第2章 その7

 浮いている。目の前には鏡合わせのような自分がいる。≪実体≫の俺だ。


「――――しゃああああ!」


 歓喜の声を上げ、次いで嘆息する。やった。やってやった!


 深呼吸(なのか?)。興奮を抑える。時計を見る。16時16分。


 前回はすっかり忘れていた時間の確認も忘れずにする。


 さて、やりたいことは色々ある。AIに壁打ちして聞いとけばよかったか。


 壁をすり抜け外に出る。地上9階、まだ高い太陽。近くの道路に視線を移すと、学校帰りの学生がチラホラいた。


 まずは浮遊して動いてみる。ふわふわ空中を進む。


 ――加速しろ!


 音もなく≪幽体≫が全力ダッシュくらいの速度で移動する。


 よし、移動は問題ない。他人の家を覗くのもアレなので近くのスーパーにでも行ってみるか。


 スーッと直進しスーパーへ向かう。重力の呪縛からは解き放たれた感覚だが、浮遊感はあまりない。VRゲームに似ているといったところか。


 地元のスーパー、遠鉄ストアに着く。夕方時間、買い物客であふれていた。


 空中から地上に降下し、ちょっと恐る恐る駐車してあるエンジンの掛かる軽自動車に近づく。


 透過した。エンジン音と、ラジオから流れる懐メロらしき音楽。若い男性がハンドルを指で叩きながらリズムを取っていた。


 すごいリアリティだ。今すぐそこに彼は存在している。毛穴も見える。


「もしもーし」


 男の耳元で言ってる。


「もしもーし」


 聞こえてはいないようだ。なるほど、っと。これ霊感とか関係あるのかな。


 それはともかく、今度はまた透過し車のフロントに頭を突っ込む。この前思った、中の機構が見えるか試すのだ。


「よっと」


 頭がエンジンを貫通している。暗いのでよく見えない。ハッキリとは内部の様子はわからない。だが、エンジンが振動しているのがわかる。


 思わずニヤリと頬がゆるむ。楽しい。とても楽しい。子供の頃から夢見ていた世界が、今そこにあった。


 さて、次だ。スーパーの中へ人々を貫きながら移動する。

 律儀に入り口から入った瞬間、そんな事しなくていいんだったと笑ってしまった。


 ともかく目指すは鮮魚コーナーだ。そう、嗅覚を試すのだ。


 近づくにつれて、魚の匂いがした。ただ少し嗅覚は低下しているように思う。なるほどなるほどと頷きながら、ちょっとイタズラをしてみたくなった。ここで現実に干渉してマグロの切り身を浮かべてみようか。


 でも変な噂になってもアレな気がする。好奇心と冷静な観察者の狭間で俺はしばし揺れていた。


 ――と。右の視界に異変を感じた。見やると、少女というより童女というか、幼女が指をくわえじーっとサンマの安売りを見つめていた。


 ただそれだけなら何ということの無い風景だっただろう。問題は――幼女の身なりだった。彼女は上品な色合いの赤っぽい着物を着ていたのだ。


 何だろう。誕生日で撮影したその帰りだろうか。それとも七五三? 七五三っていつだっけ? こういう時にすぐ検索やメモができないのは結構不便だなあっと思った瞬間、買い物カートが幼女をすり抜けていった。


「――――!?」


 えっ? 幽霊? いや≪幽体≫なのか!?


 しばし思考が止まる。買い物客が俺と幼女をすり抜けていく。


「うまそうじゃのぅ……サンマ」


 そう、幼女が呟いた。


「食べたいのぅ……サンマ」


 幼女は本当に物欲しげに続ける。


 えっ? どうする!?

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18と20の狭間にて 青ちゅ〜≒ラリックマ @aochu9919

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