マルチーズが落ちている

五色ひいらぎ

我が家にはマルチーズが落ちている

 我が家には、マルチーズが落ちている。


 夏は廊下に落ちている。薄暗い板張り廊下の真ん中、薄いピンクのお腹をいっぱいに広げ、人間なら大の字になるであろう姿で落ちている。女の子にあるまじき、お股全開姿で落ちている。

 狭い廊下にものが落ちていると、人間様は通れない。しかたなく、爪先立ちでそっと横を抜ける。マルチーズは落ちたままだ。時々軽い寝息を立てつつ、黒豆の鼻をひくつかせながら、悠然と落ちている。


 冬は居間に落ちている。ホットカーペットの真ん中、暖房の風がちょうど当たる位置に、モップ様の白い毛玉が落ちている。帰ったよ、と声をかけると、尻尾だけ動く。チアリーダーのポンポンのように、白いふさふさが上下に揺れて、でもそれだけだ。頭の小さな赤いリボン、ぴくりとも動かない。倦怠期の夫婦の挨拶だろうか。

 横に腰を下ろして、白いたれ耳をめくってやると、ようやくモップがかすかに震える。丸い黒い目が、何か用かと言わんばかりに妨害者をにらむ。邪魔をするな、と主張するジト目。今ここですることなど、何もないだろうに。倦怠期の夫婦の会話だろうか。


 春と秋は、いろいろな場所に落ちている。暑い日は、水道管の隙間に落ちている。管の隙間に鼻を突っ込みながら、だらりと伸びつつ落ちている。寒い日は、人肌の温度が残る座布団に、丸くなりつつ落ちている。家中のどこにでも、マルチーズは落ちている。



 庭の隅に石が落ちている。

 金木犀きんもくせいの木の下に、私の拳の倍ほどの石が落ちている。

 傍らに私は水を置く。父が飲んだワンカップの器、綺麗に洗いはしたけれど、酒臭かったらごめんなさい。


 心臓が弱い子だったとは、検査で分かった。

 道理で、散歩に出るとすぐ息切れしていたはずだ。家にいる時もおとなしくて、「落ちている」としか形容できないほどに、じっと横になってばかりいる子だった。

 私が帰宅した時、尻尾だけを振って迎えてくれたのは、慣れのためだったのか。それとも本当は、飛び上がってじゃれつきに来たかったのか。今となってはわからない。

 確かなのは、あの子はいま、この石の下に落ちていること。小さな骨壺の中で、静かに休んでいること。


 最期はあっけなかった。ぜえぜえと息を吐いて、不意に金切り声めいた叫びをあげて、そのまま動かなくなった。動物病院へ運ぶ間もなく、冷たくなっていった。

 好きだったささみジャーキーを、半分に切って添えてやる。もう、他のどこにも、これを置くべき場所はない。廊下にも、ホットカーペットの上にも、水道管の脇にも、温もりの残る座布団にも。

 マルチーズは、もう落ちていない。庭の隅の、金木犀の木の下にしか。


【了】

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

マルチーズが落ちている 五色ひいらぎ @hiiragi_goshiki

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ