第16話 列車は定刻どおりにやってくる その2

 ミロクが部屋に引きこもって三日経つ。その間にダーモンとディーは引越しをした。理由は深夜の踏切がうるさいからだ。ダーモンは自分の世界に科学技術を導入するべく日々勉強研究しているし、ディーも試合の日程が迫ってきている。減量のストレスは過酷なもので、ときどき立ちくらみをする程だ。睡眠ぐらいはしっかり摂らないと精神的にもたない。

 美鳥は自分の家に愛着があるので引っ越す気は全くなかったし、ミロクを放置するのもかわいそうで一時的に移動することすら気が引けた。ミロクが部屋から出てきたときに家に誰も居ないというのは悲しすぎる。自分がミロクの立場なら再び部屋にもるだろう。だから美鳥はミロクが出てくるまでそばにいる。学校も休んでいる。

(私、出席日数は大丈夫かな……)

 いざとなればアンドレイが何とかしてくれるだろうというある種の甘えはある。そして美鳥はもっとアンドレイに甘えたいので、罪悪感は全くない。

 そんな美鳥は、ミロクの部屋の前の廊下に毛布を体に巻きながら本を読んで時間を潰す。

 時折、「何か飲み物要る~?」とか、「寒くない?」とか話しかけてみる。返事が帰ってこなくても気にはしない。トイレや食事は、美鳥の就寝時間に済ませているらしいことは物音や食器の位置の変化で知っている。

 美鳥は、選んだ小説があまりにも退屈なので、頭をゆらゆらと船を漕いでいたとき、ゆっくりギーッっとドアが開く音で覚醒した。

 見上げると、ボサボサの金髪が見えた。

「セバスチャンさんは?」

 美鳥にいた。

「ふぇ、部屋にいると思うよ」

 そう応えると、

「わかった。ありがとう」

 そう言い残してアンドレイの部屋に向っていった。美鳥は夕ご飯をどうするかと聞こうと思ったが、ミロクに話しかけることができず、ただミロクの後ろをついていった。

 ミロクは、アンドレイの部屋にノックもせずに入った。アンドレイはミロクが来るのを察知していたかのように、ドアの正面を向いて腰掛けていた。ミロクは、訥々とつとつ

「曜一郎さんから私についての記憶を消せば、曜一郎さんの病気は治るんですね」

「はい。ミロク様が帰らない限り再発するでしょうけど」

「もしそれで治ったら、私はセバスチャンさんのいうことは正しいと認めます。そして、――」

 ミロクは美鳥の方を一瞥し、

「――この世界から帰ります」

「そうですか。今から病院に向かいますか?」

「はい。できるだけ早いほうがいいです」

 アンドレイは立ち上がると、時計を見て、

「もう今日の列車はございませんので、歩いていきます。美鳥も行きますか?」

「もちろん」

 自分が役に立てる場面はなさそうだったが、家に一人いてもしかたがない。

 線路に侵入して隣の駅を目指す。列車ならわずかな時間だが歩くとなると驚くほど長い距離だ。しかも途中にはトンネルもある。美鳥は何も考えずに学校の革靴を履いてしまったのを後悔した。ゆっくり歩いて行くのには理由があるのだろう。考えの整理をしたり、決意を固めたり。そういうことに歩くことは役に立つ。

 周囲は暗闇だが、魔法で足元を明るく照らしてもらっている。まるで演劇のステージの上のように暗闇の中に三人は浮いていた。

 美鳥は後ろから列車が――『スタンド・バイ・ミー』や『GO』のスーパーグレートチキンレースのように――やって来ないか時折振り返ってみる。がもちろん来ない。線路を歩くという違和感が不安を与えつづける。

 トンネルを抜けた。

 結局押し黙ったまま三人は隣町に、そして病院に着く。

 病棟内で夜勤のナースとすれ違ったが、まるで三人が存在しないかのように、気にせずに仕事をしている。アンドレイがナースの視覚を操作したのか、美鳥たちが透明な存在になったのか、美鳥にはわからなかったし、さほど重要なことでもなかった。

 江口曜一郎の病室には、本人以外の気配はない。そこにそっと三人連れ立って、

「相変わらずご気分がすぐれぬ様子ですね」

 眠っている曜一郎の首や腕にはもがいてつけた引っ掻き傷が生々しく残っている。そして時折悪い夢でも見ているかのように顔をゆがませて体を少しよじる動作をする。

「では、はじめましょう」

 そういうアンドレイを、

「ちょっと待って」

 とミロクは遮った。

 ミロクは曜一郎の額をで、そして軽く口唇にキスをした。曜一郎の体は暴れるようにもがいた。顔を離そうとしていたミロクの髪をはたくように曜一郎の手が一閃した。ミロクは何事も無かったかのように髪を整えたが、両眼からの涙が筋を成していた。

「曜一郎さんが治ったら、曜子や学校の友だちからも私との思い出を消して下さい。そうしないと曜一郎さん困ると思うから」

「承知しました」

 ミロクは病室から出た。

 アンドレイが江口曜一郎の頭の上に手をかざす。かすみのような薄い粒子が江口部長の額から出てアンドレイの手に吸い込まれていく。

 江口部長は悪夢にうなされているように苦悶の表情を浮かべながら、アンドレイの手を両手で掴み、拒むように爪を立てた。アンドレイは表情ひとつ変えず黙々と作業を続ける。

 江口部長の顔から苦悩の色が消えて行く。アンドレイの手に吸い込まれていく粒子が糸のように細くなり、消えた。

 江口部長はしばらく電池が切れたロボットのようにピタリと止まった後、ゆっくりと眼を開けた。

「ああ、セバスチャン校長。こんにちは。わざわざ来てくださったんですね」

「ご気分いかがですか?」

 江口は少し体を調べるように沈黙してから、

「ええ。なんだか急に驚くほど楽になりました。さっきまの酷い頭痛と吐き気と倦怠けんたい感がウソみたいです」

「それはよろしゅうございますね」

「でも何だか大事な物を失ったような寂しい感じもします」

 江口部長は、何かを思い出そうとしてか虚空をぼんやりと見つめていた。

「入院と孤独感は切っても切れない関係ですからね。学校に戻ればすぐ無くなりますよ。皆さん心配していますよ。いち早い退院を祈ってます」

「ありがとうございます」

 美鳥とアンドレイが病室から出ると、廊下に崩れるようにしゃがんだミロクが声を殺して泣いていた。

「帰りましょうか」

 美鳥は「行こ」とハンカチを渡しミロクを立たせた。

 病院を出た所で、黒いジャージ姿と黒縁メガネをしたツインテールの女の子が立っていた。ディーとダーモンだった。

「帰るんだろ?」

「ええ。再発するといけないので、今夜すぐ帰ります」

 アンドレイはひと気がないところで移動魔術を使った。行く先はどこに指定しても、『強制途中下車』が発動して列車の中に入れられる。五人は見慣れた列車の中に移動した。

「初めてこの世界に来た時もこんな感じだったな」

 ディーは感慨深げに言った。

 あたかも駅が五人が乗る列車に向かって移動しているのかと錯覚しそうなほど、線路沿いには何もない。

 列車が停まり扉が開く。アンドレイが「ご乗車ありがとうございました」と言った。いつの間にやらアンドレイは駅長帽を被っていた。

 夜中の駅に五人はいた。

 五人の乗って行った列車が『回送』されて消え去ると、踏切が鳴り始めた。

「部屋にお忘れ物はございませんか?」

「編んだ服とかは? 自分で作ったものなら持ち帰れるよ」

 美鳥は、手芸部にいたときの作品や江口部長がミロクと一緒に作った服も持って帰るものだと思っていた。

「持ち帰るのは、私の中にある想い出だけで十分です」

 美鳥は、そのセリフをカッコイイと感じたが、ちょっとだけ

(思い出の品って処分に困るんだよな)

 とミロクが帰った後のことも考えていた。

 ダーモンが「あー踏切うるさいんだもん!」と悪態をつく。

「今から列車呼ぶから辛抱してね」

 美鳥がそう言うと、

「ミロク様、乗車券を美鳥に渡して下さい」

 美鳥は、ミロクから乗車券を受け取ると、その上に口づけし、乗車券をアンドレイに手渡した。

 帰りの列車を初めて見るダーモンが、

「変なの。乗車券にキスする駅員なんて見たことないもん。リアリティに欠けるもん」

 と難癖をつける。ディーは

「魔法の列車だからね。それにリアリティなんて言うまえに、何もかもが現実離れしてるから」

 と笑った。

 ゴトゴトという音が聞こえ、線路の途中から異空間であろうトンネルを抜けて列車が進んでくる。

「危険ですので白線の内側へ、お下がり下さい」

 アンドレイがマイク片手にアナウンスする。

 列車が停まる。ドアが開く。

「ディーさん、酷いこと言ってごめんなさい」

「いいって。あれのお陰で俺も帰れそうなんだから。でも最初に来た時のナヨナヨとした感じから全然変わったよな。イイ女になった」

 ディーとミロクは強く抱き合った。ディーは元気づけるようにポンポンとミロクの背中を叩いた。

「ダーモンさん、変な料理食べさせてゴメンね」

「あれは一生忘れずに恨むけど、この魔界四天王のダーモン様を一泡吹かせたことは褒めてつかわそう。それに後で美味い料理も作ってもらったから、チャラにしておいてやるんだもん」

「ダーモンさんは人の上に立つ才能があります。学校で副担任してたときにそう思いました。ダーモンさんが元の世界に帰ったら指導的な立場になれます」

「当たり前だもん」

 ミロクはダーモンともハグした。

「セバスチャンさん、じゃなくてアンドレイさん。正直今でもあなたのことは全部は信用できてないんですが、でも色々お世話になりました。ありがとうございました」

「お元気で」

 アンドレイとミロクは握手だけした。

 美鳥とミロクは目が合った瞬間、同時に泣いた。そして抱き合った。

「いっぱいいっぱいありがとう。いっぱいいっぱいごめんね」

 ミロクがそう言ったら、美鳥も、とぎれとぎれに言葉を重ね、

「もっとずっと一緒に居られると思ってたのに。話したいことが一杯あるのに。何話していいのかわからない……。バカでごめん」

 しばらく見つめ合い、互いに手を強く握る。

「じゃあ、行くね」

「うん」

 二人の体は離れ、ミロクは列車へ乗り込んだ。

「みなさん、さようなら。お元気で」

 列車のドアが閉まる。ゆっくり走り始める列車を美鳥とディーは追いかけた。美鳥は夢中で叫んだ。「絶対忘れないから」「絶対幸せになって」と。夢中で手を振った。

 列車の中でミロクが叫んでいる様子が見える。声は届かなくても、自分の名前を呼んでいるとわかる。

 プラットホームの端まで、そして最後は身を乗り出すように見送った。そして列車が亜空間のトンネルへと消えた。

「ああ――。行っちゃった……」

 列車が消えた後もしばらくぼ~っとしていた美鳥はディーに肩を抱かれ導かれるようにして、駅舎の改札で待っていたダーモンとアンドレイと合流した。

 美鳥は自然とアンドレイの手を握り、

「何か、お腹空かない?」

 とアンドレイに訊いた。

 ダーモンも「空いた。空いたもん」と同調し、

「じゃあ、何か私が用意しましょう。ディー様もいかがですか?」

「減量してるからなぁ」

「今日だけ、特別に太らない魔法の料理を用意して差し上げましょう」

「よしゃー。じゃあ、思う存分頂くよ」

 家では、ディーとダーモンが酒を所望し、なぜかアンドレイはそれに応じた。宴会みたいに疲れきるまでどんちゃん騒ぎし、いつの間にやらディーとダーモンと美鳥の三人は川の字で横になって寝てしまった。

 歯を磨かずに寝たので口の中がザラザラで気色悪く、急いで洗面所に向かう。

 昨日の宴会の後片付けをしていると、祭りの後のような寂しさがある。

 けれども祭りの後の寂しさがいつの間にか霧消するように、この寂しさもゆっくりと薄らいでゆく。

 学校に行くと、休んでいた間の授業のノートを写したり、知ったときには締め切り間際になっていたプリント類の処理に忙殺された。

(手芸部はどうしよう)

 このまま部に顔も出さずにフェードアウトするのも手である。が、ミロクに関して江口部長は実害を被っている。部長の様子を見るため顔を出してそのときに退部を申告しようと思った。

 手芸部をのぞく。病み上がりで来ていないかもしれないと思ったが、部室は開いていた。

 退部したいと言い出すのは勇気がいるが、だらだらしているのは部長にとっても迷惑だろう。メイドカフェの経営者として、スケジュールが曖昧あいまいなバイトがいかに扱いにくいかは身を持って知っている。

「あのう。仕事が忙しくなったので、辞めようと思うんですが……」

「そうだね。僕もあまり体調が良くない時期があって教えられなかったし、またぶり返したりすると迷惑かけるしね。短い間だったけどありがとう。早乙女さんが来てから楽しかったよ。でも、さっき作りかけの作品を見せてもらったけど、そのサイズはちょっと合ってない気がする」

 ミロクが作ったニットの靴下だった。江口部長のために作ったのだろう。

「ええ、失敗したんですよ。よかったら部長さん貰ってくれませんか?」

 江口部長はちょっと逡巡した後、

「ありがとう。貰って完成しておくよ。それにしても短い間によく成長したね。こんな作品まで作れるようになるなんて」

 ミロクの記憶を消された江口部長は勘違いしているが、それをわからせることは不可能だ。曖昧に笑ってごまかしておく。

 部長は、クッキーの缶から『退部』の判子はんこを取り出し、ファイルから美鳥の提出した入部届を探している。

「あれ? この入部届はなんだろう?」

 ひらがなの揺れた字で氏名欄に『みろく』と書かれていた。

「イタズラかな……それとも『みほん』の書き間違いかな」

 しばらくミロクの字をじっと見ていた江口部長の片眼からすぅっと一条の涙が流れた。

「涙が出たのは、早乙女さんが辞めるからじゃないよ。なんとなくこの字が懐かしくて。ホント、なんでだろうな」

 アハハとごまかすように笑って、

「ああ、早く処理するね。早乙女さんの奴は、っと」

 ポンと赤い『退部』の字が入部届に押された。それを見届け、

「お世話になりました」

 美鳥は深々と礼をして部室の扉を閉めた。

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