「瘤黒さん」4/5

 昼飯を、大急ぎで腹に詰め込んでから、友也はすぐに家を出た。

 瘤黒さんの道案内に従って、雛形さんの本日の磔場所へと向かう。その道中に、もしほかの住民と出会ったら……。

 誰とも出会わなければいいな、と、友也は思う。

 そうすれば、自動的に、選択肢はなくなる。ほかに誰もいなかったから、仕方なく雛形さんを殴るしかなかった、と言い訳できる。――たとえ道中で誰とも出会わなくても、それでもなお、「雛形さんを殴るか、死ぬまで瘤黒さんに取り憑かれるか」という二者択一が存在する事実は、このさい見えないことにしたい。雛形さんには悪いけど、自分はそこまでの自己犠牲精神、持ち合わせていないのだ。ごめん。ほんとごめん。


 すでに心の中で謝りつつ、友也は道を歩んでいった。 

 していくと。

 こんなときに限って。この、住宅密集地にもかかわらず人口密度が異様に低い町の中で、次から次へと、見知った住民たちに出くわしたりするもので。



 まず出会ったのは、トガカリさんだった。

 いや。正確には、出会ったわけではない。トガカリさんの姿を、遠目に見かけるやいなや、友也はとっさに身を隠したのだから。トガカリさんは、あれだし。どうせ、星なし評価だし。ここで顔を合わせても、意味ない意味ない。と、友也は逃げるようにその場を去った。


 その次に出会ったのは、影中さんだった。

 例によって木陰で読書をしていた影中さんは、友也に気づくと「こんにちは」と穏やかな笑顔で挨拶した。レビューでは星四つ、と高評価だった住民……ではあるが。空を見上げれば、今日はやや雲が多く、いつ太陽が隠れて木の影が消えるかわからない天気。いざ殴ろうとしたら、その瞬間に空が曇って、影が消えて、影中さんもいっしょに消えてしまうかも。うん。充分ありうる。この人は、そういうタイミングの持ち主だ。……失敗する可能性が高い気がするから、やめておこう。と、友也は挨拶だけ返して、その場を立ち去った。


 次に出会ったのは、宮ノ宮さんだった。

 例によって家の二階の窓から顔を出していた宮ノ宮さんは、友也に気づくと、無言でその口元にかすかな笑みを浮かべた。そして、やはり無言で、下にいる友也を手招いた。向こうから招き入れてくれるとは、チャンスである……が、わざわざ家の中に入ってまで宮ノ宮さんを殴るのは、なんだか余計に行為の残虐性が増すような気がして、ためらわれる。殴るのであれば、せめて道端にいる人にしよう、そうしよう。と、友也は挨拶だけ返して、その場を立ち去った。


 次に出会ったのは、ありがた屋さんだった。

 例によって鈴付きの賽銭箱を背負い、全身包帯だらけの格好をしたありがた屋さんは、友也に気づくと、「また会ったな」と笑顔で声を掛けてきた。当然と言えば当然だけど、こちらを警戒している様子は、一切ない。無防備なこの人に、拳なり蹴りなり一発食らわすのは、難しいことではないだろう……が、ここでありがた屋さんの恨みを買ってしまったら、今後、彼女から「商品」売ってもらえなくなる、ってことはないだろうか。それは困る。ありがた屋さんの扱う品、「有り難い出来事」は、いろいろと使い道があるのだ。それを思うと、ありがた屋さんは、「恨みを買いたくない度合い」のかなり高い住民である。これから先のことを考えて、この人を敵に回すような真似はやめておこう。と、友也は挨拶だけ返して、その場を立ち去った。


 それからしばらく行ったところで、人魚屋さんの声が聞こえてきた。

 例によって、ぷー、ぱー、とラッパを鳴らし、「人魚はぁー、いらんかねー」と、呼び声を響かせる人魚屋さん。その姿は、友也のいる場所からは見えなかったが、声の遠さからして、たぶん、けっこう離れた道を歩いているのだろうと思われた。……だったら、何もわざわざ、人魚屋さんを追いかけて捜してまで殴りに行くことは、ないだろう。うん、そうだそうだ。遠くで声が聞こえただけなんて、「出会った」うちには入らない。ノーカウントだ、ノーカウント。そう自分に言い聞かせて、友也は、人魚屋さんの声がしているほうに近づかないよう、慎重かつそそくさと、その場を立ち去った。



 それからあとは。

 もう、誰とも出会うことはなかった。


 誰かの姿を見かけることもなく。誰かの声を聞くこともなく。誰かの気配を感じることもなく。友也は、残りの道を、足を止めずにただただ歩いていった。

 途中で、唯一、遠山彦さんのいびきは聞こえてきたけれども。遠山彦さんは、町から遠く離れた山の上に住んでいるので、今日のところは関係ない。そもそも、あの人は「直接会うことのできない人」だという話だし。

 あと、そういえば、道屋さんにも会っていないが。あの人については、つい先日、旅先の町から電話が掛かってきて、その町でしばらく道を売るつもりだと言っていたから。きっとまだ、かコよヶ駅前町には帰ってきていないのだろう。


 そのほか。瘤黒さんからさっき話を聞いただけで、いまだ面識のない住民の人たちも、道中、誰一人として友也の前に姿を現すことはなかった。また、瘤黒さんが言及することのなかった、残りの住民も――すでに出会った住民と、瘤黒さんに話を聞いた住民の数を合わせても、名簿を埋める三十人には満たないのだから。名前も知らない住民が、あと残り何人かいるはずなのだ――影も形も見せなかった。


(まだ出会ってない住民……。いったい、どんな人たちなんだろう?)


 歩きながら、友也はぼんやりと考える。

 そこらへんのことは、瘤黒さんに聞けば、もしかしたら教えてもらえるのかもしれないが。けど、前もって具体的に知ってしまうのも、なんだかちょっと、もったいないような気もする。

 ともあれ、この町には、まだまだいろんな住民が暮らしているのだろう。そりゃあもう、いろんな。何せ、人面疽すらも住民登録しているような町なのだから。


「……瘤黒さんって。そもそもいったい、どういう経緯で、この町に住民登録とか、することになったんです?」

 二の腕の瘤黒さんを、じいっと見つめて。思わず、友也はそう尋ねた。考えてみれば、そこのとこ、非常に興味深いというか、気になる話だ。

「瘤黒さんは、元々この辺に住んでたんですか? ……それとも。俺みたいに、どこかよそから、この町に来て暮らすことになったんですか?」


 その問いに。瘤黒さんは、どこか遠くを見つめるような目をして、

「同じさ、友屋さんと」

 と答えた。


「ふふふ。なんだか、思い出しちまったよ。この、かコよヶ駅前町にやってくる、前のこと。以前に暮らしてた場所とこのことをさ。――いやあ、懐かしいねえ」

「へえ。瘤黒さんも、やっぱり、どっかから移り住んできたんですね」

「ああ。言っとくが、あたしや友屋さんだけじゃないよ。この町の住民はね、みいんな残らず、どこかよそからやってきて、ここに住み着いたやつらばっかりさ」


 それを聞いて、友也は「ふうん」とうなずいた。

 そうなのか。自分だけでなく、この町の住民たちはみんな、どこかよそからやってきた――。


 ん? いや、ちょっと待てよ。それならそれで、また新たな疑問が生まれる。

 どこかよそから、って。その「どこかよそ」って。それはいったい、どこなんだ?


(この町の住民たちが、みんな何かしらおかしな人たちばっかりなのは、この町が「そういう町」だから……って、今まで思ってたけど。でも、かコよヶ駅前町の住民になる前から、瘤黒さんは瘤黒さんで、道屋さんは道屋さんで、トガカリさんはトガカリさんで……? 他の住民たちも、みんな――?)

 だとしたら。

 彼らは、このかコよヶ駅前町にやってくる前は、どこでどうやって暮らしていたのだろう。

 彼らは、この町にやってきたのだろう?

 そんなことに思いを馳せて、友也は、無意識のうちに歩みを止めた。

 すると、そのとき。まるで、友也の心の中を読んだかのように、瘤黒さんが言った。


「このかコよヶ駅前町にはね、いろんな世界から、いろんなやつらが集まってくるのさ。ここは、〈そういう町〉なんだ。だから、それぞれの住民に、それぞれの世界の物語があるんだよ」

「……それぞれの、世界の、物語?」

 二の腕の瘤黒さんに目を落として、友也は、ぼんやりと口の中で繰り返した。

「ああ、そうさ。その物語は、いつか知ることができるかもしれないし――あるいは、永遠に知ることがないかもしれない。ここの住民たちは、みんな昔のこと、あんまり人に話したがらないんでね」

 でも。と、瘤黒さんは、友也を見上げた。


「そうだねえ……。だったら、友屋さんは、いずれ知ることになるかもしれないねえ」

「え……?」

 友也は、瘤黒さんを見下ろす目を、小さく見開いた。

 その視線の先で、瘤黒さんは、意味ありげな笑みを浮かべる。

 どういうことだろう。雛形さんの物語だったら、って。なんで、そこで雛形さん? あの人と自分と、何か、特別な関わりみたいなもの、あっただろうか?


「おっと。友屋さん、ぼさっとするんじゃないよ。いつまでもこんなとこで突っ立ってたら、雛形さんのいる所へたどり着く前に、日が暮れちまうからね。さあ、歩いた歩いた!」

 瘤黒さんの促しに、友也はハッとした。

 そうだそうだ、そうだった。と、慌てて再び歩き出す。もうすでに、太陽はけっこう地平線の近くまで傾いていた。今は、呑気に考え事をしている場合じゃない。

 雛形さんと自分との間に、何かあるのかどうかは、よくわからないけど。

 ただ、確かに、あの人とは、ある意味で「特別な関わり」を持つことになる、と言えるかもしれない。あの人に対して、これから自分がやろうとしていることを考えれば……。


 歩みを進める足が、引きずりたくなるほどに重い。

 それでも、友也は進み続けた。

 太陽は、そろそろ夕日になりかけていた。




「さあ、着いたよ、友屋さん」

 瘤黒さんのその声に、友也は、ぴたりと足を止めた。

 秋の夕日に染まった、町の景色。その中に、人の姿は見えなかったが、今いる道の少し先には、曲がり角があった。

「雛形さんは、そこの角を曲がったところにいるよ。もちろん、いつものとおり、磔でね」

 立ち止まって、友也は、前方の曲がり角をじっと見つめた。

 ついに、とうとう、到着してしまった。ほかの住民たちを殴ることなく、ここまで来てしまった。

 もう時間もない。やるしかない。ここまで来たら、雛形さんを殴るしか。瘤黒さんから逃れるためには、それ以外に方法が――。


(雛形さんなら……大丈夫、なんじゃないかな。あの人なら。だって、「刑期128年の磔の刑」に処されても、いつもにこにこ笑ってるような人だし。それに比べれば、人面疽に取り憑かれるくらい、あの人にとっちゃ、別にどうってことないかもしれない。……いや、むしろ、あの人にお喋りの相手ができるわけだから、それはひょっとして、結果的にはいいことなんじゃないか? 雛形さん、毎日毎日、日がな一日磔で過ごしてるから、退屈で仕方なくて、話し相手がほしいんだ――って、確か、言ってたもんな)


 雛形さんみたいな人なら、瘤黒さんのような性悪人面疽とだって、けっこう上手くやっていけるかもしれない。そうなれば、毎日一人ぼっちで磔になってる現状よりも、案外楽しい人生になるんじゃなかろうか。

 そんなことを考えて、湧き上がる罪悪感を、無理やりにでも薄れさせようとしていた、そのとき。


「おや、友屋さん。足元を見てごらんよ。ちょうどおあつらえむきに、ほら、手頃な大きさの石ころが、そこに落ちてるじゃあないか」

 瘤黒さんに言われ、友也は反射的に、足元の地面へと目を落とした。

 そこには確かに、拳大の大きさの石が一個、ごろんと転がっているわけだが。瘤黒さんいわく、「手頃な大きさ」の――この場合の「手頃」っていうのは、つまり、どういう用途を想定しての話なのか。それは、瘤黒さんにあえて聞かずとも、容易に推測できてしまう。

 思わず顔を歪める友也に、瘤黒さんは、続けて言った。


「ろくにケンカもしたことのない、頼りない友屋さんのことだからね。自分の拳一つじゃ、やりそこなっちまうかもしれないだろう。まあ、相手はどうせ逃げられやしないから、やりそこなったらなったで、しっかり手応え感じるまで、何回も殴りゃいいだけの話だけどさ」

「そ、そんな。殴るにしても、それならせめて――」

「うん、うん。そりゃあね。相手はなんの罪もない人間なんだから。余計な苦しみを与えないよう、一発で楽にしてやるのが、せめてもの情けってもんだよねえ」

「ちょっ……物騒な言い回し、しないでくださいよ」


 ケケケ、と笑う瘤黒さんを睨みつけて。それから、友也は再び地面を見下ろした。

 石ころを見つめたまま、友也はしばし、棒立ちになる。

 言い方はともかくとして、瘤黒さんの言うことは、それはそれでもっともなのだ。

 格闘技はおろか、殴る蹴るのケンカにも無縁な自分が、上手い具合に力の乗った拳を、一発で対象に当てられるとは、限らない。一発目は、失敗するかもしれない。でも、仮に失敗したとしても、この場合、リトライはしちゃ駄目だろう。それはさすがに駄目だ。何回も人を殴るなんて、考えただけでもゾッとするし、殴られるほうからしても、一発で済まされるのと二発目以降があるのとでは、精神的な苦痛も違ってくる気がする。


(……まあ、雛形さんからすれば、そもそも、一発だって殴られる筋合いはないんだけどさ)


 それは、わかっている。わかっているけれど。

 友也は、自分の影を見下ろす。夕日が作る、長く伸びた影。

 ――もう、これ以上、ためらっている時間はない。


 友也は石ころを拾い上げた。その重みと、ひやりとした硬い感触に、ごくりと喉が鳴る。やっぱり、危ないだろうか、これ。やめといたほうがいいだろうか。いや、でも、当てる場所にさえ気を付ければ、そこまで酷いことにはならないはずだ。動けない的(まと)相手になら、大きく狙いをはずすことだってないだろう。

 友也は、石ころをぐっと握り締める。

(――もう、迷うな。余計なことは考えるな。ぐずぐずしてる間に日が沈んだら、取り返しがつかないんだぞ。残りの人生を、こんな性格悪い人面疽と一体になって送りたいのか!? それが嫌なら、心を鬼にして、雛形さんに犠牲になってもらうしかないだろう……っ! )


 ――雛形さん。

 このかコよヶ駅前町で、初めて出会った町の人。

「友屋さん」として、初めて「友達」を売った、お客さん。


 そのとき売った「友達」というのは、友也自身のことなのだが。雛形さんは、それを喜んで買ってくれた。でも、売っておきながら、「友達」らしいことなんて、なんにもできなかったのに。この町から帰れないことを、嘆いて、愚痴って、ただただ困らせてしまっただろうに。それなのに。二度目に会ったとき、雛形さんは、「会いたかったよ」と、うれしそうに笑ってくれた。そして、また「友達」を買いたいと、言ってくれた。


 そんな人を、自分はこれから、殴ろうというのか――……。


 もう、何も、考えたくない。とにかく、早く終わらせてしまいたい。

 石ころを固く握り締めたまま、友也は、ふらふらと再び歩き出した。


 曲がり角を、曲がる。

 曲がった先に――いた。

 ああ。やっぱり、いるんだ。そこは、瘤黒さんの言葉どおり。


「あ、友屋さん。こんにちは!」

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