第19話 そこが私の行くべき世界 その2

 真っ暗な車窓。

 アンドレイが写るべき場所に『赤毛の魔女』が座っている。

 それまでのアンドレイならば身構えたであろう敵の姿を見ても、全てを理解したアンドレイは動じること無く、窓に写るその姿をじっと静かに観察していた。

 赤毛の髪は肩を越えて腰まで伸びていた。体は純白のローブを纏っている。

 列車がゆっくりと減速を始めた。トンネルの出口が徐々に大きく見えてきた。

 アンドレイは立ち上がる。として立ち上がる。

 列車が駅に止まる。先ほど美鳥と別れた駅と同じ駅だ。ただ、駅名標の字体は古い。

 夜にもかかわらず、空は赤く燃えていた。町中が火事になっていた。町の人々の悲鳴が聞こえる。

 列車のドアの隙間をすり抜けるように赤毛の魔女・アンドレイが外に出ると、飛ぶように家の屋根の上を駆けていく。

 通りに逃げ惑う人があふれている。しかし、無情にも、空から一条の閃光せんこうを浴びて蒸発し姿は消えていく。運転手を失った自動車が道路をふさぐように停まっていた。

 アンドレイは彼らを救う余裕もなく、ひたすら探し人の元に向かって移動する。

 ゴムの焼けた臭いが周囲に漂い、延焼したプロパンガスのボンベが爆発している音が聞こえた。

 アンドレイはようやく、道に倒れていた少女を見つけた。白い小さなTシャツに薄ピンクのスウェット地のパジャマズボンを履いている。肩から掛けている、幼稚園用のカバンには『さおとめみどり』と名前が書かれていた。

 少女は爆風に飛ばされて体を地面に強打したため意識を失っていた。一緒に逃げていたはずの彼女の両親の姿は消え、彼らの着ていた服だけが少し離れたところに人の形の配置で並んで落ちていた。

 少女をアンドレイは抱きしめるように担ぎ上げると「ごめんね、美鳥」とつぶやいた。

 街を破壊し人々を粛清しゅくせいしている災厄さいやくの大元を見上げる。

 宙空に、美しい銀髪の青年の姿をした有機生命体が浮かんでいる。

 銀髪の青年は、駅舎のある方向へ魔術を行使しようとした。

「おやめなさい、セバスチャン!」

 アンドレイはそう叫ぶと、行使されそうな魔術に干渉を施して中断させた。

 銀髪の青年は驚いた顔をアンドレイに向け、そしてゆっくりと近くの電柱のてっぺんに降りた。

(さぞやセバスチャンは驚いているでしょう? 驚くという現象をここで初めて体験しましたね。感情の萌芽ほうがといえましょう)

 アンドレイは、目の前にいる過去の自分に対峙たいじしつつ、『赤毛の魔女』と対峙していたときの記憶をリロードしていた。

(そしてセバスチャンはこう言う)

 銀髪の青年はアンドレイに、

「あなたは何者でしょう? 私の魔術に干渉するなんてありえないことですが。それに私の名前はセバスチャンでは、ありません」

(と、セバスチャンは、敬意のない敬体で話しながら時間を稼ぎつつ、干渉されにくく、発動の早い魔術『ネフィリムの巨手』を選択する)

 赤毛のアンドレイの足元のアスファルトがひび割れ、下から巨大な土の手がアンドレイを突き上げ、持ち上げ、握りつぶそうとする。

(避けられるのを見越して、セバスチャンは、『赤毛の魔女』が移動できそうな範囲全てを焼き払うべく魔術を準備しているはずです。そして)

 アンドレイは幼い美鳥を抱いたままヒラリと舞い上がり、土の巨手を避け、セバスチャンが使おうとしている魔術を書き換え、セバスチャン自身に発動するようにした。そして、衝撃波などで美鳥が怪我せぬよう防御を張り備える。

 アンドレイは、大爆音とともに過去の自分が地面に落ちて行くのを見ながら、二階建て家の、かわらが飛ばされ下地がむき出しの屋根に着地した。巨手は元の土塊に戻っていた。

(このとき私は本当に混乱しました。バグの修正は、この世界をまるごと破壊すれば容易であると高をくくっていたのに、ふたを開けてみればこのありさまですからね)

 アンドレイは、セバスチャンが落下した自動車修理工場へ向かう。美鳥は依然として意識を失ったままである。幼い顔が愛おしく、そして懐かしい。

 土埃つちぼこりにまみれた、哀れな過去の自分が絶え間なく繰りだそうとしている無数の攻撃魔術を、赤毛のアンドレイは一つ一つキャンセルしながら、過去の自分の髪が恐怖で赤く変化していく様子を観察する。

 壊れた自動車の車体に寄りかかって座っているセバスチャンが次にどう行動するのか、過去の記憶をリロードして調べる。

(無力感に打ちひしがれながら、私は、目の前の敵を『赤毛の魔女』と仮に名付ける。予言されたバグと『赤毛の魔女』の関連性について精査しつつ、バグによる自己消失が予測通りこの場で実現してしまうのを恐れ、この世界から一時撤退することを決める。通常の魔術では、謎の干渉と情報の書き換えにより予定外の挙動をするので、安全に退避するべく、自己の持つ自動統合機能に着目し、一時自身のデータを断片化し、数多ある世界に分散し移送する。その試みは咄嗟とっさの判断としては我ながら素晴らしい)

 セバスチャンに逃げられると、アンドレイは消失してしまう。アンドレイが消失すれば、バグは生じないので、セバスチャンが――過去の自分が――この世界にやってくることもない。

(そうしたほうが美鳥は幸せかもしれません)

 自分がこの世界に来なければ、美鳥の両親は死なず、街も焼けない。壊れない。

 魅力的な話である。しかし、そのような選択は取れない。今の自分も存在しないという矛盾が生じるからだ。もっともその矛盾は、決定的な理由ではなかった。アンドレイにとって決定的なのは、美鳥とすごす日々が存在しなくなるという感情的な問題だった。

 アンドレイがセバスチャンと呼ぶ過去の自分は、目の前から姿を消した。

 自己分解し分散し逃走しようとするセバスチャンをこの世界に縛り付ける必要がある。

 自己分解された情報には個性がない。撤退方法としてはこれ以上に巧みな方法はないが、異世界間を移動しようとする挙動に着目すればセバスチャンを捕まえることは可能だ。

(異世界間を移動する人も捕捉してしまう副作用がありますが、断片化したセバスチャンの情報を一網打尽する方法はこれしかないので背に腹は変えられません)

 アンドレイは魔術を構築。『強制途中下車インターセプト』と名付けた。膨大な情報を必要とする魔術なので、アンドレイ自身を分解しながら魔術を実行する。

 体がじわじわと溶けていく。体の密度が薄くなり、指の間などは既に半透明になっている。

 アンドレイは駅に向かって走った。先ほどみたいに軽快に空を駆けるようには動けず、人間が走る程のスピードでしか移動できない。情報変換効率の悪い有機生命体の部分だけが残りカスのようにこの世界に残っている。

 美鳥を抱いたまま、しかも衝撃が伝わらぬよう慎重に走っていると次第に疲労が溜まってくる。女の姿になっているアンドレイは、走るのに邪魔な乳房を切り取って投げ捨てたい衝動に駆られた。

(ディー様が胸が邪魔とよくおっしゃっていたのがよくわかります)

 駅が見える。

(間に合いました)

 少しだけ息が切れた。抱いている美鳥が寝返りを打とうと少し動いた。美鳥の意識は戻ってきているが、まだ寝ぼけている状態だった。

 駅に列車が入ってくる。セバスチャンが列車を降り、アンドレイの方を凝視している。

「一体何をした? どうして撤退に失敗した? どうして私以外が管理者権限を行使できる? 理解不能。理解不能」

 アンドレイは自分が何者なのかは明かさない。

「セバスチャン。君には、この子を守っていただきたい」

 アンドレイは、セバスチャンの体をハックして美鳥をセバスチャンに受け取らせた。

「私の名称はセバスチャンではない。そしてこんな有機生命体を守る任務は私にはない」

「あなたが拒否するのは勝手ですが、この子を守らないとあなたはこの世界から出ることはできません」

 セバスチャンはアンドレイに体を操られないようにもがいている。

「これからこの列車に乗ってたくさんの異世界人がやってきます。彼らを元の世界に送り返し、そして最終列車に乗りなさい。そうすればお前の知らない最高の魔術がわかる。最高に苦しく、最高に素晴らしい魔法です。そして、そうしない限りあなたはこの世界から抜け出せません。美鳥はそのための重要な鍵となります。大事になさい」

 アンドレイは、

(異世界人が美鳥やこの世界の住民に被害を与えないようにしておかないといけませんね)

 と、異世界人が全て女性の姿に変わるよう、新たな魔術を追加することにした。

(でもそれは建前ですね)

 アンドレイは一人苦笑いした。体は徐々に薄れていく。これが最後の魔術になると確信する。

(美鳥が自分以外の異世界人に興味を持ったら嫉妬してしまう、というのが本音ですね)

「この街を破壊したのは誰かなどと聞かれるときもありますが、全てこの私に罪を着せなさい」

 アンドレイはセバスチャンにそういうと、美鳥が目覚めた。

「後はよろしくお願い致します。セバスチャン」

 美鳥の顔がアンドレイの方を向こうとすると同時に、魔女アンドレイの姿は、音もなく消えて無くなった。

 困惑するセバスチャンと幼い美鳥が駅に二人たたずむ。

 この二人が最初に同じものを見たもの。それは、赤く輝く日の出の太陽であった。


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最終列車に乗りなさい 手水鉢直樹 @chouzubachi

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