二話 彼女もヤバい女のはずがない

 俺が『運命の赤い糸』が見えるようになったのは、ちょうど今から二年前の話だ。

 中学二年の春。

 今年こそ勉強頑張るぞ、と意気込んだゲーセンの帰り道。

 ちょっと色々あって、俺は交通事故に遭った。


 それ自体は別にいい。

 事故と言ってもどこか骨折したわけでもなし。

 車を避けた拍子に、コンクリートで頭をぶつけただけだからな。

 診断の結果は軽い脳震盪と言われ。

 念のため数日入院してくださいと、両親に説明する頭頂部の寂しい医者を見ながら、俺は思った。



 ……いや、あの、お医者さん。

 なんか赤い変なのが見えるんですけど。ヤブ医者か?



 奇妙極まるこの現象。

 事故から目を覚ましてからずっと。俺には人と人を繋ぐ、『赤い糸』が見えていた。

 しかも誰に言われたわけでもなく、感覚的にそれが、漫画とかで使われる『運命の赤い糸』だと理解していた。


 これには流石の俺も驚いた。たぶん三秒くらい。

 でもまぁ、別に害があるわけでもないし。すぐに受け入れて、次の瞬間には夕飯のことを考えていたが。

 問題は次だった。

 

 時刻は午後七時頃。

 味の薄い病院食を食べながら、ふと『俺にも赤い糸あんのかなぁ』と。

 何気なく自分に意識を向けた瞬間。


 ズゾゾゾゾ! ってな感じで。

 俺の胸から、それはもう恐ろしい見た目の糸が飛び出して。

 しかも一本じゃなく、五本だぞ?

 これには流石の俺も驚いて、思わず苦手だったピーマンを傍にいた瀬奈にあげてしまった。

 因みに瀬奈が運命の人だと分かったのはこの時である。ちくしょう。


 まるで血のように粘着質な輝きを見せる、瀬奈と俺を繋ぐ赤黒い糸。

 それを見た俺は……『あ、やっぱりこいつ、ヤバい奴だったんだ』と納得した。


 なにせ、俺が車に轢かれたと聞いて、自転車も使わず走って病院まで来た後。

 無事だと分かるや否や、運転手を殺しに行こうとする奴である。普通なはずがない。

 だからなんというか、恐怖よりも納得が勝ってしまった。

 ミステリー本で自分の推理が当たって嬉しい、みたいな感情である。


 ……さて、そんなこんなで、俺は『運命の赤い糸』を見られるようになり。

 ついでに瀬奈との呪縛にも似た繋がりを自覚したんだが。

 さっき言った通り、赤い糸は五本あるわけで。


 そりゃもう、俺は努力したさ。

 瀬奈だけでもこんなに大変なんだ。これ以上、イカれた女と関係を持ちたくない。

 その一心で全力を尽くした。

 運命の赤い糸があるとはいえ、絶対に会えるわけではないし。きっと、何とかなるはずだ。

 

 二年前、俺はそう確信していたのだ。

 しかしまさか……。


 五人中、四人と知り合いになるなんて、誰も思わないよな。

 

「てか、なんでこの学校に三人もいんだよ……確率おかしいだろ、っと」


 そう吐き捨てて、自転車から降りる。

 そしてそのまま駐輪場に……。


「……どこだっけ」


 ピカピカの高校生になって一ヶ月と少し。

 未だに駐輪場の位置を覚えられない。興味がないからだろうか。きょろきょろと見渡し、何となく見覚えのある道を辿っていく。


「えーと……こっちか」


 確か昨日は、ここら辺に止めて……。


『はぅ、うゥ……楓、そこぉ……そこ、もっと撫でて……』


 ……いらないことまで思い出した。

 あいつ、俺が断らないのをいいことに何時間も撫でさせやがって。

 おかげで腕が筋肉痛だ。その後も抱き着いてきて、軽い痣もできたし。

 もう少し自分の馬鹿力を制御できねぇのか。

 無理か。だって、馬鹿だしな。


「なぁ、一樹。お前日本史の宿題やった?」

「え? うわ、最悪。忘れとったわ。お前やってないの?」

「だから聞いたんだろ。あー、健太に聞きに行くかぁ」

「いや、あいつこそ忘れて……」


「……おはよう」


 先に駐輪場へ着いていたクラスメイトに、爽やかな挨拶をする。

 だが爽やかすぎたのか、彼らは引きつったような顔で。


「お、おぅ。おはよう、月下……」

「あ、あぁ……おは、よう……」


 駄目だこりゃ。

 完全に委縮している二人の後ろを通り、横に自転車を並べる。


「……ふむ」


 さて、クラスメイトらしく、何か世間話でもすべきだろうか。

 自転車に鍵をかけながら俺は考える。

 やはり定番は、先程出ていた日本史の宿題についてか。勿論俺もやっていない。

 しかし時として、共感とは会話の上で重要な役割を果たすのだ。

 よし、いける。


「あー……そういや、日本史。俺もやってないん……」


 横を振り向けば、そこには誰もいなかった。

 少し先に急ぎ足で下駄箱へ向かう二人の生徒の背中が見える。


「……」


 俺は何も言わなかったことにした。

 今更、落胆も怒りもない。

 中学校の頃からそうだった。諸悪の根源は、あいつ瀬奈にある。絶対に許さないぞ。


「まじで、いいこと一つもないな……」


 強いて言えば、不良に絡まれずに済むということか。虎の威を借りる俺は、なんと情けない存在なのだろう。

 人生の不幸を嘆きつつ、俺は鞄を背負い、玄関へ向かった。


 歩き始めて数分、面倒な階段を登り切り、教室の前まで辿り付いた。

 しかし何やら中が騒がしい。

 不思議に思って教室に入ると、そこには。


「……れよ! こんなことしたやつ! もう、信じられない!」

「落ち着いてください、愛宮さん。私は平気ですから」

「そんなわけないでしょ!? 絶対、犯人を見つけてやるんだからっ」


 ……なんだこれ。

 愛宮さんが怒りながら雑巾握り締めて……あ、白百合? なんで彼女が、いや待て、大体分かった。

 あれか。


「こないだ釘刺したのに、またこんな、くだらないことして……! ほんっと、胸糞悪いわ!」

「愛宮さん。それくらいに……」

「……大丈夫よ、恵ちゃん。遠慮なんかしなくていいわ。こういうのは一回、ビシッと言わなくちゃ駄目なのっ」

「いえ、ですから」


 更なるヒートアップが予想される中。

 予想外の人物が、愛宮さんを止める。いや、予想外ってほどでもないか。


「白百合さんの言うとおりだ。ちょっと落ち着け、和花奈」

「っ、天馬っ。でも、私……!」

「分かってる。許せないのは俺も同じだ。だけど、隣で騒がられる白百合さんの気持ちも考えろよ」

「あ……」

「事を大きくすればいいってもんじゃない。一回冷静になって、話し合おうぜ?」

「……ごめん、なさい。恵ちゃん、私一人で勝手に……」


 おー、流石は我らが主人公、神代天馬君だ。

 ヒロインである愛宮さんの扱い方が分かってらっしゃる。

 俺は後ろにある自分の席に座り、この一幕を見守ることにした。


 激怒から一転、しおらしい態度になった彼女に対し、白百合は薄く笑って。


「いいえ、謝らないでください。愛宮さんが私を心配してくださっているのは、よく分かりましたから」

「恵ちゃん……! うぅ、いい子過ぎるぅ」

「ほんとほんと。どっかの誰かさんとは大違いだな」

「……ちょっとそれどういう意味よ、天馬」

「あ、やべ」

 

 愛宮さんがジト目で神代君を睨む。またもや喧嘩勃発か、と思われたが。


「ふん……まぁ、今のは聞き逃してあげる。その、アンタのおかげで、落ち着けたから」

「え? すまん、小さくて聞こえなかった。なんて?」

「う、なんでもないわよ! この馬鹿っ」

「いでっ。り、理不尽だ……」


 で、出たー。

 まさか現実で見られるとは思わなかった。これぞ主人公の特権、難聴スキルである。

 愛宮さんの対応もヒロインそのもので、言うことはない。

 朝から貴重なものを見させてもらった。ありがとう。俺は生暖かい親御さんの視線で、彼らを見つめた。


「……で、どうするのよ。言っとくけど、何もしないなんて許さないからね。犯人見つけて、謝らせるんだから」

「それは――」


「あぁ、勿論だ。このような非道、決して見逃せるはずがない」


 神代君を遮って、よく通る声が教室に響く。

 続けざま、彼は周りを見渡してこう宣言した。


「委員長として、一人の人間として。俺は絶対にイジメを許さない。それが誰であろうと、だ」

「……東山、お前」

「先程は助かった、神代。お前が愛宮君を止めたおかげで、話ができそうだ」

「あ、あぁ。まぁ、その。こんなんでも一応、幼馴染だからな」

「こんなんって何よ。今度は聞き逃さないんだからね……!」

「や、その、今のはなんつーか」

 

 再びイチャイチャしだす二人を尻目に。

 指紋一つない眼鏡をクイっと上げた男、東山ひがしやま圭作けいさくは口を開く。


「安心してくれ、白百合君。同じ学級委員として、必ず君を一人にはしない」

「あ、えと……ありがとうございます、東山さん。でも私、本当に気にしてなどは」

「それが加害者の狙いなんだ。貴女の優しさに付け込み、イジメを繰り返そうとしている。高校生にもなって、何と幼稚な……!」


 拳をギュッと握り、眉間に皺を寄せる東山君。

 彼の心には今、燃え滾る正義の炎が渦巻いているのだろう。

 くそどうでもいいな。

 早くホームルーム始まればいいのに。


「ですから、その……これくらい、私慣れていますから。本当に、皆さんがお怒りになる必要は……」

「慣れているだと? ……ますます許せんな。これから聞き取り調査を行う。貴女は、そこで待っていてくれ」


 そう言って彼は、近くの生徒から話を聞き始めた。

 誰が何時に来たのか。最初から落書きはあったのか。

 その表情は真剣そのもので、明らかに正義感以外の感情が見え隠れしていた。


 それを面白くないと思うのが、実行犯である。

 こんな聞き取り調査を行うまでもない。

 犯人は、今もなお白百合を睨んでいる坂原さかはらさんだ。


 別に赤い糸がー、とか関係なく。

 普通に丸分かりだった。だって顔凄いし。東山君、眼鏡新調したほうがいいんじゃないかな。


「ふわ、ぁ……あー、ねむ」


 頬杖を付いて、大きく欠伸を零した。

 昨日は夜遅くまで瀬奈に付き合わされたから寝不足である。

 されど勘違いはしてほしくない。付き合わされたと言っても、変な意味ではなく。

 普通にマッサージとか、ナデナデとか、抱き着くとか……いや、結構ギリか?

 まぁ、貞操はまだ守れてるしセーフだろ。

 

 とにかく俺は今、非常に眠たいのだ。

 だからこの騒動が煩くてかなわない。朝くらいゆっくり寝させてくれ。

 そんな願いを込めて、早く坂原さん捕まらないかなー、と彼女を見つめていると。


「あ」

「っ!?」


 目が合った。

 彼女はまるで暴力団に出会ったように顔を背け、それから少し考える素振りを見せて……。


「……あ、あの!」

「む。どうした、坂原君」


 意を決したという表情で坂原さんが手を挙げる。

 それに東山君が答え、二度三度、彼女が口をパクつかせたと思えば。


「き、昨日の放課後。つ、月下君が、白百合さんの机に。な、何かしてたの、その、見たかも……なんて……」

「なんだとっ?」


 なんだと?


「……そうくるか」


 現在時刻は八時半。殆どの生徒が教室にいる中、視線が俺に集中する。

 数秒の沈黙。

 それを破るように、東山君が慎重な口ぶりで俺に問う。


「今のは……本当か、月下」

「今のと言われても」

「っ、坂原君が言っていたことだ。君が白百合君の机に、落書きをしたのかっ」


 彼の言葉を皮切りに、生徒の視線に好奇が宿る。

 面倒、ここに極まれりだな。

 んー、何て答えてもいいが、ここは敢えて。


「……だったらどうする?」

「っ!? それは、落書きをしたと認めるということで、いいんだな!?」

「よくはないな。別に、俺やってないし」

「なっ、あ……?」


 いい反応するなぁ、東山君。


「……ちょっと待て。どういうことだ。お前はさっき、俺の質問に」

「いや、なんかこう返したほうが面白いかなと。ほら、ミステリー小説ぽかっただろ?」

「……」


 俺の筋の通った言い分に、東山君が絶句する。

 周りの生徒も付いていけないのか、少しざわついていた。


「お、お前は、クラスメイトのことを何だと思ってるんだ。面白半分で、場をかき乱すな月下っ」

「すまん、悪かった」

「……ふぅー。もう一度だけ、聞く。お前はやってないんだな?」

「あぁ、やってない」


 自分でも驚くほど感情のこもってない声が出た。

 一時はどうなることかと思ったが、何とか最良の結果に辿り着けたようだ。


 自信満々に答える俺を見て、彼は苦し気な表情を浮かべた。

 その後、周りの生徒に聞き取り調査を再開したが……どこか、ぎこちない。

 無理もないか。

 客観的に見ても、俺の評価は問題児一歩手前だろうからな。

 さっきの発言も相まって、疑わしいのは確実だ。


「……悪いな」


 彼の言った、面白半分で場をかき乱すな、というのは正当な言い分だ。

 俺だってできるなら普通に返答したかった。

 だが、人生とは本当に上手くいかないもので。

 つまり、そう、何が言いたいかというと……。


 ――キーンコーン、カーンコーン。


 思考を中断させるように、チャイムが鳴った。

 ぴったりの時間に教室の扉を開いた中島先生が、のそりと入ってくる。


「おーい、ホームルーム始めるぞー。……なんだ、全員座れ。何かあったのか?」

「む、先生。実は白百合君の――」


「いえ、なんでもありません。気にせず、ホームルームを始めてください」


 東山君の声を遮ったのは、白百合だ。

 ホワイトブロンドの髪を揺らしながら、先生に柔らかく微笑んでいる。 

 それを見て中島先生は頷き、名簿を開き始めた。


「白百合君、しかし」

「いいんです。ここで話を繰り返しても仕方ありませんし……さぁ、席に戻りましょう。先生に怒られちゃいますよ?」

「……」


 そう言って彼女は悪戯っぽく笑い、席についた。

 東山君はそんな彼女の笑みに一瞬見惚れ……はっとした表情になって、自分の席に戻った。

 そのタイミングで、中島先生が出席確認として、苗字順に名前を呼んでいく。

 これにて一件落着だ。


「……?」


 だがそこで、不意に強い視線を感じた。

 いや、視線というよりこれは、『糸』の脈動である。

 それはおかしい。俺は普段、日常生活の邪魔にならぬよう、糸を視界から排除している。

 言ってもわからないだろうが、目のスイッチを切り替える感じだ。気付けばできるようになっていた。

 だのに、糸の存在を感じるということは。


「……うわぁ」


 俺は自分とを繋ぐ、赤黒いグロテスクな糸を無感動に眺めた。


 あぁ、全く、人生とは上手くいかないものだ。

 つまりはそう、何が言いたいかというと。


 白百合恵は、俺の『運命の人』だった。


 ……選択肢は間違えていないはずだ。

 だのにどうして、どの部分が、彼女の琴線に触れてしまったのか。

 俺はもう考えるのが面倒くさくなり……その青色の視線から逃れるように、机に突っ伏した。

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