カリン

カリン 1

 昼でも暗い路地裏と、悪臭放つ下水路。

 

 最も古い記憶はなにか? と問われてカリンが思い出すのはそれだ。

 物心ついた時にはそんな場所で、同じような浮浪児の子供達と暮らしていた。

 父親や母親の記憶は何一つとして思い出せない。それもそのはずで、比較的年長の子供はかつてカリンにこう教えてくれた。

「お前さ、赤ん坊の頃流れて来たんだよ──ドブん中を」

 その意味するところは、幼いカリンにもよく理解できた。

 自分は捨てられたのだ。

 望まれない生まれだったのだろう。ただ捨てるどころか汚いドブに放られたところを思えば、憎まれてすらいたのかもしれない。

 幼いカリンはごく平静にその事実を受け入れた。自分に優しい両親とやらがいたとしても──毎日毎日がひもじくて、苦しくて、痛くて汚くて辛くて死んでしまいそうな状況から助けてくれないのなら、捨てられたのとなんの違いがあるというのか? 

 そんなふうに思ったのは、希望など持つことは許されない生活だったからなのかもしれない。

 どこへ行っても厄介者。みんないつもお腹を空かせてゴミを漁り、時には盗みにすら手を染めた──けれど、子供の浅知恵では見つかってしまうことも多くて、そういう時は立ち上がることさえままならなくなるほどぶたれるのだ。

 そんな生活を何年も続け──ある年に転機が訪れる。

 例年まれに見るような大凶作が、ベルベクト王国の首都を襲ったのだ。

 一般市民にも餓死者を出したほどの規模である。日頃から飢えていた浮浪児達など、真っ先に死んでいった。

 カリンもまた他の子供達と同じ運命を辿る──はずだった、のだが。

 どうしてか生き残ってしまった。

 その付近の記憶ではっきりしているのは、仲間の最後の一人を看取ったところぐらいまでである。

 再び気がついた時には季節が変わってしまっていて──傍らには、やけに毛艶のいい愛玩用のネズミがいた。最初は食べてしまおうかと思ったけれど、そのネズミを見ていたら、それはやってはいけないことのような気がした。

 結局、カリンはそのネズミにハムタと名付けて、また路地裏で暮らし始めるようになる。

 満足な寝床すら無いような生活ではあったけれど、それでも以前より空腹に苦しめられるようなことはなくなった。ハムタが食べられる草や実の場所を探しては案内してくれるようになったからだ。

 そうして一人と一匹で生活してしばらく経った頃、カリンが住む路地裏に、不思議な女が顔を見せるようになった。

 路地裏には似合わない身綺麗な格好の若い女で、表情も明るく、足取りも軽い。

 あまりにも異質なその女はもの珍しそうにキョロキョロと辺りを見回しながら歩いているので、最後にはゴロツキに絡まれていた。

 巻き込まれるのが嫌でカリンはすぐにその場から離れたのだが、女はその翌日も平然と──無傷で──路地裏にやって来た。そして別のゴロツキに絡まれて、ということを何日か繰り返した。

 そしてある時、カリンはたまたま女が何人かのゴロツキに絡まれた後の場面に出くわした。

 女はゴロツキの一人に両手を掴まれ、壁際に追いやられていた。だが、その表情には恐怖などなく、ただ静かにゴロツキを見据えている。

 別の手とナイフが女の服に伸び、それを切り裂こうとした時──女の頭の横から何かが飛び出し、ゴロツキ達と女の間に割って入った。

 それは一匹の蝶だった。女と同様に、路地裏には不釣合いな鮮やかな羽の色をしていた。

 蝶が女を掴んでいたゴロツキの頭に止まると、突如としてゴロツキは苦しみはじめ、やがて地面に倒れこむと動かなくなった。

 突然の異常に驚く他のゴロツキ達が我に返った時には──蝶は新しい男の頭に止まっていた。

 後はその繰り返し。

 三人目が動かなくなった時には、他のゴロツキは逃げ出していた。

 女はそれを追うでもなく、倒れた男を見下ろして悲しそうに目を伏せると、ひらひらと自分の周りを舞う蝶になにか一言かけて──きょとんとした表情を浮かべた。

 女の目線は明らかに自分カリンの方を向いている。

 そこでカリンもようやく、自分が隠れることを忘れて一連の光景に見入っていたことを自覚した。

 だが、隠れるにも逃げるにももう遅い。女は表情を輝かせて、カリンの方へと歩き始めていた。

 ふいに、カリンの足元にいたハムタが女の前に飛び出す。すると女の近くにいた蝶もまたハムタの目の前の地面に止まった。

 その間にも女はカリンに近づいて来て、そしてカリンと目線の高さを合わせるために屈み込むと

「ね、あなた、そのネズミちゃんの飼い主なの?」

 その問いにカリンはなんと言葉を返したのか覚えていない。うん、とか、はい、とかいうような、短いものだった気がする。

 女はカリンの返答にあふれんばかりの笑顔を浮かべて喜んだ。そして

「私はアビエス。あなたと同じ妖精の侍従エージェントなのよ!

 嬉しいわ! 他の人に会うなんて初めてだもの!」

 女──アビエスは、薄汚れたカリンの手を躊躇いなく握ってそう言った。


 


 

 

 

 

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