第4話

 永峰と別れてから帰宅すると、偽妹・瑠花が待っているというわけでもなく真妹・春絵が待っているというわけでもなかった。前者はともかく後者に関しては非常に遺憾いかんである。

 代わりに在宅していたのは愚姉であった。どうでもいいけど愚妹なら「ぐまい」って呼べるけど愚姉ってどう読んだらいいのだろう。どうでもいいけど。


「あらー、おかえり。そんなところで突っ立って何考えてるの? どうせろくでもないことだろうけど」


 姉が最低レベルの挨拶を俺に放ってくる。


「……俺の目の前にいる馬鹿姉の愚かさについて考えてたところだ」

「ほらー、正解。はいはい、さっさと着替えて晩御飯作りなさいよ」


 それを聞いて思い出す。俺は晩飯担当だった。

 恐る恐る冷蔵庫を開けてみると中身はほぼ空。おい、昨日の飯担当誰だよ。ほとんど中身使い切ってんじゃねえか。


「昨日春絵が言ってたでしょ、中身使い切っちゃったから明日買い物よろしくねって」


 背中越しに愚姉が声を掛けてくる。確か昨日そんなことを言っていた気がする。そうか、昨日の担当は春絵だったか。すまん、お兄ちゃんが悪い。


 完全に今日一日いろいろあったせいで俺の頭から飛んでいた。さらに無駄に時間を使われてしまったため、買い物に行くような時間もない。

 だが、春絵が帰っていない今ならまだ買い物をする余裕もあるだろう、と思い俺はそのまま玄関へと向かう。


「あれー、どこ行くの?」

「分かるだろ、買い物だ。簡単なものでも買ってくる」

「えー、外食でいいじゃん、外食で。寿司食べようよ! そうだ、そうしよう!」


 勝手なことばかり言いやがって……。俺の担当日だから絶対金は出さない癖に。

 俺が姉の言葉を無視して玄関の扉を開けようと手を伸ばすと同時に扉が開かれる。


「「あ」」


 重なったのは、俺と春絵の声であった。


  ▽


「すーし、すーし!」


 ウキウキとハンドルを切る我が愚姉。調べたら「ぐし」と呼ぶらしい。


「おい、無駄な動きはやめろ。危ねえだろ」


 姉貴は普通車免許持ちである。だがまだ免許を取って半年なので、初心者でもある。なのにそんな適当な運転するなよ。若葉マークが泣いてるぞ。


「だってー、久しぶりだもん、寿司」

「誰が寿司屋に行けと言った。牛丼屋だ、牛丼屋」


 買い物に出かけようとすると春絵とかち合ってしまい、結局外食を選んだ俺たちは姉貴の運転する車で寿司屋……、いや、牛丼屋へと向かっている、はずである。


「いやいや、私が運転してるのだから、行き先は私が決めるのだよ」

「でも店の決定権は俺にあるんだから、そこは従えよ」


 俺は後部座席から不平を垂れる。運転席と後部座席での口論に対して、春絵は困ったように口を開いた。


「お、お兄ちゃんの担当の日だからお兄ちゃんの好きなものでいいと思うんだけど……、牛丼よりはお、お寿司の方がいいかな……」


 ひどい。裏切られた。春絵に裏切られてしまえば俺はもうダメだ。


「ほらー、春絵もこう言ってるんだから。さ、行くよ。寿司屋に!」


 こうなってしまえばもう姉貴のペースだ。ハンドルを持つ手が完全にルンルンと弾んでいる。やめろ、まだ死にたくはない。


「お、お兄ちゃん、ごめんね。私もある程度はお金出すからさ」


 小刻みに揺れる車の中で、振り向きつつ小声で春絵が言う。ああ、天使だ。本当にマジで。


 まあもちろん春絵に出させるなんてことはないが。出させるならそこの愚かな姉だ。とりあえずその運転を止めろ。


 それにこの愚姉には聞かねばならないことがあるのだ。いつまでも寿司ネタを引きずってる場合ではない。寿司だけに。


「何気持ち悪い顔してるのよ」

「いや、アンタ全く俺の顔見てないよね?」

「まあ大体想像つくから」


 さっきろくでもないことを考えてるとか言われたけど完全にお互い様じゃないか。


「そんなことよりさ」あまり気乗りはしなかったものの、俺は重たい口を開く。

「何よ」

「ちょっと姉貴に聞きたいことがあって」


 急に大人しい運転をし始めた姉貴に向かって、俺はこれまでの出来事、そして今日あったことを伝える。さらには伊勢谷から頼まれたことについても述べた。ちなみに少し誇張して伝えている。だってそのくらいしないと動いてくれなさそうだし。


 一通り伝えた所で、車は目的地である寿司屋へと入っていった。


「というわけで、姉貴に連絡を頼みたいんだとよ。姉貴の連絡なら受けるだろうって」


 車を駐車させ、ふーんと呟いた姉貴は俺の顔も見ずに言う。


「いいわよ」


 案外あっさりだった。


「どうも」


 なのであっさり返しておいた。


「ちゃんとお礼くらい言いなさいよ」

「頼んだのは俺じゃない。伊勢谷だ。お礼が欲しけりゃ伊勢谷に言うことだな」


 やれやれ、と首を横に振りつつ姉貴が車から出るのに従って俺も車から出ようとする。やれやれはこっちのセリフなのだが。


「でもさ」姉貴はドアをバタンと閉め、俺が開けた後部座席のドアの淵をぐいっ、と掴んで言う。

「アンタ、私に嘘ついたよね」


 嘘? 俺は嘘などついていない。多少の誇張はしたけれども、間違ったことは言っていない――、


「アンタ前に言ってたわよね。高校生活で変わったことは無かったのかって。あれ、嘘じゃない」

「……あれか。でもあれは嘘じゃない」


 少なくともあの時点では何もなかったのは本当だ。あの時点で起こっていたのは永峰瑞希による謎の予言だけ。まだ密室予告状事件のことを伊勢谷からは聞いていなかったのだから今回話したこととは直接関係ない。


「……ふーん、ま、いいけど」


 そうとだけ言うと、すーしすーし、とご機嫌な様子で店の方へと向かっていく。なんだよ、間違いくらい認めろよ。


 俺も行こうかとドアを開けるが、そこで気付く。春絵が助手席から微動だにしていないことに。


「春絵、着いたぞ」


 寝てしまったのかと思ったのだが、思いのほか反応は早く、ビクッとした後キョロキョロと辺りを見渡す。


「あ、あー、もう着いたんだ」

「ほら、行くぞ」


 寝ていたのかは分からないが、まあどちらにせよさっきの会話をちゃんと聞かれていなかったのは幸いだ。春絵とは言え、あまり人には聞かれたくない話ではあったからな。


 そして俺たちは思う存分寿司を楽しんだ。代金は結局全て俺持ちではあったが。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

俺と彼女の青春「偽」曲 西進 @ykp-sugi

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ