【9/21TAMAコミサンプル】聚合怪談 惑 三十一本目_喜劇

丑三五月

三十一本目 喜劇

 


 上京して六年目のA川さんは、同時期に田舎を飛び出してきた友人と今も交流を持っていた。

 普通の大学を卒業して中小企業のしがないサラリーマンとなったA川さんと違って、その友人は舞台芸術コースのある大学を卒業し、今は小さな劇団に所属している。これといって大きな夢もなく、一般企業に就職したA川さんは夢を叶える為に今も頑張っている友人の事を素直に凄いと思っていたし、陰ながら応援してもいた。

 そんな友人からはたまに、自分が出演する舞台を見に来ないかと宣伝のはがきが送られてくる。それは舞台のイメージイラストと公演タイトルがカラー印刷されているもので、片隅には必ず直筆で、友人からのちょっとしたコメントが添えられていた。

 丁度暇をしているタイミングが合うときには、A川さんは彼に連絡をしてチケットを購入していた。A川さん自身も映画や演劇といったものを観るのはとても好きだったので、彼から新作案内が送られてくるのをとても楽しみにしていた。

 そうしてその日も、友人から手に入れたチケットを携えて電車を乗り継ぎ、舞台が上演される劇場の最寄りの駅へ降り立った。

 小さな劇場がいくつかあるそのエリアは細い路地が入り組んでいて狭く、正直何度来ても慣れなかった。元々方向感覚に自信が無いA川さんは、何度もチケットに同封されていた小さな地図とにらめっこをしながら目的地の劇場を目指して路地を進んでいく。しかし、今日上演する劇場は駅から少し離れていた為どうにも位置関係を掴めず、上手く辿り着けないでいた。

 そうこうしているうちに雨が降り出してきたので、A川さんは慌てて直ぐ近くにあった大きな建物の軒先へ逃げ込んだ。ふと改めて見てみると、その場所は小劇場の入口前だという事に気が付いた。

「なぁんだ、いつの間にか着いていたのか」

 上演時間になんとか間に合って安心したA川さんは、ほっと一息付きながら劇場のロビーへと進んだ。

 しかし、開場時間前だというのにロビーには他の観客の姿は見当たらない。もしや、予定より早めに開場したのだろうかと、焦ったA川さんは早足にホールの入口へと向かった。すると、両開きの防音扉の手前に男性が一人立っているのが見えた。

 黒いスーツを身に纏った男性は、A川さんが傍らに立ってもじっと俯いていて動かない。照明が妙に暗めに設定されたその場所では、表情を確認する事が難しかった。

「あのう、すみません……」

 恐る恐る、A川さんは男性に話し掛ける。しかし、反応は返ってこなかった。不気味に感じて尻込みしたA川さんだったが、ここで佇んでいても仕方が無いので、先程より大きな声で男性に再び声をかけた。

「あの、もう開場してますか?」

 問い掛けに返答は返ってこなかったが、代わりに男性は俯いたまま両開きの防音扉に手を掛けて勢い良く開いた。ホールは既に証明が落とされているのか、扉の中には薄暗い空間が広がっている。

 あのチケットはとA川さんは男性にもう一度話し掛けてみたものの、結果は変わらなかった。釈然としないままだったがまあ入っていいならと、そのままホール内へ足を踏み入れた。

 入口の人も何かの演出だったのかなと、首をひねりながら暗い中を少し探りつつホールの左端へと進む。A川さんが予約出来た席はなんと一番前列の左から四番目だった。関係者から直接購入したからか、かなりの特等席だ。

 手摺りを頼りに階段を下って、ようやく一番前の列へ辿り着いた。既に席についている他の観客達に失礼しますと軽く頭を下げながら前を横切り、一つ空いていた自分の席へ腰掛けた。

 席について落ち着くと、はてと違和感に気が付く。どうにも、ホール内が静かすぎるのだ。

 幸い幕はまだ開いて居なかった。それならば上演を楽しみにする観客の息使いや、小さな話し声が聞こえても良い気がするのだが、周囲は全くの無音だ。視界の端には明らかに席に腰掛けている人間が居るし、なんならホールは既に満員に見えたのだが、その息遣いすら聞こえてこない。

 どうしたことだろうとA川さんが不安に押しつぶされそうになっている時に、上演開始のブザーが鳴り響いたので、彼も慌てて前に向き直った。

 ワインレッドの緞帳が開いて、一番始めに視界に飛び込んで来たのは大きな祭壇だった。周囲を白い菊に囲まれた立派な祭壇は、どう見ても葬式会場のそれだ。

 驚いたA川さんは、鞄にしまいこんだチケットを再び確認しようと探る。タイトルを正確に認識しているかと問われれば怪しいが、友人から聞いていた台本の種類は確実に覚えていた。それは確かに喜劇だった筈だ。

 A川さんが動揺している間にも芝居は進んで行き、舞台上に黒い喪服を着た人々が現れ、疎らに腰掛けていく。そして最後に、A川さんが座っている左側の舞台袖から、大きな箱を担いだ男性達が現れた。

 その箱は長方形の大きな桐の箱で、明らかに棺桶だった。A川さんが呆然と入場してくる彼等を見つめていると、急にその中の一人がバランスを崩してしまった。

 

 ガァン!

 

 棺桶が舞台の上に放り出されて蓋が開き、中からゴロリと白装束を着た男性が転がり落ちた。

 その顔を見て、A川さんは思わずあぁっと声を上げた。虚ろな瞳と半開きの口、綿が詰められた鼻、真っ白な肌は血が通っておらず明らかに亡くなっているが、目の前に転がり落ちたその人はこの舞台へ誘ってくれた友人そのものだったからだ。

 そして、恐れ慄くA川さんの背に、急に大きな音が襲い掛かった。それは何百人もの人の大きな笑い声だった。

 

 ははははは!!

 

 ははははは!!

 

 先程まで息遣いすら感じさせなかった人々の爆笑は舞台上にも届いて、力無く転がる友人の死体にも降り注ぐ。その異様な空間に耐えられなくなったA川さんは席を立ち階段を駆け上がってロビーへ転がり出て、そのまま劇場を飛び出した。

 A川さんが落ち着いたのは雨の中を走り抜け、駅前まで逃げ帰って来た時だった。その日はそのまま寒さと恐怖で震える体を摩りながら電車に乗り家へ逃げ帰ったのだが、後日件の友人から電話を貰って再び驚く事になった。

 

「前の公演、来なかったみたいだけど都合が悪かったのか? せっかくチケット買ってもらっといてなんだか悪いから、今度何か奢らせてくれよ」

 

 友人は今も元気に舞台を踏んでいるが、A川さんはそれから好きだった観劇へは行かなくなってしまった。

 もしまたあの不気味な劇場へ辿り着いてしまったら、次は何が上演されているのかと考えると、恐ろしくて仕方が無いからだという。


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