第17話 列車は定刻どおりにやってくる その3

 美鳥の周りは刻々と変化していった。

 木枯らし1号が吹く風の強い日に、ディーの試合を迎えた。素人の女子ボクシングの会場は、暖房もなく一般の観客もいない。ディーは毎度のことながら極度に痩せていて、自分でも倒せるのではないかと美鳥が思う程だった。しかし、気合の入り様はこれまでの比ではない。

「これが最後のチャンスになるかもしれない」

 というプレッシャーと、ミロクとの喧嘩けんかのお陰で、人を叩けない、というボクサーにとって致命的な欠点を克服できたことが自信になっている。

「スタミナ不足には注意しろ。今回も階級を下げてるんだから」

 団藤トレーナーが活を入れるように、青いヘッドギアをつけたディーにアドバイスした。

「わかってます。早めに蹴りをつけます」

 しかし、団藤トレーナーによると、相手は鶴田三姉妹という一部で有名な姉妹の末っ子で、『この階級のホープ』らしい。もちろん、

「それでも私の育てたディーなら勝てる」

 団藤氏は少し興奮気味に言った。

 試合のゴングが鳴る。最近大人しくなっているダーモンも、試合が始まると「いてまえ」「もっと動け」とか指示するように叫び、自身が闘うかのごとくシャドーボクシングをする。

 激しい打ち合いになるも、相手の鶴田は前評判通り動きが機敏で、ディーの青い拳をかわしている。

「ディーの体、キレが悪いな。減量のしすぎで筋肉も落ちちゃってるんだもん」

 ダーモンが解説するように呟く。

 ただでさえスタミナが厳しいのに、空振りすることで肉体的・精神的にスタミナが削られてしまう。

 互いに決定打なく第三ラウンドが終了し、すでにディーの眼が半分死に掛けている。一方、相手はまだピンピンとしている。

 次のラウンドが山場になりそうだった。

 ゴングが鳴る。と同時に相手が猛ラッシュした。ディーのスタミナ切れを見抜いているのだ。ディーはコーナーに追い詰められながらも必死でガードして耐える。脇腹に何度もパンチが入っても耐えた。

「ミロクちゃんも応援しているよッ!」

 美鳥がそう声を掛けた直後。

 相手が右フックを入れようとした一瞬だった。ディーの左ストレートが相手の顔をガツン! と綺麗な音をたててとらえた。

 その一発で、勝負は決まった。KO勝ちだった。ディーの生涯で初めての勝利だった。地方紙にも掲載されない小さな試合だったが、それはディーの人生を決める大一番だった。

 ディーは、まだもうろうとして座り込んでいる鶴田と握手をしてリングから降りると、

「これで終わりなの?」

 と信じられないといったような呆然とした面持ちでつぶやいた。

「ディー様の人生はこれからでしょう。元の世界でも思う存分暴れて下さい」

 アンドレイは満足そうに笑顔でディーを迎えた。トレーナーの団藤も「よくやった!」とディーの桃色の髪がぐしゃぐしゃになるほど頭をでた。

「長い間本当にご迷惑を掛けました」

「ホントだ、コノヤロー」

 団藤トレーナーは我がことのように涙を流して喜んだ。

 祝勝会を近くの居酒屋で開いて、ディーとダーモンと団藤トレーナーは馬鹿みたいに酒に酔って踊って家に帰るのもやっとだった。

 次の日、

「ダラダラとここにいても仕方ねぇから」

 ディーは酒が抜けると、列車を召喚して元の世界へと帰っていった。事故でも起きて万が一帰れなくなったら困るからと、やや駆け足ぎみに帰っていったのだった。

 美鳥の家には、アンドレイとダーモンしか残っていなかった。新たに異世界人が増える様子もない。

 ダーモンはいつでも元の世界に帰れる。この世界で学ぶことがあるため、年末までこの世界に残っている。

 ダーモンの研究、思索のサポートをアンドレイがしている。ダーモンは美鳥には理解できない専門用語でアンドレイと議論できるほどになっている。

 けれどもその年末というのは師走という字が示すように、あっという間にやってきた。

 雪がちらつく駅には、廃線になることを知った鉄道ファンがゾロゾロと押し寄せ、写真を撮ったり録音したり。ただ、旅館どころかコンビニもなく、美鳥ら以外の住民もいない町なので、営業時間が終わると、ファンといえどもいなくなる。

(鉄道ファンって何が楽しんだろう)

 美鳥はアンドレイの部屋でくつろぎながらそう思っていたけれども、

(セバスチャンも結構なアレだしな)

 アンドレイの部屋にある鉄道グッズに目をやる。

(コレクションを惜しんでこの世界に残ってくれないかな……)

 美鳥は、鉄道模型を手に取る。この前まで上から見えていた内装は屋根のせいで窓から覗かないと見えなくなっている。新たに嵌めこまれたのは、ミロクとディーの乗車券が変化したパーツだ。

 模型はほとんど完成に近づいていた。美鳥にはすでに完成しているようにしか見えない。

 あとは、ダーモンの分。そしてアンドレイの分がどこかにはまる。

 模型に飽きるのに一分とかからなかった。

(こんなおもちゃじゃなくて、私を大事にしてほしい)

 

 美鳥は、リビングで数日に迫るクリスマスの飾り付けをしていた。

「真っ赤なお鼻の~ふふふふふんっふっふ~」

(三人でも楽しくやろう~っと)

 椅子の上に立っていた美鳥がツリーの上に星を載せようと苦戦している時、

 ダーモンが近寄ってきた。

「いいところに、ダーモンちゃん。ちょっと、これ付けて」

 ダーモンは自分の頭の上に星を載っけた。

「ナイスボケ! そうじゃなくてツリーのてっぺん」

 ダーモンは、軽くジャンプしてツリーに装着した。

「ありがとね~」

 美鳥は食卓に椅子を返していたら、ダーモンが付いてきた。

「どうしたの?」

「なんかしてる最中で申し訳ないんだもん」

「何? 全然なんでも言ってくれていいよ」

「今夜あたり、元の世界に帰るもん」

 美鳥は、少し息を詰まらせたあと、

「時間はまだあるし、もう少し居てもいいのに。クリスマス一緒に祝おうよ」と言った。

「クリスマスとかいう祭りは二人ですればいいもん。ダーモンには無関係な祭りだもん。それに、万が一帰れなくなったら困るもん」

「うん……。わかった。わかってるって。セバスチャンにも伝えておくよ」

「うん……。ありがとう」

 アンドレイから桁違いに莫大な魔力を授かったダーモンは、この世界に来た時の様子からは想像できないほど静かに元の世界へ帰ったのだった。

 

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