マルチーズが落ちている
五色ひいらぎ
我が家にはマルチーズが落ちている
我が家には、マルチーズが落ちている。
夏は廊下に落ちている。薄暗い板張り廊下の真ん中、薄いピンクのお腹をいっぱいに広げ、人間なら大の字になるであろう姿で落ちている。女の子にあるまじき、お股全開姿で落ちている。
狭い廊下にものが落ちていると、人間様は通れない。しかたなく、爪先立ちでそっと横を抜ける。マルチーズは落ちたままだ。時々軽い寝息を立てつつ、黒豆の鼻をひくつかせながら、悠然と落ちている。
冬は居間に落ちている。ホットカーペットの真ん中、暖房の風がちょうど当たる位置に、モップ様の白い毛玉が落ちている。帰ったよ、と声をかけると、尻尾だけ動く。チアリーダーのポンポンのように、白いふさふさが上下に揺れて、でもそれだけだ。頭の小さな赤いリボン、ぴくりとも動かない。倦怠期の夫婦の挨拶だろうか。
横に腰を下ろして、白いたれ耳をめくってやると、ようやくモップがかすかに震える。丸い黒い目が、何か用かと言わんばかりに妨害者をにらむ。邪魔をするな、と主張するジト目。今ここですることなど、何もないだろうに。倦怠期の夫婦の会話だろうか。
春と秋は、いろいろな場所に落ちている。暑い日は、水道管の隙間に落ちている。管の隙間に鼻を突っ込みながら、だらりと伸びつつ落ちている。寒い日は、人肌の温度が残る座布団に、丸くなりつつ落ちている。家中のどこにでも、マルチーズは落ちている。
◆
庭の隅に石が落ちている。
傍らに私は水を置く。父が飲んだワンカップの器、綺麗に洗いはしたけれど、酒臭かったらごめんなさい。
心臓が弱い子だったとは、検査で分かった。
道理で、散歩に出るとすぐ息切れしていたはずだ。家にいる時もおとなしくて、「落ちている」としか形容できないほどに、じっと横になってばかりいる子だった。
私が帰宅した時、尻尾だけを振って迎えてくれたのは、慣れのためだったのか。それとも本当は、飛び上がってじゃれつきに来たかったのか。今となってはわからない。
確かなのは、あの子はいま、この石の下に落ちていること。小さな骨壺の中で、静かに休んでいること。
最期はあっけなかった。ぜえぜえと息を吐いて、不意に金切り声めいた叫びをあげて、そのまま動かなくなった。動物病院へ運ぶ間もなく、冷たくなっていった。
好きだったささみジャーキーを、半分に切って添えてやる。もう、他のどこにも、これを置くべき場所はない。廊下にも、ホットカーペットの上にも、水道管の脇にも、温もりの残る座布団にも。
マルチーズは、もう落ちていない。庭の隅の、金木犀の木の下にしか。
【了】
マルチーズが落ちている 五色ひいらぎ @hiiragi_goshiki
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