第2話 ウキ釣り男子、恋をする②

 「お疲れ様です。

さっき、お昼用にいっぱい買ってみちゃいました」

 月曜日の昼休み、ランチスペースに来た花咲さんは恥ずかしそうに、パンパンに膨らんだ太陽ベーカリーの袋を見せてくれた。

 その姿に僕は大物を釣り上げる手応えを感じ、手に汗を握る。

 「いっ……いいね」

 余りの可愛さに噛んでしまった。

 だが、花咲さんはまだニコニコ笑っている。


 ……大丈夫だ。獲物はまだフックにかかっている。


 僕は頭のDBをフルスキャンして適当な話題を探した。

 パン屋巡りに誘うのは……今の会話からは時期尚早じきしょうそう。コンプライアンス違反だ。ならば、次に振るべき話題は……これだ。


 「ね、森山さんに聞いたんだけど、花咲さんも"もふもふレンジャー"やってるんだって?

 僕もやっているから、フレンド申請してもいいかな?」

 言い終わった瞬間、口の中がカラカラに乾く。だが、花咲さんは少し驚いた顔をしたあと、嬉しそうに目を細めた。

 「白井さんもやってるんですね!いいですよ」

 「良かった。じゃあ、後で申請しておくね」

 花咲さんは口元にパンを運びながら、にっこりと頷いた。

 その様子に、僕の心はまたウキのように浮き上がった。





 午後の仕事中、どうにも集中できなかった。

 というのも、花咲さんから"もふもふレンジャー"でメッセージが来ていたからだ。

 

『お疲れ様です。

 白井さんの熊さん、かぶとがかわいいですね!

 ちなみに私の熊は火力重視です。』


 スマホの画面を何度も見つめては顔が緩む。

 このメッセージはまるで僕たちの間に何かが始まりつつあるかのようだった。

 そんな、浮かれながら仕事をしている僕に、突然、一本の電話が入った。


 「はい。白井です。

 えっ……はい、はい。ただいま確認いたしますので、折り返しご連絡させてください」

 それは、お客様からで、なんでもテスト環境の商品価格データが変わってしまい、画面の表示がおかしくなってしまったそうだ。

 急いでログを調べる。確かに、画面から書き換えられた痕跡こんせきがある。

 画面担当の川島の仕業か?と思って彼の座席を見ると、今日はお客様と打ち合わせのため不在だった。


 となると、今、画面を触っているのは……花咲さんだ。


 隣の島でぽつんと一人座る花咲さん。

 今日は頼みの綱の森山さんも川島達と一緒に外出中だ。

 「マジかよ……」

 僕はそっと呟き、天井を仰ぐ。

 そして、腹をくくって花咲さんの席へ向かった。


 「花咲さん、ちょっといい?」

 きょとん、と顔を上げた花咲さんは相変わらず可愛い。

 だけど、言わねばならない。

 「あのさ、商品データの画面なんかいじった?」

 僕が言った途端、花咲さんは「あ……」と呟いてみるみる真っ青になった。

 「あの、システムの勉強のために、少しポチポチ動かしました」

 消えいるように縮こまる花咲さんを見て、僕も反省する。

 森山さんがあんなに花咲さんに話しかけてたのは、変な動作をしないかのチェックもあったのか。今日は放っておいた僕の責任だ。

 「あのさ、今、お客様から電話があって……そのデータが書き換えられて、システムが動かなくなっちゃったみたいなんだ。

 えっと……作業手順の最初に禁止事項きんしじこうが書いてあるから、そこに書いてある動作はやらないでね」

 僕は勤めて優しく言ったつもりだった。そもそも彼女に管理者権限なんでもできるユーザーを渡した川島が悪い。そして、午後は放っておいた自分も悪い。

 だけど、花咲さんは「すみません……」と小さく言った後、肩を震わせた。

 必要以上に責任を感じている姿に僕は心が痛む。そして、何て慰めようか迷っている間に、彼女は突然椅子から立ち上がると、そのままオフィスの外へ出て行ってしまった。

 「えっ……」

 一人残された僕は呆然とその後ろ姿を見送った。

 周りから、白井やってしまったな、と言うような視線が痛い。

 いや、僕は悪くないぞ?パニックになりそうになる気持ちを深く息を吸って抑える。

 そして、今やるべきことをフローチャートで描くと、僕は彼女の同期である金子唯かねこ ゆいさんの席へ向かった。




 「あの、金子さん。ちょっといいかな?」

 金子さんは先輩の横に座って手取り足取り作業を教えてもらっていた。

 僕たちもそうしてあげれば良かったんだ、とちくりと胸が痛む。

 「あの、花咲さんが、プロジェクトのトラブルでショックを受けたみたいで……。

 ちょっと女子トイレとか、更衣室にいないか確認してもらえる?

 あと、もう大丈夫だからって伝えておいて」

 金子さんは綺麗にまつ毛がカールされた瞳を一瞬見開いた後、「分かりました」とハキハキ答えた。

 その顔を見て、僕はほっと肩の力を抜く。

 花咲さんは、金子さんに任せて大丈夫そうだ。

 自席に戻り、まずは外出しているプロジェクトマネージャーの長田さんに連絡を入れる。そして、お客様に、テスト中に誤ってデータを書き換えてしまった事を伝えた。

 電話の声音から、先方はあまり怒って居ないようだ。そのことに僕は一安心する。

 そして、データの復旧のスケジュール調整が終わった頃、花咲さんは金子さんと一緒に戻って来た。

 ちらっと見ると、爽やか男の水野もいる。

 その事が僕を訳もなく苛立たせた。

 僕は花咲さんを責めずに優しく言ったぞ?

 なのに勝手に飛び出して。

 それに僕はこれから残業してリカバリー作業をするんだぞ?

 まだ月曜日なのに。

 沸々ふつふつとドス黒い思いが湧き上がって来たのを慌てて缶コーヒーを飲んで洗い流す。

 結局、花咲さんはそのまま就業時間と共に帰ってしまった。

真面目でしっかりしたタイプだと思ってたからがっかりだ。

 僕の中で花咲さんのイメージがボロボロと崩れていく。

 その失望を振り払うように、頬を軽く叩き、僕は黙々とデータの復旧作業に取り掛かった。




 一仕事終えて、遅めの夕食を取っていると、水野が爽やかな笑顔で近づいて来た。

 「お疲れ。今日は大変だったな」

 その言い方にカチンときて、僕ぶっきらぼうに呟いた。

 「僕のせいじゃないぞ」

 「まあ、そんなに怒るなよ」

 そう言って水野は真顔になって、打ち合わせスペースに来るよう手招きした。

 「で、何?」

 さっきまで集中して作業をしていた僕は機嫌が悪い。

 そんな僕の様子を見て、水野は苦笑いしながら声を落とす。

 「実はさ、花咲さん、前の会社を半年で辞めて、うちの会社に第二新卒枠で入って来たんだよ」

 僕は目を見開いて水野を見ると、彼は本当のことだと言うように、軽く頷いた。

 「なんか、前の職場でミスばかりして、耐えきれずに辞めちゃったらしい。

 だから、今の職場はそうならないように、必要以上に気を遣っていたところで、今回のことだったから応えたんじゃない?」

 水野のその言葉に、僕は妙に納得した。

 森山さんはともかく、花咲さんはぶっきらぼうなうちのチームメンバー達にも、いつも笑顔で話しかけていたから。

 そして、今日の異様なくらいに真っ青になった顔。それら全てが繋がった。

 「……でも、どうすれば良かったんだよ」

 そもそも、禁止事項をしたなら、こっちはきちんと注意しないといけない。

 それに、こんなメンタルじゃこの先どこに行ってもやってけないぞ?

 色々な思いが湧き上がって来て、頭を抱え始めた僕を励ますように、水野はチョコレートをくれた。

 「まあ、花咲さんを注意したことは間違ってないよ?

 ただ、ちょっとお前の真顔にびっくりしただけだって」

 その言葉に、僕はじろりと水野を睨む。

 「まあ、こっちの話だけど、うちの会社、今女性の比率上げようと頑張ってるんだよ。

 だから、フォローよろしくな」

 そう言って、水野は「頑張れよ、先輩」と僕の背中を叩いて帰って行った。

 「面倒な所で放り投げやがって」

 水野のワックスで綺麗に整えられた後頭部を忌々しく見つめながら舌打ちする。

 そして、水野がくれたチョコレートをやけ食いのように平らげた。

 「とりあえず、明日会ったら、励ますか」

 もう、トラブルは解決したって。そんな失敗しちゃうのは普通だよって。




 けれど翌日、僕が花咲さんの席へ近づくと、彼女は逃げるようにどこかへ行ってしまった。

 午前中にプロジェクトマネージャーの長田さんとの面談をしたり、森山さんと話しているのは見かけたが、僕とは一切目を合わせなかった。


 ……終わった。完全に嫌われた。


 僕は椅子の背もたれに体を預けた。

 手の中の竿からは、もう何も伝わってこない。

 魚は逃げた。いや、最初から釣りなんて成立していなかったのかもしれない。

 僕は花咲さんにとって、ただの先輩から、苦手な先輩に成り下がったのだ。


 落ち込んで過ごした昼過ぎ。

 僕が無言でログを確認していると、花咲さんがそっとやってきた。

 「……白井さん。あの……昨日はすみませんでした。

 私、自分のミスでチームに迷惑かけちゃったって、頭が真っ白になっちゃって。

 そのまま、さっさと帰ってしまって……。

 本当に、すみませんでした」

 顔を上げた時に見えた彼女の目は、少し赤くてクマも浮いていた。

 いつもの天使みたいな笑顔もない。

 失敗して、戸惑って、それでも頑張ろうとしている、普通の女の子の顔だった。

 花咲さんのその顔を見て、不意に今までのことがストンと腑に落ちた。

 

 ……そうか。


 僕は水面を見て、大物がいると思い込む釣り人と同じ間違いを犯していたのか、と。

 そう思うと、花咲さんに会うたびに舞い上がった鼓動が沈む。

 そして、僕はゆっくりと息を吸い、心の中で決意する。

 釣り人でいるのはもうやめよう、と。

 ぐっと拳を握りしめた後、花咲さんを安心させるよう笑った。

 「そんな深刻に考えなくて大丈夫だよ。

 昨日のはすぐに解決したし。

 僕なんかもっと酷い失敗たくさんして来たから……」

 そう言って、ワザと僕の格好悪い失敗談を話す。

 うっかりインデックスを貼り忘れたままリリースして、平謝りしたこと。

 レビュー中に自分で何を喋っているのかわからなくなって、結局、先輩に代わってもらったこと。

 花咲さんはへにゃりと眉を下げながら笑った。

 その笑顔を見て、僕は荒ぶる海に飛び込む魚のように覚悟を決める。

 「今度さ、"もふもふレンジャー"でチーム戦しない?

 ……森山さんとかも誘ってさ」

 水の中に入っても、僕は静かに自然に待つウキ釣りスタイルだ。

 でもそれでいいのだ。

 照れながらちらっと見ると、花咲さんは嬉しそうに微笑んでくれた。

 「はいっ!ぜひっ!」

 その答えに自然に僕も微笑む。

 「じゃあ、今日仕事終わったら、太陽ベーカリーのカフェスペースでやる?」

 「はい!じゃあ、仕事終わったらお願いしますっ」

 ピッと敬礼した花咲さんの姿が、彼女の真面目なイメージとはミスマッチで、僕は思わず笑ってしまった。

 ……こんな動作もするんだな、と。




 その後、花咲さん、森山さん、金子さんと一緒に"もふもふレンジャー"のチーム戦をやった。

 意外にも花咲さんは攻撃的で、対戦相手の畑を容赦なく焼き払っている。

 僕の熊はかぶとは勇ましいのに武器はハートの盾と剣で完全に狙いすぎた格好だ。餌の準備を称してガチャアイテムを買い漁っていた自分を思い出し、思わず赤面する。

 そんな僕の気持ちを見透かすように花咲さんは意味深に微笑んだ。

 「白井さんの熊の装備、可愛いから大丈夫ですよ?」

 その笑顔に、僕は呆気を取られてしまった。


 ……よくよく考えてみれば、最初から僕は、雌を追いかけるだけの情けない魚だったのかもしれない。


 でもまあ、そんなことはどうでもいい。


 僕も魚になって、同じ水の中で、同じ流れに揺られながら、彼女の隣で泳げるなら、それで十分だ。


 それはモノクロな海に日差しが差し込んだような晴れやかな気持ちだった。


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ウキ釣り男子、恋をする 桜木 菊名 @sakuragi-kikuna

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