三話 この女が先輩であるはずがない
別に、頭がおかしくなった男の悲しい妄想じゃない。
残念ながらそれは現実であり、避けようのない運命でもあった。
「うわ、ビクビクしてる……きも……」
俺には人と人とを繋ぐ、『運命の赤い糸』が見える。
詳細は省くが、まぁ超能力みたいなものだと思ってくれていい。全く、便利じゃないけど。
それは置いとくとして。
「何が駄目だった……?」
真剣な表情で授業を聞き流し、指を組んで考える。
意味の分からない数式など頭にはない。
俺は自分の胸から伸びる、赤黒くてネチャネチャした糸を用心深く観察した。
何が嬉しいのか、その『赤い糸』は小刻みに震えている。
「……んー」
やはり、読めないか。
普通の赤い糸、それこそ神代君と愛宮さんのような糸であれば、詳細に分かるのだが。
どれくらいの運命なのか。
いつ想いが通じ合うのか。
子宝には恵まれるのか。
感覚的なものだが、何となく見れば読み取れるのだ。
ちなみに彼ら二人は将来、六人家族になる予定である。何ともお盛んなことで。
「ふわぁ、ぁ……はぁ」
襲い掛かる睡魔を欠伸で噛み殺し、頬杖を付く。
考えれば考えるほどおかしな話だった。
そもそも『赤い糸』を持っている人自体、少ないというのに。
凡そ十人に一人くらいの確率か。神代君と愛宮さんレベルだと、倍率は更に跳ね上がる。
それが、五人て。
しかも全員クソヤバい女かもしれないって。どういうことだよクソ神様。
「~と、なると。はい、ここまでで質問がある人ー?」
「はい」
「ん。はい、白百合さん」
「はい。二十六ページの公式三番についてなのですが。これはつまり、前回の定理を使って……」
……白百合恵。
性格、学力、容姿ともに完璧な美少女。
1年3組では女子の学級委員も務め、休日はボランティア活動もしているとか。
また今も、授業についてこれていない生徒のために質問をしている。
男子の裏で天使と呼ばれるのも、素直に頷きたくはないが納得だった。
そんな彼女が『運命の人』だなんて、超絶ラッキー! やっふぅー!
とは、いかないよな。
なにせ同じ色をした糸を持つのが、何を隠そう俺の幼馴染、阿佐美瀬奈である。
三度の飯より暴力を好み。
何日も夜の街を
鼻の骨を折り、指を逆に曲げ、歯を引き千切る。
それを平気どころか、楽しんでやる奴だ。
うん……改めて、ヤバすぎる。
そんなヤバい奴と、白百合は同類らしい。
いや、まだ確証には至ってないが。
用心に越したことはないはず……。
「だったのに、なぁ……」
この高校に入学して一ヶ月と少し。
俺は全力で白百合との会話を避けた。
何を言われても無視をし、されど言うことは聞き、可もなく不可もない反応を続けた。
いわゆる無関心というやつだ。
相手がどんな爆弾を抱えているか分からない以上、極端な態度は危険である。
好かれようとするのは勿論、嫌われてもいけない。
世界には愛憎とか、マゾヒズムなどの広い分野が存在するのだ。
あの白百合が、そんな業の深い性癖を持っているとも思えないが、何事も例外はある。
故に俺は、どうでもいい存在になろうと努力した。
白百合恵にとって、月下楓はただのクラスメイト。
それ以上でも以下でもない。お互いに無関心でいること。
これこそ、呪いの糸から逃れる唯一の方法である。
天才過ぎて自分が怖い。
そう思っていたのが、ついさっき覆された。
「……もうやだ」
俺は小刻み揺れる気持ちの悪い『赤い糸』を再度見つめ、項垂れる。
この糸からは何も読み取れないが、少なくとも、良い結果には思えなかった。
「……えー、ということで、これが成り立ちます。よかったかな、白百合さん?」
「はい。ご丁寧な説明、ありがとうございました」
美しく一礼する姿は正に、深窓の令嬢といった感じだ。
実際、彼女は良家のお嬢様だし。
どうしてこんな普通の高校に通ってるのかね。早く転校しろよ。
「はい、じゃあ次、ページ捲って……」
……と言っても、離れられるわけないけどな。それはもう諦めてる。
だが愚痴くらいは言わせてほしい。
ちくしょう、本当に。
運命ってやつは最悪だ……。
「えーと、まだちょっと早いな。どうしようか」
「えぇー、いーじゃんせんせー。もう終わろーよー」
「そうだそうだー」
「んー……ま、いいか。じゃあちょい早めだけど、授業終わります。他のとこはやってるだろうから、騒がしくしないように」
『はーい』
それなりに若く、学生人気のある久保田先生が、そう言って教室から去る。
俺も現代文の時間は嫌いじゃなかった。
彼の言葉は副交感神経を絶妙に刺激し、夢の世界へと誘ってくれるからな。
「……さて」
四限も終わったことだし、そろそろ行くか。
教室に留まっていても東山君とかに色々聞かれるだけだ。俺は自分の財布、あとスマホを持って、我先にと教室を出た。
まだチャイムは鳴っていないが大丈夫だろ、たぶん。
「あー、腹減った」
小銭あったかな。
一、二、三……くそ、十円と一円玉が多すぎる。百円何枚あんだよこれ。
購買のある別棟に向かいながら、俺は予算を確認する。
「お、五百円玉あるな。ラッキー」
これでパン二個は買える。
昼休みのチャイム鳴ってないから生徒もいないだろうし、選び放題だ。
今日は何にしよう。流石に一ヶ月連続焼きそばパンは飽きたから、そろそろ違う味のパンが食いたい。
そんなことを考えて廊下を歩いていると。
「……」
「う、うぅ……」
なんか廊下の端っこに、赤紫色のもじゃもじゃがいた。
「……すぅ、はぁ」
だからどうしたというのだ。
俺には関係ない。春なんだから、赤紫色のでっかい毛玉くらい何処にでも落ちてるだろう。きっと誰かが通報してくれるさ。
購買パンが手招きして待っている。早く、行かねば。
「お腹ぁ……減ったぁ……」
「……」
「あぁ、死んじゃうぅ……」
「……」
甘ったるい声を出すな、気色悪い。
俺は大きく溜息を吐いて……それから一気に走り出した。
遅れて昼休みのチャイムが鳴る。
あと数分もすれば、購買に空腹の亡者共が押し寄せてくるだろう。その前にケリを付ける。
「はぁ、はぁ……おばちゃん、これとこれ。あと……あぁもう、全部一個ずつくれ」
「おやまぁ。随分とよく食べるねぇ」
「成長期だからな。早くしてくれ、他のやつが来る」
「焦らなくても、あんたが一番乗りさ。ちょっと待っておくれよ。えーと、全部で……」
「一律180円だろ。それが十二個だ」
「はいはい。えー、全部で2160円だよ」
学生の昼代とは思えない金額だな。
だが気を落としている場合ではない。財布の中を開け、千円二枚と……くそ、十円と一円玉が多すぎる!
「はいこれ、お願い」
「三千円いただくよ。お釣りは……840円ね」
おばちゃんがレジを打ち、小銭を集めている間。
俺は十二個のパンを抱えて落とさぬよう、仰け反っていた。
「はい、お釣り……って、大丈夫かい?」
「へーきだから、それ、ここに乗せといて」
「なに、お金を? 財布に入れたほうがいいと思うけどねぇ」
「いいから早く」
「んもう、最近の子はよく分からないわ」
首を傾げながら、おばちゃんが俺の持つパンの山にお釣りを置く。
落ちないように窪みに入れてくれたのは、彼女の優しさか。
「ありがとう。じゃあ、頑張って」
「はいはい、あんたもね。転ぶんじゃないよ」
激励を送り、急ぎ足で購買から離れる。次の瞬間、生徒が押し寄せた。
我先にとパンを買う様子は戦場に近い。
もしあの世に地獄が存在するなら、こんな感じなのだろうな。祖父母が心配である。まだ生きてるけど。
喧騒から離れ、のっしのっしとパンを抱えながらに歩く。
すれ違う生徒たちの視線が痛かった。
しかし俺も好きでこんなことはしていない。
全てはこの女のせいだ。
「……はぁ。先輩、パン買ってきましたよ。いい加減起きてください」
「あはぁ……ありがとぉ、楓くぅん」
そう言って、妖怪赤紫毛玉が顔を上げる。
黒いマスクに、それを覆う長い前髪。
その隙間から垣間見える、妖しい色を伴う深紅の瞳。
普段はギョロリと音が聞こえそうなほど大きく開かれたそれが、にんまり笑って、細くなった。
「優しいねぇ、君は……キリちゃんが、いい子いい子してあげるぅ」
「やめてください」
「きひひひ。恥ずかしがらなくてもぉ、いいのにぃ」
「いや普通に迷惑、駄目だ力強すぎる」
抵抗虚しく、俺は彼女にナデナデを強制された。
大きめのカーディガンが顔に当たって鬱陶しい。
どうして俺の周りには力の強い女が沢山いるのだろう。もっと知能にパラメータ振り分けとけよ。
「いい子、いい子ぉ。楓くんは、とぉっても優しい子だねぇ」
「……白々しい」
俺がいると分かったから、あんな気持ちの悪い声で適当言ったんだろうが。
全く狡猾な女だ。
しかし、罠だと知っていても無視することなどできなかった。
何故かって?
そりゃもう、お察しの通りである。
「すぅ、はぁ、あ……いぃ匂い……あぁ、食べたいなぁ……きひひひひひ」
「パン潰れちゃうんで、退いてくれます?」
「うぅん、もうちょっとだけぇ」
「我儘言うな、先輩だろ。ほら食べてください、食べろ、おら」
「むぎゅぎゅ」
右手に持った焼きそばパンを彼女のマスクに押し付ける。
もちろん開封していないが、それで観念したのか、先輩はゆっくりと離れた。
支えを失っていくつかのパンが落ちる。
あーあ、勿体ない。
「んんぅ。楓くんは、いけずだなぁ。キリちゃん悲しいよぉ」
「すんません」
一切の感情を込めずに謝罪する。
どうでもいいから早く食ってくれないかな。
「くすんくすん……ちらり」
「うわ、だる」
一向に食べようとしない彼女の意図を察し、思わず苦言が漏れた。
実のところ、先輩にこうして昼食を買ってくるのは初めてではない。というか最近はずっとこんな感じだ。
どいつもこいつも、本当に手がかかる。
俺は周囲に人がいないことを確認した後。
焼きそばパンの封を開けて、彼女に差し出した。
「きひっ」
嬉しそうに笑い、彼女の赤紫の髪と、特徴的なヘアピンがいくつも揺れる。
「やっぱり優しいねぇ、楓くん」
「自分でもそう思います」
俺の返答に彼女はもう一度くすりと笑い。
その黒いマスクを、下にずらした。
「んぁ、あー」
「……」
ガパリ、と彼女の大きな口が開く。
歪み一つのない、まるで鮫のようなギザギザした歯が唇から覗いた。
本当に人間なんだろうか。もう妖怪の類だろこれ。
そんな心配をしながら、俺は猛獣に餌をやる飼育員さんの気持ちで、パンを向けた。
「ん」
ぶちり、ぎゅち、もぐ、ごくん。
大口に噛み千切られた焼きそばパンは、すぐさま彼女の胃へと消える。
もっと噛んでから飲み込めよ。
「ん、ぁ」
「……はいはい」
おかわりを寄越せと言わんばかりに口を開かれたので、今度はパンの先を持って、差し出す。
「あ、む……ちゅる」
「うげ」
まじか、この女。まだ半分以上残ってたのに、全部食いやがった。
しかもどさくさに紛れて俺の指を舐めてからに。
きったねぇ、最悪……。
「もぐ、ん、ん……ぷは。ねぇねぇ、もっと頂戴ぃ?」
「いいですけど、後で金返してくださいね」
「きひっ。やったぁ」
その顔で笑うの怖いんでやめてください。
いや、間違いなく美人ではあるんだが。こう、捕食されそうな恐ろしさを感じる。
……あぁ、そういえば紹介し忘れていたな。
彼女の名前は、
残念なことに……この女もまた、俺の『運命の人』である。
「もきゅ、んぐ……ちぇ、逃げられた」
「人の指をナチュラルに食べようとしないでくれますか」
「だってぇ。楓くん、美味しいんだもん」
ぺろり、と雪柳先輩の長い舌が唇を舐める。
俺は本格的に背筋が寒くなって、持っていたピザパンを押し込んだ。
「もがっ……ごくん。えへへぇ、なぁに? どうしたのぉ? 積極的だねぇ、きひひひっ」
「今度、一回まじで神社に行こうかな……」
もはや何も考えまい。
その後俺は餌を与えるだけの機械となり、死んだ目で先輩にパンをあげ続けた。
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