そこが私の行くべき世界

第18話 そこが私の行くべき世界 その1

 アンドレイは、自室の椅子に腰掛け、あたかも瞑想めいそうするように目を閉じていた。

(あと少し。その後少しがわからない。間に合うか、間に合わないか)

 アンドレイは全世界に存在する魔術すべてを知り尽くしているはずであった。アンドレイは魔術の基本言語そのものとして誕生し、アンドレイがわからない魔術はすでに魔術では無いはずだった。しかし、赤毛の魔女の使用した魔術『強制途中下車』は実際に起動し稼動しアンドレイをこの世界に拘束している。

 そもそもアンドレイがわざわざこの世界に有機生命体に身をやつしてまでやってきたのは、この世界で自身にバグが発生すると予見されたからだ。そのバグを見過ごせばアンドレイ自身の崩壊が予想された。当然、その解消は最上位ミッションであった。

(ここまで来るのに十二年。それでも解析が終わらない)

 バグそのものはまだ顕在化していない。明確なイレギュラーはアンドレイでも敵わない存在『赤毛の魔女』と、行動の一部制約だけ。もっとも、『赤毛の魔女』は有機生命体として視認しただけで、視覚データを解析しても存在を分析できない。解析機能もクラッキングされている可能性がある。その可能性を考えると戦慄せんりつを感じるが、この感覚もバグの前駆ぜんく症状ではないかと疑心暗鬼になる。

(解析はあと少しだというのに)

 この課題を完全に解明する方法は、アンドレイ自身が最終列車に乗り込むことである。ただ、この方法はアンドレイにとって愉快なものではなかった。『赤毛の魔女』から示された方法であり、できれば自力で解消したかった。このバグさえ自力で解消できれば、いくらでも美鳥と過ごすことが可能であった。しかしそれは能わなかった。

 最終列車に乗れるということは、しかし、自身の崩壊を免れるということであり、むしろ喜ぶべきことであった。ただ、アンドレイは少しも嬉しくはなかった。

(自分は、美鳥との別れが惜しいのだろうか?)

 しかし、最終列車に乗ってから、再びこの世界に来ればいいだけのことだ。最終列車に乗ったあとは、自身の移動魔術も有効であろう。

 しかし、この予想に確信はない。むしろ、自分の未来が見えない事実から考えると、その予想が間違っている蓋然性がいぜんせいが圧倒的に高い。

(列車に乗れば、美鳥とは今生こんじょうの別れになるかもしれません)

 最終列車に乗らない、という選択肢はどうか。

(私はおそらく消滅する……)

 『おそらく』『たぶん』そういった不確実な、不完全な予想がアンドレイは苦手であった。

(何を迷っている? 乗るのが既定路線だったはずでしょう、セバスチャン)

 アンドレイは、自分を美鳥が呼ぶ名で呼んだ。

 棚に飾られていた列車の模型を見る。

 ほとんど完成している。ダーモンの分のパーツがめられ、列車としてはすでに完成していた。

 最後のアンドレイの分が存在するはずだが、

(線路の模型にでもなるのだろうか)

 それが何になるのかさえ、分からない。

 何もわからないポンコツ具合に、自己崩壊が演算部分にも生じているのかと疑う。

 人間ならばここでシャワーを浴びて気分をリセットを図ることもあるが、以前それを試して何の効果もなかった。何の効果もないと分かりつつやってみたのは自分でもよくわからない。

 美鳥はダーモンがいなくなってから、完全に部屋に引きこもっている。

 アンドレイは美鳥の部屋にはいると、美鳥は頭から布団を被って動かない。

「クリスマスですが、どこかに行きませんか」

 返事はなかった。

「おそらく最後のクリスマスになるでしょう」

 布団が少しガサガサと動いた。

「二人で過ごすのも、あとわずかです。それまでずっとこうして過ごすのですか」

 アンドレイは返事があるまで待った。物音立てずにベッドのそばに立っていた。

 クリスマスは冬至の祝いでもあるだけあって、早くも窓の外で日が沈んでゆく。

 しばらくして、ボサボサの頭で腫れぼったい顔をした美鳥が、布団から顔を出した。

「……クリスマスプレゼント……ちょうだい」

 美鳥は、ベッドに座った。美鳥の風貌ふうぼうはあまりにも荒れていた。

「そうですね、プレゼントが要りますね。何がよろしいですか?」

 美鳥は、スクっと立ち上がると、アンドレイに抱きつく。

「セバスチャン!」

 顔をアンドレイの胸に埋める美鳥の髪を、アンドレイは手櫛てぐしでて整える。

「何がよろしいですか?」

「セバスチャン!」

「最後かもしれないのです、ちゃんと答えてください」

「だから、私は、セバスチャンが欲しい! ずっとそばにいて欲しい! それだけ。それ以外は何もいらない! セバスチャンじゃなきゃダメ!」

 美鳥は号泣していた。

 アンドレイは『私の名前は――』とは言えなかった。

「わかりました。この世界に、美鳥のそばにいます。この身が滅ぶまで」

 重大かつ明白な、不合理な選択だった。

 最終列車に乗らないという選択。

 しかし、美鳥を抱きしめていると、間違っているとは思えなかった。

「ホント?」

「嘘は申しません」

「ウソ。一回言ったよ」

「いつですか?」

「ミロクちゃんにナイフで脅されたとき『ミロクちゃんが持っていたのは、はじめからペーパーナイフだった』って」

「いいえ、そんなことは言ってませんよ。私は『はじめからペーパーナイフだったのでは?』と申し上げただけです」

「一緒だよ」

「いいえ、大違いです」

 アンドレイは美鳥の目を見つめた。決して美しいとはいえない状態の美鳥が、この上なく美しく思えた。そして、美鳥の双眸ひとみの中に、自分の姿を見た。恐怖、怒り、そして悲しみの情が湧いて来たが、決して美鳥に気づかれないよう隠し通す。

「わたしを喜ばすためにウソついてるんじゃないよね。最終列車には乗らないんだよね」

「もちろんです」

 美鳥は少し泣いてから、

「クリスマス~。クリスマス~」

とスキップするように踊り出した。

「お腹すいたな~」

 暗に、夕食を作れ、という要望が出されたが、

「今日は、美鳥に作っていただきましょう。ただ、この家は二人で食事をするには広すぎます。良かったら、少し豪華なお弁当を持って外で、駅舎で食べませんか」

「ん~。駅のほうが広いような気がするけど、お弁当持っていくっていうのは、ちょっとおもしろいかも。実を言うと久しぶりに外の空気を吸いたい気分だったし。いいよ。今テンション高いからすごいのが作れる気がする!」

「それは、楽しみです」

 アンドレイと美鳥は、二人で重箱に料理を詰めて、夜の駅舎にゆく。風呂敷に包まれた重箱はアンドレイが、スープを入れた魔法瓶は美鳥が、持つ。

 いつもは容易にはいれる駅舎に、少し解錠に手間取ってから侵入する。

(焼きが回る、というのはこういうことをいうのかもしれません)

 魔術の実行がかなり覚束おぼつかなくなってきている。視覚も時折ブラーやノイズが混入する。平衡感覚も狂い始めており、補正するのに集中すると口数も減少する。

「ねーねー、どこで食べるの~」

 猫がまとわりつくように美鳥はアンドレイに密着しようとする。

「良いロケーションを探しましょう」

「うん」

 さほど探さなくても、ディナーの場所はすぐに決まった。

「ここしかないよね」

「はい」

 そこはプラットホームの端だった。二人がそこを選んだ理由はただひとつ。満点の星空が広がっていたからだ。

 単式のホームに直に座り、線路に足を投げ出すように腰掛ける。

 美鳥は時々線路へ落ちて、笑いながら登ったり、安全なのをわかって危険なことをする。

「よく子供の頃は、抱え上げて遊んでもらったよね」

「同じ事を何度も何度もさせられました」

「何が面白いんだろうね」

 そういって、線路へと降りては、アンドレイに引き上げてもらう。

 空は美しいけれども、ホームに座るのには欠点がある。背もたれがないのですぐ疲れるのだ。

 疲れた美鳥はアンドレイにしなだれかかってくる。

 アンドレイがカラになった重箱を片手で器用に片付けていると、

「セバスチャンと初めて会ったのも、駅の中だったよね。町が真っ赤に燃えてて、怖かった」

「はい、私のせいで。この町どころかこの世界そのものを破壊するつもりでした。もっとも、途中で邪魔されましたけれど」

 美鳥はアンドレイをイジるように、

「赤毛の魔女ぉ~」

 と言った。ただ、もはやその単語には、アンドレイに怒りや恐怖を喚起する力はない。

「赤毛の魔女にさらわれて来た人たちを全員きちんと送り返せたね、セバスチャン」

「そうですね。誰が脱落してもおかしくありませんでしたけど皆さん良く頑張られました」

「最初の頃って、全然覚えてないよ。わたしは小さかったし」

「最初の方々は、ほぼ自力でしたね。私が彼らを救う理由も利益も見当たらなかったので」

「色々ルールも作ったよね。『この世界の人々に迷惑はかけないこと』とか。まあこれしか覚えてないんだけど」

「そう。それが一番大事なルールです。それだけ覚えていれば十分です」

「もう覚えておく必要はないけどね」

 星空は徐々に曇り始め、風が吹き始める。

「さむーい」

 と密着してくる美鳥を促すように

「少し歩きませんか」

 とアンドレイは立ち上がった。

「うん」

 ホームの中ほどに来た時、アンドレイは、美鳥を正面に立たせてから、

「美鳥、この世界で一緒にいて、ようやく、わからなかったことがわかりました」

 美鳥は、頭をかしげて、アンドレイの方を見ている。

「愛です」

 きっぱりと力強い言い方に、美鳥はぴたりと動かなくなる。

 一切の風もなく、音もない。二人の間を邪魔するものは、この世界にただの一つも存在しない。

 そして、アンドレイの頭のなかで、そして心のなかで、この上なく激しくうごめいていたもの、混乱させていたものが、ただひとつの言葉へと収束する。

「私は、あなたを、愛しています」

 美鳥は息を飲んだまま、口を小さく開けていた。アンドレイは、美鳥の両頬に手を添えた。

 美鳥は自然と目を閉じ、薄い唇をわずかに上に傾けた。

 唇が近づき、重なると思った瞬間、唇にあたった感触に違和感に気づいた美鳥は目を大きく開いて、アンドレイの体を押して離れた。アンドレイの手には一枚の紙切れが――秘密裏に二人の唇の間を隔てていた紙切れが――握られていた。最終列車の乗車券。

 乗車券が薄く光る。

「ウソつき!!!!!」

 美鳥の悲鳴に似た絶叫の裏で、踏切のサイレンが鳴る。

 最終列車が、パズルが組み上がるかのように、線路の上に現れる。

 アンドレイは、美鳥の口づけを得た乗車券をさり気なく美鳥のポケットに忍ばせ、自身は透過するように最終列車に乗り込んだ。

「美鳥。私は、あなたに嫌われても、呪われてもこの列車に乗らねばなりません。この世界を、あなたを守るために。この身が滅ぶとしても」

 美鳥は、言葉にならない声を上げて窓を叩いている。

 美鳥は、線路に降りて、列車の前で両手を広げて止めようとしている。それでも列車は動き出す。

「そうやっても無駄なんです」

 アンドレイは、この最終列車がこの世界の物質と交わらないようにする。映像が透過するように、美鳥の体が列車の中をすり抜けて流れてゆく。美鳥の顔は涙で濡れ、大声で叫んでいた。

 声も交わらない。けれどもそれでよかった。美鳥の声を聞けば辛くなるから。


 列車は異空間のトンネルに入る。アンドレイは、後方に小さくなっていくトンネルの入り口の先を、それが消えてなくなるまでまばたき一つせずじっと見つめた。消えてなくなってもしばらく動きもせず、泣いている美鳥の顔を繰り返し思い出した。

(これでいいんです。これで)

 漆黒の中を最終列車は定速で進んでいる。音も無く車窓の風景も黒一色であるので、視覚だけに頼れば、暗闇の中停車しているのではないかと錯覚しそうであった。

 長い、長い時間、アンドレイは列車の座席で眼をつむっていた。最終列車に乗り込むことで新たに得られた情報を整理する。

(なるほど、私の愛は永遠につづく)

 アンドレイは、を理解し終え、眼を開けた。

 アンドレイの正面の暗い窓に、蛍光灯をはじめとした車内の様子が写っている。

 アンドレイが眼をつむる前と後で、変わっているものはなかった。

 アンドレイが写るべき場所に『赤毛の魔女』が写っていることを除いて。

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