エピローグ 9月1日

 九月に入ったとはいえ、日差しは今だに真夏のそれと大差がない。暦なんて人が決めた物だから、当たり前だ。九月に入ったからといってすぐに涼しくなるわけがなかった。

 まだ、残暑とはとても呼べない暑さだ。秋は、まだまだ遠いらしい。

 眼に痛いほどの日差しは、夏休み明けの小学生たちを容赦なく照りつける。日陰から出ると、じりじりと皮膚を焼かれた。

 空は真っ青で、遠くには夏の名残の入道雲が、ぽっかりと浮かんでいる。

 外の暑さとは対照的に、教室の空気はひんやりとしている。

 夏休みの自由研究発表会。それに不釣り合いな重苦しい空気。それもそのはずだった。

 彼——カッちゃんこと武田克哉たけだかつや——が発表した自由研究のテーマが『殺人事件』なのだから。

 そして、黒板に張られた模造紙には、彼の名前の他に行方不明の二名のクラスメイトの名前が書き込まれていた。

 誰も言葉を、呼吸音でさえ、発することをよしとしない。担任である鳥居誠とりいまことですら、言葉を発せないでいたのだ。小学生である他の子どもたちは、身動きすらできないでいた。

 この息が詰まりそうな重々しい空気を作り出した張本人であるカっちゃんは、ゆっくりと教室を見回し、満足げな表情を浮かべた。

「この自由研究は、日下瞬くさかしゅん君と服部秀彦はっとりひでひこ君と協力してやりました。」

 彼の言葉が途切れると、教室は静寂に包まれた。

 教室中の視線を独り占めしたカッちゃんは、後ろ手を組み、今だ満足げな表情をくずさないままそう付け加えた。

 しかし、僕はこれからこの教室でどんなことが起こるか知っていた。

 カっちゃんは普段、後ろ手を組んだりしない。後ろ手を組んでいるのはカッターナイフを隠し持っているからだ。

 今、まさにこの瞬間にカっちゃんの手にあるカッターナイフの刃がゆっくりと伸ばされていく。

「ちょ、ちょっと待ってくれ、克哉。一緒に自由研究をやったのが行方不明の二人だって?」

 担任の鳥居誠がそう言って、カっちゃんに近付いて行く。

「逃げて!先生、逃げて!」

 しかし、死んでいる僕の声はもう誰にも届かない。それでも、叫ばずにはいられない。カっちゃんは、この教室にいる人間全員を殺す気だ。

 僕はカっちゃんのランドセルにも何本かの包丁やハンマーが入っているのを知っていた。彼曰く、家の雑貨屋で何でも調達できる。

「遠山さん、逃げて!」

 だが、僕の声は彼女には届かない。彼女の目は赤く腫れ上がり、前日の夜に泣きはらしたことが、鈍感な僕にでも分かった。どうにか、彼女だけでも助けたい。

 しかし、僕にはどうしてもそれができなかった。僕は死んで、遺体は学校から遠く離れた月野山にあるのだから。

 不用意に近付きすぎた鳥居誠の首から血が吹き出した。カっちゃんがカッターナイフで切りつけたのだ。

 この教室にいる担任を含めた全員を殺すのは、恐らくカっちゃんが崇拝すうはいする長岡直人の指示なのだろう。いや、もしかしたら本当にカっちゃんも持っていたのかもしれない。『BLOOD BRAIN血まみれの脳みそ』を。

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BLOOD BRAIN 今井雄大 @indoorphoenix

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