第24話 8月31日
今朝も僕はいつも通りに起きて、リビングに降りた。
リビングでは、いつものように母さんが朝食を取りながら、ニュースを眺めていた。
僕もテーブルに着くと、朝食を取る。
ニュースは、新しい事件や政治のゴタゴタを放送していた。秀彦の行方不明の件について、放送されなくなってから数日が経っていた。もう、市内の人間でなければ忘れてしまっているかもしれない。ひょっとしたら、市内の人間ですら、秀彦が行方不明になったことを忘れている者もいるかもしれない。
「瞬、夏休みの宿題は終わったの?もう、夏休み最終日よ。残ってても母さん手伝わないからね!」
「もう、終わってるよ」
僕は心の中で「自由研究だけ、まだ完成じゃないけどね」と呟いた。実際にこの目で完成した物を確認するまでは完成とは言えない。なんせ、あの気分屋でめんどくさがりのカっちゃんのことだ。やってない可能性だってある。……書いたけど、数行しか書いてないとかだって、十分にありえる。
今日、カっちゃんと話すことになっている。そして、カっちゃんは秀彦について何か知っているはずだ。……まさか、秀彦が両親と喧嘩して、カっちゃんの家で匿っているとか?
僕は頭を振ると、あれこれ推測するのを止めた。とにかくカっちゃんと話をすれば、はっきりすることだ。今、あれこれ気を揉んでも仕方ない。
僕は支度を済ませると、玄関へと向かった。
「瞬、あんた最終日なのに、出掛けるの?」
僕の背中を母さんの声が追いかけてきた。
「すぐに帰ってくるよ」
……嘘だ。月野山——別名、天狗山は月野沼よりも距離がある。往復するだけでも二〜三時間は掛かるだろう。その頃には、母さんは仕事に出かけていないはずだ。何時に帰ってきたかなんて、分かりっこない。
それに、月野山も月野沼と同様に市内の子どもたちは近付かないように固く約束させられている。
月野山は、その別名の通り、月野市の親たちは天狗が出るからという理由で子どもたちを近寄らせない。遠山あかりが言うには、それは方便で月野山には、断崖絶壁の場所があり、危険だから子どもには近寄らせないらしいが。
だが、今の僕には、そんなこと関係なかった。カっちゃんとの待ち合わせ場所が月野山で、そこに行けば秀彦の情報が手に入る。秀彦の情報が手に入るなら、どんな危険な場所にでも行くつもりだった。それが友達として当たり前のことだとすら思っていた。
僕は玄関のドアを開けて、外に出る。
空は
快晴で日差しがガンガン照りつけるよりは、曇っている方が少しは暑さがマシなはずだ。移動手段が自転車しかない小学生にとっては、ありがたい天気だった。
僕は自転車に飛び乗ると、月野山に向けて出発した。
正直なところ、月野山の正確な場所が僕には分かっていなかった。月野沼の先にあるということは分かっている。理由は簡単だ。学校からの屋上から月野山が見えたからだ。学校の屋上から見たときには月野沼の先に、あまり高くはないが月野山がそびえていた。月野沼に向かって行って、後は近くの人に聞くなり、標識を確認すればいい。
カっちゃんとの待ち合わせ場所は山道の入り口だ。恐らく近くに行けば、標識ぐらいは出ているだろう。
自転車が風を切ると、暑さはマシになった。よかった、途中で熱中症で倒れることもなさそうだ。
僕は順調に自転車を漕ぎ、月野沼までやってきた。
月野沼の休憩所で少し休憩をする。
以前にも確認した周辺の地図を見ると、月野沼の河童像の対岸付近から月野山への道が延びていた。
休憩して元気を取り戻すと、僕は再び月野山に向けて出発した。
月野沼の周囲をぐるっと回るように自転車を走らせる。しばらく走ると、河童像の対岸を通過する。ちょうど、僕らが白骨死体を発見した放置自動車を横目にする形だ。
あの頃は、秀彦は行方不明にはなっていなかった。なんとしても、カっちゃんから秀彦のことを聞き出そう。僕は決意を新たにする。
河童像の対岸辺りから少し走ると、月野山への道が現れた。標識にも月野山こちらと書いてある。この道で間違いないようだ。
その道を入って行くとすぐに上り坂になった。なだらかな上り坂が続いている。自転車では、上り坂がずっと続くのはキツい。まだ急でも短い坂の方が楽だ。立ち漕ぎで一気に登ってしまえるから。
しばらく立ち漕ぎで上り坂を登って行くと、月野山山道入り口と書かれた看板が見えてきた。そこは駐車場になっているようで、スペースが広がっていた。駐輪場は無いようだが、これだけスペースがあれば、車の邪魔にならないところにいくらでも停めておけるだろう。
月野山山道入り口の看板のところに、カっちゃんが待っていた。停めた自転車に乗って、ペダルを逆に漕いで、いかにも暇を持て余しているといった様子だった。
山道入り口の看板の隣には、大雑把な地図があった。山道は二ルートあるようだ。初心者コースと、上級者コース。結局は途中で合流しているようだが。そして、頂上の標高は三百二十九メートル。山と呼んでいいのか微妙な高さだ。標高が四百メートルもないのだから。
この山道からだと初心者コースで頂上まで行けるようだ。上級者コースは別の山道があるらしい。僕が上級者コースの山道に行っていたら、カっちゃんはどうする気だったんだろう。……恐らく、深くは考えていないのだろうけど。
カっちゃんは僕に気付くと、自転車から飛び降りた。
「おう、瞬。待ってたぜ!」
「お待たせ、カっちゃん。早速……」
僕が全部言葉を言い終える前に、カっちゃんが僕の言葉を遮る。
「早く自転車を停めろよ。登るぞ」
カっちゃんはそう言って、山道へと向かって歩き出す。
「ちょ、ちょっと待ってよ」
僕は慌てて自転車を停めると、カっちゃんを追いかけた。
いくら夏休みだからと言って、まさか、山登りすることになるとは思わなかった。まぁ、それほど標高が高くないことが救いだった。
カっちゃんに追いつくと、僕は問い掛ける。
「どこまで行くの?」
「いいから、いいから」
カっちゃんは僕の問いに答える気はないらしい。そして、秀彦の件も同様だ。とにかくカっちゃんについて、月野山を登るしかないらしい。初心者コースでよかった。
木々が作ってくれる木陰の中をカっちゃんは黙々と歩いていく。
「明日から、学校だね」
「あぁ」
「自由研究の清書は終わった?」
「あぁ、バッチリだよ」
機嫌が悪いときのように、カっちゃんに何を言っても大した返事が返ってこない。僕は諦めて、カっちゃんと同じように黙々と歩くしかなかった。
山を登っていると自然と息が上がった。山道は涼しかったが、それでも
汗が頬を流れた。
しばらく山道を歩いた。すると、突然視界が開けた。
「ここに連れてきたかったんだ」
カっちゃんはそう言うと、ベンチに腰掛けた。頂上まであと少しのこの地点は展望台のようになっていて、月野市が一望できた。視線の先には、月野沼も見える。こうして見ると、本当に月野沼は沼でなく池か湖のようだった。
「天気が良いと、ここから富士山が見えることだってあるんだぜ」
カっちゃんが悪戯をする前のような笑顔で教えてくれる。確かに、天気が良ければ、ここからの景色は格別だろう。
展望台の下は、断崖絶壁になっていて、下まで十数メートルはあると思われた。月野山が別名、天狗山と呼ばれる
僕は少しの間、ゆっくりと景色を楽しんだ。そして、カっちゃんの横に腰掛けた。
「いいところだね。天気が良い時にも来てみたいな」
「だろ?……親には大っぴらに月野山に行くなんて言えないけどな」
もちろん、僕の両親だって月野山に行くなんて言ったら、大反対されるに決まっている。前回、月野沼に行っていたことがバレたときだって大変だったのだから。
「さて、本題に入るか。秀彦のことだよな」
「うん、ずっと行方不明だけど、カっちゃん何か知ってるの?」
「秀彦は……あそこにいるよ」
カっちゃんは、月野沼を指さす。
「あそこって、月野沼?行方不明になってから何日も経ってるんだよ?」
「あぁ、月野沼だよ。……月野沼の底さ」
今、カっちゃんは何て言った?月野沼の底と言わなかったか?……僕の聞き違いだろうか。
「……底?月野沼の底って言ったの?」
「あぁ、始めから説明してやるから、ちょっと落ち着けよ」
秀彦が月野沼に沈んでいる。これが落ち着いていられるか。
僕はカっちゃんの両腕を掴むと、
「落ち着いてなんていられないよ。どういうことなの?」
とカっちゃんを激しく揺さぶる。
カっちゃんは僕の手を振り解くと、逆に僕の肩を掴んでグッと力を入れた。
「だから、落ちつけって。話できないだろ」
僕は肩の痛みで、我に返る。
それを見て、カっちゃんは話し始めた。
「よし。俺たちは月野沼で白骨死体を見つけてから、警察に感謝状を貰うときぐらいしか会ってなかっただろ?」
「うん、そうだね」
「俺はその間も長岡尚人と手紙のやり取りをしていたんだ」
頭を殴られたようなショックが走った。
「長岡直人は白骨死体の暗号をちゃんと分かってくれたって喜んでた。その後も何度か手紙のやり取りをするうちに、俺が長岡尚人の後継者だって言われてさ。電話でも話したし、刑務所に直接会いにも行ったぜ」
直接、連続殺人犯と会った?しかも、カっちゃんが長岡尚人の後継者だって……。
「それで、カっちゃんはどう思ったの?」
「もちろん、後継者なんてふざけんなって思ったさ。……始めはな。」
僕は思わず息を飲んだ。カっちゃんは続ける。
「でも、手紙のやりとりを続けていって、電話したり、直接会ってみると、だんだん自分は長岡尚人の後継者だって気がしてきてさ」
汗が背中を伝う。しかし、僕にはそれが暑いから出た汗なのか、カっちゃんの話を聞いているせいでの冷や汗か分からなかった。
「長岡尚人が言うには、まだ正式な後継者じゃないって言うんだ。人を殺さないと本当の後継者にはなれないって」
……頭の中がグチャグチャで全然考えがまとまらなかった。
カっちゃんは、白骨死体を見つけた後も数年前に月野市で連続殺人事件を起こした長岡尚人と手紙のやりとりをし、電話や直接会って話すうちに自分が長岡尚人の後継者だと信じた。しかし、本当の後継者になるには人を殺す必要があると。
恐らく、長岡尚人は手紙や電話、直接会うことで徐々にカっちゃんのことを洗脳していったに違いない。そうでなければ、カっちゃんがこんなことを言い出すはずがない。……そう信じたかった。
「長岡尚人は、俺が思いつくもっとも人が苦しむやり方で人を殺せって」
カっちゃんはそれだけ言って、再び月野沼を指さす。
「……それで、秀彦を殺して月野沼に沈めた」
僕の言葉に、カっちゃんはニカッと殺人犯とはほど遠い笑顔を作る。
「流石、瞬は察しが良いな。俺と秀彦はしょっちゅうぶつかってただろ。だから、俺が考えるもっとも苦しんで死ぬだろう窒息死で死んでもらうことにした」
「でも、秀彦はまだ行方不明だよ」
「あぁ、人気のないところでやったからな。あの日、秀彦から自由研究を
まとめた物を渡すって電話があったんだ。だから、俺は適当な理由をつけて一緒に月野沼のあの河童像の対岸、放置自動車がいっぱいある辺りに連れ出したんだ」
僕は体の震えを隠しながら、ゆっくりと頷く。
「あの放置自動車の辺りで隙を見て、バッグから野球の硬球を取り出して、後ろから首筋付近を殴った。秀彦は上手く気絶してくれたよ。それで、死なれたら撲殺になっちゃうからな。俺が目指しているのは窒息死だ」
僕の目の前にその状況がありありと浮かんできた。
「秀彦が気絶したら、もうこっちのもんさ。俺の家は雑貨屋だろ?月野沼に沈めるための道具を調達するのは簡単だった。店から持って行けばいいんだから。店から持ってきたロープと塀とかに使うコンクリートブロックを秀彦の体にぐるぐる巻きにして——あぁ、もちろん、コンクリートブロックには赤いスプレーで『BB』って書いてな——それで、月野沼に沈めたってわけ」
カっちゃんの話が本当なら、すでに秀彦はこの世にいないことになる。
「……それじゃ、窒息死じゃなくて、溺死じゃないの?それになんで窒息死にこだわるの?」
僕の質問にカっちゃんが怪訝な顔を作る。
「聞いてなかったのかよ。俺が考えるもっとも苦しむ殺し方が窒息死だからさ。息をしようとしてもできないってのは、もっともキツいと思わないか?まぁ、溺死も息ができないのは同じだからいいだろ」
再び、カっちゃんは殺人犯にはにつかわない笑顔でニカッと笑う。
「……秀彦」
僕は思わず呟いていた。コンクリートブロックが重りになって、生きたまま月野沼に沈んでいった秀彦。どれほどの苦しさだったのだろうか。僕には想像することすらできない。
「でも、どうして警察に行方が分からないんだろう?」
「人気のないところでやったし、秀彦のスマホは適当なトラックの荷台に放り投げたからな。スマホの微弱電波を拾っても月野沼には行き着かないさ」
そう言って、カっちゃんは自信満々のドヤ顔を作った。
そして、次の瞬間、新たな疑問が僕の頭に広がる。
……どうして、カっちゃんは僕にそんなことを話したんだろう?まるで、サスペンスドラマで犯人が捕まる直前に崖の上——確かにここは断崖絶壁で崖のようだが——で罪を告白するみたいじゃないか。僕は警察でも探偵でもない。ましてや、事件の謎を解いたわけでもないのに。僕がこのまま警察に駆け込んだらどうするのだろう?長岡尚人と一緒の刑務所に入りたいとでも言うのだろうか?子どもは犯罪を犯しても刑務所ではなく、少年院に入れられると知らないのだろうか。
「どうして、僕にそんなことを話すの?このまま、警察に駆け込むかもしれないのに」
僕は震える声を必死で押さえ、できるだけ普段と変わらない口調で聞いた。
カっちゃんは、悪びれる様子もなく答える。
「俺が考えるもっとも苦しむ方法、窒息死で人を殺すだけじゃダメなんだ。俺が考えるもっとも楽に死ねる方法でも人を殺さないと、ダメなんだ。その二つのやり方で人を殺して、やっと長岡尚人の真の後継者になれるんだよ」
僕の頬を汗が伝う。これは間違いなく冷や汗だろう。
「カっちゃんが考える、もっとも楽に死ねる方法って?」
僕は聞きながら、考えた。カっちゃんが考えるもっとも楽に死ねる方法とはなんだろう。刺殺か?撲殺か?毒殺か?絞殺か?
絞殺は結局、窒息死とイコールのはずだ。まず、これはない。
毒殺もカっちゃんから特に飲食物を貰っていない。毒物を注射するか?それは考えにくい。この月野山に特有の毒草でも生えていて、登ってくるときに触ってしまっただろうか。ざっと目を走らせたが、特に傷はできていなかった。
撲殺か、刺殺だろうか。それも痛みは伴うはずだ。どちらかと言えば、刺殺だろうか。刺された痛みはすぐに出血で寒く感じると聞いたことがあるような気がするが。
「あぁ、転落死だよ」
すぐに後ろから体を押さえ込まれた。踏ん張るがジリジリと断崖絶壁である展望台の外へと体が押されていく。
「瞬、知ってるか?転落死は、落ちている途中で気を失うらしいぞ。だから、落ちた痛みがないらしい」
そう言いながらも、カっちゃんは僕を断崖絶壁から数十メートル下へと落下させようとぐいぐい押してくる。
足が滑る。踏ん張りが効かない。僕はみるみる押されていく。
まだ、こんなところで死ぬわけにはいかない。僕は体を振り解こうとする。
その瞬間、カっちゃんが勢いよく僕を突き飛ばした。
僕の体が空中に投げ出される。
遠くに月野沼が見えた。
ふと、頭の片隅に遠山あかりの顔が浮かんだ。彼女の忠告を聞いていればよかった。しかし、それは後の祭りだった。
気がついたときには、僕は断崖絶壁の下に倒れていた。全身がひどく痛む。右腕と左足があらぬ方向へ曲がっていた。耳から血も流れている。
展望台にカっちゃんの姿は見えない。死んだことを確認しには来ないのだろうか。
すると、空から何かが振ってきた。ゆっくり、ゆっくりと落ちてくる。それは一枚の紙切れだった。僕の目でも確認することができた。紙切れに赤い字で『BB』と書いてあった。
徐々にまぶたが重くなっていく。紙切れが僕の胸に落ちるまでに、僕の視界は完全に真っ暗になっていた。
こうして、僕は死んだ。
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