四話 これが修羅場であるはずがない

「ぷふぅ、ご馳走様でしたぁ」

「十二個全部食べるとは。まぁ、何となく察してましたけど」

「きひひっ。ありがとうねぇ。これで少しは動けるよぉ」

「……ちなみに、今ので腹何分目ですか?」

「……?」


 俺の問いに、雪柳先輩はきょとんとした後。

 

「きひゃひゃひゃっ。もぉ、お菓子食べて何分目とかないでしょぉ? 変な楓くぅん」

「はは、すみません」


 相変わらずイカれてやがる、こいつ。

 ちょっと小さな駄菓子を食べるみたいな感覚で平らげたのか。

 質量保存の法則無視してるだろこれ。


 この世の理に懐疑を覚え、身長が高いわりに華奢な彼女の、主にお腹周りを観察する。

 あれだけの体積が入ったのに、食後で変化が見られない。

 どうなってるんだ……と、眉を顰めたあたりで。


「んひ……そんなに見られると、キリちゃん恥ずかしぃ」

「今更乙女のフリしても遅いですよ。初手うつ伏せ妖怪毛玉なんですから」

「ひどぉい。これでもキリちゃん、有名人なんだよぉ?」

「変人として、ですがね」

「?」


 あ、こらそこ。不思議そうな顔しない。


「でも、キリちゃんが通るとぉ、みんなヒソヒソ話するんだよぉ?」

「そりゃその毛量と髪色でフラフラしてたら誰だってするでしょ」

「あとぉ、自分から道を開けてくれたりぃ」

「逃げるの間違いですね」

「黄色い悲鳴を上げたりぃ」

「恐怖の叫びですね」

「きひひひっ」


 俺の正確な訂正に、何が面白いのか彼女は笑みをこぼす。

 もう行っていいだろうか。俺の腹も、いい加減何か食わせろと訴えていた。


「んー……キリちゃん、みんなに嫌われてるねぇ」

「どちらかというと怯えに近い気もしますが」

「うふ。だけどぉ、楓くんはキリちゃんのこと、怖がらないねぇ? どぉしてだろぉ?」


 さっきから何なんだ、この先輩は。

 しつこくウザ絡みしやがって。そういうのは瀬奈で間に合ってるんだよ。

 第一、怖がるも何も。


「先輩のどこを怖がればいいんすか。あんたはただの変人でしょうに」

「……きゃはっ」


 うわ、食べられるのかと思った。笑みが凶悪すぎるだろ。

 それに変人扱いされて喜ぶとは、少し以上に業の深い趣味ではなかろうか。

 個人の性癖にとやかく言うつもりはないが、俺を巻き込むのだけは止めてほしかった。


「んふふ~、変人だってぇ。キリちゃん、変人って言われちゃったぁ。ひひひひ」

「……」

「楓くん、やっぱり積極的だねぇ? もぉ、キュンキュンしちゃうぅ」

「あ、はい。そうですね。じゃあお金返してもらっていいすか?」


 この場から去りたい一心で、極めて自然かつスムーズに返金を促す。

 すると先輩はそのクソ強い腕力をもって俺を拘束した。やめろ離せ馬鹿。


 これだから嫌なんだ、フィジカル系イカれ女は。

 おかげで無視することもできないし。頑張って逃げたところで、すぐ捕縛されるのがオチだし。

 

「えぇ~、まだお話しようよぉ」

「俺も腹減ってるんですよ。どっかの誰かさんが馬鹿みたいに全部食っちまったから」

「むむむぅ。……お腹すいてるなら、しょうがないかぁ」


 しかし意外にも、俺がそう言うと彼女は腕を離した。

 彼女とは今までも何度か会話しているが、未だに判断基準が読めない。

 だからって知りたくもないが。


「……はい。じゃあ、なんだっけ。2160円? いや、3160円だったかな。うん、3160円ください」

「ちょおっと待ってねぇ。えっとぉ、うーんとぉ……はいっ、ど~ぞ!」


 ばさり。

 雪柳先輩の財布から、大量の札束を渡される。ちくしょうまたかよ。


「あの、先輩」

「んぅ? 足りなかったぁ? ごめんねぇ、今持ってるのはそれしかなくてぇ。明日下ろしてこよっかぁ?」

「いや、違う、アホか。俺3160円って言いましたよね? 前回から何を学んだんすか」

「だってぇ。キリちゃん、数えるの苦手だもん」


 少し不満そうな顔をしながら、彼女は薄い本程度の厚さの札束を振り回す。

 恐ろしいことに、これは千円ではなく万札である。以前確認したから間違いない。

 何故万札しかないんだと聞いたところ、雪柳被告は「給料は全部万札これなんだぁ」と述べていた。


 この女、まじで暗殺者とかじゃねぇだろうな。

 それが怖くて受け取れないんだよ。

 俺、後で消されたりとかしないよね、頼むぞほんと。


「苦手でも克服する努力ぐらいしてください。はい、じゃあこれ、いただきますよ」

「はぁ~い」


 俺はそう言って、何食わぬ顔で三万円を抜き取り、自分の財布に入れた。

 いやこれは、あれだから。別料金みたいなやつで合法だから。手が滑っただけだから。


「またねぃ、楓くぅん」

「えぇ、さようなら。今度は倒れたりせず、自分でご飯買ってくださいね」

「えへへへぇ」


 えへへじゃない、返事しろよ。


「はぁ……金は手に入るものの、だな」


 踵を返し、再び購買に向かう途中、ぽつりと呟く。

 結果だけを見ればあの女、雪柳先輩は金を無限に貢いでくれるゲームのサービスキャラみたいな存在だが。


「なんかヤバい気すんだよなぁ……」


 この数年で発達した、俺のヤバい女レーダーが反応している。

 具体的にどう気を付ければいいかは分からないが。深く関われば、何かが終わるか始まる気がするのだ。

 やはり、できる限り距離を開けたほうが……。


「……あ、そうだぁ。ねぇ、楓く〜んっ」

「は――?」


 後方から声が聞こえる。

 さっきまでの甘えた声ではなく、どこか真剣みを帯びたそれ。

 俺は意外に思って、上体だけを振り向かせると。


「最近の夜は危ないからぁ、あんまり出歩かないでねぇ~!」

「え」


 え、なんだその、明らかなフラグは。

 やっぱり殺人鬼か何かなのか? そうなんだろ、お前が犯人なんだろ。

 いや、逆に犯人を暗殺する側だったり……?


「それだけぇ~。じゃあねぃっ」

「あ、ちょ」


 やめろよ、そういう断片的な情報渡してどっか行くの。

 せめて何が危険なのかくらい教えろよ。使えない先輩だなぁ。あれが人生の先駆者とは、全く信じ難い。


「……夜、つってもね」


 夜が危険なのは当たり前のことで。気を付けるなんて誰でもしてることだ。

 夜には瀬奈が出没するからな。

 エンカウントした瞬間、まず無事の生還は諦めたほうがいい。


「特殊条件で出現する裏ボスかよ……」


 やっぱお祓い行くかぁ。

 明確にイカれてる二人に加え、白百合も怪しい感じだし。

 なんだかなぁ。


「って、あれ。おばちゃん、パンどこ行った?」

「あぁ、ごめんねぇ。もうこれしか残って……ん? なんだ、さっきの大食い坊やじゃないか。まさかまだ食べるつもりかい」

「いや、さっきのはパシらされてただけ。んで、本当にこれしか残ってないと?」

「何かパシリとか聞こえた気がするけど……そうねぇ、これだけだよ」

「……」


 俺は死んだ目で、最後に残った焼きそばパンを購入した。

 慣れ親しんだはずのその味は何故か少し、しょっぱかった。


 ……そんなほろ苦い昼休みを堪能した後。

 俺は余裕をもって、五限が始まるギリギリに教室へ戻った。

 横目でちらりと見れば、東山君が苦々しい顔で俺を睨んでいる。


 ごめんね、帰ってこなくて。でもお前、教室にいたら絶対質問してくんじゃん。

 貴重な昼休みを潰されたくないからな。

 結局、雪柳先輩に捕まってしまったが。


「よーし、座ってねぇ。授業始めるよー。はい、日直の人ー」

「……きりーつ、れーい。お願いしまーす」

『お願いしまーす』


 とはいえ、所詮は時間稼ぎだ。

 どうせ何しても、あの正義漢は放課後とかに問い詰めてくる。

 面倒くさいことになったものだ。自業自得だけど。

 

 ……いや、言うほど自業自得だろうか?

 俺は自分の平和な日々を守るために、あえてあんな返答をしたのだ。

 悪いのは俺じゃない。俺は哀れな正義の犠牲者である。

 あれもこれも全部、頭のおかしいイカれ女共が悪いのだ。冤罪反対。


 そんなことを考えながらボーっとしていたら、いつの間にか授業が終わっていた。落書きをする暇もなかった。ご飯を食べて、脳が働いていないのか。

 また、その後の六限も取り立てて何かあったわけでもなく。

 いつも通り、俺は全ての授業を聞き流した。


 そして……ついに、放課後が始まる。

 今週の掃除当番は俺ではない。飛ばすぜベイベ。ブルンブルルーン。


「おい、月下。少しいいか」

「……」


 早いって。早いよお前。余韻ってもんを知らないのか非国民め。


「……よくないって言えば解放してくれるのか?」

「勿論だ。ただし俺は質問に答えてくれるまで、何度でも問い続けるぞ」

「まぁ、そうなるわな」


 俺は両手を万歳して諦める。

 出会ってまだ一月だが、こいつの性格は把握しているつもりだ。これ以上の抵抗は無駄でしかない。

 何日も付き纏われるくらいだったら、今ここで話をつけよう。


「分かった、聞くよ。何でも質問してくれ。流石にプライベートな問いは、黙秘させてもらうが」

「あぁ、それでいい。……まず、朝の坂原さんが言っていたことだが」


 東山君が話している途中、俺は普段ほとんど使わない脳みそを回転させた。


 俺はやっていない。証拠がない。

 それだけで無罪になることはないだろう。

 恐らく坂原さんは昼休みか、俺が席を外した瞬間に補足情報を彼に与えている。


 本当の犯人は彼女だ。たぶん、きっと。

 ならば俺が何かしていたという話を、彼女はなるべく信憑性の高いものにしなければならない。

 嘘だとバレたら、次に疑われるのは彼女だからな。

 さぁ考えろ。どんな策で来る?

 

 もしかしたら友達を説得し、俺を多人数で陥れるかもしれない。

 あるいは昼休みの間に、俺の席に何か細工したかもしれない。

 加えて俺は入学早々、クラスメイトに悪印象を持たれている。正直、言葉だけでの言い合いなら勝ち目は少ないだろう。


 ……少し面白くなってきたな。

 いいだろう。この最悪の状況で、完璧に勝訴を勝ち取ってや――


「え、ちょい見て校門。あの。あれってさ、まさか……」

「マジじゃん。え、なんでここに来てんの?」

「……」

「ごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさい」

「やっべ、赤西君がバグった!」


 あ、やっべ。

 勝訴とか言って遊んでる場合じゃないわ。早く行かないと最悪死人が出る。


「……ではない、と言っている。だが、お前が放課後遅くまでいたのは他の生徒も」

「ごめん東山君。ちょっとまた今度な」

「は? ……お、おい! 月下!」


 俺を呼び止める東山君の声を無視して、鞄を抱えながら教室を飛び出る。

 まぁいいだろ、最初から無視してるようなもんだったし。

 今はそれよりも。


「なんで、あいつが来てやがる……っ」


 階段を四段くらいすっ飛ばし、手すりを使って駆け下りる。

 頼むから我が高校の生徒よ。知らない子が校門にいるからと、馬鹿な真似はしないでくれ。

 二階から一階へ。

 最短距離で下駄箱に着いて、俺は靴の踵を踏みながら校舎を出た。


「ぜぇ、はぁ、あぁきっつ、まじで」


 何ヶ月ぶりだろうか、こんなにも走ったのは。明日筋肉痛とかになったらどうするんだ。

 お前、本当いい加減にしろよ。

 俺は疲労困憊の自分を嬉しそうに見つめる、金髪の暴力イカれ女こと瀬奈を睨みつけた。


「はぁ、はぁ……なんでここに来た、この馬鹿野郎」

「……にへ。朝起きたら丁度昼だったからヨ。街に行くついでに、来ちまった」

「おっけ全部理解した。うんうん、じゃあ帰れな?」


 俺は頷き、歴戦のホストもびっくりな手腕で、瀬奈を出口へエスコートする。

 しかし何が不満なのか、彼女は少しむくれた顔で反論してきた。


「むぅ、でもこれは、楓のせいなんだぞ。お前が昨日、アタシをにしたから、ア、アタシは……」

「人のせいにするな。小学校、道徳の授業で習っただろ」

「あー、道徳な。授業全部寝てたから知らねーワ」

「この社会不適合者が。いいから帰れ、もしくはどっか行け、可及的速やかに」

「もぅ、分かったヨ。相変わらず楓はせっかちだなー……」


 なんで俺が言うこと聞かない我儘男みたいな扱いなんだ。納得いかねぇ。


 ……だがこれで、何の問題もなく帰らせることができる。

 そろそろ俺、学校から賞とか貰えるんじゃないか。

 たぶん八人くらいの命救ってるぞ、冗談抜きで。


「……ア。そういえば、楓。一個聞きたいことがあんだけどサ」

「なんだ。言っとくが、会う日数はこれ以上増やせんからな」

「わーってるよ。いヤ、できれば増やしてほしいけど。そうじゃなくて……」


 軽い調子で、瀬奈は俺の右肩へと手を伸ばす。

 いつの間に間合いを詰められたんだ? 怖いってほんとやめて。

 こんな清廉潔白な俺をどうしようと……。


「コレ、なんだ?」


 彼女の細い人差し指と親指で摘まれているのは、一本の長い糸。

 それは太陽に照らされ、鮮やかな赤紫色を彩っている。


 はい、雪柳先輩の髪の毛ですね、これは。


「……ふぅ」


 笑顔ではあるものの、尋常ではない圧を放つ瀬奈。

 俺はどこか現実逃避気味に視線を上にして、溜息を吐いた。


 ……お空、青いなぁ。

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これがラブコメであるはずがない 石田フビト @artandnovel

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