名前はついていることが大事

涼風紫音

名前はついていることが大事

「お前、報告書には目を通したのか?」


 定食屋のテーブルに男と女が一人ずつ、対面して席についていた。既に注文は済ませてある。頼んだ品が届く前に仕事の話を済ませようと切り出したのは男だった。


「正直面倒くさいんで読んでないっす」


 心底興味がないという顔で女は応える。


「俺は上官なんだからもう少し言葉を選べ、海野三等陸尉」

「ハッ! 失礼しました! 貝原一等陸佐殿」


 貝原一等陸佐。戦時特例で三十歳の若さで異例の昇進を遂げた陸上防衛隊の若き指揮官である。年の割に皺が多く若白髪まで生えているのは、およそ戦争とは無縁の日本に降って湧いた戦時にあって、煩雑な指揮命令系統や常に後手に回る政治判断などに振り回されてきたからなのかもしれない。


 一方の海野三等陸尉は志願制戦時非常任用制度の一環でつい先日貝原の詰める第一防衛司令部付きとなった女性の連絡将校である。といっても戦時交信は当然ながら無線やインターネットで行われるため、主な仕事は内閣や議会、あるいは共同防衛にあたる在日米軍との調整がその仕事だった。


「まずはこれに目を通せ」


 そう言うと貝原は鍵付きのやたら頑丈そうな革鞄から紙の束を取り出すと、注文の品が届くのを待つばかりのテーブルにざっと広げた。


「コイツの名前はわかるか?」


 書類の束と一緒に広げられた写真の中の一枚を指さす。


「あいにくと存じ上げません。貝原一等陸佐殿」


 最初の質問から当然に予想されたその答えを聞いて、改めてこの若い女士官をどう鍛えたものか、貝原は眉間に皺を寄せて小さく左右に首を振る。


「イクラドンだ。海野三等陸尉」

「はっ?」


 顔らしき場所にいくつもの目があるような姿をした、それは紛れもなく怪獣だった。二人は突如現れた怪獣との戦争の中枢を担っている。とはいえ海野はまだ着任したばかりで知識も経験もまるでない。だからこそ即席教育を施そうというのがこの昼食会の趣旨だった。


「見ればわかるだろう。このプツプツを」

「いや、しかし、見た目はそれっぽいですけど……イクラドンって……」


 ぱっと見は確かにいくらの山に見えなくもない赤いツブツブした目。若干不鮮明な写真からもその雰囲気は伝わってくる。


「命名規則。第一発見者にその怪獣の命名をする権利が与えられている」

「しかしいくらなんでも、いや、イクラだからじゃないですよ? 忘れてください、いまの無し。名前がふざけすぎてませんか?」


 他に客はいない。前線司令部近くの定食屋とあって利用するのは防衛隊勤めばかりになった店は、すっかりこういったやりとりには慣れているのか気にもしていない。


「では、こいつの名前はわかるか? わからんだろうな」


 もはや確認するまでもないと、貝原は海野の返事を待たずに説明を始める。


「チュウカドンだ」

「中華丼……。しかし貝原一等陸尉殿。見た目は至って普通の翼竜のように……」

「こいつは中国大陸から飛んできた」

「はっ?」


 中国から飛んできたからチュウカドン。絶望的にセンスの無い命名に呆れてまた言葉を失う海野。


「次はこいつだ」


 いかにもごつい巨体の怪獣の写真。海野には十階建てのビルも上回るのではないかと思われた。ここまでそれっぽい怪獣であれば、今度こそさぞそれらしい名前が与えられているに違いないと、貝原の説明を待つ。


「カツドンだ」

「は? どいつもこいつも脳に何か湧いてるんじゃないですか? お言葉ですが貝原一等陸佐殿。私には悪ふざけが過ぎるように思われます」

「名前をつけたのは俺の部下だ。ゲンを担いだ」

「ゲン担ぎでかつ丼……、部下の人選はもう少しまともな人間を……」

「しかし勝ったのはカツドンだ。俺たちは一回負けて、第二次防衛線でようやく食い止めた」

「敵のゲン担ぎじゃないですかっ!」


 自分の無知、無勉強を棚に上げて海野は思わず机をバンと叩く。


「だいたい、ドンとつければ怪獣っぽいって発想が子どもですよ! それに丼ものばかり。食い意地が張り過ぎです!」


 力説する海野の紅潮した顔を見て、貝原はいつもの新人の病気が始まったと思った。この適当過ぎる名前は、しかしそれぞれ立派な形態別のコードネームである。センスがどうのこうの言っている場合ではなかったし、食い意地という点では戦時にあって日本の補給は細る一方なので冗談でもない。


「名前に不満があるなら、次はお前が最初に見つけろ。海野三等陸尉」


 そう告げたられた海野の横で「そろそろお話は終わりましたか?」という顔をした定食屋のおかみが立っていた。

 どうやら注文した料理ができたらしかった。


「ご注文の品ですよ。兵隊さんたちは体力が無いと駄目ですからね。しっかり食べていってください」


 おかみは兵隊用裏メニューというべき大盛ご飯のそれを置いて、くるりと振り返って厨房へ帰っていった。


「おかみさんの言う通りだ。さっさと食べて司令部に戻るぞ」


 そう言って貝原はさっさと自分の飯を腹に納め始める。


「これ……」

「いくら丼だな」

「見ればわかります。頼んだの私ですし」

「どうした? そいつは突っついても血が飛び散ったり肉片が舞ったりはしないぞ?」


 すっかり食欲が失せた顔の海野を前にして、貝原はどんどん食べていく。


「貝原一等陸佐殿。それは……」

「海鮮丼だ。まだこの名前を付けたやつはいないからな」


 当然といった風の顔で貝原はもう最後の一塊を食べるところ。

 対怪獣陸上防衛隊の束の間の休息はもう終わろうとしていた。

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