差入受難
もも
差入受難
あと少しで閉場の時間だと思いながらスマートホンの時計を見ていたら、左側から「どうぞ」と声がした。横を向くと、にっこり笑顔のサマンサさんと目が合う。手の平の上には個包装された小さな焼き菓子が置かれていた。
「差し入れでいただいたの。良かったら」
「いや、私は」
「遠慮しないで。たくさんあるのよ、ほら」
サマンサさんの視線の先には、有名洋菓子店のロゴが印刷された大きな箱があった。十五個入りで五千円ぐらいだろうかと、何となく検討を付ける。
ウェブ小説界隈で人気の作家さんともなると、こんな高級菓子を持参してくれる熱心なファンがいるんだな。
自信作だと勢い込んで公開してもPV一桁台が当たり前の私には、手土産を持って足を運んでくれる読者など存在しないのに。
差し出された手に下ろされる気配がなかったので、私は仕方なく「じゃあすみません」と受け取った。
「そこのお店、確か事前に予約してないと当日じゃ買えないって聞いたことあります」
「そうなの? そんなに人気だったら尚更ひとつぐらい食べておいた方がいいわよ。今後の創作のネタになるかもしれないしね」
今食べろと言わんばかりに勧められ、仕方なく私はパッケージの切り目に手を掛けた。わずかな隙間から漏れ出る濃厚な発酵バターの香りに吐きそうになったが、なんとか堪える。
文学同人誌ばかりを集めた大規模展示即売会の会場は残り三十分で終了を迎えるというのに、まだ多くの来場者で賑わっていた。長机の半分というコンパクトなスペースで茶色い焼き菓子を手にひとり座っている私のことを、通路を歩く人々がチラ見してくる。
喉が締まって息苦しい。
丸底フラスコで揺すられている液体のように、胃液が波立っている感覚に陥る。
誰かの前でモノを食べられないのは私のせいであって、何も知らないサマンサさんに悪い点などひとつもないし、普通に考えれば開場の間、何も飲まず食べることもしなかった私に対する優しさのお裾分けであり、善意として素直に有難いと感じるべきなのだろう。が、本音を言えば余計なお世話だった。
だからと言って正直に事情を話してお返しするのも開封してしまった今ではもう出来ないし、何と言っても相手はあのサマンサさんだ。
複数の小説投稿サイトに全く重複させることなく何本もの作品を公開し、ランキングの上位にその名を見掛ける回数も決して少なくない人気作家。
その才はフィクションだけに留まらず、エッセイでも軽妙かつ毒のある表現が多くの共感を集めるなどファンの幅が物凄く広い。
十万字以上の作品も多く公開しているが書籍化するという話は私の知る限りではないし、思い切ってご本人に尋ねても商業デビューするつもりはないと言われた。
「私、異世界モノとかスローライフとか、少しでもファンタジーの要素があるモノって書けないの。きっと想像力が足りないのね。現実世界で起きてるようなことしか書けないから向いてないと思う」
「サマンサさんのお話、どれも凄くリアリティありますもんね」
「小説なんだからもっと自由にやればいいのにって言われるんだけど、駄目なのよ。妖精とか幽霊が出てくるお話を書こうとすると、『そんなのいる訳ないだろ』って頭の中にいる小さい私がツッコんできちゃって」
「いやいや、それがサマンサさんの作品のいいところじゃないですか。お化けとかゾンビもそうですけど、何か事件が起きてありえない能力で解決されたりした日には、私なんか『それ出されちゃどうしようもないし、もう何でもアリじゃん』って一気に冷めちゃうクチなんで。チートとか無双とか、能力カンストしてるヤツなんて、リアルな世界にいたら逆に生きにくくて仕方なさそうですもん」
「あはは。そう言ってもらえると嬉しいな」
声を上げて笑ったサマンサさんは、ペットボトルのお茶をひとくち飲んで「あ、せっかく食べようとしてたのにつまらない話なんかしちゃってごめんね。どうぞどうぞ」と私の手元のお菓子を見た。このままトークで閉場時間まで持ち込めば何とか食べずに済んだかもしれないのに、ペースをサマンサさんに握られたままでは流石に厳しいか。
私は開いたビニールの口から焼き菓子を半分覗かせると、恐る恐る
甘い。
ひたすらに甘い。
吐きそうなぐらい甘い。
何だこの甘さ。
甘すぎて心なしか舌がヒリヒリする。
私の味覚がイカれてるのか高級洋菓子店ではこれが普通なのか、初めて食べる店の商品だけにスタンダードが分からない。ねっとりとした油脂の匂いが口の中は勿論、鼻の粘膜にしつこくまとわりついて気持ちが悪い。
これは、砂糖だけで出せるような甘さじゃない。
一体どんな甘味料を使ったらこんなベタ甘になるんだろうか。
「美味しい?」
飲み込むことも出来ずもぐもぐと咀嚼を続ける私の口元を、サマンサさんの目が捉える。その大きな黒目に『全て食べきるまで見届ける』という確固たる意思が宿っているように感じた私は、ガバッと口を開いて残りを全て放り込んだ。
脳が甘さで焼き切れそうだ。
噛んだ端からすべての永久歯の窪みに甘さの粒が無数に溜まり、それが次第にエナメル質を溶かしては歯をボロボロにしていく妄想が脳を占めていく。
今すぐ口の中の異物を吐き出したい衝動に駆られたが、それは絶対に出来なかった。
サマンサさんは、ウェブ小説の世界でそれなりの影響力を持っている。
せっかく勧めたスイーツを目の前で吐き出すようなことをすれば、この人はエッセイに一部始終を綴った挙句、ひどく毒づくに違いない。
しかも、サマンサさんのいるブースは列の一番端だ。
ご丁寧に配置場所のマップと合わせてイベントに出店する旨をサマンサさんはSNSで散々告知していたため、隣接ブースの人間と書かれた日にはそんな失礼なことをしたヤツが誰なのか、すぐにバレてしまう。
それは非常にマズい。
公開している作品数に対して感想を貰えたことなど片手で足りてしまう私のような物書きなど、広大なウェブ小説の海ではプランクトン程の存在価値もないことは十分分かっているけれど、そんな私にだってまだ書きたいモノがある。
ほんのわずかな隙間で構わないから文字で表現し続けることを許して欲しいし、こんな弱小書き手の作品に対して時間を割いて感想を寄せてくれる優しい読み手の方々のためにも表現する場を失いたくない。
だから私は、何が何でも今ここで失態を犯す訳にはいかないのだ。
せり上がってくる吐き気を無理やり抑えつけるように、私は口の中でぐちゃぐちゃになっている焼き菓子だったものを飲み込むと、精一杯の作り笑顔でサマンサさんに向かって「美味しかったです」と答えた。
「美味しかったのなら良かったわぁ。それ、当たりだったわね」
サマンサさんは手を叩きながら笑ってそう告げると満足したのか、おもむろに撤収の準備を始めた。当たりとは、どういうことだろうと思いつつ、私は「まだ閉場まで時間がありますけど、もうお帰りですか」と尋ねた。
「売るモノももうないからね」
サマンサさんのスペースに残されていたのは『完売御礼!』と書かれたホワイトボードと敷き布だけだった。
「すべて売り切れだなんて、やっぱり凄いですね」
「ありがたい話だわ」
サマンサさんは文字を消したホワイトボードと血のような色をしたベルベットの布をまとめると、手提げ鞄に片付けた。売れっ子の書き手は撤収もあっという間だ。
パイプ椅子をイベント事務局へ返却したサマンサさんは、私に言った。
「もっとお話ししていたかったけど飛行機の時間があるのよね、残念。まぁでもこれからもお互い楽しく創作活動しましょ」
「ぜひ。今日はお隣で色々お世話になりましたし、陳列や接客の仕方などとても勉強になりました。お菓子のお裾分けもありがとうございます」
お礼など言いたくもなかったけれど礼儀としてペコリと頭を下げたところで、思い出したように「そうそう」とサマンサさんが言った。
「お渡ししたお菓子、あの店のものじゃないからね」
「え」
「どんな遠方のイベントだろうと出店する度に来てくれる私の熱心なファンの方がいらっしゃって、その方からの差し入れなんだけどね、毎回違うお店の箱なのに、中身は全部一緒なのよ。きっと箱だけをどこかから流用していて、入ってるのはその方の手作りなんでしょうね」
足元からとてつもなく嫌な何かが這い上ってくる感覚に襲われる。
「素性もよく分からないヒトの手作りお菓子なんて、何が入ってるか知れたものじゃないでしょ? だから私、いつもお隣のブースの方に差し上げるんだけど、配合バランスを変えてるのかリアクションが食べたヒトによって違うのが面白くて」
サマンサさんはいたずらっ子みたいな顔をして、内緒話をするようにひそやかな声で話し続ける。
一口食べた瞬間、長机に突っ伏して眠りこけた人。
食べて間もなく呂律が回らなくなり、痙攣をおこした人。
胃の中が空になっても吐き続けた人。
「救急車に運ばれた人も結構いたんだけど、貴方は平気そうだったものね。良かったじゃない、当たりよ。あ、でも見方によってはハズレなのかしら」
まぁどちらでもいいかと言いながらサマンサさんは私の手を取ると、満面の笑みを湛えて「ありがとね」と告げた。一体自分は何を食べさせられたのかと混乱するあまり、私は何のリアクションもとることが出来なかった。
「それじゃあ、お疲れ様でした」
可愛らしく手を振ると、サマンサさんはくるりと背を向け、去って行った。
その日の夜、サマンサさんは新作の小説を公開したが、タイトルを見た瞬間、私の全身から血の気の引いていく音が聞こえた気がした。
「現実世界で起きてるようなことしか書けない」
サマンサさんの言葉が頭を過ぎる。
およそ四千文字の短編。
『差入受難』というタイトルのそれを読むことなく、私は自分のアカウントを即削除した。
差入受難 もも @momorita1467
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