言った。


「あのね、友屋さん……。瘤黒さんは、確かに、人の体の痣や瘤に乗り移って現れるけど。でも、あの人は、気が向いたときに人に取り憑いて、飽きたら勝手にいなくなる、ただそれだけの住民なんだ」

「え……」

「だから、瘤黒さんに取り憑かれても、日暮れまでにほかの誰かを殴らないと……なんてルールは、ないんだよ」

「え? え?……」

「瘤黒さん、人をからかうのが趣味だから……」


 一杯食わされたね。と、雛形さんは、もう一度、力なく溜め息を吐き出した。その口元には、もう、先ほどまでのようなこわばりはなく、代わりに弱々しい笑みが浮かんでいた。

 その笑みを、ぼんやり眺めながら。雛形さんの話した内容を、十数秒かけて、呑み込んで。

 直後に、友也は、がっくりと地面に膝を付いた。


「お……俺は……っ。なんてことを……」

 押し寄せる、激しい後悔と、自己嫌悪。

 友也は涙声を漏らし、膝のみならず、両手もべたりと地面に置いた。そうやって、両手両足をフルに使わなければ、自分の身を支えていられない心境だった。

 もう、嫌だ。自分という人間に、つくづく愛想が尽きて、嫌になる。瘤黒さんの悪魔の囁きを、あっさり受け入れて。もう少しで、意味もなく、シャレにならないレベルで雛形さんを痛めつけてしまうところだった。なんだって、自分は、こんなに心が弱いんだろうか。


「ごめん、雛形さん……。本当に、なんて言って謝ればいいか……。っていうか、謝って済むことじゃないと思うから、こうなったらもう、俺のこと、気が済むまで殴ってくれ!」

「え、いや……そう言われても。えっと。僕はさ。刑期が終わるまでは、ほら、このとおり、手が使えないわけだし……」

「だったら、ちょっとの間、この石持ってて! 雛形さんが持った石を目がけて、俺がセルフで頭突きをかますということで、ここはひとつ――」

「お、落ち着いて、友屋さん! そんなことしてもらっても、僕は別に……!」

 雛形さんは、必死の口調で友也をなだめようとする。

 しかし、そんな心の広い対応、この場合においてはむしろ、逆効果にすぎなかった。

 友也は顔を上げ、すがる目で雛形さんを睨みつけると、「じゃあどうすればいいんだ!」と叫んだ。この罪悪感に、どうやって始末を付ければいいのか。それを教えてくれ。


「えっと……。どうすれば、と言われても……」

 雛形さんは、困った顔をして、友也と見つめあったまま、しばし次の言葉を探し。

 それから、屈託ない笑顔を浮かべて言った。

「いいから、もう、気にしないでよ。僕も、実際に怪我をさせられたわけじゃないんだし。友屋さんは、この町に来たばっかりで、瘤黒さんのことを知らなかったんだから、仕方ないよ」

「――……」

 雛形さんの返した答えに、友也は、心の中で舌打ちした。

 なんでだ。なんで、そんな簡単に許しちゃうんだ。確かに、暴力行為自体は、ぎりぎりのところで未遂に終わったものの。それは、瘤黒さんのあの話が、たちの悪い嘘だったからであって。もし、あの話が本当のことだったら、自分はやっぱり、雛形さんを――。


「そうやって、笑って『気にしないで』なんて言われたら……こっちとしては、余計に心苦しいんだよ……。こういうときは、あっさり許されるより、ちゃんと怒ってほしいんだ。道屋さんなんかはさ……あの人の鞄、盗んだときに、俺のこと『根性が悪い』って、ガツンと一喝してくれて……」

「友屋さん、道屋さんに、そんなことしたの……?」

 少々あきれた声の雛形さんにかまわず、友也は、食い付かんばかりの勢いで続きを述べる。

「だから、雛形さんも……! 俺のこと、殴らないまでも、せめて何か罵倒してくれよ!」

「え……えええ~……でも」

「頼むよ! そうしてもらったほうが、俺もよっぽど気が楽になれるんだ!」

「そ……そう? そういうものかな……」


 雛形さんは、それでも、けっこう長い間ためらっていたが。

 やがて、友也の視線に気圧されるようにして、おずおずと口を開いた。


「それじゃ…………ええと……………………と……友屋さんの…………ばかやろう……」


 雛形さんは、ものすごく気が進まなそうに、消え入りそうな声で、それだけ言った。


 梱包材で厳重にくるんだような、その罵倒を受け取って。

 友也は、またガクリと首をうなだれた。

 なんだこれ。もう、何がしたいんだかわからない。こんなの、ただの自己満足じゃないか。雛形さんの気持ちなんて、ぜんぜん考えちゃいないじゃないか。嫌がる相手に、自分はいったいなんのプレイを強要しているんだ……。


 友也は、よろけそうになりながら立ち上がると、「ごめん……」と一言呟いて、雛形さんに背を向けた。気まずい空気の満ちるこの場から、早く遠ざかってしまいたい。その一心で、疲労した足を動かし、歩き出す。


 そのとき。


「友屋さん……またね!」

 と。雛形さんが、友也の背中に向かって、呼びかけた。

 友也は、ぴたりと足を止めた。


(「またね」……か。雛形さん、こんな俺なんかに、「またね」って言ってくれるんだな……)

 まったくもって、心の広い人である。


 ――でも。

 その「また会うとき」を、雛形さんは、自分で選んで決めることが、できない。

 雛形さんに会いに行く人は、会いに行こうと思って、それができるけど。でも、磔の刑に処されている雛形さんは、そうはいかない。自ら動けない雛形さんにとって、他の誰かに会うのは、いつだって、相手任せ、運任せのことなのだ。


 だから、だろうか。

 またね、と言った雛形さんの声が、なんだか、寂しそうに聞こえたのは。


(会うときだけじゃない……別れるときだって、同じだ。今だって、俺、雛形さんとこれ以上いっしょにいるのが気まずいからって、勝手に帰ろうとして――)

 一方的に、逃げようとした。

 そうされても、雛形さんが追ってくることなんてできないと、わかっていて――。


 友也は、うつむけていた顔を上げた。町の空は、すでに夕暮れを過ぎ去って、夜の色が混じり始めている。

 くるり、と踵を返して。

 友也は、もう一度、雛形さんのそばに歩み寄り、その磔台の隣に腰を下ろした。

 そうして、気まずさを振り払い、雛形さんを見上げると。

 雛形さんは、少し戸惑った様子で、不思議そうな顔をして、友也を見つめた。


「友屋さん……?」

「あ……あの。えっと。……やっぱり、今日は、もうしばらく、ここで……。あ。もちろん、雛形さんが嫌だったら、すぐ帰るけど」

 友也は、雛形さんから目をそらすまいと必死になりつつ、やっとの思いで、それだけ言葉を押し出した。雛形さんがじっとこっちを見ているから、今は、こっちからその視線を外すわけにはいかない、という気がした。


 ドキドキしながら、雛形さんの反応を待つ。これで本当に「じゃあ帰って」と言われたら、正直へこんでしまうが。かといって、無理してまでいっしょに居られるのはもっと嫌だ。雛形さんが、ほんのちょっとでも迷惑そうなそぶりを見せたら、即刻立ち去ろう。そう思って、友也は、雛形さんの表情の変化を見逃すまいと、その顔を凝視する。


 沈黙は長くは続かず。

 やがて、雛形さんは、ゆっくりと口を開いて。

「『友達』……買ってないのに、いいのかな」

 と、うれしそうに、笑みを浮かべた。


 その笑顔に、友也の胸が、ズキンと痛んだ。

 雛形さん。何事もなかったように笑っているけど。でも、きっと、傷ついていないはずがないのに。

 殴らなかったとはいえ。自分は、ほかにもたくさんいる住民たちの中から、あえて雛形さんを選んで、殴ろうとしたのだ。「殴ってもいい相手」とみなされることは。「ただ一人の犠牲」として選ばれることは。それだけで、心をえぐるには充分な仕打ちだ。


 なのに、なんで、怒らないんだろう。悲しまないんだろう。俺のこと嫌わないんだろう。何もう普通に笑ってんだ。ついさっきのまともな反応はどうした、おい。――そんな台詞を、まあ、口には出せず、友也はただ胸の中で呟くに留めた。


(雛形さんて……どういう人なんだろうなあ)

 よく、わからない。

 もっとも、それは雛形さんに限ったことではないし――この町の住民は、基本的に、よくわからないのが揃っている――まだこの町の来たばかりの自分が、町の住民たちについてあまり知らないのは、当然といえば当然なのだけど。


 ただ――。

 瘤黒さんは、言っていた。

 このかコよヶ駅前町では、それぞれの住民に、それぞれの世界の物語があるのだと。

 そして、雛形さんの物語なら、いずれ知ることになるかもしれない、と。


 雛形さんが、いつ、どうして、どこから、この町にやってきたのか。わかるときが、くるかもしれない、のか。


 道端で磔になっている、その人の横で、そんなことを考えて。

 友也は、ちょっと不思議な気分になるのだった。




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<次話「気分屋さん」予定>

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かコよヶ駅の年月表 ジュウジロウ @10-jiro

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