いくらなんでも

鋏池穏美

突然ですが──


 皆さん地球温暖化で困ってませんか?

 今年も暑かったですよねぇ。蝉も朝から鳴き止まないし、夜になっても熱がこもって寝苦しい。クーラーをつければ電気代が上がる。電気代が上がれば財布は寒くなる。財布は寒いのに地球は暑くなる。まったく世の中うまくいかないものです。


 さて、この温暖化。二酸化炭素だ、メタンだ、排気ガスだ、いろいろな原因が語られています。森林伐採もその一つ。森がなくなれば二酸化炭素を吸ってくれる木々も減り、じわじわと気温は上がっていく。皆さんご存知の筋道です。


 ではなぜ森林が伐採されるのか。住宅用の土地開発? もちろんそれもあります。紙や木材の需要? それもそうでしょう。けれど見逃せない要因のひとつに、「農業拡大」があります。

 世界のどこかで広い森が切り開かれ、広大な畑が作られる。そこに植えられるのは、トウモロコシ、大豆、小麦。人間が食べるためだけではありません。実は、動物たちに食べさせるための飼料でもあるのです。


 ここからが面白いところ。動物ってのは、なにも牛や豚に限らない。近年、世界中でサーモンの需要がうなぎ登りなのはご存知ですか? 健康食としても人気だし、見た目も華やか。寿司に刺身に、サラダにも合う。けれど天然のサーモンだけではとても足りない。だから養殖が拡大していく。


 サーモン養殖が増えればどうなるか。エサが必要になる。サーモン用の配合飼料には、大量のトウモロコシや大豆粉が混ぜ込まれている。え? サーモンのエサは主に魚粉だろうって? いやいや、魚粉の価格が上がって植物性のエサの需要が高まってるんですよ。つまりサーモンを育てるためにさらに畑が要る。畑を増やすために森が切り倒される。森がなくなれば二酸化炭素が増える。二酸化炭素が増えれば……。はい、温暖化。


 さあ、ここで最初の問いに戻りましょう。「皆さん地球温暖化で困ってませんか?」──困ってますよね。けれどその遠因をたどっていくと、なんと「サーモン需要」に突き当たるわけです。


 では、そのサーモン需要はいったいなぜ高まったのか。もちろん前述の通り、健康食としても人気だし、見た目も華やか。寿司に刺身に、サラダにも合う。オメガ3脂肪酸がどうとか、いろんな理由があります。けれど日本に住む私たちにとって、もっと身近で、もっと分かりやすい原因がありますよ。そう──


 いくら丼です。


 あの、つややかな粒。朱色の小さな宝石のような魚卵が、白いご飯の上にこれでもかと盛られる。醤油だれをまとってきらめくその姿は、まさに北国の贅沢の象徴。口に入れればぷちりと弾け、海の香りと旨味が舌の上を駆け抜ける。

 観光客は皆、それを目当てに空港から直行。店の前には長蛇の列ができる。SNSには「北海道きたらこれ!」の写真があふれる。こうしていくら丼は、日本人の、いや、今や世界中の人々の憧れの一皿になっていったのです。


 ところがいくらはサーモンの卵。サーモンを獲るか、養殖しなければ供給が追いつかない。養殖には飼料が要る。飼料には畑が要る。畑を作るには森を伐る。森を伐れば二酸化炭素が増える。二酸化炭素が増えれば地球が暑くなる。


 ね、つながったでしょう?


 つまりこういうことです。


「いくら丼を食べれば、地球は温暖化する」


 もちろん、いくら丼一杯が即座に地球を壊すわけではありません。けれど人の欲望というのは連鎖する。小さな行為が、意外なところで世界を揺らす。それが因果の妙というものです。


 風が吹けば桶屋が儲かる。

 いくら丼を食べれば地球が温暖化する。


 どちらも一見、荒唐無稽なように思えるでしょう。けれどよくよく考えてみれば、そこにはちゃんと筋道がある。人間の営みとはそういうものです。小さな贅沢の裏に、森が倒れ、気候が揺らぐ。


 さあ、今夜の食卓にいくら丼を出すかどうか。決めるのは、あなたです。

 涼しい部屋でクーラーを効かせながら、冷たいビール片手に考えてみてはいかがでしょう。

 地球を守るために我慢するのか。あるいは未来の温暖化を覚悟してでも、ぷちぷちの誘惑に負けるのか。


 人類の選択とは、案外、丼ひとつの中に詰まっているのかもしれません。




 それはそうと──

 やっぱりぷちぷちっとして美味しいですねぇ。これはビールもいいですが、やはり日本酒。

 かぁー、たまらん!

 え? 何を食べてるんだって?


 へへ、それはもちろん「いくら丼」ですよ。

 

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