(7) 似ている二人

 「また停電!? もお! せっかくSSR引いたばっかなのに!」


電話会社の回線が途絶えたので、今度は公衆無線LANに切り替えてスマホのゲームで遊んでいた美咲が少し怒ったような声で不満を口にした。美咲は「むむむ~」とうなりながら、非常灯の明かりでややオレンジがかった灯りの部屋を見渡した。そして、ふと気が付いた。


 「さくらと佐竹ちゃんは? まだ戻ってないの?」


 押入れから布団を引こうとしていたいずみが、壁にかかった時計をちらりと見た。


 「そういえば、まだ帰ってきてないなぁ……電話してみれば?」

 「うん……、あ、アンテナたってない……」


 わかばが部屋を見渡すと部屋の隅に置いてあった佐竹のトートバックを指差す。

 小さな秋田蕗のアクセサリーがはみ出している。


 「佐竹ちゃん、スマホ置いて行ったみたいですよ、ほら」

 「さくらちゃんはぁ、充電中だったみたいだねぇ」

 

 テレビ台の脇にあるコンセントには、ココのぬいぐるみストラップが付いたさくらのスマホが充電されていた。停電しているので当然通電ランプは消えている。


 いずみは少し考えて、それから布団を降ろしながら美咲たちに顔を向けた。


 「そろそろ帰ってくるでしょ。停電ったて隣のビルの中なんだし」

 「まあ、それもそうかぁ」


 

 ――が、しばらくたっても佐竹たちは戻ってこなかった。


 さすがに気になったいずみが仮眠室のドアを開けて廊下を覗いてみた。

 いずみにつられて美咲も覗きにきて、いずみの後ろから同じように視線を廊下に向ける。

 人通りが少ない廊下は夜の学校を思わせ、なんだか薄気味悪いように美咲には思えた。

 美咲はいずみのシャツの小さく引っ張りながら、心配そうな声で話しかけた。


 「大丈夫かなぁ、さくらたち…… なんか帰り遅くない?」

 「んー…… 迎えに行こうか?」

 「そうだね……」


 ――― 迎えに行くならぁ、わたしもいくよぉ!? 


 いつの間にか後ろに立って混ざっていたさつきが、何やら楽しそうな声を上げた。


 「い、いつのまに? いや、美咲と行くから大丈夫だよ」

 「そう? でも 佐竹ちゃんがぁ、微妙に気まずくなるような気がするよ?」

 「二人とも子供じゃないし」

 「まあまあ、さつきは佐竹ちゃんの回収ってことでぇ」

 「うーん……そうだね。じゃあ一緒に行こうか」


 3人でいったん部屋に戻り照明になりそうなものを探すが、特にないもない。

 すると、さつきが大きなバッグから「あ、これならあるよ」とコンサートライトを4本取り出した。いずみが不思議そうな顔をしてさつきに尋ねた。 


 「なんで持ってるの、これ?」

 「急にイベントとかで歌う事とかあるしぃ、仕事場には何本かもっていくんだよぉ?」

 「そういうもんなの?」

 「これでもアイドルなんでぇー」


 美咲は使うのが初めてで、さつきが色の変え方を教えて何度かボタンを押して白色に光らせた。その光で眠っていたわかばが目を覚ました。


 「んー あ、あれ? どうかしたんですか?」

 「わかばはぁ寝てても大丈夫だよぉ? ちょーっと佐竹ちゃんたち迎えに行くだけだから」


 急に雷が鳴って白い光が仮眠室の中に差し込んできた。その絶妙なタイミングと大きな雷鳴でわかばの恐怖感は大いに刺激されたらしい。

 

 「おやおやぁ」

 「ひ、ひとりにしないでください~ 私も行きます!」





 本社D館のエレベーターホールにたどり着いた一行は、電球色LEDの薄暗い照明の下でドアの上に視線を向けていた。「運転停止中」と赤文字で表示されていて、その横の階数の表示は、エレベーターの籠が4階で停まっていることを示している。


 エレベーターホールのすぐ目の前にあるアウローラのオフィスを覗いてみたが、SVも久保田も席を外しているようで中には誰もいなかった。


 一行が3階まで上がり、薄暗いシャワールームを覗くと使った形跡はあるが誰もいなかった。


 「いないねぇ」

 「すれ違っちゃたんでしょうか?」

 「階段までの通路は1つだけだから、それはないよ」


 いずみは美咲に顔を向けた。


 「やっぱり4階か。でも、なんで?」

 「ん~ 間違ったとか?」

 「階段で4階に上がれるんだっけ?」


 確認するために美咲が階段を上がって4階に向かったが、シャッターが降りていて進めない。非常灯が付いてるだけで、なんだかとても薄気味悪かったので、美咲は足早に3階にもどった。ドタドタという音で気が付いたいずみが視線を送ったので、それに気がついた美咲は階段を降り切る前に答えた。


 「シャッター降りてて進めないよ」

 「そうか。他に階段あったよね、たしか」

 「うん、奥の方にあるよ」


 いずみはみんなに「じゃあ、その階段までいこうか」と促した。


 同意した美咲たちは、手に持ったコンサートライトであたりを照らしながら、いつもとは雰囲気の違う廊下を歩きだした。






 「鍵、かかってる、ね。ここを通ると、近いんだけど」


 奥の階段へのショートカットルートであるオフィスのドアは、やはり施錠されていた。これは普通に鍵がないと開かないドアなので諦めるしかないようだ。


 さくらが悩んでいると、廊下のある消火器の下から、さくらと同じLEDの懐中電灯を見つけだして、スイッチを入れた。その時、その消火器を置いてる場所が「非常口」だと気が付いた。窓から外をみると、強い風にあおられて、跳ね返った雨水が白い霧を拡散しまくっているのが見えた。この高さで階段を降りるのはちょっと勘弁してほしいと、佐竹は思った。


 なにより、非常口のドアノブに「ドアを開放すると警報が鳴ります」と表示されているのが気になった。鍵は開けられそうだが、丸いプラスチックでカバーされて「非常時は壊してまわせ」と表示されていて、なんというか、開けるのに憚られるような状態だった。



 さくらが「こっちのほうから、いける、から」と奥の闇の方を指差すと、佐竹は立ちすくんでしまった。なんというか、まさに「闇」なのだ。佐竹の眉がたちまち歪んだ。


 さくらは、それを見て、手を差し出した。

 佐竹はその手を取って、今度はためらわずに手をつないだ。


 廊下の奥の方は倉庫につながっている。窓がないので、廊下と違い、本当に闇だった。


 倉庫の入り口にたどり着くと、そのドアは鍵がかかっていた。とはいっても、その鍵は番号をのボタンを押せば開くもので、さくらは仕事の関係でその番号を知っていた。電話機みたいな番号のボタンを押すと、あっさり開いた。


 だが、鍵が開いたのはいいが、壁にあるスイッチを押しても、当然ながら灯りはつかず、本当に真っ暗だった。佐竹がものすごく不安そうな顔をしているので、さくらは安心させようと、壁に貼られた「倉庫配置図」という地図を懐中電灯で照らした。


 「ほら、ちょっと回り道、だけど、この通路を進めば、階段につく、から」

 「この通路を……うわぁ……」


 佐竹が「この通路」の奥の方を見ると、非常口の誘導灯以外の照明がなく、さっきまでの廊下以上にもっと闇だった。


 さくらは、殊更に元気な顔を作り、佐竹を励まそうとした。


 「廊下は一つだけ、だから、行ける!……と思う……」






 さくらが目指す階段の3階部分には、美咲たちが先にたどり着いていた。

 そのドアには、さっきさくらがあけたのと同じ鍵があり、例によって施錠されている。いずみは、その番号は知らないのだが、美咲に視線を向けて確認した。


 「美咲、さくらといっしょに何回か来てるんでしょ? 番号覚えてる」

 「まかせて! ふふーん……ん?」


 番号を押して、がちゃがちゃドアノブを動かしたが、開かない。


 「あれぇー? おかしいなぁ……あれ? これもちがう?」



 ―― 突然、かなり大きな雷鳴が廊下に響いた。



 近いところに落ちたのか音と雷光がほぼ同時に届き、廊下に白い光が飛び込んで鮮明なフラッシュを焚いていた。


 わかばが「んにゃああ!?」と変な声で悲鳴をあげていた。

 それを見たさつきがわかばを背中から抱きしめていた。


 「大丈夫、大丈夫ぅ。建物の中なら安心だからねぇ」


 美咲がその様子をみて感心していた。


 「ほうほう、さつきちゃん、雷こわくないんだ」

 「怖いのはぁ怖いよぉ? 建物の中にいるときは平気だけど。佐竹ちゃんもぉ、わかばもぉ、ホント雷苦手だよねぇ」


 その時、ドアの向こうの4階のほうで、何かが落ちるような、ドラム缶が転がるような、そんな大きな音が響いた。



  * *



 さくらは、一瞬身の回りで起こったことが理解できなかった。

 確か、ものすごい音が聞こえて、廊下の方から白光が飛び込んできて……


 そして、何かに抱きつかれた気がしたのだけれど……

 

 尻餅をついて、倒れかけた上半身を起こそうと手を伸ばすと、すぐそばに転がっていた大きな円筒形の何か、そして温かくて柔らかい何かに手が触れた。懐中電灯で周りを照らすと自分の腰にしがみついている佐竹の顔が浮かんだ。目元が光っているのは涙目だからだろう。


 佐竹は青くなった顔をますます青くして、はっと上半身を起こした。


 「い、井川さん!? 大丈夫!?」

 「それより、大きな音、したね? 大丈夫……?」


 小さく佐竹はうなずいた。いつもの佐竹の表情とは逆の弱々しいもので、こんな時に不謹慎と考えながらも、なんだかかわいいとさくらには思えた。


 「えっと、歩ける?」

 「うん。ごめん、私、雷すごい苦手で……正直いうと暗いとこも……」

 「そう、だったんだ。さっきのは、近かったから、私もちょっと怖い、よ?」

 

 一応、さくらなりのフォローを入れてみたようだった。

 佐竹はうん、と頷いて懐中電灯を点けようと左手を動かして、はたと気が付いた。

 

 「あれ? どこにやったかなぁ?」

 「どうした、の……」

 「あ……さっき、放り投げちゃったかも……」


 

 さくらの懐中電灯で周りを照らしてみたが、落ちた懐中電灯は見当たらなかった。こまったな、とさくらがちょっと考えていると、さくらの懐中電灯が2回ほど瞬いた後に急に消灯した。


 「え!? なんで!?」

 「い、井川さん!?」

 「急に、消えちゃった!?」


 何度か手のひらで叩いてみたりしたが、どうやらさっき倒れた時に変な場所を打ったらしく、衝撃を与えた時だけ瞬間的に点くだけになっていた。 


 「こわれちゃった……?」

 「ええ! どうしよう!?」

 

 地面に埋め込まれた非常口の誘導灯が光っていて、その周囲だけは薄い緑色の光でぼんやり照らさていた。周りは良く見えないが、その薄明りのおかげで目が慣れれば進めないこともなさそうだった。でも、佐竹がこんな怖がってるし……


 「電気、戻るまで、ここで待ってみる、の、どうかな?」

 「うー……どれくらいでもどるかなぁ」

 「じゃあ、もうちょっとで階段だし、そんなに、距離無いから、ね?」

 「……うん、ここにいてもしょうがないしね」


 ふたりで立ち上がり、さくらが先頭になって手をつないでゆっくり歩きだした。さくらは佐竹を安心させるために、自分の予想を伝えた。


 「たぶん、この非常口、て階段の事かな? これに従って行けばいい、と思う」



 歩いた時間は1分も満たなかったが、ふたりには何分も歩いたように感じた。

 そして、気分的にはようやく、といったところで「非常口」にたどり着いたのだが、それはさくらの読みとは違っていた。


 そのドアは明らかに「非常口」であり、佐竹が数分前に見つけたあの非常口と同じような表示が掲げられていた。誘導灯の明かりを頼りにドアノブのあたりを探すと、やはり透明なプラスチックカバーに守られた鍵があり、開けると警報が鳴る旨の警告が貼られていた。


 さくらは、自分の読みが外れていたことを謝った。

 

 「ご、ごめんね……違った、みたい。このドアで外に出るのは、さすがに、ちょっと……」

 「そ、そうだね、大事になっちゃうし」


 さくらがどうしようかと悩んで周囲を視線で探ると、パーテーションの間からわずかな光が差し込んでいる場所が見えた。そこにはどうも窓があるらしい。

 さくらはその場所を指差して佐竹に教えた。


 「こっちの部屋、窓が、あるみたい?」

 「う、うん。そうみたいだね……」




  * *




 何度目かのトライ&エラーで、唐突に鍵は開いた。

 美咲は「おお!? 開いた!」と声を上げた。

 多少油が切れたような音を立てながらドアを開けると、その先は照明が切れていて地下迷宮への入り口のようだった。さつきに抱きついていたわかばが視線を階段の上に向けると、どこからか風切音が聞こえてきて、ただでさえ不気味な階段がさらに恐怖感を煽ってくる。


 いずみと美咲が視線を交わしてうなずくと、さつきの方に顔を向けていずみが口を開く。 


 「ここにいてもしょうがないし、いこうか?」

 「そうだねぇ なんか、お化け屋敷みたいだねぇ!」


 いずみが先頭になって美咲が続き、へっぴり腰のわかばがきょろきょろしながらさつきの腕にしがみ付いて歩き始める。階段を昇る足音だけが響いていた。






 窓から薄明かりが入るその部屋の壁際にたどり着いて、佐竹はへなへなと座り込んだ。月明かりが無いせいか、明りが差し込んでも周りに何があるのかはよく見えなかった。


 夜目に慣れてないのも原因だろうが、佐竹はそんなことを気にしてはいられなかった。隣に腰を降ろしたさくらに、佐竹は不安そうに話しかけた。



 「ここ、何の部屋かな?」

 「んー……窓があるから、たぶん、階段にちかいとこ……かな……」


 くしゅん! とさくらは小さくくしゃみをした。

 どうも湯上りの体が冷えたようで、右手の手の甲で鼻の下を軽く押さえた。

 佐竹が自分のもってきたブランケットをトートバックから出してさくらと自分にかけた。


 「ごめん、私がさっき飛びついたりしたから……」

 「え……ううん、しょうがなかったよ。私も、懐中電灯、離しちゃってたし」

 「井川さん、寒くない?」

 「大丈夫……、あ、あと、さくら、でいいよ? みんなそう呼んでる、し」

 「うん……じゃあ、そう呼ぶよ、さくらちゃん」


 そして、佐竹が視線を部屋の方に向けると無言になった。

 しばらくして、佐竹が口を開く。


 「そういえば、なんか、ちゃんと話したことなかったよね」

 「そうだね……私、嫌われたかなって、思ってた」

 「え!? あ、私も、私の事苦手なのかなって……」

 

 お互いに小さく笑った。


 こんな事態になってしまったが、けがの功名というべきか、少しは打ち解けたような気が佐竹はした。そこで佐竹は前から疑問に思ってたことを思い切って聞くことにした。


 「さくらちゃん、私たちの事、どう思う?」

 「……え?」

 「わたし達、アンバサダーの子とは、活動の目的も内容も違うでしょ? 一緒にステージに立つのやりにくいのかなって……」

 「そんなこと……私たちの方が、経験も、少ないし、レベルだって……」

 「……わたしね、この前の祭りのときのライブ、びっくりしたんだよ。ただの遊園地の宣伝の人たちと思ってたから。だから……」


 佐竹の顔に真剣さが宿り、いつものきりっとした表情を浮かべた。

 さくらに聞かせるというより、自分自身の心を確認するような、そんな表情だった。


 「だから……負けられないって思った。だって、私たちアイドルだもん」

 「……」

 「でも、いずみちゃんとか、美咲ちゃんとかみてて、私の方がなんか意地貼ってるのかなって思えてきて……ずっとアイドルやってきて、自分の魅力が大事ってずっと思ってきて……だから、さくらちゃんにゲストの方が大事、て言われた時、納得できなかったんだ」

 「私は自分の魅力が大事、て言われた時、ホントは自分の魅力、わからないからっていうのも、あったと思う……ゲストのためって、逃げてたのかなって」

 「でも、アンバサダーってテーマパークとお客さんをつなぐ人、なんでしょ? だったら、やっぱりお客さんを大事に思うの、わかる気がする」


 そこまで言うと、ふたりは顔を見合わせた。

 なんとなく、お互い似てるな、と思ったのだ。

 

 意固地になるところも、気持ちをうまく伝えられないところも。


 「じゃあ、どっちがいいとか、じゃなくて……」

 「そうだね、ゲストを大事にすることも」

 「自分の個性も大切、だね?」


 二人は、小さな笑顔を交わしあった。

 よくよく考えれば、意地を張ってお互いの主張を否定するようなことでもないのだ。そのことに思い至って、ふたりの間にあった微妙な高さの壁は消えていた。そして、さくらが何かを話そうと口を開いた。


 ――突然、何かが盛大に床に落ちるような大きな音が響いた。


 直前までの穏やかな表情が消え、さくらと佐竹はお互いの手を取り合って何かに驚いた猫のようにビクッ!とのけぞった。




  * *



 階段を上まで上がってきた美咲は、最上段の段差に足を引っ掛け、顔から床に突っ伏していた。その時、一緒に周辺に置いてある看板を巻き込んでいたらしく、軽量プラスチック製の看板が数枚一緒になって床に転がっていた。


 コンサートライトでその様子を照らしたさつきが、面白そうにその姿を観察していた。


 「おお! びゅーりほーな転び方! ナイスずっこけ!」と変に褒める。


 階段のホールには非常灯以外の明かりが消えていて、いずみにつかまっていたわかばが「あわわわ」と怖がっていった。大きな音を怖がっていたらしい。いずみはわかばの頭に手を置いて妹でもあやすような視線を向けた。


 「こわいなら、下で待ってていいよ?」

 「いえ! いえ! 佐竹ちゃんとさくらさんを捜しに行きます!」

 「大丈夫?」

 「と、いうより、一人にしないでくださいぃ~」


 立ち上がった美咲はコンサートライトを廊下に向けて、多少恥ずかしそうにしながら歩き始めた。


 「こっちかな? 道は一つしかないはず……」

 「そうなんだ。さつき、わかば、行くよ?」

 「おっけぇー」


 


  * *



 パーテーションや棚などで仕切られて、少し向こうにいる美咲たちの事に気が付かないさくらと佐竹は、状況を判断しようと周りをうかがった。


 佐竹は、自分のすぐそばの窓にかかるブラインドの紐と棒に気が付いた。

 あわあわと多少涙目になりながら棒をひねると、ブラインドの角度が変わり、さっきよりも明りが窓から入るようになった。棚が並んでいて、そこには宝箱や刀剣、錨やロープといったプロップスが置かれていた。遠くには人の顔のらしきものが見えて、佐竹は思わず「ひっ」と声を上げた。


 そして……


 ――また、雷が轟く。


 ひゃああああ! と悲鳴を上げた佐竹は、反射的にさくらに飛びついた。

 その拍子でさくらが後ろにのけぞり、「あたっ」と小さく声を上げた。

 

 さくらの体があたった"何か"は、かぶせてあった布がバサバサと落ち、何かがいくつか音を立てて落ちた。


 さくらは佐竹をあやしながら、その落ちた何かをひょいっと持ち上げた。


 「大丈夫、佐竹、ちゃん? なんか落っこちてきた、ね……」

 「ご、ごめん、つい……え?」


 さくらが手にしていたものを見て、佐竹が顔を絵に描いたように青くした。

 佐竹の顔と、自分が手にしたものを交互に見て、さくらは「あー、これ?」と口を開いた。


 「人の下顎骨かがくこつだね、これ。歯が、あるし」

 「ほ、ほね……」


 遠くでまた雷が鳴った。

 その明りで、佐竹はさくらの後ろに物に気が付いた。

 

 ――金貨が積まれた宝箱に座る、下あごの無い、海賊の朽ち果てた骸骨を。


 さくらはそのことに気が付かず、佐竹が目を回し始めているのを困惑しながら見ていた。


 「え? なに? なにが、みえたの?」

 「が……がい……」

 「がい……?」


 そこまでいって、佐竹は力が抜けて崩れ落ちた。


 とっさに佐竹の肩を抱いて、さくらは「さ、佐竹ちゃ~ん!?」と呼びかけた。さくらに抱きとめられながら、佐竹は目を閉じて、完全に気を失っていた。

 

 さくらは、何が起きたのかと周りを見渡し、自分の後ろで船長の帽子をかぶった骸骨と目があった。なんとなく、「やあ」と挨拶されたような気がした。


 「これ……かな? 佐竹ちゃん、こういうのも、ダメ、なんだ」 


 あ、この尺骨きれいだな、とさくらは場違いにも感心していた。



  * *



 美咲が通路をこわごわ進んでいくと、話し声が聞こえた気がした。

 なんとなく、その部屋というかパーテーションのある場所だけ少し明るくなっているようだった。そこから「佐竹ちゃん……」という女の子の声が微かに聞こえた。



 美咲がコンサートライトをその部屋の入り口に向けながら「だ、だれかいますか~」と、おずおずと声をかけた。すると、よく知った声で返事が返ってきた。


 「美咲ちゃん!?」

 「あ、さくら!? ねえ、そこにいるの? 佐竹ちゃんは!?」

 「いっしょ、だよ」

 

 いずみと美咲が顔を見合わせて頷いた。そして、さつきとわかばも表情を明るくして視線を交わしあった。薄暗くてよく見えないその部屋に4人が入ると、さくらが声をかけてきた。


 「いずみちゃん!」

 「さくら!? よかった、無事?」


 いずみがコンサートライトを手に片膝をついて腰を降ろすと、その明りの中に、安心したような表情のさくらと、気を失っている佐竹の顔が浮かんだ。美咲も急いでさくらの元に向かい、「よかった~ 無事だったんね」と抱きついた。


 さつきたちもほっとしたのか「よかった~」と胸をなでおろした。

 わかばは佐竹が気を気を失っているのに気が付いてあわてて声をかけていた。


 「佐竹ちゃん、しっかりしてください~」

 「大丈夫、ちょっと驚いただけ、だと思うから……」

 「さくらさんは大丈夫なんですか?」

 「うん、大丈夫だよ」

 「佐竹ちゃん、なんで気を……」

 「あ、それは……」


 その時、さつきは壁のスイッチがオレンジ色に光っていることに気が付いた。

 

 「あれ? 電気ぃ、なおってるぅ?」


 ――ぽちっとな


 さつきがスイッチを入れると、部屋に明かりが灯り、一気に明るくなった。



 ―― そして、美咲とわかばは、自分たちがリニューアル用の骸骨の集団に囲まれていることに気が付いた。


 ぎょっとした表情を浮かべたわかばと美咲は「うきゃあああっ!」と悲鳴を上げた。いずみのところまで後ずさりしてきたわかばは、さくらたちの隣に膝を降ろしていたいずみにぶつかって「あ、いずみさん、ごめんなさ……」といって振り返った。


 そのいずみの脇には例の海賊が宝箱に座り込んでいて、ぶつかった拍子に演出のための機構が作用して上半身をひねって、わかばに「やあ」と挨拶した。


 礼儀正しいのかナンパのつもりなのか、わかばの顔の真ん前に顔を合わせ、鏡が仕込まれた眼窩でばっちり目線を合わせてきた。


 力が抜けて前のめりで倒れ込んだわかばを、いずみは抱きとめた。


 いずみもさすがに驚いていた。最初からわかっていれば怖くはないだろうが、いきなり骸骨軍団に囲まれれば、普段冷静ないずみも目を丸くするしかなかった。


 「が、骸骨……あ、これ、アトラクションの……」

 「よく、できてるよね……佐竹ちゃん、これを、見ちゃって……」

 「なるほど……さくらはこわくないの?」

 「ちょっと気味が悪い、とは、思ってるよ……?」

 「へ、へー……さくら、意外とこういうの大丈夫なのか……美咲は?」


 さくらに抱きついていた美咲は、顔を若干青くて「早く、ここから出ようよ~」と答えた。美咲もこういうのはダメらしい。みんなの中で楽しそうにしているのはさつきだけだった。さつきだけは、「あはは~ よくできてるねぇ」と自分から骸骨に近づいていた。



  * *



 仮眠室にも、オフィスにもさくらたちの姿が消えたことに気が付いたSVは、久保田と一緒に階段のドアの前にいた。額には汗が浮かび、隣に立つ久保田も心配そうな顔をしていた。ドアについた番号錠の暗証番号を急いで押しながら、真剣な表情を浮かべた。


 「エンターテイメント棟にも3階にもいないなら、あとは4階しか……」

 「大丈夫でしょうか?」

 「停電も長かったし、道に迷ったのかも」



 ロックが解除される音がして、SVはごくりと喉をならした。

 そして、手に持った大型の懐中電灯のスイッチを入れた。


 「さあ、いくわよ!」

 「はいっ!」


 4階に踏み込もうと決意を固め、迷宮の入り口ともいえるそのドアの開け放つと……



 ―――― そこには、ぽかんとした表情を浮かべた6人組が立っていた。


 いずみはわかばを、さつきは佐竹をそれぞれ背負い、美咲とさくらははぐれないように手をつないでいた。6人とも、急にドアが開いたので驚いているようだった。


 最初に口を開いたのはいずみだった。


 「あれ? SV?」

 「……え? どういうこと?」


 混乱するSVを見て、美咲はさくらと視線を合わせて苦笑いした。

 説明するには長くなりそうだったので、答えはありきたりなものになった。


 「ちょっと、いろいろあってさぁ……」


 




 午前1時を過ぎた頃になると、雷も風も弱まって夜の静けさを取り戻しつつあった。仮眠室に布団を並べて、6人は眠りについていた。電源が回復したおかげでビルの空調も機能を取り戻し、涼しい風が静かに仮眠室の空気を冷ましていた。

 

 窓際に頭を向い合せて布団を敷いたさくらと佐竹は、眠たいながらも深くは眠れずウトウトしていた。さくらは瞑っていた目をうっすらと開き、同じように眠れなくて寝返りをうつ佐竹の方に視線を移した。佐竹は、うーん……と小さく唸ってた。


 さくらは他の子を起こさないように小さな声で話しかけた。


 「佐竹ちゃん、ひょっとして、まだ、起きてる?」

 「……起きてるよ」

 「なんか、寝れない、ね」

 「うん……風、おさまってきたね」

 

 佐竹は外に視線を移した。さくらも同じように窓の外に広がる黒い空を見上げた。さくらは頭を少し動かし、上を向くような姿勢で佐竹に話しかけた。


 「ねえ、佐竹ちゃん……」

 「なに?」

 「アイドル、楽しい?」

 「うん。楽しいよ。さくらちゃんは、アンバサダー、楽しい?」

 「うん」


 そっか……と佐竹はつぶやいた。

 その声は、ほんの少し前の遠慮がちなものではなく、仲のいい友達のそれだった。さくらと佐竹は、その後少し言葉を交わし、数分後には眠りについていた。



    * *



 低気圧が過ぎ、朝日がさす頃には空はきれいに洗浄されてすっきり晴れていた。

 

 セキュリティのキャストが本社ビルの巡回を始め、さくらたちが通れなかったあの4階にある階段のドアを開けた。そして、その足で屋上緑化の公園のドアも開錠してから、次の巡回場所へ向かって行った。



 朝食の少し前。歯磨きと洗顔を終えたさくらは、空気を吸いにその屋上の公園に向かった。まだ雨でぬれていたが、植物も水を吸って暴風に耐えた枝葉を空に向かって元気に伸ばしていた。


 花壇を見渡してみると、つぼみだったアメリカンブルーの花が咲いているのに気が付いて、さくらは微笑んだ。


 「あ、それ、咲いたんだ」


 後ろから声をかけられてさくらが振り返ると、同じように空気を吸いに来たのか、首にタオルを巻いた佐竹が周りを見渡しながら声をかけてきた。


 「それ、なんて花なのかな?」

 「アメリカンブルーって、書いてる、よ?」

 「ふーん……青くて、きれいだね」

 

 佐竹が腰をかがめてその花を覗き込むと、さくらも同じように視線を落として同じ花壇に目を向けた。


 アメリカンブルーの株はその涼しげな青い花を朝の風に躍らせ、ふたりの間でリズムを機嫌良さそうに刻んでいた。




  * *



 午前9時過ぎになるとアウローラのメンバー全員が出社しエンターテイメント棟1階のリハーサルルームに集まった。全体曲での動きを見るために、トレーナーは前列と後列それぞれにダンスをさせてみる。最初に後列のフェアリーリングとSTARを確認し、その後、フィギュアとフローラを呼び寄せた。



 トレーナーはリモコンを操作して曲を流しはじめる。

 腕を組みながら6人の動きに目を光らせる。

 少し離れた場所では、他のメンバーが6人の動きを見守っていた。

 

 さくらたちのダンスの雰囲気が変わっていたことは、見守っていた広森たちにもすぐに分かった。6人の動きは、つい昨日までとは違って息がぴったり合っていたのだ。

 機械的に合わせたのでもなく、教科書的なものでもなく、お互いを合わせようとする呼吸のようなものが感じられた。それでいて、表情や歌声には個性が感じられる。


 トレーナーもそれは感じられたようで、ほうほう、と頷いていた。

 


 やがて曲が終わると、トレーナーはさくらたちをマジマジと眺めて声をかけた。


 「うん、いいんじゃないか?」


 わぁ、と6人は嬉しそうな声をあげた。

 壁際に立って見守っていた他のメンバーも感心した様子だった。

 

 舞とつばさが何が起きたのか興味深そうに声をかけてきた。


 「どうしたの?」

 「すごい息ぴったりじゃん」


 6人のちょうど中央に立つ佐竹とさくらが、お互いに視線を交わして微笑んだ。そして、さくらと佐竹が舞たちにうれしそうに教えた。


 「佐竹ちゃんと、話したんだ。個性も、大事にして……」

 「ゲストのことも大事に、ね」


 さくらと佐竹の表情には、数日前までの薄い霧のような何かはきれいに消えさり、今日の青空のように心地よい風が吹き抜けているかのようだった。






 風邪の症状もだいぶ収まったのか、顔色もよくなった城野はSVとともにリハーサルルームの入り口のドアから様子をうかがっていた。佐竹とさくらがしっくりきていないことを知っていた城野は、ふたりの様子が一晩でがらりとかわっていたのに驚いていた。


 風邪をメンバーにうつさないようにマスクをしている城野は、練習の光景を満足そうにみているSVに不思議そうな目を向けて尋ねた。


 「なにがあったんです?」

 「それがね、なんと……」

 「なんと?」


 なにかありげな顔をして答えておきながら、SVは急に首を小さくかしげて視線をちらりと天井に向けた。


 「私も、何が起きたかわからないのよねぇ」

 「えー。なんですか、何か知ってそうな顔してたのに」

 「何かあったんだろうけど、話してくれないのよねぇ」


 SVは視線を城野に戻すと、それでも嬉しそうな表情を浮かべた。


 「でも、それでいいのよ。自分たちでちゃんと壁を乗り越えていくのよ。大人が余計な手出しをしなくて、あの子たちはね」


 その言葉を聞いた城野が、小さく頷いた。そして二人がリハーサルルームに視線を向けると、メンバーたちはポジションに戻ってダンスのトレーニングに戻っていった。

 



 * *



 その頃、本社B館にある総合予約センターのオペレーションルームでは、提携しているチケット販売会社のコンビニ端末からの発券状況を確認していた社員たちが不思議そうな顔をしていた。


 特に宣伝したわけでもないのにネット上の予約サイトでは、アンバサダー・オンエア・ステージ スニークオープンプレビューの一般ゲスト枠が入場予約が急速に埋まり始めているのだ。


 本来であれば、このイベントはあくまでもメディア関係者やINOUEグループの雑誌媒体などのための、それもあまり宣伝する予定のないものだった。ロケーションでは当日いかにゲストを呼び込み空席を作らないようにどうするか検討していたのだが、むしろ座席の不足を心配するほどになった。これは現場にとっても予想外の事で、緊急のミーティングが開かれたほどだった。



 担当者がいうには、どうやらフィギュアやローカルアイドルのファンが嗅ぎつけたらしく、


 「アンバサダーってなんだ?」


 という質問などが掲示板やSNSでやり取りされていて、ゲストインフォメーションセンターには


「コンサートライトはいいのか」

「コールしてもいいのか?」


などの問い合わせの入電が朝から続いているという。


 ほどなくして社内の会議で優先予約席のエリア拡大と、一部の機材を撤去して席を開放することを決め、その旨はアウローラオフィスに内線で伝えられ、SVはそのことをメンバーにどう話そうか思案することとなった。




 * *



 その日の夕方。

 オレンジ色の光が周囲を染め、ようやく風に涼しさが戻ったころ。


 完成したばかりのアンバサダー・オンエア・ステージのステージでドレスリハーサルを終えたアウローラとフィギュアのメンバーは汗を拭いたり、立ち位置をもう一度確認したりしながら休憩していた。


 すると、普段は練習を見に来ることはない猫実部長が顔をだし、みんなの前で穏やかそうな表情で周りを見渡した。そして、みんなを見渡した後、部長は優しそうな声で話しかけた。


 「えー、明日は皆さんがっばてください。エンターテイメント部のみんなが皆さんを応援しています。……君からなにかないかね?」


 SVにそう促すと、SVはうなずいてきりっとした表情で口を開いた。


 「みんな、ここまでの活動の最初の集大成よ。ゲストの記憶に残るステージにしましょう」


 はい! というみんなの声がエコーがかかったように劇場の中で響いた。





 数か月前まで普通の女の子だった彼女たちは、もうすぐ自分たちのステージでスポットライトに照らされ、キラキラと輝くお姫様になるだろう。


 夜空に輝く「オーロラ」のように。


 ―― その瞬間は目前に迫っていた。




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オンステージ! ~アンサンブル・カーテンコール!~ 岩谷ゆず @Yuzu_iwaya

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